上 下
35 / 45

別離

しおりを挟む
(予想していたよりも、数が多いな……)

自分が護衛に付いている以上、それなりの戦力で仕掛けてくるだろうと思っていたが、こちらの倍近い人数と森の中に射手が少なくとも一名はいるようだ。

馬の鼻先に矢を射られたせいで、驚いた馬を宥めているうちに敵の接近を許すことになった。馬を狙わなかったのは暴走による不確定要素を減らすためで、確実に仕留める方法を選んだのだろう。

バゼーヌ侯爵の本気が窺えるようで、メルヴィンは舌打ちしたくなるのを堪える。焦りや苛立ちは禁物だ。
慎重に一人一人片付けていきながらも、周囲への警戒は欠かさない。

「ハルカ、ハルカ!!」

ガラスの割れる音に続いてアンリの切迫した声が馬車の中から聞こえてくる。メルヴィンは剣での攻撃から切り替え、斬りかかってきた襲撃者を蹴り飛ばす。
致命傷を与えるよりもアンリたちの元へ向かうほうが先だ。同時に部下たちへの指示を飛ばす。

「深追いするな。殿下を護れ!」

メルヴィンの言葉に動揺したように肩を揺らした敵を目の端で捉えつつ、メルヴィンは扉を叩く。

「殿下、メルヴィンです」

大きく扉を開いたメルヴィンの目に飛び込んできたのは、座席に横たわった陽香の姿だった。その胸には短剣が深々と突き刺さっている。
灰色がかった紫のドレスは、胸元から太腿辺りまで暗い赤紫色へと染まり、大量の血が流れたことは一目瞭然だった。

閉じられた瞳と動かない身体に手を伸ばしかけて、自分のすべきことを思い出す。ハルカから視線を引き剥がし、床に座り込み呆然とした様子のアンリに声を掛ける。

「この場から動かないでください」

何が起きようと王太子であるアンリの命が最優先なのは、王家に仕える騎士として当然のことだ。

(余計なことを考えるな)

脳裏に焼き付いた光景を振り払うかのように、メルヴィンは馬車に背中を向けながら近くにいた襲撃者に対して、大きく剣を振るった。


目的を達した以上、長居は無用とばかりに逃亡を図る襲撃者たちを忌々しい気持ちで見送るしかない。部下の状態を確認すれば、軽傷を負っているものの特に問題はないようだ。
しかし安堵する気配はなく、沈痛な面持ちで全員が馬車のほうを窺っている。彼らの視線を背中に感じつつ、メルヴィンは馬車へと向かった。

馬車の中は先ほど全く同じ光景で、アンリは床に座り込んだままハルカを見つめ続けていた。

「アンリ殿下……申し訳ございません」

深々と頭を下げるとアンリが僅かに身じろぎする気配がした。

「どうして……どうしてハルカの側にいなかった?」

小さく呟くような声が引き金となったのか、アンリはメルヴィンの胸ぐらを乱暴に掴んだ。
いつにない乱暴な態度に周囲が再び緊迫した雰囲気に包まれるが、メルヴィンは仄暗い熱を帯びたアンリの瞳から目を逸らすことが出来ない。

「何のためにお前をハルカの護衛騎士にしたと思っているんだ!どれだけ強くても護衛対象を護れない騎士など、何の価値もない!」
「申し訳――」

謝罪の言葉を繰り返そうとするメルヴィンだが、アンリから突き飛ばされ無様に倒れ込む。そんなメルヴィンをアンリは冷ややかな目で見下ろしている。

「いつだってメルヴィンは私から大切な物を奪っていく……。お前が、お前さえいなければ父上は私を必要としてくれたし、臣下から侮られることもなかった!ハルカだってこんなことには――っ、もうお前の顔など見たくない!二度と私の前に現れるな!」

激しい感情に突き動かされるように放たれた言葉が胸を抉る。ずっと一緒にいたからこそ分かった。その言葉が、感情が、冷静さを欠いたせいではなく、ずっとアンリが心に秘めていたものだと。

「……いや、私がいなければ……いっそ私もハルカのところに……」

アンリの視線がハルカの胸元に刺さった短剣へと移り、メルヴィンは反射的にアンリの腕を掴んだ。

「っ、放せ!邪魔をするな!」

抵抗するアンリを半ば抱えるようにして、騎士用の馬車に押し込め外側から錠を掛ける。中からは暴れる音が聞こえてきたが、構わずに指示を出す。

「ジェレミー、このまま殿下を城へお連れしろ。……暫くは目を離さないでくれ」
「隊長!決して隊長のせいでは……俺たちの力が及ばないばかりに――」

必死な表情で言い募るジェレミーを手で制すると、ぐっと言葉を呑み込んだようだ。ずっと自分を慕ってくれていた部下への申し訳なさを感じながらも、メルヴィンは感傷を振り払う。

「……ハルカは王家の墓に入りたくないだろう。せめて彼女の故郷に似た場所で眠らせてやりたい。しばらく離れることになるが、殿下を頼む」

アンリを乗せた馬車が見えなくなるのを確認してから、メルヴィンはハルカの元へと向かった。何度見ても息が止まりそうな光景だが、呼吸を整えて口を開く。

「ハルカ、もういい。起きてくれ」

メルヴィンの呼びかけに閉ざされた瞼がぱちりと開いた。
短剣を胸に刺したままのハルカが起き上がるのを見て、メルヴィンは無意識に詰めていた息をそっと吐きだしたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。 ※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。 ※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

異世界から帰ってきたら、大好きだった幼馴染みのことがそんなに好きではなくなっていた

リコピン
恋愛
高校三年生の夏休み直前、勇者として異世界に召喚された明莉(あかり)。無事に魔王討伐を終えて戻ってきたのは良いけれど、召喚される前とは色んなことが違っていて。 ずっと大好きだったイケメン幼馴染みへの恋心(片想い)も、気づけばすっかり消えていた。 思い描いていた未来とは違うけれど、こちらの世界へついてきてくれた―異世界で苦楽を共にした―友達(女)もいる。残りわずかの高校生活を、思いきり楽しもう! そう決めた矢先の新たな出会いが、知らなかった世界を連れてきた。 ―あれ?私の勇者の力は、異世界限定だったはずなのに??

改稿版 婚約破棄の代償

ぐう
恋愛
婚約破棄の代償の改稿です。 婚約破棄の代償をコンラートは支払えるのか。 第一王子コンラートが伯爵家庶子ミリアムに夢中になって、幼い頃からの婚約者アネットに婚約破棄を言い渡した。それはなんのために? ストーリーは同じですが、どうしても不自然だったストーリーを書き直しました。 また残酷な場面を付け加えたため、R15にしました。 前回に比べると皆残酷な面を剥き出しにしています。ちょっと興醒めかもしれません。 最後の転生後の出会いも、改稿後はもっと長くなっています。

王妃から夜伽を命じられたメイドのささやかな復讐

当麻月菜
恋愛
没落した貴族令嬢という過去を隠して、ロッタは王宮でメイドとして日々業務に勤しむ毎日。 でもある日、子宝に恵まれない王妃のマルガリータから国王との夜伽を命じられてしまう。 その理由は、ロッタとマルガリータの髪と目の色が同じという至極単純なもの。 ただし、夜伽を務めてもらうが側室として召し上げることは無い。所謂、使い捨ての世継ぎ製造機になれと言われたのだ。 馬鹿馬鹿しい話であるが、これは王命─── 断れば即、極刑。逃げても、極刑。 途方に暮れたロッタだけれど、そこに友人のアサギが現れて、この危機を切り抜けるとんでもない策を教えてくれるのだが……。

処理中です...