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募る想い

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カリカリと規則的に文字を綴る音が執務室に響いている。

「……フィル様、今日のところはもう終了いたしましょう」
「お疲れ様。僕は切りがいいところまで終えたら休むから先に帰っていいよ」

仕事をしていれば多少は気が紛れる。物言いたげなジョナスの視線を無視していると、溜息と共に出ていった。
心配を掛けているのは申し訳なく思うが、今は放っておいてほしい。

自分が守ってあげなければと心に誓ったのはただの勝手な思い込みで、当の御子はフィルにそんなことを望んでいなかったのだから、独りよがりにも程がある。

自嘲の笑みを浮かべながら、書類に目を通す。ここ最近は執務室に籠っているため、随分と前倒しで仕事が進んでいる。
御子に仕えるために段階的に仕事を減らしていく予定だったが、もう必要ないのかもしれない。

城下に出掛けた日、愛称で名を呼ばれ、敬語が取れた御子との会話はいつもより気を緩めてくれているようで、とても嬉しく楽しいものだった。買い物も自分の物ではなく、いつもお世話になっている相手へ何か贈りたいという。
そんな御子をフィルは誇らしくも温かい気持ちでいたのだ。

だが食事を終えて、御子が城に戻ってもいいと御子から告げられた時、フィルは自分の表情を取り繕うことができなかった。

ミレーとジョナスのために贈り物を選んだ御子だったが、その中に自分の物は含まれていない。自ら望んで御子の世話をしていたのに、いつの間にか当然のように見返りを期待していた自分に気づいて、フィルは自分の浅ましさを恥じた。

そんなフィルの感情を読み取ったかのように、御子はよそよそしい態度を取るようになった。
明らかに敬遠するわけではないが、困ったように目を逸らされることに耐え切れず、側を離れた。それでも御子がフィルを望むことはない。それが答えだった。

(トーカ様、僕は貴女にとって必要のない存在ですか?)

本当にもう無理なのだろうかとそんな問いかけを何度か口にしかけて止めた。フィルが縋れば御子は受け入れてくれるかもしれないが、それは御子の本意ではないだろう。
御子は一度もフィルを望んだことなどなかった。

少しずつでも心を開いてくれたように思ったのは、側にフィルしかいなかったからだろう。その証拠に、同性のほうが安心できるだろうと手配した教師のネイワース侯爵夫人との関係は良好らしい。
夫人から御子の様子を聞くたびに安堵と苛立ちが入り混じった感情を抱く。

「御子様には同年代のご友人が必要かと存じますわ。わたくしがお話相手になるよりも、御子様にとって良い影響があると思いますの」
「考えておこう。勉強のご進捗具合は如何か?」

御子のためと言われても即答できなかったフィルは代わりに質問をすると、夫人は困ったように眉を下げた。

「そちらはあまり捗っておりませんの。御子様にご負担がないよう進めるのが最良かと思いまして」

最初に念押ししていたことだが、夫人がそのことを心に留めていたことにほっとした。通常なら勉強の進捗が芳しくなければ、教師としての質を問われかねない。もしも詰め込みすぎであれば注意が必要だと考えていたが、これなら問題はなさそうだ。

「ああ、決してご無理はさせないように。トーカ様は頑張り過ぎる傾向があるからな」
「ええ、お任せくださいまし」

心得たように笑みを浮かべる夫人の表情に、フィルはどこか引っ掛かりを覚えた。

「殿下?」

だが不思議そうに声を掛けられて、何でもないと首を横に振る。僅かな違和感はきっと考え過ぎだとフィルは深く考えるのをやめた。言語化できない嫌な感覚は夫人に対抗意識を感じているからだろう。

(……会いたいな)

一日に一度は不自由がないよう部屋を訪れてはいるが、直接顔を合わせていない。話しかけてもベールで顔を覆ったまま、無言で首を振るか短く返事をするだけだ。
どうしてこんなに嫌われてしまったのか。考え出すとキリがなく、ただ後悔ばかりが募っていく。

ミレーもそんな雰囲気を察してか、腫れ物に触れるような扱いで、報告自体も途切れがちになっている。恐らくはフィルを気遣ってのことだろうが、その気遣いが余計に堪らない気持ちにさせるのだ。
すっかり冷めたお茶に口を付けると、思いのほか喉が渇いていたようでそのまま飲み干す。

(……だとしてもミレーが命じたことをそのまま放棄するだろうか?)

喉が潤い落ち着いたせいか、そんな疑問が頭をよぎった。ミレーには御子を最優先するように命じていたが、それでも側を離れる時間が取れないはずがない。

(もしもそれがトーカ様のご命令であれば……)

フィルを嫌っていたとしても、流石に接触を禁じるようなことはしないだろう。フィルは今朝の光景を頭に思い浮かべる。ミレーはさりげなく顔を伏せて、フィルと視線が合わないようにしていたし、御子の顔はフィルの方を向いているようでミレーを見ていたような気がする。

他に変わったことがないか、部屋の光景を思い浮かべてフィルは息を呑んだ。
テーブルの上に置かれた花瓶には美しいが、華やかで主張の激しい色の花があった。いつもは可憐で柔らかな色や香りの淡い花が活けられているのだ。

(あれは、……あの花は確か)

紳士であるべく贈り物の定番である花々についても、フィルはミレーから様々な知識を教わっていた。
綺麗であっても贈り物に向かない花の持つ花言葉を思いだした途端、フィルは御子の部屋へと向かっていた。
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