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第一部
エンドライン 13
しおりを挟む西川の重い体を感じながら、桜の匂いに包まれていた。
まだ息が整わない。涙でぐちゃぐちゃになりながら西川に縋り付いて求めて、その熱を確かめた。暴走した気持ちは欲を吐き出すまで止めることができなかった。
西川は俺の首元に置いた頭を起きあがらせて、隣にごろんと転がって仰向けになる。並んで空を見上げる形になった。
「っはぁ、はぁ……ごめん。キスだけで止まらんかった……」
「別に……俺もしたかったからいいよ、」
「なにそれ、きゅんとするじゃん。もっと言ってくれ、」
はははっと軽い笑い声が隣で聞こえる。俺は自分でも驚くほど落ち着いていて、西川に気持ちを受け止めてもらったことを噛み締めていた。今までの喉のつかえが取れるような、ずっと視界にかかっていたモヤが晴れるような、そんな気分だった。
「……俺は、自分が嫌いなんだ、」
俺は両手で顔を隠して、本音を吐露し始めた。
「俺の母親は、俺を生んだことで死んだんだ。……それから……うちの家族は家族じゃなくなった。父親は俺を認めなかったし、今は再婚相手と、その間にできた子供しか見てない……」
こんな気持ちは、ずっと抱えて隠していればいいことだと、そう思っていた。
「誰も俺を必要としない。邪魔扱いだ。ガキの頃からわかってたことなのに、どうしても止められないんだ……ふとした時にどーしようもなくなる。そんなの無理なのに、今更父親が俺を見てくれることなんか絶対ないのに。いつか関係が改善する日も来るんじゃないかって、期待する自分が大嫌いなんだ……」
押し込めて、押し込めて。
誰にも期待せずに、関わらずに。
俺の中の不可侵を永遠にしなければならないと思っていた。母を死なせた代償だと、洗脳のように言い聞かせてきた。遺影の前で泣く父親を責めるなんてできなかった。なんで俺を見てくれないのかと、そんなこと言えるはずがなかった。俺だけが我慢していればいい。それだけで家族が成り立つならと、別居することも受け入れたし、弟と関わることも諦めた。
欲しがっても無駄なものを、欲しがっても無意味だ。拒否されたらまた深く傷つくだけだからだ。
西川に出会ってから、気づくようになった。その考えが、どんなに卑屈で卑怯で、自分が可哀想な人間だと思い込んでいるだけという事実に。
「声をかけてくれたことが嬉しかった……あだ名で呼んでくれることも…一緒に帰るのも、キスもセックスも、」
たぶん自覚したのは、バースデーケーキをもらったときだ。あの時、俺は西川に礼のひとつも言わなかった。普通を装うことで精一杯だった。喜んじゃいけない、舞い上がっちゃいけない、そんなの俺じゃない。誰かに好きになってもらおうなんて。誰かに好かれようなんて。思っちゃいけない。誰かを好きになるなんて。それこそ思い上がりもいいところだ。
「……お前、言ったよな。あの時に戻りたいのか、って、」
そう聞かれたときの、あの時の答えを今なら言えるよ。
『トキは、さ。戻りたいの?』
「俺はやり直したかったんだ。お前とちゃんと最初から」
できるなら生まれるところから。でもそれは無理だからせめて、『別れよっか』の一言で終わったとしても。また始めればいいと思った。お前が声を掛けてくれたように。歩み寄ってくれたように。
長い沈黙が続いた。涙が乾いた頃、俺は首を傾けて両手の隙間を開ける。西川は右肘をついて俺を見ていた。口元は、時折みせたあの柔らかい笑みだ。
俺が一番好きな顔。
「トキはほんとに素直じゃないよね、しかもめちゃくちゃニブチンで、自己中でさ、」
顔を隠す俺の手を掴んで、西川は手の甲にキスをしてくる。
「でもさ、今、死ぬほど嬉しいよ」
そうして微笑んだ。
◇
「そうだ。言い忘れてたけどさー」
乱れた衣服を着直してフェンスに背をもたれながら、西川は浮かれた声で言ってきた。
「俺、トキと同じ大学受かったから」
「……は?」
「ものくっそ頑張ったわー。俺のプラン聞きたい?大学ライフ中にまたトキを振り向かせていー感じになって染谷より俺が良いって思わせて略奪愛……って、え、なに、引いてる……?」
「……待った。追いつかない、」
「トキの進路面談全部盗み聞きしてたし。まじで偏差値高くないとこで助かった」
「え、そもそもお前大学行くのか?」
「だってトキのこと諦めてなかったし、」
「待て。一体どこから、どうなって……」
また胸がうるさく波打つ。
俺が染谷と付き合っていた時間、西川にだって彼女がいたはずだ。途中で別れたのかどうかはしらないけれど。別れて良かったと言ったのは西川で、別れたことを肯定していたのも西川だったはずなのに。
戸惑いが伝わったのか、西川はこちらを向いてまた軽く笑った。
「いいねー。トキのそのぽかんとした顔好きだよ、」
「でも……彼女がいたんじゃ……」
「あーそのこと。リエとは付き合ってみたんだけどね、」
西川は気まずそうに頭をかいて少し照れた表情を見せた。
「……勃たなかったんだよねぇ……、」
「は?」
「押しがすごいから、一回OKしたんだけど」
いつか、女の体を淡々と語っていた西川はなんだったんだ。
「だってお前、女のセックスがどうとかって、」
「あれ、単なる嫌がらせ。トキが思わせぶりなこと言いやがったから、ムカついただけ。リエとセックスなんかしてない。だって勃たなかったんだもん、」
あ、と思い出す。
俺が西川を好きだという染谷の言葉を真似したときだ。一瞬にして空気をかえた西川の言動におののいて、そして気づいた。自分がひた隠してきた感情に。
「ちゃんと妬いてくれてた?まぁ、ちょっと意地悪に言い過ぎたけどさー」
「……冗談だろ、」
「冗談なもんか、女見ても興奮しねーし、おかずになるのはトキとヤッたときの思い出のみとか。インポにした責任取れってめっちゃ呪ったわ」
西川はまるで楽しい昔話のように気にせず話してくる。嘘をついているようには全く見えなかった。そもそも、嘘をつく理由はもうない。
「簡単に染谷んとこに行かせるんじゃなかった。めっちゃ後悔したよ、それに、」
西川がふわりと近づいて抱き締めてきた。俺はぶわっと顔が赤くなるのがわかって、西川の胸にそれを隠す。わざと耳に息がかかるように西川が囁いた。
「トキに選んで欲しかった」
ああ、心臓がうるさい。
西川の声を全部受け止めたいのに。
「トキが好き」
また涙が出てきそうになるのをぐっと堪える。
「俺と、付き合ってください」
俺たちの終わりは、同時に始まりでもあったんだな。
そして、きっとこれからもまた始まるんだ。二人で始められるんだ。
返事の代わりに、俺は西川の背中に手を回して強く抱き返した。
ーーーー【第一部】エンドライン おわり
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