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心の距離

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自分の愚行を後悔したし、償おうと心に決めた。
だが償いきれない罪はどうしたらいいのだろうか。


『――黙れ!お前が言うなっ、お前たちが、私の家族の想いを代弁するなんて、許さない!お前たちのせいで、私が召喚されたせいで、どれだけみんなを苦しめてると思ってるんだ!』

ハルカの慟哭が耳から離れない。彼女に何をしたか理解しているつもりだった。

(結局のところ、それは理解していなかったということだ……)

自暴自棄になりかけているとメルヴィンから報告を受けた時にも、泣いている姿が思い浮かんだが、実際に耳にするのとでは大違いだった。

気持ちを押し付けるなと拒絶されて落ち込んだものの、嫌っている相手からの好意など迷惑なだけだと反省して、迷った末に謝罪に訪れたところでハルカの本心を知ることになった。
胸が張り裂けるような苦痛に満ちた叫びに、アンリの足はドアの前で凍り付いたように縫い留められる。

漏れ聞こえてくるのは陽香の声だけだが、メルヴィンが宥めている様子は容易に察せられた。怒声はやがてわんわんと幼子のように全身で悲しみを表すような泣き声に代わり、アンリは口元を押さえて呻き声を堪えた。

「……私がここに来たことも、今聞いたことも他言無用だ。いいね?」

居たたまれなさそうに視線を下げていたジェレミーは、胸に手を当てて小さく肯定するのを見て、アンリは部屋へと足を向けた。
どうやって戻ったのかは覚えていない。ただ罪悪感だけが重くのしかかっていた。

会いたいのに会えない。どんな顔をして会えば良いのか、いやハルカにとって顔すら見たくないと思われていても当然なのだ。

愛されたいと願ったことで、愛しい人を愛する家族から引き離してしまった。
だから愛されないのは当たり前。愛される資格なんてない。

ハルカが体調を崩したと聞いても、見舞いになど行けなかった。行けば苦しめるだけなのだ。ハルカの側を離れないようメルヴィンへの伝言を託し、執務に取り掛かるがいつの間にか思考の大部分はハルカで占められていた。

(そろそろメルヴィンは気づくだろうか……)

ハルカに会わなくなって五日目、アンリの不在にメルヴィンは何か勘付いているかもしれないが、流石にあの時の会話を聞かれていたとは思わないだろう。
素直に打ち明ければいいのに、ジェレミーに口止めまでしたのは知られたくないと思ったからで、今もそれは変わらなかったが自分でもその理由が分からない。

内心溜息を吐いて、ハルカの予定に耳を傾ける。
今日からまた仕事に行くらしいので体調はすっかり良くなったのだろう。食堂の店主夫人には心を開いているらしく、信頼できる相手がいることに安堵する。

「先ほどハルカ様は中庭に向かわれました。……いえ、余計なことを申し上げました」

護衛を交代したばかりのジェレミーの一言に、自分はどんな表情を向けたのだろうか。彼が気遣ってくれているのは分かっているので、アンリは意識的に微笑んで見せた。

廊下の片隅からそっと様子を窺えば、真剣な表情で花を選んでいるハルカがいる。声が届くほどの距離ではないが、メルヴィンが何かを伝えるごとに頷いているので、花の名前でも教えているのかもしれない。

素っ気ないハルカの態度と騎士としての距離を崩さないメルヴィンに、アンリは詰めていた息を吐き、自己嫌悪を抱く。
ハルカの苦痛が和らぐなら、彼女が幸せになるのならそれでいいと思うのに、焦がれる想いが邪魔をする。この気持ちを落ち着かせるにはまだ時間が必要らしい。
立ち去る前にともう一度顔を上げたアンリの目に飛び込んで来たのは、淡く微笑むハルカの姿だった。

メルヴィンの手から花を受け取り、手の中のある花束へと加えている。ハルカの視線は手元に向けられているもののその雰囲気は柔らかく、ハルカを見守るメルヴィンの眼差しは温かい。
見てはいけないものを見てしまったような気持ちになり、アンリは足早にその場を後にした。

思えば最初に会った時から、運命の相手と断言したメルヴィンはハルカにとって特別だったに違いない。それから常に側にいて同じ時間を過ごし本心を吐露したことで、心を開くようになったのは自然なことのように思えた。

(それを止める権利はもちろん、私は彼女の側にいる資格すらないのだから……)

仕方ないのだと何度も自分に言い聞かせながらも、呑み込めない感情を持て余す。そんな中、父から告げられた言葉にアンリは上手く表情を繕えなかった。

「運命の相手から拒まれているそうだな」

国王の承認が必要な書類を持って訊ねたところ、おもむろに切り出された。召喚の許可は得たものの、あまり運命の相手自体に興味がないように見えたし、一任されている状態だったのだ。
下手に誤魔化すのも悪手だとアンリが正直に現状を伝えようとしたのだが、続く国王の発言に言葉を失った。

「メルヴィンが望むなら譲ってやれ。あれも運命の相手に興味を持っていたようだし、そのほうが面倒もなくていいだろう」

何を言っているのか理解できなかった。運命の相手は互いに一人だけなのだ。いやそれよりも気になるのはメルヴィンのことだ。

「……陛下、メルヴィンは運命の相手に興味を持っていたのですか?」

彼の口からそんなことは一度も聞いたことがない。出会った瞬間に想い合うよりも、時間を掛けて愛情を育んでいくほうがいいと話していた。
何故か胸騒ぎを覚えて口にした問いかけに返ってきた答えは残酷だった。

「運命の相手に会えるのなら自分も会ってみたい、とメルヴィンが言っていたから許可を出した。魔女殿は王太子の運命の相手がこの世界に存在しない、と言っていたのだろう?」

メルヴィンは公爵家の嫡男だが、後継ぎではない。騎士となり王位継承権は消滅するはずだったが、継承権者の人数が不十分であることを理由に未だに継承権を持っているからだ。
それでもメルヴィンはアンリの騎士となり膝を折ることで、周囲には王太子にならない意思を伝え続けている。たとえ国王がそれを望んでいたとしても、だ。

(父上はメルヴィンのために召喚を許可した……)

国王からの許可を得て、真っ先に報告したのはメルヴィンだった。あの時彼はどんな気持ちでそれを聞いていたのだろう。聡いメルヴィンのことだから、自分の一言で国王の決定に影響を与えたと気づいたはずだ。

アンリが願うものはいつだってこの手をすり抜けていくのに――。

「いつだって手に入れるのはメルヴィンなんだ……」

小さな呟きは静かな執務室に響いたが、その声は誰にも届くことはなかった。
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