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別離
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(予想していたよりも、数が多いな……)
自分が護衛に付いている以上、それなりの戦力で仕掛けてくるだろうと思っていたが、こちらの倍近い人数と森の中に射手が少なくとも一名はいるようだ。
馬の鼻先に矢を射られたせいで、驚いた馬を宥めているうちに敵の接近を許すことになった。馬を狙わなかったのは暴走による不確定要素を減らすためで、確実に仕留める方法を選んだのだろう。
バゼーヌ侯爵の本気が窺えるようで、メルヴィンは舌打ちしたくなるのを堪える。焦りや苛立ちは禁物だ。
慎重に一人一人片付けていきながらも、周囲への警戒は欠かさない。
「ハルカ、ハルカ!!」
ガラスの割れる音に続いてアンリの切迫した声が馬車の中から聞こえてくる。メルヴィンは剣での攻撃から切り替え、斬りかかってきた襲撃者を蹴り飛ばす。
致命傷を与えるよりもアンリたちの元へ向かうほうが先だ。同時に部下たちへの指示を飛ばす。
「深追いするな。殿下を護れ!」
メルヴィンの言葉に動揺したように肩を揺らした敵を目の端で捉えつつ、メルヴィンは扉を叩く。
「殿下、メルヴィンです」
大きく扉を開いたメルヴィンの目に飛び込んできたのは、座席に横たわった陽香の姿だった。その胸には短剣が深々と突き刺さっている。
灰色がかった紫のドレスは、胸元から太腿辺りまで暗い赤紫色へと染まり、大量の血が流れたことは一目瞭然だった。
閉じられた瞳と動かない身体に手を伸ばしかけて、自分のすべきことを思い出す。ハルカから視線を引き剥がし、床に座り込み呆然とした様子のアンリに声を掛ける。
「この場から動かないでください」
何が起きようと王太子であるアンリの命が最優先なのは、王家に仕える騎士として当然のことだ。
(余計なことを考えるな)
脳裏に焼き付いた光景を振り払うかのように、メルヴィンは馬車に背中を向けながら近くにいた襲撃者に対して、大きく剣を振るった。
目的を達した以上、長居は無用とばかりに逃亡を図る襲撃者たちを忌々しい気持ちで見送るしかない。部下の状態を確認すれば、軽傷を負っているものの特に問題はないようだ。
しかし安堵する気配はなく、沈痛な面持ちで全員が馬車のほうを窺っている。彼らの視線を背中に感じつつ、メルヴィンは馬車へと向かった。
馬車の中は先ほど全く同じ光景で、アンリは床に座り込んだままハルカを見つめ続けていた。
「アンリ殿下……申し訳ございません」
深々と頭を下げるとアンリが僅かに身じろぎする気配がした。
「どうして……どうしてハルカの側にいなかった?」
小さく呟くような声が引き金となったのか、アンリはメルヴィンの胸ぐらを乱暴に掴んだ。
いつにない乱暴な態度に周囲が再び緊迫した雰囲気に包まれるが、メルヴィンは仄暗い熱を帯びたアンリの瞳から目を逸らすことが出来ない。
「何のためにお前をハルカの護衛騎士にしたと思っているんだ!どれだけ強くても護衛対象を護れない騎士など、何の価値もない!」
「申し訳――」
謝罪の言葉を繰り返そうとするメルヴィンだが、アンリから突き飛ばされ無様に倒れ込む。そんなメルヴィンをアンリは冷ややかな目で見下ろしている。
「いつだってメルヴィンは私から大切な物を奪っていく……。お前が、お前さえいなければ父上は私を必要としてくれたし、臣下から侮られることもなかった!ハルカだってこんなことには――っ、もうお前の顔など見たくない!二度と私の前に現れるな!」
激しい感情に突き動かされるように放たれた言葉が胸を抉る。ずっと一緒にいたからこそ分かった。その言葉が、感情が、冷静さを欠いたせいではなく、ずっとアンリが心に秘めていたものだと。
「……いや、私がいなければ……いっそ私もハルカのところに……」
アンリの視線がハルカの胸元に刺さった短剣へと移り、メルヴィンは反射的にアンリの腕を掴んだ。
「っ、放せ!邪魔をするな!」
抵抗するアンリを半ば抱えるようにして、騎士用の馬車に押し込め外側から錠を掛ける。中からは暴れる音が聞こえてきたが、構わずに指示を出す。
「ジェレミー、このまま殿下を城へお連れしろ。……暫くは目を離さないでくれ」
「隊長!決して隊長のせいでは……俺たちの力が及ばないばかりに――」
必死な表情で言い募るジェレミーを手で制すると、ぐっと言葉を呑み込んだようだ。ずっと自分を慕ってくれていた部下への申し訳なさを感じながらも、メルヴィンは感傷を振り払う。
「……ハルカは王家の墓に入りたくないだろう。せめて彼女の故郷に似た場所で眠らせてやりたい。しばらく離れることになるが、殿下を頼む」
アンリを乗せた馬車が見えなくなるのを確認してから、メルヴィンはハルカの元へと向かった。何度見ても息が止まりそうな光景だが、呼吸を整えて口を開く。
「ハルカ、もういい。起きてくれ」
メルヴィンの呼びかけに閉ざされた瞼がぱちりと開いた。
短剣を胸に刺したままのハルカが起き上がるのを見て、メルヴィンは無意識に詰めていた息をそっと吐きだしたのだった。
自分が護衛に付いている以上、それなりの戦力で仕掛けてくるだろうと思っていたが、こちらの倍近い人数と森の中に射手が少なくとも一名はいるようだ。
馬の鼻先に矢を射られたせいで、驚いた馬を宥めているうちに敵の接近を許すことになった。馬を狙わなかったのは暴走による不確定要素を減らすためで、確実に仕留める方法を選んだのだろう。
バゼーヌ侯爵の本気が窺えるようで、メルヴィンは舌打ちしたくなるのを堪える。焦りや苛立ちは禁物だ。
慎重に一人一人片付けていきながらも、周囲への警戒は欠かさない。
「ハルカ、ハルカ!!」
ガラスの割れる音に続いてアンリの切迫した声が馬車の中から聞こえてくる。メルヴィンは剣での攻撃から切り替え、斬りかかってきた襲撃者を蹴り飛ばす。
致命傷を与えるよりもアンリたちの元へ向かうほうが先だ。同時に部下たちへの指示を飛ばす。
「深追いするな。殿下を護れ!」
メルヴィンの言葉に動揺したように肩を揺らした敵を目の端で捉えつつ、メルヴィンは扉を叩く。
「殿下、メルヴィンです」
大きく扉を開いたメルヴィンの目に飛び込んできたのは、座席に横たわった陽香の姿だった。その胸には短剣が深々と突き刺さっている。
灰色がかった紫のドレスは、胸元から太腿辺りまで暗い赤紫色へと染まり、大量の血が流れたことは一目瞭然だった。
閉じられた瞳と動かない身体に手を伸ばしかけて、自分のすべきことを思い出す。ハルカから視線を引き剥がし、床に座り込み呆然とした様子のアンリに声を掛ける。
「この場から動かないでください」
何が起きようと王太子であるアンリの命が最優先なのは、王家に仕える騎士として当然のことだ。
(余計なことを考えるな)
脳裏に焼き付いた光景を振り払うかのように、メルヴィンは馬車に背中を向けながら近くにいた襲撃者に対して、大きく剣を振るった。
目的を達した以上、長居は無用とばかりに逃亡を図る襲撃者たちを忌々しい気持ちで見送るしかない。部下の状態を確認すれば、軽傷を負っているものの特に問題はないようだ。
しかし安堵する気配はなく、沈痛な面持ちで全員が馬車のほうを窺っている。彼らの視線を背中に感じつつ、メルヴィンは馬車へと向かった。
馬車の中は先ほど全く同じ光景で、アンリは床に座り込んだままハルカを見つめ続けていた。
「アンリ殿下……申し訳ございません」
深々と頭を下げるとアンリが僅かに身じろぎする気配がした。
「どうして……どうしてハルカの側にいなかった?」
小さく呟くような声が引き金となったのか、アンリはメルヴィンの胸ぐらを乱暴に掴んだ。
いつにない乱暴な態度に周囲が再び緊迫した雰囲気に包まれるが、メルヴィンは仄暗い熱を帯びたアンリの瞳から目を逸らすことが出来ない。
「何のためにお前をハルカの護衛騎士にしたと思っているんだ!どれだけ強くても護衛対象を護れない騎士など、何の価値もない!」
「申し訳――」
謝罪の言葉を繰り返そうとするメルヴィンだが、アンリから突き飛ばされ無様に倒れ込む。そんなメルヴィンをアンリは冷ややかな目で見下ろしている。
「いつだってメルヴィンは私から大切な物を奪っていく……。お前が、お前さえいなければ父上は私を必要としてくれたし、臣下から侮られることもなかった!ハルカだってこんなことには――っ、もうお前の顔など見たくない!二度と私の前に現れるな!」
激しい感情に突き動かされるように放たれた言葉が胸を抉る。ずっと一緒にいたからこそ分かった。その言葉が、感情が、冷静さを欠いたせいではなく、ずっとアンリが心に秘めていたものだと。
「……いや、私がいなければ……いっそ私もハルカのところに……」
アンリの視線がハルカの胸元に刺さった短剣へと移り、メルヴィンは反射的にアンリの腕を掴んだ。
「っ、放せ!邪魔をするな!」
抵抗するアンリを半ば抱えるようにして、騎士用の馬車に押し込め外側から錠を掛ける。中からは暴れる音が聞こえてきたが、構わずに指示を出す。
「ジェレミー、このまま殿下を城へお連れしろ。……暫くは目を離さないでくれ」
「隊長!決して隊長のせいでは……俺たちの力が及ばないばかりに――」
必死な表情で言い募るジェレミーを手で制すると、ぐっと言葉を呑み込んだようだ。ずっと自分を慕ってくれていた部下への申し訳なさを感じながらも、メルヴィンは感傷を振り払う。
「……ハルカは王家の墓に入りたくないだろう。せめて彼女の故郷に似た場所で眠らせてやりたい。しばらく離れることになるが、殿下を頼む」
アンリを乗せた馬車が見えなくなるのを確認してから、メルヴィンはハルカの元へと向かった。何度見ても息が止まりそうな光景だが、呼吸を整えて口を開く。
「ハルカ、もういい。起きてくれ」
メルヴィンの呼びかけに閉ざされた瞼がぱちりと開いた。
短剣を胸に刺したままのハルカが起き上がるのを見て、メルヴィンは無意識に詰めていた息をそっと吐きだしたのだった。
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