【R18/BL/完結】エンドライン/スタートライン

ちの

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第一部

エンドライン 11

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 担任との進路面談はたった十分程度で終わった。
 俺は母親に言われたとおり、いまの家から通える範囲で適当な大学の名前をいくつか伝えた。もう少し上を狙えるだろうとも言われたが親の都合でとあしらった。教室を出て廊下に出ると、壁に背をつけて座り込んでいる西川がいた。進路面談は名簿順だ。

『もう終わったの?めっちゃ早いじゃん』

『ああ』

『いいなー、俺は絶対になんか言われそう、』
 
『お前大学行くの、』

『んー?あー、まぁ、親が今時大学くらいはどっかしら出ておけって言うしさ。ほんとはダルすぎる』
 
『……まぁ、がんばれ』

『なんそれ他人事ひとごとだなー』

『他人事じゃねーか、』

『親友の西川くんが困っているのに、時枝先生は助けてくれないんですか、』

『……そんなに合格したいなら、家庭教師を雇え』

『うちに金ないの知ってんじゃーん』

「親友」という単語に引っかかってしまい、歯切れが悪くなってしまった。 
 西川とから、数日ぶりの会話はそんな調子だった。あの日以来、西川は必要最低限しか絡まなくなり、もちろんをすることもなくなった。
 今更勉強を見てやる義理も理由もないのに、目の前の男は簡単に言ってのける。
 西川は首の後ろをかきながら立ち上がり、俺と代わって教室の中へ入っていった。担任と西川が談笑する声を背にして俺は廊下を離れた。







 講義が終わるとどっと疲れを感じた。ため息をついて俺は早々に帰路につく。早くベッドに寝転がって眠りたかった。
 塾の入ったビルを出て、向いの交差点を渡った先に、よく知った男が立っていた。俺の前を塞いで立ちはだかる。
 ああ、今会いたくなかった。

『おう、おつかれ』
 
 西川は缶コーヒーをひとつ放り投げてくる。俺は受け取ったが、疲れのせいか反応は薄くなった。

『待ち伏せしてまで、なんの用、』
 
『ちょーっと、トキと話したいことがあって、』

 今更なんの話があるのかと俺は困惑したが、西川は答えを待たずに手を掴んで歩き出した。いとも簡単に手を繋ぎ、前を歩いて行く西川が、なにを考えているのか、俺には本当にわからない。
 久しぶりに西川の肌に触れた。染谷とは違う手が懐かしい。それでも握り返すことは到底できなくて、西川に引っ張られるまま近くの公園まで歩いた。
 街灯の明かりだけが淡く光る中、ほぼ人も通らない花壇近くのベンチにつくと、西川はそこに座り自分の分の缶コーヒーを空けて飲んだ。

『染谷が、トキに告白したって言いに来たんだ』
 
 ああ、だから、会いたくなかった。
 染谷は結構嫉妬深いところがある。
 でもまさか、直接会いに行くとは思わなかった。

『それがなに、』

『付き合ってるの、』

『ああ』

『……そう……そっか……』

 西川は両手で缶を包みこむように握り、長い息を吐きながら呟く。俺が初めて聞く、弱々しい声だった。

『染谷はさ、ずっとトキが好きだったって、言ってたよ。初めてトキに声かけたときにキスマークを見つけた話とか、その時からずっとトキを気にかけてた話とか、』

『……なんで、そんなこと……』

『わかんね。当てつけ?俺がトキとエッチしてたこととか知ってたよあいつ。あとは……』

 ふっと遠くを見て、西川が続ける。

『トキを助けたって言ってた。泣いてたって』

『あれは、』

 土砂降りの雨の日を思い出す。父親と弟からの拒絶に打ちひしがれて、ふと思いついたどうしようもない愚行。
 川に入ろうとしたのは、実家の近くで少し流されて溺れたふりでもすれば周りが騒ぎ立てて心配してくれると思っただけだ。子供が親の注目を浴びたくてわがままを言うのと一緒だ。ただそれだけの浅はかな理由だっただけで、死にたかったわけではない。
 死にたいと思うほど、その時の俺は独りじゃなかった。隣にはお前がいたから。どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく辛くても、お前が俺を呼んでそばにいてくれるだけで救われていたんだ。

『良かったよ』

『……なに、が、』

『別れて良かった』

 ずきんと頭の後ろが痛かった。喉まで込み上げていたものを、ぐっと唇を噛んで耐える。言いたくてたまらなくて震えてる身体を自分で抱きしめて、俺は歯を食いしばって耐えた。

『……それで、終わり?』

『ごめん。体調悪かった?帰ろう』

 俺の反応を見て気遣ったのか、西川が慌てたように立ち上がる。動かない俺の肩を抱くように触れてくる手を、強く拒否する。ばしっと手の甲が西川の肌を叩く音が響いた。

『いって、』

『いいか、俺は染谷と付き合ってる』

『……トキ、』

『少しは考えてくれ、』

 お前が言ったんだ。
 全部お前が始めて、お前が辞めて、お前が辞めた理由を正当化する。そして俺も、いつも返事をせず、曖昧にしてきた。肯定する勇気も覚悟もなかったからだ。 

『……すごく、疲れた、』

『悪かったよ、トキ、』

 貰った缶コーヒーが膝元から落ちるのも構わず、俺は立ち上がった。俺は帰り道に向き直りそそくさとその場を後にする。後ろから西川が追いかけてきたが、振り向かずに声をあげた。

『ついてくんなよ!』

『……駅まで、』

『必要ない。疲れたって言ってんだよ、一人で帰りたい』

 突き放して、俺はさっさと公園を出た。西川はもう追ってこようとはしなかった。後ろから気配が消えて、やっと息が吐けた。

 頭だけでなく胸も痛いのは、なぜだろう。

 西川と別れて、染谷の告白を受け入れたのは自分で。この状況に甘んじているのも、西川がそういう結論に達したことも、自分の選択のせいなのに。
 言わなければ分からない、伝わらないというのも重々承知で、それでも素直になれないのは俺自身が欺瞞に満ちているからだ。自分を騙して、気持ちを騙して、誰かを道連れにしたい。

 こんな感情に巻き込んじゃいけない。
 きっと嫌になる。面倒になる。
 きっとまた捨てられる。

 やっと自分の誕生日を肯定できたのに。
 やっと弟に対する慈しみを覚えようと努力したのに。
 やっと自分のこのどろどろした感情ごと認めてしまおうと思ったのに。
 こんなふうに考えるきっかけは、全部お前がくれたのに。

 泣きたくて仕方なかったけれど。
 俺は泣けなかった。
 西川の前では、泣けなかった。

 


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