23 / 45
夢と発熱
しおりを挟む
夢現のまとまらない思考の中で痛みを堪えた声に思わず手を伸ばしていた。頭に触れる優しい感触と気遣うようにそっと囁く言葉は聞き取れなかったが、こんなにも自分を心配してくれるのは兄しかいない。
「行かないで、おにいちゃん。頑張るから、だからハルと一緒にいて」
見覚えのある懐かしい光景は幼い頃のものだ。出かけようとする兄と離れたくなくてしがみつけば、優しく頭を撫でてくれた。
小学生になった兄には友人と遊ぶのが何よりも楽しみだったはずなのに、それでも振り払われることはなく、陽香が落ち着くまで待っていてくれていたのだ。
生まれたばかりの弟の世話で忙しい母の邪魔をしないよう、いい子でいようとする陽香の寂しい気持ちに寄り添ってくれたのも兄だった。
『頼むから……生きることを諦めないでくれ』
そう言ったのは兄だっただろうか。
(ううん、違う。お兄ちゃんじゃないけど……優しい人……)
誰だっただろうかと考えかけて、また目の前の光景が変わる。真っ暗でよく見えないのにそこにいるのが兄であることを陽香は何故か確信してした。
「お兄ちゃん!」
遠ざかっていく兄の姿を追いかけながら必死に呼び掛けても、兄はこちらを向いてくれない。
「お兄ちゃん、待って!怖いの、助けて!」
足を止めればもう会えない気がして、重い身体を必死で動かすがその距離は開いていく一方だ。
(一人ぼっちは嫌なのに……。でも……私が悪いの?)
罰が当たったのかもしれない、そんな思考がよぎった。今の自分は意地悪で嫌な性格の人間になってしまったから、見捨てられてしまったのだろうか。
「っく……ごめんなさ……ごめんなさい」
「泣くな、馬鹿」
聞こえてきたのは呆れたような兄の声で、ぼさりと乱暴に手が下ろされて頭の上が重くなる。
「幸せになれよ、陽香」
「お兄ちゃっ……」
顔を上げる前に足元が崩れるような感覚に、陽香は目を見開いた。
薄暗い室内にいると認識した途端に視界が歪んできつく目を閉じる。走った後のような息苦しさとズキズキと間断なく押し寄せる頭痛に、風邪だと思った。
(しかも結構熱が高いような……気がする)
「薬湯を用意してあるが、飲めるか?」
すぐ側から聞こえた声に、陽香はびくりと身体を強張らせた。無理やり瞳をこじ開ければ、ベッドの横にメルヴィンが座っていて、心配そうな表情を浮かべている。
(……弱っているところを見られるなんて、最悪)
気持ち悪さに耐えながら身体を起こそうとするが、力が入らずベッドから起き上がれそうにない。
情けなさと辛さが混じって涙がこぼれる。そんなことで体力を使っている場合じゃない、泣いても何も変わらない、そう自分を叱咤しても感情が制御できずに枕を抱きしめて涙を隠す。
「……悪いが、少し持ちあげるぞ」
身体が浮き上がる感覚に胃の気持ち悪さが吐き気となって込み上げてくる。
文句を言うどころではなく口に手を押し当てて堪えることしかできない。床に足が触れると、洗面台にしがみ付くようにして何とか身体を支える。
ドアが閉まる音と同時に陽香は我慢を止めた。
苦しんだものの胃の中が空になったせいか、気分は幾分かましになっていた。熱による倦怠感と頭痛は続いているが、これはすぐに収まるものではないだろう。
汗で張り付いた服を脱いで身体を洗いたかったが、多分体力的に保たない。浴室で救助されたくはなかったので、諦めてひんやりとした床に座り込む。
部屋に戻るのが億劫だということもあったが、戻ればメルヴィンが待っていると思うと憂鬱だった。
昨日から迷惑ばかり掛けている。そう考えることに自己嫌悪を覚えるのに、それを否定することにも抵抗があるのだ。
断片的な夢の記憶に寂しさが募る。体調を崩したことで弱っているのではなく、もう限界だったのだろう。
完全に安心できる環境ではないものの、分かりやすい暴力に怯えることなく過ぎていく日々を送るうちに考える余裕が出てきてしまったのだ。
ただ恨みをぶつけられれば良かった。相手の事情も気持ちも関係ないのだと突っぱねて、さっさと出て行けば良かったと気が付いてももう遅い。
(もしも、家族と仲が悪かったら、いなくなっても悲しませることはなかったかな……)
家族のことを考えると愛しさと同時に胸が潰れそうになる。友人から不思議に思われるほど仲が良くて、大好きで大切な家族だった。
うつらうつらと眠りに落ちかけながら、宝物のような思い出をなぞる。
「ハルカ、ベッドに戻ろう」
身体を抱き起されたことで、幸せな記憶から現実に引き戻された陽香は反射的に逃れようと暴れるがびくともしない。
ベッドに下ろされた後も荒い呼吸で足掻いていると、毛布にくるまれ背後から拘束されてしまった。きつく抱きしめられているわけではなく、身体を動かす余地はあるのになかなか抜け出せない。
「……もう、嫌だ」
無力感がやるせなくて、体調不良による不安定さからまた目の奥が熱くなってくる。
「自由に動けないのは辛いな。だが病気の時は安静にしないと、治るものも治らない。熱が下がるまでは我慢してくれ」
「やだ……や、触んないで……出てってよ」
子供のように泣きながら暴れたものの、身体には負担だったようで陽香はいつの間にか意識を失っていた。
「行かないで、おにいちゃん。頑張るから、だからハルと一緒にいて」
見覚えのある懐かしい光景は幼い頃のものだ。出かけようとする兄と離れたくなくてしがみつけば、優しく頭を撫でてくれた。
小学生になった兄には友人と遊ぶのが何よりも楽しみだったはずなのに、それでも振り払われることはなく、陽香が落ち着くまで待っていてくれていたのだ。
生まれたばかりの弟の世話で忙しい母の邪魔をしないよう、いい子でいようとする陽香の寂しい気持ちに寄り添ってくれたのも兄だった。
『頼むから……生きることを諦めないでくれ』
そう言ったのは兄だっただろうか。
(ううん、違う。お兄ちゃんじゃないけど……優しい人……)
誰だっただろうかと考えかけて、また目の前の光景が変わる。真っ暗でよく見えないのにそこにいるのが兄であることを陽香は何故か確信してした。
「お兄ちゃん!」
遠ざかっていく兄の姿を追いかけながら必死に呼び掛けても、兄はこちらを向いてくれない。
「お兄ちゃん、待って!怖いの、助けて!」
足を止めればもう会えない気がして、重い身体を必死で動かすがその距離は開いていく一方だ。
(一人ぼっちは嫌なのに……。でも……私が悪いの?)
罰が当たったのかもしれない、そんな思考がよぎった。今の自分は意地悪で嫌な性格の人間になってしまったから、見捨てられてしまったのだろうか。
「っく……ごめんなさ……ごめんなさい」
「泣くな、馬鹿」
聞こえてきたのは呆れたような兄の声で、ぼさりと乱暴に手が下ろされて頭の上が重くなる。
「幸せになれよ、陽香」
「お兄ちゃっ……」
顔を上げる前に足元が崩れるような感覚に、陽香は目を見開いた。
薄暗い室内にいると認識した途端に視界が歪んできつく目を閉じる。走った後のような息苦しさとズキズキと間断なく押し寄せる頭痛に、風邪だと思った。
(しかも結構熱が高いような……気がする)
「薬湯を用意してあるが、飲めるか?」
すぐ側から聞こえた声に、陽香はびくりと身体を強張らせた。無理やり瞳をこじ開ければ、ベッドの横にメルヴィンが座っていて、心配そうな表情を浮かべている。
(……弱っているところを見られるなんて、最悪)
気持ち悪さに耐えながら身体を起こそうとするが、力が入らずベッドから起き上がれそうにない。
情けなさと辛さが混じって涙がこぼれる。そんなことで体力を使っている場合じゃない、泣いても何も変わらない、そう自分を叱咤しても感情が制御できずに枕を抱きしめて涙を隠す。
「……悪いが、少し持ちあげるぞ」
身体が浮き上がる感覚に胃の気持ち悪さが吐き気となって込み上げてくる。
文句を言うどころではなく口に手を押し当てて堪えることしかできない。床に足が触れると、洗面台にしがみ付くようにして何とか身体を支える。
ドアが閉まる音と同時に陽香は我慢を止めた。
苦しんだものの胃の中が空になったせいか、気分は幾分かましになっていた。熱による倦怠感と頭痛は続いているが、これはすぐに収まるものではないだろう。
汗で張り付いた服を脱いで身体を洗いたかったが、多分体力的に保たない。浴室で救助されたくはなかったので、諦めてひんやりとした床に座り込む。
部屋に戻るのが億劫だということもあったが、戻ればメルヴィンが待っていると思うと憂鬱だった。
昨日から迷惑ばかり掛けている。そう考えることに自己嫌悪を覚えるのに、それを否定することにも抵抗があるのだ。
断片的な夢の記憶に寂しさが募る。体調を崩したことで弱っているのではなく、もう限界だったのだろう。
完全に安心できる環境ではないものの、分かりやすい暴力に怯えることなく過ぎていく日々を送るうちに考える余裕が出てきてしまったのだ。
ただ恨みをぶつけられれば良かった。相手の事情も気持ちも関係ないのだと突っぱねて、さっさと出て行けば良かったと気が付いてももう遅い。
(もしも、家族と仲が悪かったら、いなくなっても悲しませることはなかったかな……)
家族のことを考えると愛しさと同時に胸が潰れそうになる。友人から不思議に思われるほど仲が良くて、大好きで大切な家族だった。
うつらうつらと眠りに落ちかけながら、宝物のような思い出をなぞる。
「ハルカ、ベッドに戻ろう」
身体を抱き起されたことで、幸せな記憶から現実に引き戻された陽香は反射的に逃れようと暴れるがびくともしない。
ベッドに下ろされた後も荒い呼吸で足掻いていると、毛布にくるまれ背後から拘束されてしまった。きつく抱きしめられているわけではなく、身体を動かす余地はあるのになかなか抜け出せない。
「……もう、嫌だ」
無力感がやるせなくて、体調不良による不安定さからまた目の奥が熱くなってくる。
「自由に動けないのは辛いな。だが病気の時は安静にしないと、治るものも治らない。熱が下がるまでは我慢してくれ」
「やだ……や、触んないで……出てってよ」
子供のように泣きながら暴れたものの、身体には負担だったようで陽香はいつの間にか意識を失っていた。
76
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
私の容姿は中の下だと、婚約者が話していたのを小耳に挟んでしまいました
山田ランチ
恋愛
想い合う二人のすれ違いラブストーリー。
※以前掲載しておりましたものを、加筆の為再投稿致しました。お読み下さっていた方は重複しますので、ご注意下さいませ。
コレット・ロシニョール 侯爵家令嬢。ジャンの双子の姉。
ジャン・ロシニョール 侯爵家嫡男。コレットの双子の弟。
トリスタン・デュボワ 公爵家嫡男。コレットの婚約者。
クレマン・ルゥセーブル・ジハァーウ、王太子。
シモン・ノアイユ 辺境伯家嫡男。コレットの従兄。
ルネ ロシニョール家の侍女でコレット付き。
シルヴィー・ペレス 子爵令嬢。
〈あらすじ〉
コレットは愛しの婚約者が自分の容姿について話しているのを聞いてしまう。このまま大好きな婚約者のそばにいれば疎まれてしまうと思ったコレットは、親類の領地へ向かう事に。そこで新しい商売を始めたコレットは、知らない間に国の重要人物になってしまう。そしてトリスタンにも女性の影が見え隠れして……。
ジレジレ、すれ違いラブストーリー
(完結)「君を愛することはない」と言われて……
青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら?
この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。
主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。
以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。
※カクヨム。なろうにも時差投稿します。
※作者独自の世界です。

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。

彼の過ちと彼女の選択
浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。
そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。
一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。
完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。
王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。
貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。
だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……
【完結】皆様、答え合わせをいたしましょう
楽歩
恋愛
白磁のような肌にきらめく金髪、宝石のようなディープグリーンの瞳のシルヴィ・ウィレムス公爵令嬢。
きらびやかに彩られた学院の大広間で、別の女性をエスコートして現れたセドリック王太子殿下に婚約破棄を宣言された。
傍若無人なふるまい、大聖女だというのに仕事のほとんどを他の聖女に押し付け、王太子が心惹かれる男爵令嬢には嫌がらせをする。令嬢の有責で婚約破棄、国外追放、除籍…まさにその宣告が下されようとした瞬間。
「心当たりはありますが、本当にご理解いただけているか…答え合わせいたしません?」
令嬢との答え合わせに、青ざめ愕然としていく王太子、男爵令嬢、側近達など…
周りに搾取され続け、大事にされなかった令嬢の答え合わせにより、皆の終わりが始まる。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる