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罪と罰
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コツコツと固い靴音が響く地下牢は重大な罪を犯した咎人専用だ。
「っ、フィル殿下!どうかここから出してくださいまし。何でもいたしますから」
たった一日半でネイワース侯爵夫人の容貌は衰え、すっかり淑女の仮面がはがれている。媚び諂うような眼差しは不愉快だが、私情は極力抑えなければならない。
「己の罪状を理解していないようだな」
感情を無にして淡々と問いかければ、夫人は何かを期待するように喋り始めた。
「わたくしは御子様のために指導をしていただけですの。国の至宝ともあろう方があのように卑屈な振る舞いではハウゼンヒルト神聖国の威信に傷がついてしまいますわ!熱が入って少々行き過ぎた振る舞いをしてしまいましたが、これもひとえに――」
「フィル殿下、これ以上は結構でございます」
感情を押し殺したような低い声に、夫人の表情がぱっと明るくなった。
「旦那様、来てくださいましたのね!」
「此度の愚行に、ネイワース侯爵家は一切関わっておりません。ですが、これを管理できなかったのは当主たる私の罪でございます。最期のご厚情をいただきながら、誠に申し訳ございません」
夫人を一瞥することなく、深々と頭を下げたネイワース侯爵をフィルは僅かな哀れみを覚えたが、夫人だけで贖える罪ではないのだ。
「本来は極刑だが、ネイワース侯爵の長年の献身により夫人を終身刑とする。ネイワース家は侯爵から伯爵に降格、子息は辺境での事務官見習を命じる。ああ、それからこれは夫人の物だから、返しておこう」
敢えてこの場で言い渡したのは、これが内密の処遇であるためだ。だからといってそれが甘い処分などではない。
極刑も十分にあり得たが、トーカの心身を配慮した結果の処遇であるというだけだ。
だが生まれながらに高位貴族としての生活を送っていた夫人にとって、地下牢での日々に耐えられるとは思えない。さらに――。
「ああ、旦那様!お願いだから、それを塗らないで!」
「ただの軟膏だろう。お前が御子様にお渡ししたものだ」
軟膏から香った独特の香りに毒性の強い薬物が混入されていることに気づいた。怪我をした箇所に塗れば激痛が走り、皮膚が爛れてしまうだろう。連行された時に暴れたため夫人は手や顔に擦り傷を負っている。
己の容貌に自信を持っていた夫人には効果的な罰だろう。
監視役の騎士に後を任せて、フィルは階段を上っていく。耳障りな絶叫が聞こえてきたが、振り向くことはなかった。
執務室に戻ると、珍しくジョナスが紅茶を淹れてくれた。何か言葉を掛けるでもないが、フィルを気遣ってくれるのが分かるので、礼を言って受け取る。
自業自得であり処罰も妥当なものだが、本来関係のない家族や周囲への影響を考えると少々気が重い。
「フィル様のせいではありませんよ」
素っ気ない口調だがその場限りの言葉など掛けないので、本心からそう思っているのだろう。
「ネイワース侯爵夫人が強欲だった、ただそれだけです」
人見知りで自信を持てない御子に会い、分不相応な野心を抱いた。御子に自分の娘と親しくさせることで、フィルに近づき婚約者の立場を狙ったのだ。
そのためにはある程度自分の言うことを聞かせなければと考えたらしい。
孤立させた状態で心身に苦痛を与え、心が弱ったところで、自分だけは味方なのだと甘い言葉で騙し支配下に置く。
奴隷を躾けるためのよくある手法だと聞いて、吐き気がした。
ハウゼンヒルト神聖国に奴隷制度はないが、外交を結んでいる国の幾つかにはその制度があり、夫人の生家は貿易が盛んな領地であるため、その方法を知っていたのだろう。
「どうして御子であるトーカ様にあのような不敬を働こうと思えたのか、理解できない」
そもそもフィルは婚約者を選ぶつもりはない。御子の顕現を信じ、両親がそれを容認していたのだが、年頃の令嬢がいる貴族たちは未だに諦めていないようだ。
フィルが王太子でないのは御子に仕えるためであり、弟のエリックが来年成人を迎えると同時に立太子の儀を行う予定になっている。
フィルを王太子にするためには時間がないと焦ったことも、強硬な手段を取った要因の一つだろう。
「選定も甘かったが、今回のことはやはり僕にも責任の一端がある」
夫人は高位貴族として模範となる礼節と王家に対して忠誠を持ち合わせていたが、御子に対する敬意も認識もあり得ないほど低かった。
トーカの負担を減らすため貴族へのお披露目を行っていないのだから、公認されていないと邪推する者やその存在価値に疑念を抱く者も出てくるだろう。
様々な思惑や悪意から御子を守る立場にいるフィルの手落ちだと、責められても仕方がない。
「お披露目はともかく陛下方にはお目通しの機会を早々に設けたほうがよろしいでしょうね」
フィルはそっとジョナスから目を逸らした。
両親からもせっつかれているのだが、トーカを委縮させてしまうと先延ばしにしていたのだ。
ネイワース侯爵家の処遇について最短で手筈を整えてもらったのだから、父は必ずトーカに会わせるよう要求してくるだろう。
どうやってトーカに負担を掛けないよう両親に会わせるか、フィルは頭を悩ませていた。
「っ、フィル殿下!どうかここから出してくださいまし。何でもいたしますから」
たった一日半でネイワース侯爵夫人の容貌は衰え、すっかり淑女の仮面がはがれている。媚び諂うような眼差しは不愉快だが、私情は極力抑えなければならない。
「己の罪状を理解していないようだな」
感情を無にして淡々と問いかければ、夫人は何かを期待するように喋り始めた。
「わたくしは御子様のために指導をしていただけですの。国の至宝ともあろう方があのように卑屈な振る舞いではハウゼンヒルト神聖国の威信に傷がついてしまいますわ!熱が入って少々行き過ぎた振る舞いをしてしまいましたが、これもひとえに――」
「フィル殿下、これ以上は結構でございます」
感情を押し殺したような低い声に、夫人の表情がぱっと明るくなった。
「旦那様、来てくださいましたのね!」
「此度の愚行に、ネイワース侯爵家は一切関わっておりません。ですが、これを管理できなかったのは当主たる私の罪でございます。最期のご厚情をいただきながら、誠に申し訳ございません」
夫人を一瞥することなく、深々と頭を下げたネイワース侯爵をフィルは僅かな哀れみを覚えたが、夫人だけで贖える罪ではないのだ。
「本来は極刑だが、ネイワース侯爵の長年の献身により夫人を終身刑とする。ネイワース家は侯爵から伯爵に降格、子息は辺境での事務官見習を命じる。ああ、それからこれは夫人の物だから、返しておこう」
敢えてこの場で言い渡したのは、これが内密の処遇であるためだ。だからといってそれが甘い処分などではない。
極刑も十分にあり得たが、トーカの心身を配慮した結果の処遇であるというだけだ。
だが生まれながらに高位貴族としての生活を送っていた夫人にとって、地下牢での日々に耐えられるとは思えない。さらに――。
「ああ、旦那様!お願いだから、それを塗らないで!」
「ただの軟膏だろう。お前が御子様にお渡ししたものだ」
軟膏から香った独特の香りに毒性の強い薬物が混入されていることに気づいた。怪我をした箇所に塗れば激痛が走り、皮膚が爛れてしまうだろう。連行された時に暴れたため夫人は手や顔に擦り傷を負っている。
己の容貌に自信を持っていた夫人には効果的な罰だろう。
監視役の騎士に後を任せて、フィルは階段を上っていく。耳障りな絶叫が聞こえてきたが、振り向くことはなかった。
執務室に戻ると、珍しくジョナスが紅茶を淹れてくれた。何か言葉を掛けるでもないが、フィルを気遣ってくれるのが分かるので、礼を言って受け取る。
自業自得であり処罰も妥当なものだが、本来関係のない家族や周囲への影響を考えると少々気が重い。
「フィル様のせいではありませんよ」
素っ気ない口調だがその場限りの言葉など掛けないので、本心からそう思っているのだろう。
「ネイワース侯爵夫人が強欲だった、ただそれだけです」
人見知りで自信を持てない御子に会い、分不相応な野心を抱いた。御子に自分の娘と親しくさせることで、フィルに近づき婚約者の立場を狙ったのだ。
そのためにはある程度自分の言うことを聞かせなければと考えたらしい。
孤立させた状態で心身に苦痛を与え、心が弱ったところで、自分だけは味方なのだと甘い言葉で騙し支配下に置く。
奴隷を躾けるためのよくある手法だと聞いて、吐き気がした。
ハウゼンヒルト神聖国に奴隷制度はないが、外交を結んでいる国の幾つかにはその制度があり、夫人の生家は貿易が盛んな領地であるため、その方法を知っていたのだろう。
「どうして御子であるトーカ様にあのような不敬を働こうと思えたのか、理解できない」
そもそもフィルは婚約者を選ぶつもりはない。御子の顕現を信じ、両親がそれを容認していたのだが、年頃の令嬢がいる貴族たちは未だに諦めていないようだ。
フィルが王太子でないのは御子に仕えるためであり、弟のエリックが来年成人を迎えると同時に立太子の儀を行う予定になっている。
フィルを王太子にするためには時間がないと焦ったことも、強硬な手段を取った要因の一つだろう。
「選定も甘かったが、今回のことはやはり僕にも責任の一端がある」
夫人は高位貴族として模範となる礼節と王家に対して忠誠を持ち合わせていたが、御子に対する敬意も認識もあり得ないほど低かった。
トーカの負担を減らすため貴族へのお披露目を行っていないのだから、公認されていないと邪推する者やその存在価値に疑念を抱く者も出てくるだろう。
様々な思惑や悪意から御子を守る立場にいるフィルの手落ちだと、責められても仕方がない。
「お披露目はともかく陛下方にはお目通しの機会を早々に設けたほうがよろしいでしょうね」
フィルはそっとジョナスから目を逸らした。
両親からもせっつかれているのだが、トーカを委縮させてしまうと先延ばしにしていたのだ。
ネイワース侯爵家の処遇について最短で手筈を整えてもらったのだから、父は必ずトーカに会わせるよう要求してくるだろう。
どうやってトーカに負担を掛けないよう両親に会わせるか、フィルは頭を悩ませていた。
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