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第二部
スタートライン 8
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もうすぐ来ると言っていた西川の弟は、それから三十分後に到着した。「本当にすみません」と頭をさげて苦笑いする幸希は、俺たちが着ていたのと同じ制服を着ていた。高校に上がってからは初めて顔を合わせる。背が少し伸びて、とても大人びた雰囲気になっていた。
「過労なんて、信じられない」
眠る西川の横に持参した荷物を置いて腰掛ける。西川の体調が悪いのは、無理な飲酒によるものだと決めつけていた。付き合って一度も病気をしたところを見たことがなかったせいでもある。ここのところバイトの頻度が増しているとは思っていたが、そこまで無理をしていたとはちっとも気がつかなかった。
あの肩がぶつかった時の違和感は気のせいではなかったのだ。体が衰弱している証拠だったんだ。
医者の診断は過労。働きすぎや睡眠不足による疲労の蓄積とストレスで貧血と発熱しているのだそうだ。一日点滴を打って様子を見るという。倒れる時に頭を打っていたので、明日検査をするらしい。だいたいは熱が下がれば長くても二、三日で退院できるとのことだった。
「時枝さん、お腹空いてないですか?」
幸希はそう言って鞄からコンビニで買ったらしいおにぎりとペットボトルを取り出した。
そういえば昼前からなにも食べていない。素直に受け取り礼を述べた。染谷までかり出して作った粥をことを思い出す。染谷が運んできたそれを西川の部屋に置いてから、俺は染谷を送るために家を出た。西川が染谷がいる前では食べたくないと言ったからだ。西川はちゃんと食べたのだろうか。手作りじゃないと嫌だと抜かしておいて、残していたら殴り飛ばしてやろうと思った。
「兄ちゃん……今までもバイトしてましたけど、無理して体壊すなんてこと一度もなかったんですよ。だからびっくりしちゃって、丈夫なだけが取り柄なのに」
「そうだね、俺も驚いた。注意してやれなくて悪い」
本音だった。幸希が慌てて「時枝さんは全然悪くないです」と言ってくれたが、俺はそうは思わなかった。
西川はなにも言わなかった。俺もなにも聞かなかった。その結果だ。たぶんこの先も、同じことを繰り返す。
「時枝さんには母も僕も感謝してます。あんなに勉強嫌いだった兄ちゃんが、大学行くために勉強したのも絶対時枝さんが原因だし。学費も奨学金と自分でどうにかするって……一人暮らしするって言ったときは、彼女と同棲でもするのかって少し心配だったんですけど、」
「確かにそんなイメージだな」
俺がいなかったらそうだったに違いない。即座に相槌を打った俺の顔を見て幸希は笑った。
「そうなんですよ、それが心配で、……でも時枝さんって知って安心したんです。ひさびさに会えて嬉しいです。あのときの参考書も借りっぱなしだからいいかげん返さないと、」
「返さなくていいよ、もう俺には必要ない」
純粋に向けられる信頼が苦しい。西川の家族にとって、俺は付き合いの良い真面目な友達だと思われている。
一緒に暮らすようになったきっかけは単純な俺のわがままだ。そばにいたかった。できるなら一番近くに。抑えきれない俺の、どうにもできない気持ち。
幸希も、俺が西川と体の関係まである情人だと知ったら軽蔑するに決まっている。好意を寄せてくれている今とは、まったくの逆の感情を持つだろう。そして不安になるはずだ。世間一般みんなそうだ。常識的に考えれば男なんて。
ましてや、俺、なんて。
「もう終電なくなっちゃうので、帰りましょう。あとはメールしてあります。母も明日来るんで、」
幸希が立ち上がって鞄を持ち直した。俺はかろうじてああと返事をした。
「よく寝てますね。心配したのに。起きろこのばか兄」
幸希はふざけて西川の額をたたいてみたが、なんの反応もなかった。寝息だけがすーすー聞こえ、西川は目を覚ましてはくれなかった。
俺たちは病院を後にし、幸希とは駅まで母校の他愛ない話をした。気になって中学時代のことをちらと聞いたが、勉強に追いつけないという悩みは、二年になってからは解消したそうだ。学級委員長までやったと、自慢げに話す少年が眩しかった。
今度家に遊びに行っていいかと問われた時は、遠慮がちに「いいよ」と答えるのが精一杯だった。幸希は嬉しそうに帰っていった。
自分の置かれた立場を考えると気がひける。西川の家族だから余計に考えてしまうんだろう。
家に着くとリビングに直行しソファに突っ伏した。なにも考えたくなかった。考えるとすべてが同じ結論に至ってしまう。俺が女だったらことはもっと簡単だった。
そう思う時点で、もうこの恋は終わりだった。
「過労なんて、信じられない」
眠る西川の横に持参した荷物を置いて腰掛ける。西川の体調が悪いのは、無理な飲酒によるものだと決めつけていた。付き合って一度も病気をしたところを見たことがなかったせいでもある。ここのところバイトの頻度が増しているとは思っていたが、そこまで無理をしていたとはちっとも気がつかなかった。
あの肩がぶつかった時の違和感は気のせいではなかったのだ。体が衰弱している証拠だったんだ。
医者の診断は過労。働きすぎや睡眠不足による疲労の蓄積とストレスで貧血と発熱しているのだそうだ。一日点滴を打って様子を見るという。倒れる時に頭を打っていたので、明日検査をするらしい。だいたいは熱が下がれば長くても二、三日で退院できるとのことだった。
「時枝さん、お腹空いてないですか?」
幸希はそう言って鞄からコンビニで買ったらしいおにぎりとペットボトルを取り出した。
そういえば昼前からなにも食べていない。素直に受け取り礼を述べた。染谷までかり出して作った粥をことを思い出す。染谷が運んできたそれを西川の部屋に置いてから、俺は染谷を送るために家を出た。西川が染谷がいる前では食べたくないと言ったからだ。西川はちゃんと食べたのだろうか。手作りじゃないと嫌だと抜かしておいて、残していたら殴り飛ばしてやろうと思った。
「兄ちゃん……今までもバイトしてましたけど、無理して体壊すなんてこと一度もなかったんですよ。だからびっくりしちゃって、丈夫なだけが取り柄なのに」
「そうだね、俺も驚いた。注意してやれなくて悪い」
本音だった。幸希が慌てて「時枝さんは全然悪くないです」と言ってくれたが、俺はそうは思わなかった。
西川はなにも言わなかった。俺もなにも聞かなかった。その結果だ。たぶんこの先も、同じことを繰り返す。
「時枝さんには母も僕も感謝してます。あんなに勉強嫌いだった兄ちゃんが、大学行くために勉強したのも絶対時枝さんが原因だし。学費も奨学金と自分でどうにかするって……一人暮らしするって言ったときは、彼女と同棲でもするのかって少し心配だったんですけど、」
「確かにそんなイメージだな」
俺がいなかったらそうだったに違いない。即座に相槌を打った俺の顔を見て幸希は笑った。
「そうなんですよ、それが心配で、……でも時枝さんって知って安心したんです。ひさびさに会えて嬉しいです。あのときの参考書も借りっぱなしだからいいかげん返さないと、」
「返さなくていいよ、もう俺には必要ない」
純粋に向けられる信頼が苦しい。西川の家族にとって、俺は付き合いの良い真面目な友達だと思われている。
一緒に暮らすようになったきっかけは単純な俺のわがままだ。そばにいたかった。できるなら一番近くに。抑えきれない俺の、どうにもできない気持ち。
幸希も、俺が西川と体の関係まである情人だと知ったら軽蔑するに決まっている。好意を寄せてくれている今とは、まったくの逆の感情を持つだろう。そして不安になるはずだ。世間一般みんなそうだ。常識的に考えれば男なんて。
ましてや、俺、なんて。
「もう終電なくなっちゃうので、帰りましょう。あとはメールしてあります。母も明日来るんで、」
幸希が立ち上がって鞄を持ち直した。俺はかろうじてああと返事をした。
「よく寝てますね。心配したのに。起きろこのばか兄」
幸希はふざけて西川の額をたたいてみたが、なんの反応もなかった。寝息だけがすーすー聞こえ、西川は目を覚ましてはくれなかった。
俺たちは病院を後にし、幸希とは駅まで母校の他愛ない話をした。気になって中学時代のことをちらと聞いたが、勉強に追いつけないという悩みは、二年になってからは解消したそうだ。学級委員長までやったと、自慢げに話す少年が眩しかった。
今度家に遊びに行っていいかと問われた時は、遠慮がちに「いいよ」と答えるのが精一杯だった。幸希は嬉しそうに帰っていった。
自分の置かれた立場を考えると気がひける。西川の家族だから余計に考えてしまうんだろう。
家に着くとリビングに直行しソファに突っ伏した。なにも考えたくなかった。考えるとすべてが同じ結論に至ってしまう。俺が女だったらことはもっと簡単だった。
そう思う時点で、もうこの恋は終わりだった。
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