4 / 25
第一部
エンドライン 3
しおりを挟む“友情”の定義ってなんだ。
果たして俺たちの間には純粋な意味でのそれは存在していたんだろうか。西川がどうだかは知らないが、俺には本当にわからない。
幼稚園や小学校の頃はよく近所の子どもと遊んでいた記憶があるが、それも中学に上がって以降はぴたりとなくなった。学校帰りは大抵塾に行き、夜遅い時間に帰宅した。寄り道をしたり他愛のない話をしたりする仲間はほぼおらず、学校と塾と家の行き来をする日々だった。
1日中机をひっつけていたあの日から、西川はよく俺に絡んでくるようになった。いつの間にか本人が言ってたあだ名で呼ばれるようになり、それを深く考えずに容認した。呼ばれれば普通に反応し、普通に話す。
好奇心の一時的なものだと考えて、その気まぐれの日々がいつまで続くのかと不思議に思っていたが。
気づけば俺の一番近くにいるのは西川になっていて、それが日常になっていた。
久しく友達のような存在がいなかった俺にはよくわからない感覚だった。嬉しいとかそんな気持ちが湧き上がることはなかった。ただ、楽だ、と実感することはあっても。
だから、染谷の質問に、俺は答えられない。
あいつに聞いたってきっと同じことを言う。『付き合っちゃおうか』と『別れよっか』に深い特別な感情があったなんて思えない。あっさり言い放った西川と、あっさり受け入れた俺が証拠だ。
だから今更。
あとになって。
好きだとかなんとかやめてくれ。
言われるたびにかき回される。
俺を独り占めしていたいなら、もう言うな。
俺の中のあいつを引き合いに出すな。
いちいち、思い出してしまうから。
◇
その日は塾があるため、ホームルームが終わったらすぐ教室を出た。秋口が近づいて来ているせいか、もうすでに日はだいぶ暮れている。
『トキ、ちょっと頼みがあるんだ』
暗くなって自動照明の明かりがついた下駄箱で靴を履き替えていたら、扉付近で座り込んでいる西川がいた。欠伸をしながら背伸びをして近づいてくる。西川は六限をさぼって姿を消していた。
『塾があるから』
『知ってる。だから、待ち伏せ』
『急すぎる。明日にしてくれ、』
俺は無視して、その場を立ち去ろうとした。真顔になった西川は俺の前に立ち塞がり、両肩を掴んできた。
『頼む、今日だけ、まじ』
肩の手を引き剥がそうとしたが思いのほか力が強くてびくともしない。いつもふざけて調子に乗った態度を取っている男が、申し訳なさそうに眉毛を垂れる。西川のその顔を見て、俺は諦めた。携帯を出して電話をかける。
『お世話になります。時枝です。すみません、今日の枠体調不良で欠席します……はい、お願いします。……はい、大丈夫です。ありがとうございます』
特に講義の進行に問題はないし、一日くらいはなんら問題ない。
肩を掴む手から力が抜ける。それを軽く振り払って、俺は靴を履いた。
『で、なに』
◇
連れていかれたのは、西川の家だった。
だいぶ築年数の経過しているそのアパートの二階に上がり、西川が鍵を開ける。なにがなんだかわからないまま、俺は玄関で立ちすくんでしまっていたが、「あがって」と西川に言われて素直に家の中に入った。
廊下の奥のドアが開いて、そこから、制服を着た男の子が出てくる。西川と同じ肌の色をした細い少年だった。
『ただいま。幸希、お客さんだから、お茶な』
幸希と呼ばれた少年は黙って頷き、違う部屋に歩いて行った。
『あれ、俺の弟。今年中一。可愛いだろ?』
『いいかげん、なんのためにお前の家まで来たのか教えろよ』
俺はまだ、西川の「ちょっとした頼み」がなんなのか知らされていない。
大きいローテーブルとテレビのあるリビングに通されて座らされる。西川も正面に座ってはじめて、用件を話し始めた。
『幸希に数学と英語を教えてやって欲しいんだ』
『は?』
『ちょっと理解が追いつかなくて、困ってるみたいなんだよ。うちは貧乏で塾に行かせる余裕もなくて、ちょっとトキの力を貸してほしいんよ』
『……ワケがわからない……』
『トキは勉強できるじゃん。前も俺の苦手な分野教えてくれたし。まじで俺頭わりーんよ。そんな俺でも分かる、教え方も上手い時枝先生の力を!どうか頼むー!』
両手で拝みながらそんな突拍子もないことを言い始める男の真意が、俺は本当に理解できない。
理由も前触れもなく、いつも突然で。
自分勝手で。
俺が本気で断ってこないのを見越して。
『急なのもまじで悪かった。でも明日あいつテストがあって、数学と英語が絶望的なん』
途中でリビングの引き戸が開き、西川の弟が入ってくる。丁寧な手つきで湯呑みを俺に差し出して、そのまま横に静かに正座した。
『おぅ、幸希、ありがとな。時枝先生だ、挨拶しな』
俺はまだ引き受けるとは一言も言っていなかった。幸希は頭を下げたが、すぐ泣きそうな顔をしながら切々と口を開く。
『……あの、にいちゃんが迷惑かけていたら、ごめんなさい……僕は、大丈夫なので……』
『っばっか!お前、トキはすげぇ頭いーんだぞ、』
『にいちゃん、絶対無理やり連れてきたじゃん……。時枝さん、困ってるし……ねぇ、もういいから、』
『……お前な、』
どうやら弟のほうは、西川よりかなり空気も読めるし賢いらしい。さっきの俺と西川の話を聞いていたんだろう。
お盆を持って立ち上がろうとする幸希を目の端に見て、俺は思わず制服のシャツを掴んでいた。
『明日のテスト範囲の教科書とノートを持ってきて』
幸希は怯えたような瞳で、俺を見返した。
『……でも……』
『大丈夫。持ってきな』
きちんと、微笑むことができたのかはわからない。怯える動物を宥めるように、不安にならないようにと努めながら、俺は自分でもびっくりするほど柔らかな声を出して、幸希に話しかけていた。
幸希はこくりとまた頷いて、教科書を取りに行った。ゆっくり西川のほうに向き直ると、ぽかんと口の開いたまぬけな顔があった。
『これでいいのか、』
『……あ、ああ。ありがと。金は払うから。トイレは出て左。飲み物とかは幸希に言えばいいから。俺は部屋にいるから、なにかあったら呼んで』
『ああ、わかった』
幸希が戻ってくると同時に西川は出て行った。すれ違いに笑顔で弟の頭を撫でている様は、完全に弟想いの兄の姿だった。
それをじっと見つめている自分が恥ずかしくなって、視線を逸らした。幸希が持ってきた出題範囲のプリントを読んで教科書をめくる。
幸希はまた隣に正座して筆箱を開けた。俺の指示に従って教科書を読み、問題を解いていく。つまづいた箇所を説明すると、とても真剣な顔で俺の話を聞いていた。西川が言うほど勉強ができないわけではないと思った。真面目で素直で根気もある。時間はあっという間に過ぎていき、英語の問題集を終える頃には八時になっていた。西川の親はいつ帰ってくるのだろうかと疑問に思ったとき、リビングの引き戸が開いた。
『そろそろ授業終了のお時間です』
『ちょうど終わった』
『お、まじ。トキ、ありがとな』
『両親は、仕事?』
『ん?あぁ、うちは共働きで帰りは九時過ぎだからいつもこんな感じ。トキ腹減っただろ』
西川は盆に丼を載せてリビングに入ってくる。
『幸希、箸持ってきてくれ。あと麦茶3つ』
幸希は素早くテーブルの上を片付けてからキッチンに走って行った。インスタントラーメンの匂いが部屋中に充満する。西川がテレビの電源をつけると、バラエティ番組特有の笑い声が響いた。
箸と麦茶を持って戻ってきた幸希からは、最初の緊急は消えていた。俺たちは三人で西川の作ったラーメンを食べた。西川と幸希はずっと他愛のないおしゃべりをしていた。それを横に聞きながら俺は黙って麺を啜った。食べ終わって「ごちそうさま」と呟くと、ふと視線を感じる。
『ありがとうございました』
幸希は頭を下げて俺に礼を述べた。ふと思い出したように、俺はその黒髪に手を伸ばして、くしゃ、っと頭を撫でた。
『必ず、解けるから。明日頑張れよ』
『……はぃ……』
照れたような、戸惑ったような顔で、幸希は膝の上の両手をぎゅっと握り込んだ。
『さすが時枝先生。生徒の手懐け方、お見事です』
『お前と違って幸希のほうが優秀なんだ。見習え』
『うっそだぁ~。流石に俺のほうが頭いいぜ、』
『幸希、お前はこいつのようにはなるなよ』
幸希は小さな笑い声をたてた。この子の素の部分が出てきたことに安堵している自分がいる。
俺も数年先、このように慈しみを持って頭を撫でることができるのだろうか。
望まれて生まれてきて、惜しみない愛情を貰いながら育てられてきた人に、妬みや嫉みも抱くことなく、こうやって、穏やかな気持ちでいられるのだろうか。
全く自信がない。
これは、この気持ちは他人の弟だから感じるだけで、俺の家族には当てはまらない気がする。そうしたどうしようもない不安が、生まれては霧散し、ぶり返しては染み付いて離れない。
俺は必要ないと告げたが、西川は駅まで送ると譲らなかった。西川の家をあとにして閑静な夜道を歩いてゆく。
『まじで、助かった。金は来月バイト代入ったら払うから』
『必要ない』
『いや、それは。まじで。それは、』
『飯食ったからチャラ扱いにしろよ』
隣でずっとごちゃごちゃ報酬のことを呟いている西川がうるさくて、俺は話題を変えた。
『お前の弟は、勉強ができないわけじゃない』
『ん?』
『ちゃんと理解できてる。地頭も悪くないし。本当にお前より賢い』
『うげ、その話はもうお腹いっぱいです』
西川は頭を掻きながら遠くを見つめている。歩くペースがぐっとゆっくりになった。
『あいつ、最近学校を休むようになってさ。なおさら授業についていけてないっぽいんだ』
『自信がないだけだ。中学に上がって環境の変化に戸惑ってるだけだよ』
『すげーな、時枝先生はなんでもお見通しか、』
俺は自分の中学生時代を振り返るが、対した思い出もないことに失笑する。
いろんなことがどうでもよかった。
『俺が中学んときに使ってた参考書、明日持ってくるから、幸希にやってーー』
急に強く腕を引かれて、外壁に押しつけられた。西川の両腕が顔の横に来て、見る間に頭が迫ってくる。思わず目を瞑って衝撃に耐えようとしたとき、柔らかい髪の毛が額にあたる感触がした。次いで暖かくて湿ったものが口に触れた。
暗くて表情は見えなかった。右手が耳の下を撫でている。そうして西川は軽く俺の唇を吸って、すぐ離れた。
『なに、』
『なんか急に、したくなって』
『マジで、意味わからねぇ』
ごし、と袖で唇を拭う。だがまた腕を掴まれる。
『嫌だった?』
『くだらない』
即答すると、掴んでいた手に力がなくなった。俺は強く西川の胸を押してその身体の中から抜け出して駅に歩いた。西川は追いかけてこなかった。
あいつはいつも突然、予想できないようなことをする。突然すぎて、意味がわかなくて、共感もできない。
だから俺がいくら考えたところで無意味なんだ。
西川があのときどういう気があったかなんて。
あのキスになんの意味があったかなんて。
逃げることも拒絶することも簡単にできたはずなのに。
俺はそうしなかった。
逃げなかったのは自分なのに、くだらないと吐き捨てた俺には。
西川を理解なんて到底できるはずがなかった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。

モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる