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毒
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「じゃあまたな、お嬢ちゃん」
あくまでも非常時における要員だと言うロジェは、顔合わせが済むとあっさり部屋から出て行ってしまった。
「とりあえず食事にするか。休める時にはしっかりと休んでおいたほうがいい」
直前の出来事を思えば気まずい雰囲気になるのではと予想した陽香だったが、メルヴィンの態度は普段と変わらない。ロジェの登場により衝撃が薄れたこともあり、先ほどまでの動揺は収まっていた。
(きっと深い意味はなかった……)
そう結論付けて陽香はそれ以上考えることを止めてしまった。
食堂に下りると時間が早いせいか他の客の姿はない。このような小さな町では宿泊客だけでなく住民にも利用されているのが一般的だという。
まだ日が沈んでいないとはいえ、薄闇に包まれつつある時間なのだ。違和感にメルヴィンの様子を窺えば、視線に鋭さが混じっている。
不穏な気配に息を詰めると、メルヴィンは安心させるように陽香の手を取って、席へと向かう。
出入口と厨房が見渡せる席に着くと、女将が注文を取りに来たが表情が固い。いくつかの料理を注文すると、メルヴィンは穏やかな表情を浮かべてまま切り出した。
「俺がいいと言うまで絶対に口を付けないでくれ」
陽香が頷くと、良くできましたと言うように頭を撫でられる。何が起きているか分からないのは不安だが、不用意な発言は状況を危うくしかねない。
運ばれてきたスープや焼き立ての鶏肉から食欲をそそる匂いが漂っている。
「美味そうだな。これは全部主人が作ったのか?」
「え、……はい、そうですが」
にこやかなメルヴィンに対して、声を掛けられた女将はびくりと肩を震わせ視線を彷徨わせている。疚しいところがありますと言わんばかりの態度に、逆に心配になってしまう。
「俺の知り合いにも食堂をやっている者がいるんだが、夫婦だけだと食材の仕入れも大変だろう?他にも家族がいるのか?」
「っ……こ、子供がいます……」
「まだ幼いだろうに家業の手伝いなんて偉いな。ちょっと聞きたいことがあるから、呼んで来てくれないか?ああ、仕事の邪魔をするわけだからその分の報酬は支払おう」
青ざめながらも何か言わなければと口を開いたものの、言葉が出てこないようだ。
(この人は何を恐れているんだろう……?)
そんな疑問を抱いていると、厨房から主人が現れた。
「すみませんが娘は体調を崩しています。おい、お前はもう看病に戻れ」
無骨な物言いの主人に対して、女将は安堵の表情を浮かべて立ち去ろうとする。
「それは済まなかった。お詫びと言っては何だが、薬などは足りているか?旅の途中だから色々持ち合わせているから、融通できるものがあるかもしれない」
穏やかに告げたメルヴィンの言葉に、夫婦の表情が明らかに変わった。
「蛇に、毒蛇に咬まれたそうなんです!どうか娘を助けてください!」
悲痛な訴えとともに縋るように手を伸ばす女将の姿に胸が痛む。恐らくだが夫婦が脅迫されており、その原因は自分なのだろう。だから次の瞬間、何が起きたのか陽香は咄嗟に理解できなかった。
「ただしこちらに危害を加えないことが条件だったんだがな」
静かな口調の中にはっとするほどの鋭さが混じる。いつの間にかメルヴィンが女将の首元に剣を突き付けていた。
強張った表情には怯えが浮かび、中途半端なところで止まった手は微かに震えている。
「主人も動くなよ。さあ、ゆっくりと手を机に置くんだ。あいにくその手の道具は見たことがある」
その言葉で陽香はようやく違和感に気づいた。薬指に嵌められた指輪は宝石こそ使われていないが台座の部分がやけに大きい。貴族の女性ならともかく常日頃働いている女性では邪魔になるだろう。
(……毒のような物が仕込まれている?)
あんな小さな指輪を用いて出来ることなど限られている。鈍く光る指輪が急に禍々しい物に思えて陽香は思わず眉を顰めた。だがその表情が女将の癇に障ってしまったらしい。
「っ、私たちが何をしたって言うのよ?!……あんたたちさえ来なければ!」
震えながらも憎しみのこもった視線を向けられ息を呑む。メルヴィンは夫婦を見据えたまま無言で陽香に立ち上がるように促す。
これ以上ここにいても仕方がない。
「効くかどうかは保障できないが、荷物の中に解毒剤がある」
メルヴィンの言葉に目を丸くする二人に背を向けようとした時、入口の扉が勢いよく開いた。そこには十歳ぐらいの少年が立っており、両手でナイフを握り締めている。
「父ちゃんと母ちゃんから離れろ!お前たちなんか俺がやっつけてやる!リーズも俺が護るんだ!」
「やめろ、ノエ!」
血相を変えた主人が叫ぶが、聞こえていないのか少年は血走った眼でメルヴィンを睨んでいる。
「……まずいな。何か薬を盛られたらしい」
舌打ちとともに漏らしたメルヴィンの言葉からは焦燥らしきものを感じられる。そんな雰囲気が伝わったのか悲鳴交じりの声が上がった。
「ノエ!やめて、その子を殺さないで!」
剣を構えたままのメルヴィンに、少年がナイフを振り回しながら突進していく。キンと澄んだ音がしたかと思うと、メルヴィンは剣を鞘に収めていた。少し遅れて切断されたナイフの刃が床に刺さり、その間にもメルヴィンは少年の手からナイフの柄を奪い、あっという間に拘束してしまう。
何が起こったのか分からず呆然としていた少年だが、床に押さえつけられていると気づいて暴れ始めたが、両手と両足を縛られてほぼ身動きが取れない状態だ。
「薬が切れるまでこのままにしておいたほうがいい」
短く告げてメルヴィンは陽香の手を取り、宿を後にした。
馬の嘶きに駆けつければ、前足を掻きながら近づこうとする男たちに威嚇しているのが目に入った。メルヴィンに気づくと、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったので唆されただけの小悪党なのだろう。
馬に乗り暗い山道を駆けていく。冴え冴えとした月光のおかげで少しはましだが、夜の移動が危険なことに変わりはない。無言なのは集中しているからだと思っていた陽香が、メルヴィンの体温の高さに気づいたのはしばらく経ってからだった。
「……メル?」
馬のスピードが落ちて振り返ろうとすると、背後から抱きすくめられる。小さく笑う気配がするのに、嫌な予感が止まらない。そんな不安を裏付けるかのようにメルヴィンの小さな囁きが耳に届いた。
「ハルカ、ここでお別れだ」
あくまでも非常時における要員だと言うロジェは、顔合わせが済むとあっさり部屋から出て行ってしまった。
「とりあえず食事にするか。休める時にはしっかりと休んでおいたほうがいい」
直前の出来事を思えば気まずい雰囲気になるのではと予想した陽香だったが、メルヴィンの態度は普段と変わらない。ロジェの登場により衝撃が薄れたこともあり、先ほどまでの動揺は収まっていた。
(きっと深い意味はなかった……)
そう結論付けて陽香はそれ以上考えることを止めてしまった。
食堂に下りると時間が早いせいか他の客の姿はない。このような小さな町では宿泊客だけでなく住民にも利用されているのが一般的だという。
まだ日が沈んでいないとはいえ、薄闇に包まれつつある時間なのだ。違和感にメルヴィンの様子を窺えば、視線に鋭さが混じっている。
不穏な気配に息を詰めると、メルヴィンは安心させるように陽香の手を取って、席へと向かう。
出入口と厨房が見渡せる席に着くと、女将が注文を取りに来たが表情が固い。いくつかの料理を注文すると、メルヴィンは穏やかな表情を浮かべてまま切り出した。
「俺がいいと言うまで絶対に口を付けないでくれ」
陽香が頷くと、良くできましたと言うように頭を撫でられる。何が起きているか分からないのは不安だが、不用意な発言は状況を危うくしかねない。
運ばれてきたスープや焼き立ての鶏肉から食欲をそそる匂いが漂っている。
「美味そうだな。これは全部主人が作ったのか?」
「え、……はい、そうですが」
にこやかなメルヴィンに対して、声を掛けられた女将はびくりと肩を震わせ視線を彷徨わせている。疚しいところがありますと言わんばかりの態度に、逆に心配になってしまう。
「俺の知り合いにも食堂をやっている者がいるんだが、夫婦だけだと食材の仕入れも大変だろう?他にも家族がいるのか?」
「っ……こ、子供がいます……」
「まだ幼いだろうに家業の手伝いなんて偉いな。ちょっと聞きたいことがあるから、呼んで来てくれないか?ああ、仕事の邪魔をするわけだからその分の報酬は支払おう」
青ざめながらも何か言わなければと口を開いたものの、言葉が出てこないようだ。
(この人は何を恐れているんだろう……?)
そんな疑問を抱いていると、厨房から主人が現れた。
「すみませんが娘は体調を崩しています。おい、お前はもう看病に戻れ」
無骨な物言いの主人に対して、女将は安堵の表情を浮かべて立ち去ろうとする。
「それは済まなかった。お詫びと言っては何だが、薬などは足りているか?旅の途中だから色々持ち合わせているから、融通できるものがあるかもしれない」
穏やかに告げたメルヴィンの言葉に、夫婦の表情が明らかに変わった。
「蛇に、毒蛇に咬まれたそうなんです!どうか娘を助けてください!」
悲痛な訴えとともに縋るように手を伸ばす女将の姿に胸が痛む。恐らくだが夫婦が脅迫されており、その原因は自分なのだろう。だから次の瞬間、何が起きたのか陽香は咄嗟に理解できなかった。
「ただしこちらに危害を加えないことが条件だったんだがな」
静かな口調の中にはっとするほどの鋭さが混じる。いつの間にかメルヴィンが女将の首元に剣を突き付けていた。
強張った表情には怯えが浮かび、中途半端なところで止まった手は微かに震えている。
「主人も動くなよ。さあ、ゆっくりと手を机に置くんだ。あいにくその手の道具は見たことがある」
その言葉で陽香はようやく違和感に気づいた。薬指に嵌められた指輪は宝石こそ使われていないが台座の部分がやけに大きい。貴族の女性ならともかく常日頃働いている女性では邪魔になるだろう。
(……毒のような物が仕込まれている?)
あんな小さな指輪を用いて出来ることなど限られている。鈍く光る指輪が急に禍々しい物に思えて陽香は思わず眉を顰めた。だがその表情が女将の癇に障ってしまったらしい。
「っ、私たちが何をしたって言うのよ?!……あんたたちさえ来なければ!」
震えながらも憎しみのこもった視線を向けられ息を呑む。メルヴィンは夫婦を見据えたまま無言で陽香に立ち上がるように促す。
これ以上ここにいても仕方がない。
「効くかどうかは保障できないが、荷物の中に解毒剤がある」
メルヴィンの言葉に目を丸くする二人に背を向けようとした時、入口の扉が勢いよく開いた。そこには十歳ぐらいの少年が立っており、両手でナイフを握り締めている。
「父ちゃんと母ちゃんから離れろ!お前たちなんか俺がやっつけてやる!リーズも俺が護るんだ!」
「やめろ、ノエ!」
血相を変えた主人が叫ぶが、聞こえていないのか少年は血走った眼でメルヴィンを睨んでいる。
「……まずいな。何か薬を盛られたらしい」
舌打ちとともに漏らしたメルヴィンの言葉からは焦燥らしきものを感じられる。そんな雰囲気が伝わったのか悲鳴交じりの声が上がった。
「ノエ!やめて、その子を殺さないで!」
剣を構えたままのメルヴィンに、少年がナイフを振り回しながら突進していく。キンと澄んだ音がしたかと思うと、メルヴィンは剣を鞘に収めていた。少し遅れて切断されたナイフの刃が床に刺さり、その間にもメルヴィンは少年の手からナイフの柄を奪い、あっという間に拘束してしまう。
何が起こったのか分からず呆然としていた少年だが、床に押さえつけられていると気づいて暴れ始めたが、両手と両足を縛られてほぼ身動きが取れない状態だ。
「薬が切れるまでこのままにしておいたほうがいい」
短く告げてメルヴィンは陽香の手を取り、宿を後にした。
馬の嘶きに駆けつければ、前足を掻きながら近づこうとする男たちに威嚇しているのが目に入った。メルヴィンに気づくと、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったので唆されただけの小悪党なのだろう。
馬に乗り暗い山道を駆けていく。冴え冴えとした月光のおかげで少しはましだが、夜の移動が危険なことに変わりはない。無言なのは集中しているからだと思っていた陽香が、メルヴィンの体温の高さに気づいたのはしばらく経ってからだった。
「……メル?」
馬のスピードが落ちて振り返ろうとすると、背後から抱きすくめられる。小さく笑う気配がするのに、嫌な予感が止まらない。そんな不安を裏付けるかのようにメルヴィンの小さな囁きが耳に届いた。
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