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第二部
スタートライン 5
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やはり座薬は入れたほうがよかったのかもしれない。出すものは出し切り水分だけ大量に摂って寝込んだ結果、熱は下がらなかった。病院へ行ったらどうだと言ってみたが西川は首を振った。あと一日寝てれば治る。そう答える顔も唇もまだ青い。俺は枕もとにペットボトルを置き、中を取り替えた氷嚢を渡した。氷嚢といっても、二重にしたポリ袋に氷と水を入れてつくった簡単なものだ。
「三限で終わりだから、帰りになにか買ってくる」
「お粥が食べたい」
「粥?……ああ、じゃあ探してくる」
「手作りじゃないと食べたくない」
「は?」
「トキがつくって」
粥なんて作ったことはなかった。食べたこともないし、作ってくれた人もいない。
俺は出来ないと断ったが西川はしつこく「粥がいい。卵の入ったやつ」と食い下がった。風邪をひいたときは母親がいつも作ってくれるのだそうだ。そんなもの、俺に作れるわけがない。西川もわかっているはずだった。単なる我儘なのか、弱っているからこその要望なのかはわからない。
そうこうしているうちに時間になり、俺は鞄を持って立ち上がった。袖をひかれる。ふりむくと「なんでもいいよ」と西川は笑った。だったら最初からそう言え、とは思ったが口には出さなかった。玄関を出たところでふと思いつき、携帯を開いた。
◇
「幻覚?」
キッチンに顔をだした西川は目を丸くしていた。顔を叩いたり頬をつねっては現実と夢の確認をしていたが、これはちゃんとした現実だ。隣で鍋を火にかけている染谷も目を細めて笑った。俺は割った卵を不器用にをかきまぜていた。
「西川先輩に言わなかったんですか」
「ああ」
「相当気にしますよ」
「粥が食いたいって言ったのはあいつだからな、仕方ないだろ」
「煽り上手ですね先輩」
染谷はまた背が伸びたようだ。めくりあげた袖から伸びる腕は相変わらずよく引き締まっていた。
うちに着いてすぐ、染谷は手際よく準備をすすめ、十五分とたたないうちに下ごしらえを済ませてしまった。俺は言われるままに道具や材料を出し、説明を聞きながら粥をつくった。用は米と水を一緒に煮込むだけなのだが、火加減や卵を入れるタイミングが大事なのだと染谷は得意げに語った。細かく切ったネギやわかめをいれる。塩をふって蓋をした。最後に溶き卵を流し入れたら出来上がるらしい。煮立つのを待っていると後ろから腕が伸びてきた。
「なんで染谷がいるのかね、」
西川が背中に寄りかかった。両肩から腕が生えて俺の胸の前で交差された。背中にあたる体が熱くてシャツ越しでもわかる。汗でびっしょり濡れている。
「よせよ、あぶないだろ」
「だから、なんで染谷が」
「お久しぶりです、西川先輩」
「あー、そうだな、だからなんで」
なんで。そうだろうな、俺のほうが聞きたいよ。なんで染谷を呼んだのか。あの時はそれしか思いつかなかったんだ。それでも迷った。授業の間も考えた。講義の内容なんて頭に入らないほど考えて、教室を出た時にはもう電話をしていた。しかし染谷は出なかった。相手はまだ高校生なのを忘れていた。向こうは授業中ででれるはずがない。一度はあきらめた手段だったのだが、それからしばらくして折り返しがかかってきた。
『先輩?どうしました?』
懐かしい声がした。気遣うような、心配した声だった。どうしていいかわからなくて、また俺はすがったんだと思う。
「まぁまぁ西川先輩、もう少しで出来ますからベッドで待っててください」
俺にしがみついて離れない西川を、染谷がなだめた。しかし西川は熱に浮かされているのか本心なのか、微妙に反抗的だった。
「ばかやろー、ふたりっきりになんかさせられるか、元彼なんかと」
「元彼って、なんかいい響きですね」
「喜んでんじゃねーよこのマゾヒスト」
「なんか先輩嫉妬深くなりました?だめですよ、男は懐が深くなくちゃ。俺みたいに」
以前の染谷では到底言わないような台詞が返ってきて、俺は驚いた。このままでは口喧嘩どころではなくなるような気がして、俺は西川の腕を押さえた。
「悪いけど、最後の仕上げは染谷に頼んでいいか」
「え、はい。いいですよ」
「俺こいつ寝かせてくるわ。うるさいし、危ないから」
「俺うるさくないし、危なくないよ」
「あーうるせー、」
驚かせたことに変わりはない。いくら粥つくりのためとはいえ、染谷を呼ぶなんて思わないのは当たり前だ。染谷にこれ以上迷惑はかけられないし、西川も感情的になっている状態ではない。ぐずぐず言うでかい体を引連れて引戸に手をかけると、うしろから染谷の声が聞こえた。
「じゃあ、出来上がったら部屋に持っていきますよ」
「そうしてくれると有難い。皿は適当なの使って」
「おー、んでさっさと帰れーってい、いて!痛い、」
染谷に悪態をつく西川の耳たぶに爪を立てて大人しくさせた。気遣ってくれる染谷に感謝しつつ、申し訳ないとも思っていた。あのとき即答で『いいですよ』と言ってくれたことに安心して、ここまで連れてきて料理の手伝いまでさせて。
「ねぇ、トキ」
ベッドまであと少しというところで耳に熱い息がかかった。
「もう俺のこと嫌になった?」
さっきまでの挑戦的な疑問ではなかった。目線を合わせると、こころなしか西川の眼は赤かった。まるで捨てられた犬のようだった。人間は弱るとこうも変わるのか。
俺は西川をベッドに座らせて、湿って重くなっているTシャツを脱がせた。汗がすごい。濡らしたタオルで顔と身体を拭いてやる。クローゼットから適当に新しいシャツを取ってきて着せ、ベッドに横になるよう促す。西川はなにも言わずされるがままになっている。充血した視線がふわふわと泳いでいた。まだ熱もひいてないのに無理矢理起き上がってくるからだ。
「ねぇ、トキ」
黙っていた西川が、目を閉じながら呟いた。
「ごめん。お粥がいいなんて言って、ごめん」
「なんであやまるんだよ」
「嫌なことした」
「なんだよそれ」
「俺、トキにいじわる言った」
「別に気にしてない」
「ごめん」
「気にしてない。嫌にもなってない」
少しは安心したのか、なんで染谷なのか、ともう西川は聞いてこなかった。
手はいつの間にか繋がれていた。とても汗ばんでいた。そうして軽く、震えていた。
「三限で終わりだから、帰りになにか買ってくる」
「お粥が食べたい」
「粥?……ああ、じゃあ探してくる」
「手作りじゃないと食べたくない」
「は?」
「トキがつくって」
粥なんて作ったことはなかった。食べたこともないし、作ってくれた人もいない。
俺は出来ないと断ったが西川はしつこく「粥がいい。卵の入ったやつ」と食い下がった。風邪をひいたときは母親がいつも作ってくれるのだそうだ。そんなもの、俺に作れるわけがない。西川もわかっているはずだった。単なる我儘なのか、弱っているからこその要望なのかはわからない。
そうこうしているうちに時間になり、俺は鞄を持って立ち上がった。袖をひかれる。ふりむくと「なんでもいいよ」と西川は笑った。だったら最初からそう言え、とは思ったが口には出さなかった。玄関を出たところでふと思いつき、携帯を開いた。
◇
「幻覚?」
キッチンに顔をだした西川は目を丸くしていた。顔を叩いたり頬をつねっては現実と夢の確認をしていたが、これはちゃんとした現実だ。隣で鍋を火にかけている染谷も目を細めて笑った。俺は割った卵を不器用にをかきまぜていた。
「西川先輩に言わなかったんですか」
「ああ」
「相当気にしますよ」
「粥が食いたいって言ったのはあいつだからな、仕方ないだろ」
「煽り上手ですね先輩」
染谷はまた背が伸びたようだ。めくりあげた袖から伸びる腕は相変わらずよく引き締まっていた。
うちに着いてすぐ、染谷は手際よく準備をすすめ、十五分とたたないうちに下ごしらえを済ませてしまった。俺は言われるままに道具や材料を出し、説明を聞きながら粥をつくった。用は米と水を一緒に煮込むだけなのだが、火加減や卵を入れるタイミングが大事なのだと染谷は得意げに語った。細かく切ったネギやわかめをいれる。塩をふって蓋をした。最後に溶き卵を流し入れたら出来上がるらしい。煮立つのを待っていると後ろから腕が伸びてきた。
「なんで染谷がいるのかね、」
西川が背中に寄りかかった。両肩から腕が生えて俺の胸の前で交差された。背中にあたる体が熱くてシャツ越しでもわかる。汗でびっしょり濡れている。
「よせよ、あぶないだろ」
「だから、なんで染谷が」
「お久しぶりです、西川先輩」
「あー、そうだな、だからなんで」
なんで。そうだろうな、俺のほうが聞きたいよ。なんで染谷を呼んだのか。あの時はそれしか思いつかなかったんだ。それでも迷った。授業の間も考えた。講義の内容なんて頭に入らないほど考えて、教室を出た時にはもう電話をしていた。しかし染谷は出なかった。相手はまだ高校生なのを忘れていた。向こうは授業中ででれるはずがない。一度はあきらめた手段だったのだが、それからしばらくして折り返しがかかってきた。
『先輩?どうしました?』
懐かしい声がした。気遣うような、心配した声だった。どうしていいかわからなくて、また俺はすがったんだと思う。
「まぁまぁ西川先輩、もう少しで出来ますからベッドで待っててください」
俺にしがみついて離れない西川を、染谷がなだめた。しかし西川は熱に浮かされているのか本心なのか、微妙に反抗的だった。
「ばかやろー、ふたりっきりになんかさせられるか、元彼なんかと」
「元彼って、なんかいい響きですね」
「喜んでんじゃねーよこのマゾヒスト」
「なんか先輩嫉妬深くなりました?だめですよ、男は懐が深くなくちゃ。俺みたいに」
以前の染谷では到底言わないような台詞が返ってきて、俺は驚いた。このままでは口喧嘩どころではなくなるような気がして、俺は西川の腕を押さえた。
「悪いけど、最後の仕上げは染谷に頼んでいいか」
「え、はい。いいですよ」
「俺こいつ寝かせてくるわ。うるさいし、危ないから」
「俺うるさくないし、危なくないよ」
「あーうるせー、」
驚かせたことに変わりはない。いくら粥つくりのためとはいえ、染谷を呼ぶなんて思わないのは当たり前だ。染谷にこれ以上迷惑はかけられないし、西川も感情的になっている状態ではない。ぐずぐず言うでかい体を引連れて引戸に手をかけると、うしろから染谷の声が聞こえた。
「じゃあ、出来上がったら部屋に持っていきますよ」
「そうしてくれると有難い。皿は適当なの使って」
「おー、んでさっさと帰れーってい、いて!痛い、」
染谷に悪態をつく西川の耳たぶに爪を立てて大人しくさせた。気遣ってくれる染谷に感謝しつつ、申し訳ないとも思っていた。あのとき即答で『いいですよ』と言ってくれたことに安心して、ここまで連れてきて料理の手伝いまでさせて。
「ねぇ、トキ」
ベッドまであと少しというところで耳に熱い息がかかった。
「もう俺のこと嫌になった?」
さっきまでの挑戦的な疑問ではなかった。目線を合わせると、こころなしか西川の眼は赤かった。まるで捨てられた犬のようだった。人間は弱るとこうも変わるのか。
俺は西川をベッドに座らせて、湿って重くなっているTシャツを脱がせた。汗がすごい。濡らしたタオルで顔と身体を拭いてやる。クローゼットから適当に新しいシャツを取ってきて着せ、ベッドに横になるよう促す。西川はなにも言わずされるがままになっている。充血した視線がふわふわと泳いでいた。まだ熱もひいてないのに無理矢理起き上がってくるからだ。
「ねぇ、トキ」
黙っていた西川が、目を閉じながら呟いた。
「ごめん。お粥がいいなんて言って、ごめん」
「なんであやまるんだよ」
「嫌なことした」
「なんだよそれ」
「俺、トキにいじわる言った」
「別に気にしてない」
「ごめん」
「気にしてない。嫌にもなってない」
少しは安心したのか、なんで染谷なのか、ともう西川は聞いてこなかった。
手はいつの間にか繋がれていた。とても汗ばんでいた。そうして軽く、震えていた。
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