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運命の相手
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トルドベール王国の王都ルドディアは祝賀の気配に華やぎ、どこかそわそわと落ち着かない雰囲気が漂っている。
七ヶ月前に暗い影を落とした不幸な事故から一転、待ち焦がれていた朗報に民衆の期待と喜びが発露した結果だろう。まだ王家からの正式な発表は出てないが、それも時間の問題だと誰もが心待ちにするほどその噂は瞬く間に広がっていた。
「メルヴィン、こんなに緊張するのは初めてだ。どうしたらいいんだろう?」
先ほどまで早く彼女に会わせてくれとせっついていたのに、いざ対面を目前にすると不安を覚えているらしい。
いつも穏やかで優しいと評判のトルドベール王国の王太子が、こんな表情を見せることは珍しいものの無理もないとメルヴィンは思った。
周囲の反対を押し切って強行したにもかかわらず、事態は思うように運ばず一時は最悪の結末も覚悟していた。だが必死の捜索が実を結び、王子の運命を間一髪のところで救い出すことができたのだ。
それでもメルヴィンは己の立場上、敢えて苦言を呈することにした。
「まだ見ぬ相手に期待しすぎるのは止めておけ、アンリ。彼女が運命だとしても、過酷な環境にいたせいですぐには受け入れられないかもしれない」
メルヴィンの言葉にアンリは表情を曇らせた。折角の慶事に水を差すつもりはないが、相手がこちらにどういう感情を抱いているか分からない。
「辛い思いをさせてしまった分、私は彼女を絶対に幸せにするつもりだ」
先ほどまでの落ち着かない様子が嘘のように、決然とした眼差しはアンリの覚悟を示していた。
トルドベール王国には、『運命の相手』という誰もが知っているロマンティックな伝承がある。
強い絆で結ばれた唯一の存在であり、出会った瞬間に本能的に惹かれあうのだと言う。出会える確率は限りなく低く、出会う前に他の相手と結ばれてしまえば、運命は断ち切られ永遠にその機会は失われるらしい。だが運命の相手と結ばれれば繁栄と幸福な人生が約束されると言われている。
国民の誰もが一度は憧れる運命の相手に興味を示したのは、王太子であるアンリも同じだった。いや、むしろ誰よりも運命の相手を欲していたのだろう。
気まぐれで偏屈な魔女の元に通い、運命の相手を占ってもらったが、結果は芳しくないものだった。
『王太子殿下の運命の相手はこの世界に存在しない』
残酷な答えに絶望したものの、アンリは決してあきらめなかった。この世界にいないのであれば、別の世界に存在するのではないか。
メルヴィンをはじめ、何人かの臣下はアンリを諫め思い留まらせようとしたが、アンリの意思は固かった。
滅多に我儘を言わないアンリの願いを王妃だけでなく、国王もそれを聞き入れたことで、他国の魔術師に依頼し召喚を行ったのだ。
だがそれを快く思わない貴族たちの手によって、召喚は不完全なものとなる。毒を盛られた魔術師は何とか最後まで術を発動させることが出来たが、その目印となる魔法陣にも細工がされたため、別の場所に落とされてしまったのだ。
こちらの世界の知識もなく、突然異世界に一人落とされた女性が果たして無事でいられるものだろうか。すぐさま大規模な捜索が行われたが、どこにいるのか分からない王子の運命を見つけることは砂漠の中から一粒のダイヤを探すようなものだ。
容姿はおろか年齢すら分からず、身元が不確かな女性という条件下の捜索は、遅々として進まなかった。
事態が急変したのはおよそ一ヶ月前、隣国のとある港町にいた見習い騎士が雑踏の中で聞こえて来た不思議な歌に注意を引かれて振り向くと、珍しい黒髪が視界に入った。
そっと後を追えば、少女が口ずさんでいる歌のリズムや歌詞は聞き覚えがなく、破天荒なものだ。市井で流行っている歌なのかと確認すれば、誰もが奇妙な顔を浮かべて首を振った。
見習い騎士の報告を受けて調査を行ったところ、少女の条件は王子の運命に見事に該当したのだ。
奴隷の立場であった少女を慎重かつ迅速に保護し、事情を検めたところ王子の運命に相違ないとの報告が上がった。
幸いなことに珍しさと価値を吊り上げるために純潔を奪われはしなかったものの、下働きとして酷使されていたらしく、心身ともに消耗しているらしい。
体調を考慮しながら移動した結果、先ほど王城に到着し今は対面のための準備を行っている。
発見の一報を受けて泣き崩れるアンリを見ていただけに、浮かれるなというのは無理があるのだとは分かっている。
それでもメルヴィンが懸念を示すのは、王子の運命とともに帰還し報告を上げる部下の様子に少し違和感を覚えていたからだ。
歯切れの悪さと躊躇うような気配にその場で追及すれば良かったのだが、アンリを落ち着かせることに意識がそれ、後回しにしてしまった。
ノックの音とともに侍女が対面の準備が出来たことを告げ、メルヴィンは王子とともに運命の相手の元へと向かうことになった。
部屋に入るとソファーに座っていた少女が顔を上げる。冷めたような眼差しと人形のように動かない表情に嫌な予感がしたが、虐げられていたことで心を閉ざしている状態なのだろうと見当をつけた。
「私の運命……」
アンリの目には愛しい少女としか映らなかったようで、感極まったように小さく呟いたあと、少女を安心させるように微笑みをたたえたまま近づいていく。
「私はトルドベール王国王太子のアンリ、君の運命の相手だ。奸計により不完全な状態で召喚してしまい、君には辛い思いをさせてしまって本当にすまなかった」
少女の前に膝を付き左胸に手を当てると、声こそ出さなかったものの部屋にいた侍女たちの表情が驚きと憧憬に変わる。相手への敬意と親愛を表わす動作に、王子が運命の相手に愛を告げるのだと誰もが信じて疑わなかった。
「これからは私が君を護るから、どうか私の――」
言い終える前に少女がおもむろに立ち上がり身体を僅かに捻ったのを目にして、メルヴィンはすぐさま行動したが間に合わない。
固く握りしめた拳が王子の左頬に当たり、倒れていくのがやけにゆっくりと見える。
「何が運命の相手だ!私をさっさと元の世界に帰してよ、この人でなし!」
しんと場が静まり返った。
憎しみのこもった鋭い目つきと怒鳴り声にアンリは半身を起こしたまま、呆然と固まっている。そんなアンリの態度が癇に障ったのか、もう一度拳を握りしめた少女とアンリの間にメルヴィンは割って入った。
彼女の言い分は尤もであるが、王族に対する暴行は死罪が適用されてもおかしくはない。
「メルヴィン、大丈夫だ。彼女はきっと混乱しているだけだろう」
劣悪な環境下にいたため状況が理解できていないのだとアンリは考えたようだが、それは火に油を注ぐ言葉だったに違いない。
「私をこの世界に召喚したのはこの国の王子が願ったからだと聞いた。お前のことだろう。お前のせいで私は――!」
なおもアンリに殴りかかろうと前に出た少女をメルヴィンは拘束した。暗い目をした少女は細い身体のどこにそんな力があるのか、激しく抵抗する。
「彼女を傷付けないでくれ!私の運命、もう大丈夫だから落ち着いて。私が君を必ず幸せにするから」
「ふざけるな、私の運命は私が決める!私の運命の相手はお前なんかじゃなくて――こいつだ」
傷付けないように、そしてアンリへの暴力を防ぐために両手を広げていたことが仇になった。一度は拘束していたものの、彼女は自由になった両手でメルヴィンの襟元を引っ張ると、そのまま唇を重ねたのだ。
その瞳には好意など欠片もなく、ただ嫌悪だけが浮かんでいる。
「きゃあああああ!アンリ王太子殿下!」
だがアンリからそれは見えなかったようで、ショックのあまり気を失ってしまい侍女の悲鳴が響き渡る。
「ご令嬢は突然の事態に混乱されているようだ。部屋でゆっくり休んでいただくように」
年嵩の侍女と護衛騎士に監視付きで部屋に留めるように言外に伝えれば、彼らは承知したように頷いた。
少女を無理やりソファーに座らせると、メルヴィンは王子を抱えて部屋を後にする。
何でこんなことになったのだと頭を抱えるはめになったのは言うまでもない。
七ヶ月前に暗い影を落とした不幸な事故から一転、待ち焦がれていた朗報に民衆の期待と喜びが発露した結果だろう。まだ王家からの正式な発表は出てないが、それも時間の問題だと誰もが心待ちにするほどその噂は瞬く間に広がっていた。
「メルヴィン、こんなに緊張するのは初めてだ。どうしたらいいんだろう?」
先ほどまで早く彼女に会わせてくれとせっついていたのに、いざ対面を目前にすると不安を覚えているらしい。
いつも穏やかで優しいと評判のトルドベール王国の王太子が、こんな表情を見せることは珍しいものの無理もないとメルヴィンは思った。
周囲の反対を押し切って強行したにもかかわらず、事態は思うように運ばず一時は最悪の結末も覚悟していた。だが必死の捜索が実を結び、王子の運命を間一髪のところで救い出すことができたのだ。
それでもメルヴィンは己の立場上、敢えて苦言を呈することにした。
「まだ見ぬ相手に期待しすぎるのは止めておけ、アンリ。彼女が運命だとしても、過酷な環境にいたせいですぐには受け入れられないかもしれない」
メルヴィンの言葉にアンリは表情を曇らせた。折角の慶事に水を差すつもりはないが、相手がこちらにどういう感情を抱いているか分からない。
「辛い思いをさせてしまった分、私は彼女を絶対に幸せにするつもりだ」
先ほどまでの落ち着かない様子が嘘のように、決然とした眼差しはアンリの覚悟を示していた。
トルドベール王国には、『運命の相手』という誰もが知っているロマンティックな伝承がある。
強い絆で結ばれた唯一の存在であり、出会った瞬間に本能的に惹かれあうのだと言う。出会える確率は限りなく低く、出会う前に他の相手と結ばれてしまえば、運命は断ち切られ永遠にその機会は失われるらしい。だが運命の相手と結ばれれば繁栄と幸福な人生が約束されると言われている。
国民の誰もが一度は憧れる運命の相手に興味を示したのは、王太子であるアンリも同じだった。いや、むしろ誰よりも運命の相手を欲していたのだろう。
気まぐれで偏屈な魔女の元に通い、運命の相手を占ってもらったが、結果は芳しくないものだった。
『王太子殿下の運命の相手はこの世界に存在しない』
残酷な答えに絶望したものの、アンリは決してあきらめなかった。この世界にいないのであれば、別の世界に存在するのではないか。
メルヴィンをはじめ、何人かの臣下はアンリを諫め思い留まらせようとしたが、アンリの意思は固かった。
滅多に我儘を言わないアンリの願いを王妃だけでなく、国王もそれを聞き入れたことで、他国の魔術師に依頼し召喚を行ったのだ。
だがそれを快く思わない貴族たちの手によって、召喚は不完全なものとなる。毒を盛られた魔術師は何とか最後まで術を発動させることが出来たが、その目印となる魔法陣にも細工がされたため、別の場所に落とされてしまったのだ。
こちらの世界の知識もなく、突然異世界に一人落とされた女性が果たして無事でいられるものだろうか。すぐさま大規模な捜索が行われたが、どこにいるのか分からない王子の運命を見つけることは砂漠の中から一粒のダイヤを探すようなものだ。
容姿はおろか年齢すら分からず、身元が不確かな女性という条件下の捜索は、遅々として進まなかった。
事態が急変したのはおよそ一ヶ月前、隣国のとある港町にいた見習い騎士が雑踏の中で聞こえて来た不思議な歌に注意を引かれて振り向くと、珍しい黒髪が視界に入った。
そっと後を追えば、少女が口ずさんでいる歌のリズムや歌詞は聞き覚えがなく、破天荒なものだ。市井で流行っている歌なのかと確認すれば、誰もが奇妙な顔を浮かべて首を振った。
見習い騎士の報告を受けて調査を行ったところ、少女の条件は王子の運命に見事に該当したのだ。
奴隷の立場であった少女を慎重かつ迅速に保護し、事情を検めたところ王子の運命に相違ないとの報告が上がった。
幸いなことに珍しさと価値を吊り上げるために純潔を奪われはしなかったものの、下働きとして酷使されていたらしく、心身ともに消耗しているらしい。
体調を考慮しながら移動した結果、先ほど王城に到着し今は対面のための準備を行っている。
発見の一報を受けて泣き崩れるアンリを見ていただけに、浮かれるなというのは無理があるのだとは分かっている。
それでもメルヴィンが懸念を示すのは、王子の運命とともに帰還し報告を上げる部下の様子に少し違和感を覚えていたからだ。
歯切れの悪さと躊躇うような気配にその場で追及すれば良かったのだが、アンリを落ち着かせることに意識がそれ、後回しにしてしまった。
ノックの音とともに侍女が対面の準備が出来たことを告げ、メルヴィンは王子とともに運命の相手の元へと向かうことになった。
部屋に入るとソファーに座っていた少女が顔を上げる。冷めたような眼差しと人形のように動かない表情に嫌な予感がしたが、虐げられていたことで心を閉ざしている状態なのだろうと見当をつけた。
「私の運命……」
アンリの目には愛しい少女としか映らなかったようで、感極まったように小さく呟いたあと、少女を安心させるように微笑みをたたえたまま近づいていく。
「私はトルドベール王国王太子のアンリ、君の運命の相手だ。奸計により不完全な状態で召喚してしまい、君には辛い思いをさせてしまって本当にすまなかった」
少女の前に膝を付き左胸に手を当てると、声こそ出さなかったものの部屋にいた侍女たちの表情が驚きと憧憬に変わる。相手への敬意と親愛を表わす動作に、王子が運命の相手に愛を告げるのだと誰もが信じて疑わなかった。
「これからは私が君を護るから、どうか私の――」
言い終える前に少女がおもむろに立ち上がり身体を僅かに捻ったのを目にして、メルヴィンはすぐさま行動したが間に合わない。
固く握りしめた拳が王子の左頬に当たり、倒れていくのがやけにゆっくりと見える。
「何が運命の相手だ!私をさっさと元の世界に帰してよ、この人でなし!」
しんと場が静まり返った。
憎しみのこもった鋭い目つきと怒鳴り声にアンリは半身を起こしたまま、呆然と固まっている。そんなアンリの態度が癇に障ったのか、もう一度拳を握りしめた少女とアンリの間にメルヴィンは割って入った。
彼女の言い分は尤もであるが、王族に対する暴行は死罪が適用されてもおかしくはない。
「メルヴィン、大丈夫だ。彼女はきっと混乱しているだけだろう」
劣悪な環境下にいたため状況が理解できていないのだとアンリは考えたようだが、それは火に油を注ぐ言葉だったに違いない。
「私をこの世界に召喚したのはこの国の王子が願ったからだと聞いた。お前のことだろう。お前のせいで私は――!」
なおもアンリに殴りかかろうと前に出た少女をメルヴィンは拘束した。暗い目をした少女は細い身体のどこにそんな力があるのか、激しく抵抗する。
「彼女を傷付けないでくれ!私の運命、もう大丈夫だから落ち着いて。私が君を必ず幸せにするから」
「ふざけるな、私の運命は私が決める!私の運命の相手はお前なんかじゃなくて――こいつだ」
傷付けないように、そしてアンリへの暴力を防ぐために両手を広げていたことが仇になった。一度は拘束していたものの、彼女は自由になった両手でメルヴィンの襟元を引っ張ると、そのまま唇を重ねたのだ。
その瞳には好意など欠片もなく、ただ嫌悪だけが浮かんでいる。
「きゃあああああ!アンリ王太子殿下!」
だがアンリからそれは見えなかったようで、ショックのあまり気を失ってしまい侍女の悲鳴が響き渡る。
「ご令嬢は突然の事態に混乱されているようだ。部屋でゆっくり休んでいただくように」
年嵩の侍女と護衛騎士に監視付きで部屋に留めるように言外に伝えれば、彼らは承知したように頷いた。
少女を無理やりソファーに座らせると、メルヴィンは王子を抱えて部屋を後にする。
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