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思い出の味
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翌日の朝食にアンリが現れることはなかった。事情を知っているはずのメルヴィンもいつもと変わらず接してくることも居心地が悪い。
「おはよう、ハルカちゃん。今日もよろしくね」
「おはようございます、エディットさん、ジェイさん。よろしくお願いします」
食堂に着いた途端に聞こえてきた明るいエディットの声に少し気分が浮上した。簡単な掃除や付け合わせの準備などを終えるとすぐに昼食の時間になる。
賑やかな声とともに訪れるのは近隣で働く人々や冒険者、各国を渡り歩く商人たちなど様々だ。
「仕事は慣れたか?」
「ゆっくりでいいから落っとこすなよ」
常連たちからはそう声を掛けられながら、陽香は大きな声で返事をする。人々の話し声だけでなく厨房からも様々な音が聞こえてくるため、かき消されないよう意識して声を出さなくてはならない。
目まぐるしい時間はあっという間で、それからはお楽しみの賄いの時間だ。
最近トルドベール王国でもお米が輸入されるようになったらしく、今後店で提供しようとジェイが研究しているため試作品として食べることができるのだ。最初に見た時に、興奮した陽香がペラペラと料理名を口にしたところ料理人としての好奇心が刺激されたらしい。
陽香が食べた後は必ず感想を聞かれるのだが、それは口数の少ないジェイとの貴重なコミュニケーションとなっている。
(……この匂い)
厨房から漂ってきた香りに反応した陽香だったが、それを確かめる前にエディットが笑顔で話しかけてきた。
「ハルカちゃん、さっきは気づいてくれてありがとね。メイスさんも感謝してたよ」
よく食堂を利用するメイスだが、今日は珍しく幼い少年を連れて来ていた。子供には少し高さのあるテーブルだったため、料理を運ぶ前に固めのクッションを幾つか持って行って食べやすいように調整したのだ。
「昔……似たようなことがあったので」
弟の時にはクッションを重ね過ぎて滑り落ちてしまったが。
開けてはいけない蓋が開きそうになり、僅かな痛みとともにそっと押し込めようとしていた陽香にエディットの明るい声が落ちた。
「ハルカちゃんが良ければずっといてくれていいんだからね。楽しそうに働いてくれるからこっちも助かってるんだよ」
(楽しそうに……?)
そんな表情をしていたのだろうか。それは果たして許されることなのだろうか。
「ハルカちゃん?」
心配そうに声を掛けてくれるエディットにどんな顔をしていいか分からない。何かを言わなければと思うのに言葉を見つけられずにいると、料理が出来たと声が掛かった。
救われた気分になった陽香だったが、出された料理を見て言葉を失うことになる。
角切りのベーコン、トマト、ナス、人参と一緒に炒められたご飯は僅かに赤く、トマトの香りが強いのでトマトソースも加えられているのかもしれない。添えられているのはオムレツではなく、スクランブルエッグだ。
だから厳密には違う料理だと言えるのに、その組み合わせと色合いはオムライスとよく似ていた。
「――どうした?苦手な物でもあったか?」
ジェイの声に陽香は無言で首を振ったが、それだけでは何も伝わらないと必死で口を動かす。
「ごめっ……ごめんなさい。これ、だけは食べれな………」
大粒の涙がぼろぼろと零れていき、もう言葉にならなかった。
俯く陽香を包み込むように抱きしめてくれたのはエディットだ。優しく背中をさする手の平とその温もりに陽香は溢れる涙を堪えることなく泣き続けた。
「エディットさん、ごめんなさい。ジェイさんも、せっかく作ってくれたのに……」
ひとしきり泣いた後、ようやく我に返った陽香は申し訳ない気持ちで一杯だった。突然泣き出したのだからさぞ困惑しただろう。随分と迷惑を掛けてしまったと落ち込む陽香にジェイの声が落ちた。
「これなら食えるか?」
ことりと置かれたのは特製スープだ。鳥の出汁が効いた野菜たっぷりのスープは優しい香りと味付けでじわりと心まで温めてくれる。
「はい。……でも」
すっかり冷めてしまったものの、せっかく作ってくれた料理に手を付けないのは失礼だ。陽香の視線に気づいたジェイは、気にするなというように頭をぽんぽんと叩く。
「食べられない物ぐらい誰にでもある」
「そうそう。ジェイも料理人なのにピーマンが嫌いなのよ。だからハルカちゃんも気にしないでね」
訳ありな陽香に対してエディットもジェイも何の含みのなく普通に接してくれている。事情も知らないのに親切にしてくれるのは、彼らの善良な人柄の表れなのだろう。
そんな二人だからこそ、陽香は食べられない理由を告げることが出来た。
「お母さんが作ってくれた料理によく似ていて、その味を忘れたくなかったんです」
もう二度と食べることが出来ないオムライスの味が上書きされてしまうことが怖かった。少しずつ色褪せていく記憶を少しでも多く残しておきたいと思うのに、日々を重ねるうちに失っていくことは止められない。
再びぎゅっと抱きしめてくれたエディットの腕の中で、陽香は久しく感じていなかった安らぎを覚えたのだった。
「おはよう、ハルカちゃん。今日もよろしくね」
「おはようございます、エディットさん、ジェイさん。よろしくお願いします」
食堂に着いた途端に聞こえてきた明るいエディットの声に少し気分が浮上した。簡単な掃除や付け合わせの準備などを終えるとすぐに昼食の時間になる。
賑やかな声とともに訪れるのは近隣で働く人々や冒険者、各国を渡り歩く商人たちなど様々だ。
「仕事は慣れたか?」
「ゆっくりでいいから落っとこすなよ」
常連たちからはそう声を掛けられながら、陽香は大きな声で返事をする。人々の話し声だけでなく厨房からも様々な音が聞こえてくるため、かき消されないよう意識して声を出さなくてはならない。
目まぐるしい時間はあっという間で、それからはお楽しみの賄いの時間だ。
最近トルドベール王国でもお米が輸入されるようになったらしく、今後店で提供しようとジェイが研究しているため試作品として食べることができるのだ。最初に見た時に、興奮した陽香がペラペラと料理名を口にしたところ料理人としての好奇心が刺激されたらしい。
陽香が食べた後は必ず感想を聞かれるのだが、それは口数の少ないジェイとの貴重なコミュニケーションとなっている。
(……この匂い)
厨房から漂ってきた香りに反応した陽香だったが、それを確かめる前にエディットが笑顔で話しかけてきた。
「ハルカちゃん、さっきは気づいてくれてありがとね。メイスさんも感謝してたよ」
よく食堂を利用するメイスだが、今日は珍しく幼い少年を連れて来ていた。子供には少し高さのあるテーブルだったため、料理を運ぶ前に固めのクッションを幾つか持って行って食べやすいように調整したのだ。
「昔……似たようなことがあったので」
弟の時にはクッションを重ね過ぎて滑り落ちてしまったが。
開けてはいけない蓋が開きそうになり、僅かな痛みとともにそっと押し込めようとしていた陽香にエディットの明るい声が落ちた。
「ハルカちゃんが良ければずっといてくれていいんだからね。楽しそうに働いてくれるからこっちも助かってるんだよ」
(楽しそうに……?)
そんな表情をしていたのだろうか。それは果たして許されることなのだろうか。
「ハルカちゃん?」
心配そうに声を掛けてくれるエディットにどんな顔をしていいか分からない。何かを言わなければと思うのに言葉を見つけられずにいると、料理が出来たと声が掛かった。
救われた気分になった陽香だったが、出された料理を見て言葉を失うことになる。
角切りのベーコン、トマト、ナス、人参と一緒に炒められたご飯は僅かに赤く、トマトの香りが強いのでトマトソースも加えられているのかもしれない。添えられているのはオムレツではなく、スクランブルエッグだ。
だから厳密には違う料理だと言えるのに、その組み合わせと色合いはオムライスとよく似ていた。
「――どうした?苦手な物でもあったか?」
ジェイの声に陽香は無言で首を振ったが、それだけでは何も伝わらないと必死で口を動かす。
「ごめっ……ごめんなさい。これ、だけは食べれな………」
大粒の涙がぼろぼろと零れていき、もう言葉にならなかった。
俯く陽香を包み込むように抱きしめてくれたのはエディットだ。優しく背中をさする手の平とその温もりに陽香は溢れる涙を堪えることなく泣き続けた。
「エディットさん、ごめんなさい。ジェイさんも、せっかく作ってくれたのに……」
ひとしきり泣いた後、ようやく我に返った陽香は申し訳ない気持ちで一杯だった。突然泣き出したのだからさぞ困惑しただろう。随分と迷惑を掛けてしまったと落ち込む陽香にジェイの声が落ちた。
「これなら食えるか?」
ことりと置かれたのは特製スープだ。鳥の出汁が効いた野菜たっぷりのスープは優しい香りと味付けでじわりと心まで温めてくれる。
「はい。……でも」
すっかり冷めてしまったものの、せっかく作ってくれた料理に手を付けないのは失礼だ。陽香の視線に気づいたジェイは、気にするなというように頭をぽんぽんと叩く。
「食べられない物ぐらい誰にでもある」
「そうそう。ジェイも料理人なのにピーマンが嫌いなのよ。だからハルカちゃんも気にしないでね」
訳ありな陽香に対してエディットもジェイも何の含みのなく普通に接してくれている。事情も知らないのに親切にしてくれるのは、彼らの善良な人柄の表れなのだろう。
そんな二人だからこそ、陽香は食べられない理由を告げることが出来た。
「お母さんが作ってくれた料理によく似ていて、その味を忘れたくなかったんです」
もう二度と食べることが出来ないオムライスの味が上書きされてしまうことが怖かった。少しずつ色褪せていく記憶を少しでも多く残しておきたいと思うのに、日々を重ねるうちに失っていくことは止められない。
再びぎゅっと抱きしめてくれたエディットの腕の中で、陽香は久しく感じていなかった安らぎを覚えたのだった。
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