【R18/BL/完結】エンドライン/スタートライン

ちの

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第一部

エンドライン 3

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 “友情”の定義ってなんだ。
 果たして俺たちの間には純粋な意味でのそれは存在していたんだろうか。西川がどうだかは知らないが、俺には本当にわからない。

 幼稚園や小学校の頃はよく近所の子どもと遊んでいた記憶があるが、それも中学に上がって以降はぴたりとなくなった。学校帰りは大抵塾に行き、夜遅い時間に帰宅した。寄り道をしたり他愛のない話をしたりする仲間はほぼおらず、学校と塾と家の行き来をする日々だった。

 1日中机をひっつけていたあの日から、西川はよく俺に絡んでくるようになった。いつの間にか本人が言ってたあだ名で呼ばれるようになり、それを深く考えずに容認した。呼ばれれば普通に反応し、普通に話す。
 好奇心の一時的なものだと考えて、その気まぐれの日々がいつまで続くのかと不思議に思っていたが。

 気づけば俺の一番近くにいるのは西川になっていて、それが日常になっていた。
 久しく友達のような存在がいなかった俺にはよくわからない感覚だった。嬉しいとかそんな気持ちが湧き上がることはなかった。ただ、楽だ、と実感することはあっても。

 だから、染谷の質問に、俺は答えられない。
 あいつに聞いたってきっと同じことを言う。『付き合っちゃおうか』と『別れよっか』に深い特別な感情があったなんて思えない。あっさり言い放った西川と、あっさり受け入れた俺が証拠だ。

 だから今更。
 あとになって。
 好きだとかなんとかやめてくれ。

 言われるたびにかき回される。
 俺を独り占めしていたいなら、もう言うな。
 俺の中のあいつを引き合いに出すな。

 いちいち、思い出してしまうから。









 その日は塾があるため、ホームルームが終わったらすぐ教室を出た。秋口が近づいて来ているせいか、もうすでに日はだいぶ暮れている。

『トキ、ちょっと頼みがあるんだ』

 暗くなって自動照明の明かりがついた下駄箱で靴を履き替えていたら、扉付近で座り込んでいる西川がいた。欠伸をしながら背伸びをして近づいてくる。西川は六限をさぼって姿を消していた。

『塾があるから』

『知ってる。だから、待ち伏せ』

『急すぎる。明日にしてくれ、』

 俺は無視して、その場を立ち去ろうとした。真顔になった西川は俺の前に立ち塞がり、両肩を掴んできた。

『頼む、今日だけ、まじ』

 肩の手を引き剥がそうとしたが思いのほか力が強くてびくともしない。いつもふざけて調子に乗った態度を取っている男が、申し訳なさそうに眉毛を垂れる。西川のその顔を見て、俺は諦めた。携帯を出して電話をかける。

『お世話になります。時枝ときえだです。すみません、今日の枠体調不良で欠席します……はい、お願いします。……はい、大丈夫です。ありがとうございます』

 特に講義の進行に問題はないし、一日くらいはなんら問題ない。
 肩を掴む手から力が抜ける。それを軽く振り払って、俺は靴を履いた。

『で、なに』






 連れていかれたのは、西川の家だった。
 だいぶ築年数の経過しているそのアパートの二階に上がり、西川が鍵を開ける。なにがなんだかわからないまま、俺は玄関で立ちすくんでしまっていたが、「あがって」と西川に言われて素直に家の中に入った。
 廊下の奥のドアが開いて、そこから、制服を着た男の子が出てくる。西川と同じ肌の色をした細い少年だった。

『ただいま。幸希こうき、お客さんだから、お茶な』

 幸希と呼ばれた少年は黙って頷き、違う部屋に歩いて行った。

『あれ、俺の弟。今年中一。可愛いだろ?』

『いいかげん、なんのためにお前の家まで来たのか教えろよ』
 
 俺はまだ、西川の「ちょっとした頼み」がなんなのか知らされていない。
 大きいローテーブルとテレビのあるリビングに通されて座らされる。西川も正面に座ってはじめて、用件を話し始めた。

『幸希に数学と英語を教えてやって欲しいんだ』

『は?』

『ちょっと理解が追いつかなくて、困ってるみたいなんだよ。うちは貧乏で塾に行かせる余裕もなくて、ちょっとトキの力を貸してほしいんよ』

『……ワケがわからない……』

『トキは勉強できるじゃん。前も俺の苦手な分野教えてくれたし。まじで俺頭わりーんよ。そんな俺でも分かる、教え方も上手い時枝先生の力を!どうか頼むー!』

 両手で拝みながらそんな突拍子もないことを言い始める男の真意が、俺は本当に理解できない。
 理由も前触れもなく、いつも突然で。
 自分勝手で。
 俺が本気で断ってこないのを見越して。

『急なのもまじで悪かった。でも明日あいつテストがあって、数学と英語が絶望的なん』

 途中でリビングの引き戸が開き、西川の弟が入ってくる。丁寧な手つきで湯呑みを俺に差し出して、そのまま横に静かに正座した。

『おぅ、幸希、ありがとな。時枝先生だ、挨拶しな』

 俺はまだ引き受けるとは一言も言っていなかった。幸希は頭を下げたが、すぐ泣きそうな顔をしながら切々と口を開く。

『……あの、にいちゃんが迷惑かけていたら、ごめんなさい……僕は、大丈夫なので……』
 
『っばっか!お前、トキはすげぇ頭いーんだぞ、』

『にいちゃん、絶対無理やり連れてきたじゃん……。時枝さん、困ってるし……ねぇ、もういいから、』

『……お前な、』

 どうやら弟のほうは、西川よりかなり空気も読めるし賢いらしい。さっきの俺と西川の話を聞いていたんだろう。
 お盆を持って立ち上がろうとする幸希を目の端に見て、俺は思わず制服のシャツを掴んでいた。

『明日のテスト範囲の教科書とノートを持ってきて』

 幸希は怯えたような瞳で、俺を見返した。

『……でも……』
 
『大丈夫。持ってきな』

 きちんと、微笑むことができたのかはわからない。怯える動物を宥めるように、不安にならないようにと努めながら、俺は自分でもびっくりするほど柔らかな声を出して、幸希に話しかけていた。
 幸希はこくりとまた頷いて、教科書を取りに行った。ゆっくり西川のほうに向き直ると、ぽかんと口の開いたまぬけな顔があった。

『これでいいのか、』

『……あ、ああ。ありがと。金は払うから。トイレは出て左。飲み物とかは幸希に言えばいいから。俺は部屋にいるから、なにかあったら呼んで』

『ああ、わかった』

 幸希が戻ってくると同時に西川は出て行った。すれ違いに笑顔で弟の頭を撫でているさまは、完全に弟想いの兄の姿だった。
 それをじっと見つめている自分が恥ずかしくなって、視線を逸らした。幸希が持ってきた出題範囲のプリントを読んで教科書をめくる。
 幸希はまた隣に正座して筆箱を開けた。俺の指示に従って教科書を読み、問題を解いていく。つまづいた箇所を説明すると、とても真剣な顔で俺の話を聞いていた。西川が言うほど勉強ができないわけではないと思った。真面目で素直で根気もある。時間はあっという間に過ぎていき、英語の問題集を終える頃には八時になっていた。西川の親はいつ帰ってくるのだろうかと疑問に思ったとき、リビングの引き戸が開いた。

『そろそろ授業終了のお時間です』

『ちょうど終わった』
 
『お、まじ。トキ、ありがとな』

『両親は、仕事?』

『ん?あぁ、うちは共働きで帰りは九時過ぎだからいつもこんな感じ。トキ腹減っただろ』

 西川は盆に丼を載せてリビングに入ってくる。

『幸希、箸持ってきてくれ。あと麦茶3つ』
 
 幸希は素早くテーブルの上を片付けてからキッチンに走って行った。インスタントラーメンの匂いが部屋中に充満する。西川がテレビの電源をつけると、バラエティ番組特有の笑い声が響いた。
 箸と麦茶を持って戻ってきた幸希からは、最初の緊急は消えていた。俺たちは三人で西川の作ったラーメンを食べた。西川と幸希はずっと他愛のないおしゃべりをしていた。それを横に聞きながら俺は黙って麺を啜った。食べ終わって「ごちそうさま」と呟くと、ふと視線を感じる。

『ありがとうございました』

 幸希は頭を下げて俺に礼を述べた。ふと思い出したように、俺はその黒髪に手を伸ばして、くしゃ、っと頭を撫でた。

『必ず、解けるから。明日頑張れよ』

『……はぃ……』

 照れたような、戸惑ったような顔で、幸希は膝の上の両手をぎゅっと握り込んだ。

『さすが時枝先生。生徒の手懐け方、お見事です』

『お前と違って幸希のほうが優秀なんだ。見習え』

『うっそだぁ~。流石に俺のほうが頭いいぜ、』
 
『幸希、お前はこいつのようにはなるなよ』

 幸希は小さな笑い声をたてた。この子の素の部分が出てきたことに安堵している自分がいる。
 
 俺も数年先、このように慈しみを持って頭を撫でることができるのだろうか。
 望まれて生まれてきて、惜しみない愛情を貰いながら育てられてきた人に、妬みや嫉みも抱くことなく、こうやって、穏やかな気持ちでいられるのだろうか。
 全く自信がない。
 これは、この気持ちは他人の弟だから感じるだけで、俺の家族には当てはまらない気がする。そうしたどうしようもない不安が、生まれては霧散し、ぶり返しては染み付いて離れない。  


 俺は必要ないと告げたが、西川は駅まで送ると譲らなかった。西川の家をあとにして閑静な夜道を歩いてゆく。

『まじで、助かった。金は来月バイト代入ったら払うから』

『必要ない』

『いや、それは。まじで。それは、』

『飯食ったからチャラ扱いにしろよ』

 隣でずっとごちゃごちゃ報酬のことを呟いている西川がうるさくて、俺は話題を変えた。

『お前の弟は、勉強ができないわけじゃない』

『ん?』

『ちゃんと理解できてる。地頭も悪くないし。本当にお前より賢い』

『うげ、その話はもうお腹いっぱいです』

 西川は頭を掻きながら遠くを見つめている。歩くペースがぐっとゆっくりになった。

『あいつ、最近学校を休むようになってさ。なおさら授業についていけてないっぽいんだ』

『自信がないだけだ。中学に上がって環境の変化に戸惑ってるだけだよ』

『すげーな、時枝先生はなんでもお見通しか、』

 俺は自分の中学生時代を振り返るが、対した思い出もないことに失笑する。
 いろんなことがどうでもよかった。

『俺が中学んときに使ってた参考書、明日持ってくるから、幸希にやってーー』

 急に強く腕を引かれて、外壁に押しつけられた。西川の両腕が顔の横に来て、見る間に頭が迫ってくる。思わず目を瞑って衝撃に耐えようとしたとき、柔らかい髪の毛が額にあたる感触がした。次いで暖かくて湿ったものが口に触れた。
 暗くて表情は見えなかった。右手が耳の下を撫でている。そうして西川は軽く俺の唇を吸って、すぐ離れた。

『なに、』

『なんか急に、したくなって』

『マジで、意味わからねぇ』

 ごし、と袖で唇を拭う。だがまた腕を掴まれる。

『嫌だった?』

『くだらない』

 即答すると、掴んでいた手に力がなくなった。俺は強く西川の胸を押してその身体の中から抜け出して駅に歩いた。西川は追いかけてこなかった。


 あいつはいつも突然、予想できないようなことをする。突然すぎて、意味がわかなくて、共感もできない。
 だから俺がいくら考えたところで無意味なんだ。

 西川があのときどういう気があったかなんて。
 あのキスになんの意味があったかなんて。

 逃げることも拒絶することも簡単にできたはずなのに。
 俺はそうしなかった。

 逃げなかったのは自分なのに、くだらないと吐き捨てた俺には。
 西川を理解なんて到底できるはずがなかった。







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