上 下
17 / 45

アルバイト

しおりを挟む
※食堂の店主の名前が間違っていたので修正しました。

「殿下、街で働きたいので許可をください」

ぱちぱちと瞬きするアンリは何を言われたのか咄嗟に理解できない様子だ。それでもその表情に憂いはなく、陽香は少しだけほっとする。
王妃の呼び出しからしばらくの間、アンリの顔色は優れず、メルヴィンはどこかピリピリとした雰囲気を纏わせていた。

何となくアンリの家族関係に不穏さを感じて大人しくしていたものの、自分が気にすることではないのだと陽香は自分に言い聞かせる。
どんなに複雑な事情があろうと、陽香をこの世界に呼び落としたのはアンリなのだ。

(だから同情とか気遣いとかしない。私には関係のないことだもん)

「……ちなみにどこで働くつもりなんだ?」

アンリの代わりにメルヴィンが具体的なことを訊ねてくる。

「それはこれから探すつもり。採用されて後で断るのはお店に迷惑を掛けちゃうから、先に言っておこうと思って。……本当は許可なんていらないはずだけど、後で色々言われたくないし」

城に来てからおよそ一ヶ月、今のところ街に出掛けるか、部屋でごろごろと過ごすかぐらいで怠惰な生活を送っている。最初は今後のことを決めるため留まらなければならないという考えがあったが、安全上許可できないとずるずると先延ばしにされてしまっていた。

何もしないで衣食住を手に入れられる環境は、どちらかと言えば居心地が悪い。滞在費を慰謝料の中から出すとしても、有限なのだから無駄遣いはしたくないという思いもある。
安定した生活のためには、安定した収入が必要だ。

「欲しい物があるなら何でも買ってあげるけど、ハルカが働きたいのはそういう理由ではないのだよね?」

陽香の機嫌を窺うように、そろりと確認するアンリに陽香は肯定の意を示す。自立しなければ意味がないのだ。

「安全が確保できないからという理由で王城にいますが、私は殿下の運命になるつもりはありません。将来的なことを考えても職に就くのは大切ですし、怠け癖が付くのも嫌なので」

本当は王城を出て普通の家に住みたいところだが、就職と住居探し、生活を整えるために必要な諸々を同時に行なうのは難しいだろう。
また街への外出が容易になった今、引っ越しは難色を示される可能性は高いが、就労なら許可が下りるのではないかと思ったことも理由の一つだ。

「……護衛の関係でどこでもという訳には行かないが、少し心当たりがある。そこなら働いても問題ないと思う。アンリ、どうだ?」
「安全に過ごせるなら、ハルカの希望を優先したい」

流石に自由に選ばせてもらえないらしいが、とりあえず認めてくれるらしい。
奴隷の時に散々こき使われはしたが、あれは対価を得られない労働で働く喜びなど感じられるものではなかった。

『今日バイトだから晩飯パス』
『えーっ!孝太兄、昨日もバイトだったのに!僕とゲームする約束だったじゃん』
『光琉くん、ゲームし過ぎじゃない?ねえお父さん、私もアルバイトしてみたいな』
『陽香は受験のほうが先だろう?大学に入ってからね』

(やってみたかったこと、あといくつ出来るかな……)

賑やかで日常だった家族との会話をひっそりと噛みしめながら、陽香はそっと視線を窓の外に向けた。


「あらあら、可愛いお嬢さんだね。私はエディット、こっちはジェイよ」
「ハルカと申します。よろしくお願いします」

あっという間に話がまとまり、まずは一週間の試用期間ということで連れて来られたのは、二日酔いの時に訪れた食堂だった。
夫婦で営んでいる食堂だが、料理人兼店主のジェイは元騎士ということもあり、いざという時に頼りになるということで選ばれたらしい。

「そんなに畏まらなくていいからね。注文を聞いて、料理を運ぶ仕事だよ。最初はゆっくりで大丈夫。困ったことがあればすぐ呼んでくれればいいから」
「はい。早く覚えられるように頑張ります」

ちなみに陽香のことは、少し訳ありな保護対象の子供という説明をしているそうだ。そのせいか、エディットが陽香を見る目は優しい。

「メル坊、図体のでかいのがずっといると邪魔だ。嬢ちゃんの仕事が終わるまでは別のところで時間をつぶしてこい」
「ちゃんと注文はするし、初日ぐらいはいいだろう?」

メル坊という呼び方に、思わずジェイとメルヴィンの会話に耳を傾けていた陽香はあり得ないという視線を送った。護衛として気になるのは分かるが、バイト先に偵察に来る過保護な父親かと突っ込みたくなる。

「見られてると嬢ちゃんも緊張するだろうが。そうだろう?」
「はい、そのほうが助かります」

幸いジェイも同じ考えだったようで勢いよく返事すると、しゅんと眉を下げたメルヴィンの姿は飼い主に叱られたな大型犬のようで、少し面白かった。


「ハルカちゃん、お疲れ様。お迎えも来たしもう上がっていいわよ」
「……はい。お先に失礼します」
「ふふ、今日はゆっくり休んでね。また明日」

正直なところ、何だかんだと奴隷として雑事に追われていた経験があるので大丈夫だと高を括っていたのだ。それなのに想像以上の慌ただしさに加え、注文を聞き間違えたり、別のテーブルに料理を運んでしまったりとミスを連発してしまった。
エディットは慣れていないのだから当然だと笑って流してくれたが、申し訳なさと自分に呆れる気持ちで表情が暗くなる。

「お疲れさん。どうだ?やっていけそうか?」
「やっていけるように頑張る」

身体的にも精神的にもぐったりしてしていたが、そう簡単に投げ出すつもりはない。素っ気ない態度にも関わらず、メルヴィンが微笑む気配がした。

「おう、頑張れよ」

頭をわしわしと撫でられたが、振り払う気力も湧かず好きにさせておく。遠慮のないメルヴィンの態度に慣れてきたせいかもしれない。
一瞬だけよぎった記憶はなかったことにして、陽香は夜空に浮かぶ月をじっと見つめていた。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?

恋愛
少しネガティブな天然鈍感辺境伯令嬢と目つきが悪く恋愛に関してはポンコツコミュ障公爵令息のコミュニケーションエラー必至の爆笑(?)すれ違いラブコメ! ランツベルク辺境伯令嬢ローザリンデは優秀な兄弟姉妹に囲まれて少し自信を持てずにいた。そんなローザリンデを夜会でエスコートしたいと申し出たのはオルデンブルク公爵令息ルートヴィヒ。そして複数回のエスコートを経て、ルートヴィヒとの結婚が決まるローザリンデ。しかし、ルートヴィヒには身分違いだが恋仲の女性がいる噂をローザリンデは知っていた。 エーベルシュタイン女男爵であるハイデマリー。彼女こそ、ルートヴィヒの恋人である。しかし上級貴族と下級貴族の結婚は許されていない上、ハイデマリーは既婚者である。 ローザリンデは自分がお飾りの妻だと理解した。その上でルートヴィヒとの結婚を受け入れる。ランツベルク家としても、筆頭公爵家であるオルデンブルク家と繋がりを持てることは有益なのだ。 しかし結婚後、ルートヴィヒの様子が明らかにおかしい。ローザリンデはルートヴィヒからお菓子、花、アクセサリー、更にはドレスまでことあるごとにプレゼントされる。プレゼントの量はどんどん増える。流石にこれはおかしいと思ったローザリンデはある日の夜会で聞いてみる。 「つかぬことをお伺いいたしますが、私はお飾りの妻ですよね?」 するとルートヴィヒからは予想外の返事があった。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛なんてどこにもないと知っている

紫楼
恋愛
 私は親の選んだ相手と政略結婚をさせられた。  相手には長年の恋人がいて婚約時から全てを諦め、貴族の娘として割り切った。  白い結婚でも社交界でどんなに噂されてもどうでも良い。  結局は追い出されて、家に帰された。  両親には叱られ、兄にはため息を吐かれる。  一年もしないうちに再婚を命じられた。  彼は兄の親友で、兄が私の初恋だと勘違いした人。  私は何も期待できないことを知っている。  彼は私を愛さない。 主人公以外が愛や恋に迷走して暴走しているので、主人公は最後の方しか、トキメキがないです。  作者の脳内の世界観なので現実世界の法律や常識とは重ねないでお読むください。  誤字脱字は多いと思われますので、先にごめんなさい。 他サイトにも載せています。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので

ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。 しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。 異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。 異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。 公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。 『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。 更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。 だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。 ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。 モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて―― 奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。 異世界、魔法のある世界です。 色々ゆるゆるです。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

処理中です...