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熱が下がっても部屋で安静にするよう言い聞かされていた陽香だったが、ようやく今日から仕事に戻れることになった。
働くことで得る喜びや楽しさを後ろめたく思う気持ちはあるものの、ジェイやエディットの側で感じる心地よさを手放してしまうのが怖い。弱ってしまった自分を立て直すために、大丈夫だと肯定してくれる存在が必要なのだと思った。
(前みたいに一人でも大丈夫なように戻るから……もう少しだけ一緒にいたい)
つきりと痛む胸に、ごめんねと呟いた。
「ねえ、あの辺の花を少しもらいたいんだけど……」
看病に来てくれたお礼に何かを贈りたいと考えていると、中庭に咲く花々が陽香の目に留まった。
食べ物系はプロに渡すにはハードルが高いし、装飾品は好みがある。花であれば万が一好みでなかったとしても、お店に飾ればいいだろう。
勘のいいメルヴィンは陽香の意図を察したらしく、すぐさま園芸鋏や籠などの道具とともに綺麗な包装紙まで手配していた。
あれからメルヴィンとは必要最低限の話しかしていないし、メルヴィンも話題に出すこともなく表面上は通常どおりではある。それでもどこか気遣うような気配が感じられて、陽香はそれに気づかない振りをすることしか出来ない。
酷い八つ当たりをした自覚はあるものの、謝るのは違うと思ってしまうのだ。
陽香が謝ればきっとメルヴィンは許すだろう。
(だけど、それは何というか……フェアじゃない)
メルヴィンの立場上、謝られれば許さなければいけないし、メルヴィンには――正確に言えばアンリなのだが――負い目がある。そのことが何となくもやもやして、結局そのままになっている。
単純に自分が頭を下げたくないだけなのかもしれないが。
鮮やかなピンクが目を引くガーベラ、ふんわりと華やかな白い花弁のダリア、釣鐘形の薄紫に色づくカンパニュラ。エディットを思い浮かべて一つ一つ厳選しながら丁寧に鋏を入れる。
フラワーアレンジメントの経験があるわけでもないので、あまり色は増やさずにまとめたほうが何とか形になるだろう。
まとめようとした陽香にメルヴィンから声が掛かった。
「ハルカ、これも入れてみないか?」
差し出されたのは小さな花弁がまとまった薄桃色の花で、ほのかな甘い香りがした。花束に加えても上手くまとまりそうな色や形だったが、何故わざわざ提案されたのか分からずにメルヴィンを見る。
「花言葉は穏やかな愛情だ。エディットもきっと喜ぶ」
「………」
(騎士のくせに花言葉まで詳しいとか、意味分かんない……)
そんな文句を口にしなかったのは、陽香の意図がバレていると知らせるようなものだったからだ。色や形を重視していたのはもちろんだが、陽香の選んだ花は親愛や感謝などの花言葉を持つものだった。
だけどエディットが喜ぶなら、感謝を伝えられるのなら。
「――ありがと」
甘く清涼な匂いに心が動き、メルヴィンから花を受け取る。小さく揺れる花弁を見ながらエディットの笑顔を想像して、陽香は笑みを浮かべた。
花束を潰さないようにと馬車で向かうことになった。大げさなと呆れかけたが、病み上がりである陽香への配慮だったのかもしれない。
馬車から下りるといつもより早い時間だったが、早く花束を渡したかったし迷惑をかけた分しっかり働こうと自然と足が急く。
ノックをして扉を開けた途端、響いた声に陽香は咄嗟に反応できなかった。
「逃げて!!」
背後から強い力で引っ張られると同時にメルヴィンの姿が扉の向こうへと消えた。一瞬だけ見えた店内は薄暗く倒れた椅子だけが視界に残っている。
荒々しい物音と怒声、背後から聞こえる鋭い警笛の音に何か良くないことが起きていることだけは分かるのに、陽香はただ固まっていた。
「ハルカ様、少しだけ移動します」
「っ、嫌。だって……」
小さな囁き声に反論しかけた陽香だったが、ジェレミーの険しい表情に言葉を失った。
「隊長なら大丈夫です。ただ人混みにいると護りにくいので、こちらに」
「エディットさんは……?」
その答えを無視するようにジェレミーから手を引かれて、陽香は歩き出すが食堂から目が離せない。
扉を開けた瞬間に聞こえてきた声はエディットだった。必死で切実な響きは普段出すような声ではない。
数人の騎士が店内に入り、それから少しして出て来たメルヴィンの表情は怖いほどに静かだった。
「エディットに会うか?」
乱雑に倒れた椅子、散乱した食器、そして踏みにじられ無残な姿になった花束が床に落ちている。その片隅に蒼白な表情のエディットが力なく壁にもたれているのを見て、陽香の足が止まった。
「怪我をしているが、命に別状はない。大丈夫だ」
背後からメルヴィンに囁かれたが、そんな風には見えない。胸元には血の跡がくっきりと残っていて、側に控えている男性がエディットの首元を布で押さえている。
「隊長、少しいいですか?気になる物が……」
「今行く。ハルカ、辛かったら無理をせず外に出ていい」
立ち竦む陽香にそう言い残してメルヴィンは店の奥へと進んでいく。
(これは誰の所為……?)
エディットは逃げるようにと言った。騎士であるメルヴィンがこの場に留まり、調査の主導を行っている。だからこれは強盗や嫌がらせの類ではない。
狙われたのは陽香なのだ。
(エディットさんが怪我をしたのは私の所為だ……)
ふっと開いたエディットの目が陽香を捉えた瞬間、陽香は身を翻すと制止の声を振り切って駆け出していた。
働くことで得る喜びや楽しさを後ろめたく思う気持ちはあるものの、ジェイやエディットの側で感じる心地よさを手放してしまうのが怖い。弱ってしまった自分を立て直すために、大丈夫だと肯定してくれる存在が必要なのだと思った。
(前みたいに一人でも大丈夫なように戻るから……もう少しだけ一緒にいたい)
つきりと痛む胸に、ごめんねと呟いた。
「ねえ、あの辺の花を少しもらいたいんだけど……」
看病に来てくれたお礼に何かを贈りたいと考えていると、中庭に咲く花々が陽香の目に留まった。
食べ物系はプロに渡すにはハードルが高いし、装飾品は好みがある。花であれば万が一好みでなかったとしても、お店に飾ればいいだろう。
勘のいいメルヴィンは陽香の意図を察したらしく、すぐさま園芸鋏や籠などの道具とともに綺麗な包装紙まで手配していた。
あれからメルヴィンとは必要最低限の話しかしていないし、メルヴィンも話題に出すこともなく表面上は通常どおりではある。それでもどこか気遣うような気配が感じられて、陽香はそれに気づかない振りをすることしか出来ない。
酷い八つ当たりをした自覚はあるものの、謝るのは違うと思ってしまうのだ。
陽香が謝ればきっとメルヴィンは許すだろう。
(だけど、それは何というか……フェアじゃない)
メルヴィンの立場上、謝られれば許さなければいけないし、メルヴィンには――正確に言えばアンリなのだが――負い目がある。そのことが何となくもやもやして、結局そのままになっている。
単純に自分が頭を下げたくないだけなのかもしれないが。
鮮やかなピンクが目を引くガーベラ、ふんわりと華やかな白い花弁のダリア、釣鐘形の薄紫に色づくカンパニュラ。エディットを思い浮かべて一つ一つ厳選しながら丁寧に鋏を入れる。
フラワーアレンジメントの経験があるわけでもないので、あまり色は増やさずにまとめたほうが何とか形になるだろう。
まとめようとした陽香にメルヴィンから声が掛かった。
「ハルカ、これも入れてみないか?」
差し出されたのは小さな花弁がまとまった薄桃色の花で、ほのかな甘い香りがした。花束に加えても上手くまとまりそうな色や形だったが、何故わざわざ提案されたのか分からずにメルヴィンを見る。
「花言葉は穏やかな愛情だ。エディットもきっと喜ぶ」
「………」
(騎士のくせに花言葉まで詳しいとか、意味分かんない……)
そんな文句を口にしなかったのは、陽香の意図がバレていると知らせるようなものだったからだ。色や形を重視していたのはもちろんだが、陽香の選んだ花は親愛や感謝などの花言葉を持つものだった。
だけどエディットが喜ぶなら、感謝を伝えられるのなら。
「――ありがと」
甘く清涼な匂いに心が動き、メルヴィンから花を受け取る。小さく揺れる花弁を見ながらエディットの笑顔を想像して、陽香は笑みを浮かべた。
花束を潰さないようにと馬車で向かうことになった。大げさなと呆れかけたが、病み上がりである陽香への配慮だったのかもしれない。
馬車から下りるといつもより早い時間だったが、早く花束を渡したかったし迷惑をかけた分しっかり働こうと自然と足が急く。
ノックをして扉を開けた途端、響いた声に陽香は咄嗟に反応できなかった。
「逃げて!!」
背後から強い力で引っ張られると同時にメルヴィンの姿が扉の向こうへと消えた。一瞬だけ見えた店内は薄暗く倒れた椅子だけが視界に残っている。
荒々しい物音と怒声、背後から聞こえる鋭い警笛の音に何か良くないことが起きていることだけは分かるのに、陽香はただ固まっていた。
「ハルカ様、少しだけ移動します」
「っ、嫌。だって……」
小さな囁き声に反論しかけた陽香だったが、ジェレミーの険しい表情に言葉を失った。
「隊長なら大丈夫です。ただ人混みにいると護りにくいので、こちらに」
「エディットさんは……?」
その答えを無視するようにジェレミーから手を引かれて、陽香は歩き出すが食堂から目が離せない。
扉を開けた瞬間に聞こえてきた声はエディットだった。必死で切実な響きは普段出すような声ではない。
数人の騎士が店内に入り、それから少しして出て来たメルヴィンの表情は怖いほどに静かだった。
「エディットに会うか?」
乱雑に倒れた椅子、散乱した食器、そして踏みにじられ無残な姿になった花束が床に落ちている。その片隅に蒼白な表情のエディットが力なく壁にもたれているのを見て、陽香の足が止まった。
「怪我をしているが、命に別状はない。大丈夫だ」
背後からメルヴィンに囁かれたが、そんな風には見えない。胸元には血の跡がくっきりと残っていて、側に控えている男性がエディットの首元を布で押さえている。
「隊長、少しいいですか?気になる物が……」
「今行く。ハルカ、辛かったら無理をせず外に出ていい」
立ち竦む陽香にそう言い残してメルヴィンは店の奥へと進んでいく。
(これは誰の所為……?)
エディットは逃げるようにと言った。騎士であるメルヴィンがこの場に留まり、調査の主導を行っている。だからこれは強盗や嫌がらせの類ではない。
狙われたのは陽香なのだ。
(エディットさんが怪我をしたのは私の所為だ……)
ふっと開いたエディットの目が陽香を捉えた瞬間、陽香は身を翻すと制止の声を振り切って駆け出していた。
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