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第二部
スタートライン 7
しおりを挟むなにもかもが初めてだった。しかもその相手が、教科書がないと言って強引に隣へ机を持ってきたふざけた同級の男だなんて。直視するのも憚られるあいつのものが俺の中に入ってきた時は、痛くて死にそうだった。西川はもう女を経験していただろうし、どうして男なんかを抱く気になったのかも不思議でならない。頭は大丈夫なのかと本気で心配した。俺に、そういう性癖を思わせる部分があったのか。男が好きそうな?もしくはもともと男が好きだった?
西川は二回果てて疲れたのかそのまま眠ってしまった。俺は何回達したのかもう覚えていない。思い出すと恥ずかしくなるような嬌声を何度も上げてしまっていた。だいぶ好き勝手してくれたものだから腰が痛くてたまらない。隣でよだれを垂らしている男を盗み見たが、あんまり無防備に眠っているので舌打ちしか出てこなかった。
理不尽な仕打ち、男としてのプライドの侵害、犯されたという事実。最低な奴なのには変わりがない。どうしてか、受け入れてしまう。西川だから、許すのか。
ちゃんと腰に力が入るのかわからなかったが、いつまでも裸でいるわけにもいかないので服を着ようと立ち上がった。ベッドの下に散乱した残骸に手を伸ばす。下着を履いてシャツだけ上に羽織っておく。今何時だろう。ぴったり締め切られたベランダを覗こうと窓のほうへ寄った。
『トキ、どこ行くの、』
『お前、今日どうするんだ』
『んー、お泊まり』
むくりと起き上がった西川は、眠たそうに眼をこすった。そして、はぁ、とおおきな溜息をつく。俺はカーテンの隙間から一度外を確認した。溜息をつきたいのはこっちのほうだ。
『朝まで一緒に寝よう。ほら、おいで寒いから』
『部屋で寝る』
『なんだよ賢者タイム?冷たい男だね』
『誰かのせいで腰が痛いんだよ』
『トキだって気持ち良くなってたじゃん、』
『もう気が済んだだろ、』
西川はよろよろと近づいてきて左手で俺の手を持ち上げる。最中のときとは違ってぎこちない動きで指を絡ませてきた。俺はじっとその様子を見ていた。やがて五指を交差させて手を繋ぐと、反対の手で羽織ったシャツを払い落とし、そのまま腰の内側に指を這わせてくる。
『なに脱がせてんだよ、』
『うさぎは寂しいと死んじゃうって、本当なのかな』
『は?だから、やめろって』
『俺って結構さみしがり屋なんだよ。そばにいてよ』
『本当にいいかげんに、』
『やらなかったら一緒に寝てくれる?』
『っ西川、』
西川は悪戯する子供のような笑みを浮かべて俺を担ぎ上げた。そそくさと俺の部屋まで運び、ベッドの上にどさりと投げる。腰に響いて思わず身を屈めると、後ろから西川に抱きすくめられた。
『おい、俺は風呂にっ』
『中に出してないし大丈夫だよ朝で』
『そういう話じゃない、』
『もうしないよ。こうやって、そばで眠りたいだけ』
西川の表情は見えない。首の後ろに擦れる髪の毛がくすぐったくて、俺は身体の力が抜けた。
しばらくじっとしていたら、背中から規則正しい寝息が聞こえてくる。俺は静かに寝返りを打ち、西川を前に見据えた。肌と肌を合わせたまま微睡む心地よさは本物だった。俺は無意識のうちに脚が触れるように身をよじっている。
寂しいのは俺だ。自分を解放できないでいる俺の方だと思った。
◇
ベッドで眠る西川はすやすやと規則正しい寝息をたてている。握る手のひらは少しひんやりしていた。握り返す感触はない。早く気がつけばいいのに。あの時みたいに手を繋いでくれたら。
寂しいと死んでしまうと言ったのは目の前の男で、俺が同類の人間であることはこいつも周知のことなのに。
「大丈夫そうなんで、俺もう帰りますね。西川の弟さんがもうすぐ着替えとか持ってくるってさっき連絡があったそうです」
振り向くと染谷はもう帰る準備をしていて、ドアに手をかけていた。俺は手を離して慌てて病室を一緒に出た。染谷には予想以上に迷惑をかけてしまった。突然意識を失った西川に動転している俺の横で、冷静にタクシーを呼んで近くの病院まで同行してくれた。もう夜の十時だ。明日も学校があるのにこんな遅くまで付き合ってもらうことになってしまい、申し訳なさばかりが募った。
「タクシー代、今度必ず返すな」
「今度も会ってくれるんですか?」
染谷は冗談のようにそう言った。まだ好きだと言った彼の言葉は本当なんだろう。染谷が俺を甘やかすたびに、俺はどんどん最低な人間になっていく。自分のいいように利用することに慣れてしまうと、俺は自分でもう制限できない。それが怖い。俺が今一番恐れているものととても似ているものだ。
「今日はほんとに、迷惑かけた」
「俺は別に、謝ってほしいわけじゃないんですけどね」
「すまない」
「いいじゃないですか。迷惑かけたって。西川先輩だって同じ意見だと思いますよ、先輩が気にするからあの人も言わないだけで……だれも、そんな先輩を嫌いだなんて一言も言ってないでしょう」
染谷の言葉がやさしくて、やさしくて、俺は込み上げる苦しさを我慢した。唇を噛んで堪えていると、染谷の顔が静かに下りてくる。
「そんな顔をさせたかったわけじゃないのに、」
「染谷、」
「ごめんなさい。これで、最後にしますから」
染谷の唇は熱かった。苦しんでいた心臓まで、燃えるように熱くなった気がした。
いつだって、ほしい言葉と。態度と。笑顔をくれた。西川にはないものをたくさん持っていた。俺は何度も染谷に救われたよ。感謝の気持ちは腐るほどあるのに、おそらくほとんど伝えられていない。それだけが、胸につっかえる。
「ありがとう」と言えればどんなに楽だったか。申し訳なさが勝ってしまう今の俺には無理だった。
軽く触れるだけの口づけをして、染谷は帰っていった。
早く目が覚めてくれたらいい。
寂しいのは、俺の方だ。
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