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第二部
スタートライン 6
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この道を二人で歩くのは久しぶりだった。でもまだ記憶には新しい。思い思われ、大切にされて満たされてきたあの数ヶ月は俺にとってかけがえのないものだった。染谷がどんなふうに受け止めていようとも、身勝手で残酷な本音で、染谷の首を絞め続けた行為だったとしても、俺にとっては救われた時間だった。
「どこまで見送る気ですか、先輩」
あ、と立ち止まる。当初の目的をすっかり忘れていた。少し前を歩く染谷の背中を見ながら物思いにふけり、礼を言うはずがだらだらと距離を歩いてしまっていた。振り向かれて気づく。ごねる西川にすぐ帰ると告げて出てきた。時計を見たらもう二十分も経っていた。
「あ、ああ、そうだな」
家をでてから初めて交わす会話だった。緊張する。それは負い目か、後悔か。整理できていないのになぜ彼を呼んでしまったのか。それはきっと、染谷も感じている疑問だった。
「おかげで助かった、」
「びっくりしました、連絡きたときは。もう番号さえ、忘れられてると思っていたから」
そんなことは……と言いかけてやめた。染谷の番号を消そうなんて考えた事は一度もなかった。それでいて今まで連絡することもなかった。簡単に誘えるほど、時間も経っていなかった。忘れるには早すぎた。
そんな俺を見て、苦虫をかみつぶしたような表情で染谷は見つめてくる。会って初めて見せる暗い視線をぶつけられる。
「西川先輩もずっと言ってましたけど、なんで俺のこと呼びました?」
「……ごめん、勝手なことを……、」
「謝るんならなんで俺を呼んだんですか」
あの、卒業の日。殴られた瞬間を思い出す。泣きながら俺を叩いた染谷が甦る。どこに向けて差しのべたのかわからない右手をつかまれて、壁際に追い込まれた。染谷の始終優しい態度は消えていた。
「あなたはいつもそうだ。俺が、たかが半年であなたを忘れるはずがないのに。なんでつけこむんですか、俺を試してます?西川先輩とのこと俺に見せつけて楽しいですか、」
「そうじゃない……」
「なにが違うんですか。俺が今どんなに惨めな気持ちかわかりますか。先輩はなにかしてくれるんですか、抱かせてくれと言えば俺とまた寝てくれるんですか、」
そうだ。よく考えたらわかることだ。俺は染谷にすがる前に考えなきゃいけなかった。また。染谷を道具にして、自分を慰めた。助けてほしいとすがった。見返りを与える気などもとからないくせに。卑怯なやり方で。相手の気持ちを愚弄して。いらなくなったら捨てて行く。
西川に対して横暴だと文句を言っておいて、俺は染谷にはそれを当然のように押し付けている。
「俺のせいだ。わかってる。お前は悪くない。染谷はちっとも悪くないよ……」
すがるように染谷のシャツを握りしめた。顔をあげられなかった。見れるはずがない。頭の奥で、死ぬほど弱っていた西川の顔を思い出してしまう。
「でも、誰でもよかったわけじゃない。お前なら、俺の話を聞いてくれると、……勝手に……」
言い訳をするのは、嫌われたくないからだ。俺は西川を選んだけど、染谷も失いたくない。
情なんてきれいなもんじゃない。俺が。俺が欲しいんだ。無償に与えてくれるなにか。求めたら応えてくれるなにか。不安をまるごと受け止めてくれるなにか。ほしい言葉を囁いてくれるなにか。言わなくても気付いてくれるなにか。
俺は染谷にずっと、その幻想を押しつけている。昔も、今も。
「嘘ですよ」
耳元に降りてきたその一言に、息がつまった。
「……え、……」
おそるおそる顔を上げた。みっともなく唇が震えている。視界に入ってきた染谷は困ったように笑っていた。
腰が抜けて壁に体重を預けないと立ってられる気がしない。視線は染谷に釘付けになりならが、二の句を告げられないでいた。
「俺が本気であんなこと言うと思ったんですか、」
「……だって……本当のことだ……」
「確かに、全部が嘘ってわけでもないです。俺はまだ先輩が好きだし、あなたは見かけによらず空気読めない部分があるし」
染谷は携帯を取り出して操作すると、ある画面を俺に見せた。電話帳だった。
「俺、ちゃんと先輩の番号とアドレス消したんですよ。未練がましいのは先輩にも迷惑かなとか考えて。でもいつかかかってくるんじゃないかとか期待して。ほんとにかかってきたときはびっくりしました。番号見てすぐ先輩だとわかりました。うれしかった」
「う、れしい?」
「はい。俺を頼ってくれて、うれしかったです。久しぶりに先輩と、西川先輩にも会えてよかった」
「そんなわけ……」
「すみません。さっきのは言い過ぎちゃいました。好きな子はついつい苛めたくなっちゃうじゃないですか、特に弱っているときは漬け込みたくなるのが男ってもので、」
「なに、」
「怒ってよかったのに、なんでそう、ため込んでしまうんですか。西川先輩となにかあったんですよね?俺になにかできるなら言ってください。頼っていいんです。俺には、聞いてあげることしかできないかもしれないけど……」
「そんなこと……」
染谷がどんなに俺に寛容であってくれても、それは無理だ。この胸のうちをぐるぐると掻きまわるなにかをぶつける相手は染谷じゃない。
「西川先輩にはちゃんと言えてますか?その様子じゃあ、きちんと気持ちを伝えられているように見えませんが、」
聞いてるうちに苦しくなってしまっていた。もう限界なのかもしれない。吐いて吐いて吐きだしてしまいたい。声にならない叫びが溜まり溜まって俺の中に膿を作っている。やがてその膿は吐き出し口をふさいでしまうだろう。
「どうしたらいい、」
肩に温かい感触が触れてきた。染谷の手だった。彼はいつも、うちから発熱する力を、強い意志を持っていた。俺にはない。だから惹かれて、憧れて、求めたんだ。その熱に頼る前に、自分でできることは自分でしなきゃならない。染谷を選ばなかった俺に、この手にすがる権利はないのだから。
「大丈夫ですよ、もう先輩はちゃんとわかっているじゃないですか」
俺の反応を待たず、染谷の手は離れて行く。
「言いたい相手はすぐ近くにいるでしょう?」
遠くで名前を呼ぶ声がした。ほらね、と染谷が苦笑する。
反射的に声の方を向いた。歩いて来た方向だった。数メートル先に西川がガードルに手をつきながら立っているのが見えた。
「なっ、あいつ、馬鹿が」
遠目にも足元がふらついているのがわかった。そして変なふうに西川の体が傾いで、足からくずれた。
「西川!」
ばたりと倒れたまま起き上がらない。俺も染谷も慌てて駆け寄り体を抱き起こした。どこに打ち付けたのか、こめかみからうすく血が流れている。完全に意識を失っていた。
「どこまで見送る気ですか、先輩」
あ、と立ち止まる。当初の目的をすっかり忘れていた。少し前を歩く染谷の背中を見ながら物思いにふけり、礼を言うはずがだらだらと距離を歩いてしまっていた。振り向かれて気づく。ごねる西川にすぐ帰ると告げて出てきた。時計を見たらもう二十分も経っていた。
「あ、ああ、そうだな」
家をでてから初めて交わす会話だった。緊張する。それは負い目か、後悔か。整理できていないのになぜ彼を呼んでしまったのか。それはきっと、染谷も感じている疑問だった。
「おかげで助かった、」
「びっくりしました、連絡きたときは。もう番号さえ、忘れられてると思っていたから」
そんなことは……と言いかけてやめた。染谷の番号を消そうなんて考えた事は一度もなかった。それでいて今まで連絡することもなかった。簡単に誘えるほど、時間も経っていなかった。忘れるには早すぎた。
そんな俺を見て、苦虫をかみつぶしたような表情で染谷は見つめてくる。会って初めて見せる暗い視線をぶつけられる。
「西川先輩もずっと言ってましたけど、なんで俺のこと呼びました?」
「……ごめん、勝手なことを……、」
「謝るんならなんで俺を呼んだんですか」
あの、卒業の日。殴られた瞬間を思い出す。泣きながら俺を叩いた染谷が甦る。どこに向けて差しのべたのかわからない右手をつかまれて、壁際に追い込まれた。染谷の始終優しい態度は消えていた。
「あなたはいつもそうだ。俺が、たかが半年であなたを忘れるはずがないのに。なんでつけこむんですか、俺を試してます?西川先輩とのこと俺に見せつけて楽しいですか、」
「そうじゃない……」
「なにが違うんですか。俺が今どんなに惨めな気持ちかわかりますか。先輩はなにかしてくれるんですか、抱かせてくれと言えば俺とまた寝てくれるんですか、」
そうだ。よく考えたらわかることだ。俺は染谷にすがる前に考えなきゃいけなかった。また。染谷を道具にして、自分を慰めた。助けてほしいとすがった。見返りを与える気などもとからないくせに。卑怯なやり方で。相手の気持ちを愚弄して。いらなくなったら捨てて行く。
西川に対して横暴だと文句を言っておいて、俺は染谷にはそれを当然のように押し付けている。
「俺のせいだ。わかってる。お前は悪くない。染谷はちっとも悪くないよ……」
すがるように染谷のシャツを握りしめた。顔をあげられなかった。見れるはずがない。頭の奥で、死ぬほど弱っていた西川の顔を思い出してしまう。
「でも、誰でもよかったわけじゃない。お前なら、俺の話を聞いてくれると、……勝手に……」
言い訳をするのは、嫌われたくないからだ。俺は西川を選んだけど、染谷も失いたくない。
情なんてきれいなもんじゃない。俺が。俺が欲しいんだ。無償に与えてくれるなにか。求めたら応えてくれるなにか。不安をまるごと受け止めてくれるなにか。ほしい言葉を囁いてくれるなにか。言わなくても気付いてくれるなにか。
俺は染谷にずっと、その幻想を押しつけている。昔も、今も。
「嘘ですよ」
耳元に降りてきたその一言に、息がつまった。
「……え、……」
おそるおそる顔を上げた。みっともなく唇が震えている。視界に入ってきた染谷は困ったように笑っていた。
腰が抜けて壁に体重を預けないと立ってられる気がしない。視線は染谷に釘付けになりならが、二の句を告げられないでいた。
「俺が本気であんなこと言うと思ったんですか、」
「……だって……本当のことだ……」
「確かに、全部が嘘ってわけでもないです。俺はまだ先輩が好きだし、あなたは見かけによらず空気読めない部分があるし」
染谷は携帯を取り出して操作すると、ある画面を俺に見せた。電話帳だった。
「俺、ちゃんと先輩の番号とアドレス消したんですよ。未練がましいのは先輩にも迷惑かなとか考えて。でもいつかかかってくるんじゃないかとか期待して。ほんとにかかってきたときはびっくりしました。番号見てすぐ先輩だとわかりました。うれしかった」
「う、れしい?」
「はい。俺を頼ってくれて、うれしかったです。久しぶりに先輩と、西川先輩にも会えてよかった」
「そんなわけ……」
「すみません。さっきのは言い過ぎちゃいました。好きな子はついつい苛めたくなっちゃうじゃないですか、特に弱っているときは漬け込みたくなるのが男ってもので、」
「なに、」
「怒ってよかったのに、なんでそう、ため込んでしまうんですか。西川先輩となにかあったんですよね?俺になにかできるなら言ってください。頼っていいんです。俺には、聞いてあげることしかできないかもしれないけど……」
「そんなこと……」
染谷がどんなに俺に寛容であってくれても、それは無理だ。この胸のうちをぐるぐると掻きまわるなにかをぶつける相手は染谷じゃない。
「西川先輩にはちゃんと言えてますか?その様子じゃあ、きちんと気持ちを伝えられているように見えませんが、」
聞いてるうちに苦しくなってしまっていた。もう限界なのかもしれない。吐いて吐いて吐きだしてしまいたい。声にならない叫びが溜まり溜まって俺の中に膿を作っている。やがてその膿は吐き出し口をふさいでしまうだろう。
「どうしたらいい、」
肩に温かい感触が触れてきた。染谷の手だった。彼はいつも、うちから発熱する力を、強い意志を持っていた。俺にはない。だから惹かれて、憧れて、求めたんだ。その熱に頼る前に、自分でできることは自分でしなきゃならない。染谷を選ばなかった俺に、この手にすがる権利はないのだから。
「大丈夫ですよ、もう先輩はちゃんとわかっているじゃないですか」
俺の反応を待たず、染谷の手は離れて行く。
「言いたい相手はすぐ近くにいるでしょう?」
遠くで名前を呼ぶ声がした。ほらね、と染谷が苦笑する。
反射的に声の方を向いた。歩いて来た方向だった。数メートル先に西川がガードルに手をつきながら立っているのが見えた。
「なっ、あいつ、馬鹿が」
遠目にも足元がふらついているのがわかった。そして変なふうに西川の体が傾いで、足からくずれた。
「西川!」
ばたりと倒れたまま起き上がらない。俺も染谷も慌てて駆け寄り体を抱き起こした。どこに打ち付けたのか、こめかみからうすく血が流れている。完全に意識を失っていた。
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