君の願う世界のために

浅海 景

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第1章

変わり映えのない日常

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(想定よりも早く片が付いた)

固い地面を踏む自分のささやかな足音さえも響いて聞こえる。先ほどまでの喧騒が嘘のように辺り一帯は静まりかえっていた。
戦いが終わったあとに時折訪れる静謐さは違う世界に迷い込んでしまったのかと錯覚してしまいそうなほどだ。安らぎと僅かな不安が入り混じった儚い時間を、ラウルはどこか心地よく感じていた。

歩を進める中で捉えた微かな物音に身体が自然と動き、振り向きざまにいつもの動作で引き金を引く。
人のうめき声と重いものが地面に崩れ落ちる音が聞こえて、それを契機に世界は日常に戻った。遠くから聞こえる破裂音、たなびく煙、そして血の匂い――。

変わり映えのない光景に背を向けて、ラウルは拠点へと足を向けた。


「ラウル、早かったな」

笑みを浮かべたギルバート上官に声を掛けられ、ラウルは黙って敬礼した。

「議会でもお前のことは話題に挙がっている。まるで精密機械のように着実に任務をこなす優秀な駒がいる、と。よくやった」

そう言って無造作に頭を撫でまわされる。いつものことだが、どんな反応が適切なのかいまだに分からないのでただ短く返事をする。

「……はい」

にやけた口元と軽い口調は規律に厳しい軍人らしかぬ態度だが、この上官――ギルバート・エーデルは軍の中でもずば抜けて優秀だと高い評価を得ている。一見すればへらへらした遊び人といった風情だが、銃の扱いや体術は一流で指揮官としての洞察力、知力、判断力を兼ね備えている。

最年少幹部候補と言われているが、その扱いづらさゆえにラウルのような部下を含めた精鋭部隊として前線に送られていると聞いたことがある。他にもとある幹部の弱みを握っているので下手に中央に戻せない、本人が中央に戻るのを断っているなど噂は多数あれど真偽のほどは定かではない。

(……僕には関係のないことだ)

ただ勝ち続けていればよい。敵を、人を殺すための駒であること、それがラウルの存在理由であり他人の事情に干渉する気はない。
ようやく手が離れたので、退出するためもう一度最敬礼をする。上官への態度は規定に明記されているから楽だ。

「なあ、お前は大丈夫だと思うが――」

踵を返した途端に背中に言葉をかけられた。

(まだ話が終わっていなかったのか……)

自由に振舞うギルバートは、時折こういうフェイントをかけてくるのだ。戦場だったら一瞬の油断が命取りとなる。気を緩めたつもりはなかったが、すべての物事が規定通りに運ぶわけではない。
ギルバートがそれを戒めるためにあえてそのようなことをしているのだと捉えるのは穿ちすぎだろうか。

そんなことを考えながらラウルは背筋を伸ばしてギルバートの言葉を待つ。

「お前は他人を愛したりするなよ?他に大事なものがあると弱さに繋がるからな」

口癖なのかギルバートはよくラウルにそう告げる。
何故だろうと疑問に思ったこともあるが問い質すことはなかった。上官に対して疑問を呈すことを躊躇ったからではない。理由はどうあれ答えは決まっているからだ。

「了解しました」

満足したように一つ頷くと、ギルバートは手をひらひらと振って退出の許可を出した。


五日ぶりに戻った殺風景な部屋が何一つ変わっていないことを確認して、ベッドに倒れこむ。機械のようだと言われることが多いが、人間である以上肉体的疲労は免れない。

見慣れた天井の木目を一瞥したあとで目を閉じる。夕食まであと2時間、その間に仮眠を取ることにした。休める時に休んでおかないと、ミスを犯しやすくなる。

(……洗濯物、廊下に出しておけばよかったな)

眠りに落ちる寸前、そんなことを思った自分が人間らしい気がして少しおかしかった。



頭がぼんやりしながらも、夢であることを自覚する。
目を覚ました後は思い出すことなどないのに、夢を見ているときは以前も見たことがある夢だと分かる。自分の前に立つ男女の顔がぼやけているのに、ラウルは彼らを両親だと認識していた。

『何のために貴方を生かしているか、分かっているでしょう?』

母親が柔らかい口調で語り掛けるが、混じる嘲りの色を隠そうとしない。

「戦場で戦うためです」

感情の起伏がほとんどない自分が両親から嫌厭されていることは知っていた。そのため戦場に送られる予定であることに驚きも反発もなく、言われるがままに士官学校に進んだのだ。

『まだいたの?ここは貴方がいる場所じゃないわ』

母親と違う幼く甲高い声は二つ離れた妹だ。今頃はもうレディと呼んでよい年齢のはずだが、現在の彼女の容姿を知らないため、夢で見る時は幼い頃のままだ。

『人を殺すためだけに生きているなんて、そんなのおかしいわ!』

(家を出る前に言われた言葉なのによく覚えているな)

変だと言われても、自分の役割は戦場で戦うことだと決まっていた。
妹にもそれが分かっていたはずなのに、家を出る直前に何故わざわざ言いに来たのか。怒っているような声で泣きながら叫んだ妹の行動は今も理解できないままだ。

(僕は彼女に何と答えたんだっけ……)

同じ家に住んではいたけれど、顔を合わせることなどほとんどなかった。役割が違うからと家族と一緒に食事を摂ることも稀だったのだ。

当たり前のことと認識していたが、軍に入り他人と関わるようになってそれが普通でないことを知った。だからといって何の感慨も浮かばなかった。
ただそれだけなのに、繰り返し見るこの夢は自分自身が何かわだかまりを抱えているからなのか。

『お前は他人を愛してはいけない』

ギルバートの言葉が頭をよぎって、消えた。
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