77 / 81
第5章 ゴールデン・ドリーム
75. 裏切りの弾丸、裏切りの始まりI
しおりを挟む
10月20日 AM0:30
椿恭弥はリビングで、ヘネシーVSOPフィーヌシャンパーニュを丸氷の入ったロックグラスに注ぐ。
トポポッと注がれ、部屋にはブランデーの匂いが充満する。
グラスを持ち上げ、氷とヘネシーを混ぜるようにグラスを揺らす。
隣には殴られて気を失っている佐助が眠っていた。
血色のない唇が血で赤く染まり、青白い頬には赤紫色の痣が浮き上がっている。
佐助の長い髪に触れながら、椿恭弥はヘネシーを口に運んだ。
「懐かしいと思わない?ヘネシーVSOPフィーヌシャンパーニュ。拓也も好きだったよね?」
長い鎖に繋がれた白雪は、一時的に部屋から出されていた。
ワインレッドカラーのレースが施されたカクテルドレスを着せられている。
彼女の雪のように白い肌がよりいっそう、白く見えた。
だが、部屋と繋がっている鎖の所為で自由に動く事すら出来ない。
もう1つの丸氷の入ったグラスにヘネシーを注ぎ、白雪の前に置く。
「嫌味のつもり?」
「何が?」
「話し方も吸ってる煙草も、香水もヘネシーも。全部、全部、拓也の真似じゃない。何の為に真似をするの」
「君が喜ぶからじゃないか、白雪」
椿恭弥の言葉を聞いた白雪は、ドンッとグラスを机の上に置いた。
キッと椿恭弥を睨みつけながら言葉を吐く。
「ふざけないで、貴方は私を馬鹿にしてるだけ。私の事を見下して笑ってるだ…」
「どうして、僕の気持ちが分からないんだ」
椿恭弥の死んだ瞳が静かに白雪を捉える。
「何で、僕の愛が分からない?こんなにも君を愛してるのに。君が僕の愛を拒絶するのか」
「愛してる?笑わせないで。貴方は私を愛してなんかいないわ。貴方は誰の事も好きでもないし、愛してもいない。寧ろ、自分の事しか信じられな…」
パシンッ!!
白雪の目の前まで歩いてきた椿恭弥は、力強く白雪の頬を叩いた。
叩かれた衝撃で白雪は床に倒れ込み、椿恭弥は白雪の体に腰を下ろす。
馬乗りの状態で椿恭弥は容赦なく白雪を殴り付ける。
白雪の悲鳴を聞きながら、椿恭弥はほくそ笑む。
細い手首を力強く掴み、白雪の身動きを封じ殴り続ける。
狂気じみた愛情しか、椿恭弥は注げなかった。
言う事を聞く佐助にさえも、暴力を振るう事でしか愛を確かめられなかったのだ。
どうして、そうなってしまったのか。
自分の愛情が歪んでいる事ぐらい理解している。
血を吐きながら意識を失った白雪を黙って見下ろす。
拳に血が滲み、床に血が垂れ落ちる。
白雪をソッと抱き上げ、リビングを出て部屋に向かう。
椿恭弥は白雪の為に作った部屋に入り、ベットに白雪を降ろす。
血の出た唇に優しく口付けをし、軽い手当を始める。
細い腕を持ち上げ、丁寧に包帯を巻いて行く。
手当されて行く白雪を見て、椿恭弥の口角が緩む。
「綺麗だ、白雪。君は赤色が似合う」
そう呟きながら、椿恭弥は兵頭拓也の事を思い出していた。
この手で殺した男のとの記憶を。
「白雪、拓也との過去の話をしてあげるよ」
そう言って、眠る白雪の隣に椿恭弥は腰を下ろした。
CASE 椿恭弥
金には昔から困った事がなかった。
父がそれなりに、いやかなり稼いでいたかな。
父は世間でかなり有名な弁護士だ。
家は白を基調とした住宅地、5LDK + 7納戸の広々とした豪邸。
ホームエレベーターが備えられ、LDK合わせて55.7幅。
駐車されている車も高級車ばかりで、母が自慢げにいつも話していた。
父型の祖母と祖父、父と母、5つ上の兄と僕の6人家族で住んでいた。
祖父と祖母、父と母は僕と兄にも将来は、必ず弁護士になれと口酸っぱく言ってきた。
どう言う理屈なのか、弁護士と言うのは彼等にとって誇らしい仕事なのだ。
僕達の教育は完全に祖父母達に握られ、母は口を出す事を許されなかった。
昼夜問わず勉強の生活は、息苦しさしかない。
兄は特に祖父母達に気に入られていた。
僕よりも頭の出来が良く、塾の成績も良かったからだ。
ただそれだけの事。
頭の出来の良し悪しは誰にだってある。
少なくとも僕は頭の出来は悪い方じゃない。
兄が祖父母達に気に入られるように、わざと勉強に力を抜いていた。
祖父母達の異様な執着と独占欲を注がれないようにだ。
だが、僕の甘い思惑通りに行かなかった。
祖父母達の異様な執着と独占欲は、僕にも注がれたのだ。
小学校と塾の送り迎えは当たり前。
食事をする時も風呂に入る時も、祖父母達と一緒なのだ。
何故、風呂まで一緒に入らないといけないのか。
父は家に殆ど帰ってこない所為で、我が家の主導権は完全に祖父母達だった。
兄が小学校5年生の時、僕は1年生だった。
小学校で行われる授業参観に来るのは、普通だったら母親だろう。
場合によれば父親が来るケースもある。
うちの母は専業主婦で外に働きに出ていない。
なので、僕と兄のどちらの授業参観に参加が出来た。
だが、母が授業参観に参加する事を祖父母達が許さなかった。
兄の授業参観にも僕の授業参観にも、何故か祖父母の2人で来ていた。
私立の小学校に通っていた僕と兄、授業参観が別の日に設けられる仕組みになっていた。
その制度のお陰で、兄弟のいる親御さん達は助かっていたそう。
だが、うちの場合は特殊だ。
いや、そもそも母を椿家の人間として認めてなかったのだ。
三流大学卒業だけで、祖父母達の怒りを勝った。
僕が中学校2年生になる頃には、母は骨が浮き出る程に痩せていた。
食事をまともに与えられず、祖母からの暴言、祖父からの暴力を受けていたのだ。
僕と兄は母との接触を完全に絶たれ、母は庭に備えられた小さなプレハブに住まわされた。
たまに帰ってくる父は母の姿を見て嘲笑い、その日のうちに家を出て行く。
料理を作らせ、掃除をさせた後はプレハブに帰らされる母。
家政婦のような扱いをされ、尚且つ祖父に暴力を振るわれる。
杖で殴られ続ける母をリビングで見かけた事があった。
止めに入ろうとした瞬間、祖母に見つかり部屋に連れ戻されてしまった。
何故、何もしていない母は暴力を振るわれるのか。
祖母がいつも言っていた。
母は女狐で変態な女なのだと。
どう言う意味なのか分からなかった。
何故、祖母は母をそんな風に言うのか。
何故、兄が夜な夜な"プレハブ"に行くのか。
夜中に喉が渇き、リビングで水を飲んでいる時だった。
ガチャッと玄関のドアが開き、リビングに兄が入ってきたのだ。
兄は凄く楽しそうで、玩具を与えられた子供のようだった。
拳には赤い血が付いていて、頬にも付着していた。
「なんだ、恭弥いたのか」
「う、うん」
「俺も水を飲もうかな」
そう言って、兄は冷蔵庫からミネラルウォータのペットボトルを取り出す。
「兄さん、なんだか機嫌が良いね…?」
「そうか?良いストレス発散方法を見つけたんだ。じぃちゃんが言っていた通りだったよ」
「じぃちゃんの言う通り…?」
「いいや、なんでもない。お前も早く寝ろよ、ばあちゃんがうるさいからな」
ポンポンッと僕の頭を撫でた兄は、リビングを出て行く。
意気揚々と楽しそうに歩く兄を、今まで見たことが無かった。
僕は祖父母達の目を盗んでは、母に食料を持って行っていた。
祖父母達は夜中には絶対に目を覚さない代わりに、朝はとても早く起きる。
その間に急いで母のいるプレハブに向かう。
「母さん、ご飯を持ってきたよ」
「恭弥、ありがとう。ごめんね、こんな事をさせて」
小さな豆電球に照らされた母は、昔のような美しさはなくなっていた。
服も髪もボロボロで、目の下には大きな隈がある。
そんな母を見て、可哀想だと思った。
いや、可哀想だと思い込んでいた。
あの日、プレハブで見た光景を忘れたかったからだ。
何故、祖父母達はこんな姿の母親を見ても酷い事が出来るのか。
冷め切った白米を口に運ぶ母の頬が腫れていた。
「また、おじいちゃんが打ったの?」
そう聞くと、母の手が止まり動揺しているのが分かった。
「こ、これは…。お、お兄ちゃんが」
「兄さんが?」
「あ、あの子は悪くないのよ。わ、私がいけないの」
そう言えば兄さんの成績が落ちたって、ばあちゃんが怒ったな。
兄さんは怒られた腹いせに母さんを殴ったのか。
「あの子、泣きながら謝ってきたの。何度も何度も、ごめん、ごめんって。子供のように甘えてくるのよ」
「いつから?兄さんにも殴られるようになったの」
「…、3年前ぐらいから…かしら」
兄さん、祖父母達のようにはならないって言ったのに。
同じように母さんを殴るんだ。
父さんの書斎で読んだ本の内容を思い出した。
ドメスティック・バイオレンス、通称DV。
DVとは配偶者(事実婚や元配偶者も含む)など親密な関係にある男女間でふるわれる暴力の事。
「なぐる」「ける」といった身体的暴力だけでなく、精神的暴力、経済的暴力、性的暴力、社会的暴力、子どもを利用した暴力などもDVに含まれる。
DV男は暴力を振るった後、急に優しくなったり、甘
えてきたりする。
これは、暴力を振るってストレスを発散できたうえ、
相手が自分の非を認めたと捉えるために、満足するから。
また、相手に自分の元を去られては困るという不安や恐怖もその理由だそう。
兄さんもまた、祖父母達と同じ人種なのだ。
自分より優位に立てない母さんを殴る事で、ストレスを発散している。
くだらない、なんてくだらないんだ。
母さんもそんな兄を許し、暴力を受けている。
「あの子が甘えられるのは私だけだもの。私を殴る事で、あの子の気が治るのなら…、私は…」
「くだらないな」
「…え?」
僕の言葉を聞いた母さんは目を丸くした。
何故だろう、母さんの事を頭の悪い女だと思い始めてしまったのだ。
「聞こえなかった?くだらないって言ったんだよ」
「な、なんで?急にそんな事を言い出したの?くだらないって、なにが?」
「母さん、本当は変態なんだろ?」
「な、なにをいっ…」
「母さん、殴られて興奮してるよね。おじちゃんに殴られ始めてからじゃないの」
そう、母さんは目をギョッとさせたまま黙った。
「知ってた?母さんみたいな人、性的マゾヒズムって言うんだよ。母さん、変態だね。兄さんにも興奮するんだ」
「…、いつからなの」
「いつから分かったのかって?そうだなぁ、兄さんが中学校に上がった時。いつもみたいに母さんにご飯を持って来たら、プレハブの中で母さんが殴られながら笑ってたじゃないか。気持ち悪いと思ったよ、女みたいな顔してさ。殴られてるのに喜ぶ?」
僕の冷たい目を見た母さんの頬が赤く染まる。
恥ずかしくなってじゃない。
喜んでるんだ、母さんは。
僕に辱めを受けさせられ、喜んでるんだ。
だけど、こんな母さんにしたのは祖父の所為だ。
あぁ、なんて気持ちの悪い家族。
「そう…。恭弥の冷たい目を見ると、鼓動が早まるわ。ねぇ、恭弥。私の事を殴って良いのよ」
「は?」
「本当は私の事を殴りたいんでしょ?だって、お兄ちゃんの弟だし、お爺さんとも血が繋がっているもの。血は争えないわ。恭弥だって殴りたくて仕方がないんでしょ?」
そう言って、母さんが僕に抱き付いてきた。
何なんだ、この女は。
可哀想だと思っていた自分が馬鹿みたいだ。
この女の為に飯を用意して運んで来た。
僕はただ、母さんに優しくしたかっただけだ。
だけど、この女はそうじゃない。
優しくされる事を望んでいないのだ。
あぁ、祖母はこの女の素性を見抜いて追い出したんだ。
父さんが家に帰らないのも、この女の所為。
じいちゃんも変態で、母さんも変態。
ある意味お似合いの2人じゃないか。
くだらない。
この家に縛られる意味はあるのだろうか。
いや、ない。
このまま家にいたら感覚がおかしくなる。
「離れろよ!!」
「きゃっ!?」
母さんの体を押し退け、プレハブを飛び出した。
そのままの勢いで家を飛び出し、ひたすら走り続けた。
とにかく家に帰りたくなかった。
とにかく家にいたくなかった。
どこでもいい。
「おーい、こんな夜中にマラソンか?」
そう隣から声を掛けられ、足を止めた。
息の荒いまま声のした方に視線を向けると、原付に乗った赤髪の少年がいた。
僕と同い歳ぐらい少年が、ヘルメットもせずに原付に乗っている。
目尻が吊り上がっている瞳、色白の肌に耳には沢山のピアスが輝く。
見るからに不良だ。
「そんな慌ててさ、どうしたん?」
「君には関係ないだろ」
「そりゃそうだ。だけどさー、お前の服に血がついてるし?見るからに訳ありっぽいし?」
そう言われ、僕は着ている服に視線を落とした。
母に抱き付かれた時に血が付いたのだろう。
白いTシャツに赤い血が何個か付着していた。
「怪我でもしてんのか?大丈夫か?」
「いや、これは僕の血じゃないから平気」
「そっか、なら良いけど。遅くならねーうちに帰れよ」
「君は帰らないの?」
僕に話し掛けられた少年は一瞬、驚いた顔をした。
まさか、僕から話し掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。
「俺か?んー、適当に帰るつもりだったけど。ダチとは解散したばっかだしよ。時間あんなら、後ろ乗っても良いぞ」
「い、良いの?」
「ん?良いぞ?別に」
「ど、どうやって乗れば…」
僕の言葉を聞いた少年は、大きな声で笑い出す。
「あははは!!普通にチャリ乗るみたいに乗れば良いんだよ。跨る感じ?だな!!」
「わ、分かった」
言われるがまま、少年の後ろに跨るように乗る。
乗り心地は硬くて悪く、視線が高くなった。
「ではでは、安全運転でドライブしますか。ゆっくり走ってやるから、安心しろよ」
「う、うん」
「じゃ、行くか」
そう言って、少年は僕を乗せたまま原付を走り出した。
いつも車の中で見ていた風景が違って見える。
「そう言えば、名前はなんて言うんだ?俺は兵頭拓也」
「兵頭…って、まさか兵頭会の兵頭じゃないよね…?」
兵頭会と言えば、東京では名の知れた極道一家だ。
嘘を付いてはいないようだけど、本当なのかな…。
「嘘付いてどうすんだよ。お前の言う通り、兵頭会の兵頭雪哉は俺の親父。殆どの家にいねーけどさ」
「そ、そうなんだ」
「んな事よりも、お前の名前は?お前って呼び続けんのも変だろ?」
「恭弥、椿恭弥…」
「オッケー、恭弥ね」
拓也は僕を乗せたまま、夜明けまで原付を走らせた。
僕の家からかなり離れた公園に原付を止め、拓也はブランコに腰を下ろした。
僕も拓也の隣のブランコに腰を下ろす。
朝日が目に染みて、視界が霞んだ。
夜更かししたのに全然、眠たくないのが不思議だった。
「お前、学校行くだろ?そろそろ、家まで送るわ」
「う、うん」
「どうかしたか?もしかして、学校に行きたくねーの?」
「学校もそうだけど、家に帰りたくなくてさ」
僕の言葉を聞いた拓也は腰を上げ、自販機の方に向かって歩き出す。
慌てて拓也の後を追い、自販機の前まで小走りをした。
「プッ、慌てて追い掛けて来なくても。恭弥を置いて、どっこも行かねーし」
「なっ!!あ、慌ててなんか!!」
「はいはい、ジュースでも飲んで落ち着けよ」
拓也はズボンのポケットから財布を取り出し、自販機に小銭を入れて行く。
2本分の料金を入れた後、カフェオレとオレンジジュースのボタンを押した。
ガコンッと音を出しながら、取り出し口に購入した飲み物が落ちる。
「ほい、オレンジジュースで良かったか?」
「わ、悪いよ」
「ジュースぐらい良いって。そんなに俺はケチ臭くねーよ」
「あ、ありがとう拓也」
僕はお礼を言って、オレンジジュースを受け取った。
「行きたくねーなら、行く必要はないな。まぁ、普通の親は学校に行けってうるせーよな」
「うちの場合、祖父母達がうるさいんだよね」
「成る程なー、複雑な家庭事情な訳だ」
「ふ、深く聞いて来ないの?」
拓也の対応に思わず呆気に取られてしまった。
普通なら、もっと根掘り葉掘り聞いてきてもおかしくない。
拓也は気を遣って聞いてこないのだろう。
「話したくない事は話したくないだろ?それに、夜中に逃げ出したくなる程、辛かったんだろ?今まで、色んな事を我慢してきたんじゃないのか?」
拓也の優しい言葉を聞いて、思わず泣いてしまった。
家族の誰にも言われた事がなかった言葉。
僕自身を気遣った温かい言葉。
拓也は黙ったまま、僕が泣き止むまで側にいてくれた。
側から見たら、僕と拓也は不良と真面目な中学生。
この2人が仲良く飲み物を飲んでいるのは、さぞ不思議だろう。
拓也の隣にいて、話しているだけで落ち着く。
「恭弥!!こんな所にいたの!!?」
公園の入り口から、僕の名前を呼ぶ祖母の姿が見えた。
「ば、ばあちゃん…」
「恭弥のお婆さんか?」
「うん…、探しに来たんだ…。僕の事を」
祖母は警察官を連れて、公園の中に入ってきた。
僕の隣にいる拓也を鬼の形相で睨み付け、叫び出す。
「アンタがうちの孫を連れ出したんだろ!!朝まで連れ回すって、常識がないだろう!!全く、これだから不良は嫌いだね!!」
拓也は、ばあちゃんに冷ややかな眼差しを向けたままだ。
「お、おばあちゃん。少し、落ち着いて…」
「これが落ち着いていられる訳がないだろう!?アンタ、警察官でしょ!?このガキを捕まえてよ!!」
「あのね、おばあちゃん。簡単に人を捕まえる事は出来ないんですよ。まずは、あの子に事情聴取を…」
「話を聞かなくたってね、あの不良が…」
「いい加減にしてよ、ばあちゃん!!」
僕は祖母に向かって、怒鳴り声を上げた。
警察官と祖母、拓也までもが目を丸くさせている。
「拓也は悪くないよ、僕が夜中に抜け出したんだ。嫌になったんだ。勉強、勉強、勉強勉強の毎日で、ばあちゃんやじいちゃんに監視される生活も。母さんが殴られているのを見る生活にも嫌気がしたんだよ!!」
僕は心の中にあったモヤモヤを全て吐き出した。
警察官は祖母を疑心の目を向けながら、口を開いた。
「どう言う事でしょうか?息子さんの服に付着している血も、何か関係があるようですね?」
「私等は何も悪い事をしちゃいないさ!!全部、孫達の為にしている事だ!!」
「警察官さん、恭弥の話を聞いてやってよ。相当、そこのばあちゃんに追い詰められたみたいだし」
拓也の言葉を聞いた祖母は、顔を真っ赤にさせて叫び出す。
「何だと、このガキ!!調子に乗りおって!!」
そう言って、祖母は拓也に向かって手を振り下ろし
た。
「拓也!!危な…」
パシッと祖母の手を掴んだ拓也は、僕の顔を見ながら口を開く。
「やめろよ、ばあさん。恭弥に自分の考えを押し付けんな。恭弥の今の顔をちゃんと見ろよ」
そう言われ、祖母は僕の顔をジッと見つめた。
「きょ、恭弥…。アンタ、いつの間にこんなやつれていたの?恭弥…、私はアンタに正しい道に進んで欲しいだけなんだよ」
「ばぁちゃん、その思いが僕には苦しかったんだ」
僕の言葉を聞いた祖母は、その場で泣き崩れた。
応援を呼んだ警察官に家の事情を話すと、祖母をパト
カーに乗せて自宅に向かって行った。
僕と拓也も、もう一台のパトカーに乗り自宅に向かう事になった。
拓也は黙ったまま僕の手を握ってくれ、僕も黙ったまま握り返す。
自宅にパトカーが到着すると、祖父が立っていた。
警察官達を見た祖父は腰を抜かしてしまい、その場に座り込んでしまう。
残りの警察官がプレハブに向かうと、まさに兄が母を殴っている所に遭遇したのだ。
兄は問答無用で警察官達に拘束され、祖父母達もまた連行される事になった。
母は女警察官と共にいたが、母は僕の事を睨み付けた。
お楽しみの所を邪魔され、怒りが湧いたのだろう。
僕も母も警察署に行く事になり、拓也と別れる事になった。
拓也はスマホを取り出し、連絡先を教えてくれた。
「連絡待ってるから」
「うん、すぐ連絡するね」
「落ち着いてからで良いから。じゃあ、俺は行くわ」
そう言って、拓也は僕に背を向けて歩き出した。
この出来事が僕と拓也を出会わせた。
そして、僕の運命を狂わせた男との出会いにもなった。
椿恭弥はリビングで、ヘネシーVSOPフィーヌシャンパーニュを丸氷の入ったロックグラスに注ぐ。
トポポッと注がれ、部屋にはブランデーの匂いが充満する。
グラスを持ち上げ、氷とヘネシーを混ぜるようにグラスを揺らす。
隣には殴られて気を失っている佐助が眠っていた。
血色のない唇が血で赤く染まり、青白い頬には赤紫色の痣が浮き上がっている。
佐助の長い髪に触れながら、椿恭弥はヘネシーを口に運んだ。
「懐かしいと思わない?ヘネシーVSOPフィーヌシャンパーニュ。拓也も好きだったよね?」
長い鎖に繋がれた白雪は、一時的に部屋から出されていた。
ワインレッドカラーのレースが施されたカクテルドレスを着せられている。
彼女の雪のように白い肌がよりいっそう、白く見えた。
だが、部屋と繋がっている鎖の所為で自由に動く事すら出来ない。
もう1つの丸氷の入ったグラスにヘネシーを注ぎ、白雪の前に置く。
「嫌味のつもり?」
「何が?」
「話し方も吸ってる煙草も、香水もヘネシーも。全部、全部、拓也の真似じゃない。何の為に真似をするの」
「君が喜ぶからじゃないか、白雪」
椿恭弥の言葉を聞いた白雪は、ドンッとグラスを机の上に置いた。
キッと椿恭弥を睨みつけながら言葉を吐く。
「ふざけないで、貴方は私を馬鹿にしてるだけ。私の事を見下して笑ってるだ…」
「どうして、僕の気持ちが分からないんだ」
椿恭弥の死んだ瞳が静かに白雪を捉える。
「何で、僕の愛が分からない?こんなにも君を愛してるのに。君が僕の愛を拒絶するのか」
「愛してる?笑わせないで。貴方は私を愛してなんかいないわ。貴方は誰の事も好きでもないし、愛してもいない。寧ろ、自分の事しか信じられな…」
パシンッ!!
白雪の目の前まで歩いてきた椿恭弥は、力強く白雪の頬を叩いた。
叩かれた衝撃で白雪は床に倒れ込み、椿恭弥は白雪の体に腰を下ろす。
馬乗りの状態で椿恭弥は容赦なく白雪を殴り付ける。
白雪の悲鳴を聞きながら、椿恭弥はほくそ笑む。
細い手首を力強く掴み、白雪の身動きを封じ殴り続ける。
狂気じみた愛情しか、椿恭弥は注げなかった。
言う事を聞く佐助にさえも、暴力を振るう事でしか愛を確かめられなかったのだ。
どうして、そうなってしまったのか。
自分の愛情が歪んでいる事ぐらい理解している。
血を吐きながら意識を失った白雪を黙って見下ろす。
拳に血が滲み、床に血が垂れ落ちる。
白雪をソッと抱き上げ、リビングを出て部屋に向かう。
椿恭弥は白雪の為に作った部屋に入り、ベットに白雪を降ろす。
血の出た唇に優しく口付けをし、軽い手当を始める。
細い腕を持ち上げ、丁寧に包帯を巻いて行く。
手当されて行く白雪を見て、椿恭弥の口角が緩む。
「綺麗だ、白雪。君は赤色が似合う」
そう呟きながら、椿恭弥は兵頭拓也の事を思い出していた。
この手で殺した男のとの記憶を。
「白雪、拓也との過去の話をしてあげるよ」
そう言って、眠る白雪の隣に椿恭弥は腰を下ろした。
CASE 椿恭弥
金には昔から困った事がなかった。
父がそれなりに、いやかなり稼いでいたかな。
父は世間でかなり有名な弁護士だ。
家は白を基調とした住宅地、5LDK + 7納戸の広々とした豪邸。
ホームエレベーターが備えられ、LDK合わせて55.7幅。
駐車されている車も高級車ばかりで、母が自慢げにいつも話していた。
父型の祖母と祖父、父と母、5つ上の兄と僕の6人家族で住んでいた。
祖父と祖母、父と母は僕と兄にも将来は、必ず弁護士になれと口酸っぱく言ってきた。
どう言う理屈なのか、弁護士と言うのは彼等にとって誇らしい仕事なのだ。
僕達の教育は完全に祖父母達に握られ、母は口を出す事を許されなかった。
昼夜問わず勉強の生活は、息苦しさしかない。
兄は特に祖父母達に気に入られていた。
僕よりも頭の出来が良く、塾の成績も良かったからだ。
ただそれだけの事。
頭の出来の良し悪しは誰にだってある。
少なくとも僕は頭の出来は悪い方じゃない。
兄が祖父母達に気に入られるように、わざと勉強に力を抜いていた。
祖父母達の異様な執着と独占欲を注がれないようにだ。
だが、僕の甘い思惑通りに行かなかった。
祖父母達の異様な執着と独占欲は、僕にも注がれたのだ。
小学校と塾の送り迎えは当たり前。
食事をする時も風呂に入る時も、祖父母達と一緒なのだ。
何故、風呂まで一緒に入らないといけないのか。
父は家に殆ど帰ってこない所為で、我が家の主導権は完全に祖父母達だった。
兄が小学校5年生の時、僕は1年生だった。
小学校で行われる授業参観に来るのは、普通だったら母親だろう。
場合によれば父親が来るケースもある。
うちの母は専業主婦で外に働きに出ていない。
なので、僕と兄のどちらの授業参観に参加が出来た。
だが、母が授業参観に参加する事を祖父母達が許さなかった。
兄の授業参観にも僕の授業参観にも、何故か祖父母の2人で来ていた。
私立の小学校に通っていた僕と兄、授業参観が別の日に設けられる仕組みになっていた。
その制度のお陰で、兄弟のいる親御さん達は助かっていたそう。
だが、うちの場合は特殊だ。
いや、そもそも母を椿家の人間として認めてなかったのだ。
三流大学卒業だけで、祖父母達の怒りを勝った。
僕が中学校2年生になる頃には、母は骨が浮き出る程に痩せていた。
食事をまともに与えられず、祖母からの暴言、祖父からの暴力を受けていたのだ。
僕と兄は母との接触を完全に絶たれ、母は庭に備えられた小さなプレハブに住まわされた。
たまに帰ってくる父は母の姿を見て嘲笑い、その日のうちに家を出て行く。
料理を作らせ、掃除をさせた後はプレハブに帰らされる母。
家政婦のような扱いをされ、尚且つ祖父に暴力を振るわれる。
杖で殴られ続ける母をリビングで見かけた事があった。
止めに入ろうとした瞬間、祖母に見つかり部屋に連れ戻されてしまった。
何故、何もしていない母は暴力を振るわれるのか。
祖母がいつも言っていた。
母は女狐で変態な女なのだと。
どう言う意味なのか分からなかった。
何故、祖母は母をそんな風に言うのか。
何故、兄が夜な夜な"プレハブ"に行くのか。
夜中に喉が渇き、リビングで水を飲んでいる時だった。
ガチャッと玄関のドアが開き、リビングに兄が入ってきたのだ。
兄は凄く楽しそうで、玩具を与えられた子供のようだった。
拳には赤い血が付いていて、頬にも付着していた。
「なんだ、恭弥いたのか」
「う、うん」
「俺も水を飲もうかな」
そう言って、兄は冷蔵庫からミネラルウォータのペットボトルを取り出す。
「兄さん、なんだか機嫌が良いね…?」
「そうか?良いストレス発散方法を見つけたんだ。じぃちゃんが言っていた通りだったよ」
「じぃちゃんの言う通り…?」
「いいや、なんでもない。お前も早く寝ろよ、ばあちゃんがうるさいからな」
ポンポンッと僕の頭を撫でた兄は、リビングを出て行く。
意気揚々と楽しそうに歩く兄を、今まで見たことが無かった。
僕は祖父母達の目を盗んでは、母に食料を持って行っていた。
祖父母達は夜中には絶対に目を覚さない代わりに、朝はとても早く起きる。
その間に急いで母のいるプレハブに向かう。
「母さん、ご飯を持ってきたよ」
「恭弥、ありがとう。ごめんね、こんな事をさせて」
小さな豆電球に照らされた母は、昔のような美しさはなくなっていた。
服も髪もボロボロで、目の下には大きな隈がある。
そんな母を見て、可哀想だと思った。
いや、可哀想だと思い込んでいた。
あの日、プレハブで見た光景を忘れたかったからだ。
何故、祖父母達はこんな姿の母親を見ても酷い事が出来るのか。
冷め切った白米を口に運ぶ母の頬が腫れていた。
「また、おじいちゃんが打ったの?」
そう聞くと、母の手が止まり動揺しているのが分かった。
「こ、これは…。お、お兄ちゃんが」
「兄さんが?」
「あ、あの子は悪くないのよ。わ、私がいけないの」
そう言えば兄さんの成績が落ちたって、ばあちゃんが怒ったな。
兄さんは怒られた腹いせに母さんを殴ったのか。
「あの子、泣きながら謝ってきたの。何度も何度も、ごめん、ごめんって。子供のように甘えてくるのよ」
「いつから?兄さんにも殴られるようになったの」
「…、3年前ぐらいから…かしら」
兄さん、祖父母達のようにはならないって言ったのに。
同じように母さんを殴るんだ。
父さんの書斎で読んだ本の内容を思い出した。
ドメスティック・バイオレンス、通称DV。
DVとは配偶者(事実婚や元配偶者も含む)など親密な関係にある男女間でふるわれる暴力の事。
「なぐる」「ける」といった身体的暴力だけでなく、精神的暴力、経済的暴力、性的暴力、社会的暴力、子どもを利用した暴力などもDVに含まれる。
DV男は暴力を振るった後、急に優しくなったり、甘
えてきたりする。
これは、暴力を振るってストレスを発散できたうえ、
相手が自分の非を認めたと捉えるために、満足するから。
また、相手に自分の元を去られては困るという不安や恐怖もその理由だそう。
兄さんもまた、祖父母達と同じ人種なのだ。
自分より優位に立てない母さんを殴る事で、ストレスを発散している。
くだらない、なんてくだらないんだ。
母さんもそんな兄を許し、暴力を受けている。
「あの子が甘えられるのは私だけだもの。私を殴る事で、あの子の気が治るのなら…、私は…」
「くだらないな」
「…え?」
僕の言葉を聞いた母さんは目を丸くした。
何故だろう、母さんの事を頭の悪い女だと思い始めてしまったのだ。
「聞こえなかった?くだらないって言ったんだよ」
「な、なんで?急にそんな事を言い出したの?くだらないって、なにが?」
「母さん、本当は変態なんだろ?」
「な、なにをいっ…」
「母さん、殴られて興奮してるよね。おじちゃんに殴られ始めてからじゃないの」
そう、母さんは目をギョッとさせたまま黙った。
「知ってた?母さんみたいな人、性的マゾヒズムって言うんだよ。母さん、変態だね。兄さんにも興奮するんだ」
「…、いつからなの」
「いつから分かったのかって?そうだなぁ、兄さんが中学校に上がった時。いつもみたいに母さんにご飯を持って来たら、プレハブの中で母さんが殴られながら笑ってたじゃないか。気持ち悪いと思ったよ、女みたいな顔してさ。殴られてるのに喜ぶ?」
僕の冷たい目を見た母さんの頬が赤く染まる。
恥ずかしくなってじゃない。
喜んでるんだ、母さんは。
僕に辱めを受けさせられ、喜んでるんだ。
だけど、こんな母さんにしたのは祖父の所為だ。
あぁ、なんて気持ちの悪い家族。
「そう…。恭弥の冷たい目を見ると、鼓動が早まるわ。ねぇ、恭弥。私の事を殴って良いのよ」
「は?」
「本当は私の事を殴りたいんでしょ?だって、お兄ちゃんの弟だし、お爺さんとも血が繋がっているもの。血は争えないわ。恭弥だって殴りたくて仕方がないんでしょ?」
そう言って、母さんが僕に抱き付いてきた。
何なんだ、この女は。
可哀想だと思っていた自分が馬鹿みたいだ。
この女の為に飯を用意して運んで来た。
僕はただ、母さんに優しくしたかっただけだ。
だけど、この女はそうじゃない。
優しくされる事を望んでいないのだ。
あぁ、祖母はこの女の素性を見抜いて追い出したんだ。
父さんが家に帰らないのも、この女の所為。
じいちゃんも変態で、母さんも変態。
ある意味お似合いの2人じゃないか。
くだらない。
この家に縛られる意味はあるのだろうか。
いや、ない。
このまま家にいたら感覚がおかしくなる。
「離れろよ!!」
「きゃっ!?」
母さんの体を押し退け、プレハブを飛び出した。
そのままの勢いで家を飛び出し、ひたすら走り続けた。
とにかく家に帰りたくなかった。
とにかく家にいたくなかった。
どこでもいい。
「おーい、こんな夜中にマラソンか?」
そう隣から声を掛けられ、足を止めた。
息の荒いまま声のした方に視線を向けると、原付に乗った赤髪の少年がいた。
僕と同い歳ぐらい少年が、ヘルメットもせずに原付に乗っている。
目尻が吊り上がっている瞳、色白の肌に耳には沢山のピアスが輝く。
見るからに不良だ。
「そんな慌ててさ、どうしたん?」
「君には関係ないだろ」
「そりゃそうだ。だけどさー、お前の服に血がついてるし?見るからに訳ありっぽいし?」
そう言われ、僕は着ている服に視線を落とした。
母に抱き付かれた時に血が付いたのだろう。
白いTシャツに赤い血が何個か付着していた。
「怪我でもしてんのか?大丈夫か?」
「いや、これは僕の血じゃないから平気」
「そっか、なら良いけど。遅くならねーうちに帰れよ」
「君は帰らないの?」
僕に話し掛けられた少年は一瞬、驚いた顔をした。
まさか、僕から話し掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。
「俺か?んー、適当に帰るつもりだったけど。ダチとは解散したばっかだしよ。時間あんなら、後ろ乗っても良いぞ」
「い、良いの?」
「ん?良いぞ?別に」
「ど、どうやって乗れば…」
僕の言葉を聞いた少年は、大きな声で笑い出す。
「あははは!!普通にチャリ乗るみたいに乗れば良いんだよ。跨る感じ?だな!!」
「わ、分かった」
言われるがまま、少年の後ろに跨るように乗る。
乗り心地は硬くて悪く、視線が高くなった。
「ではでは、安全運転でドライブしますか。ゆっくり走ってやるから、安心しろよ」
「う、うん」
「じゃ、行くか」
そう言って、少年は僕を乗せたまま原付を走り出した。
いつも車の中で見ていた風景が違って見える。
「そう言えば、名前はなんて言うんだ?俺は兵頭拓也」
「兵頭…って、まさか兵頭会の兵頭じゃないよね…?」
兵頭会と言えば、東京では名の知れた極道一家だ。
嘘を付いてはいないようだけど、本当なのかな…。
「嘘付いてどうすんだよ。お前の言う通り、兵頭会の兵頭雪哉は俺の親父。殆どの家にいねーけどさ」
「そ、そうなんだ」
「んな事よりも、お前の名前は?お前って呼び続けんのも変だろ?」
「恭弥、椿恭弥…」
「オッケー、恭弥ね」
拓也は僕を乗せたまま、夜明けまで原付を走らせた。
僕の家からかなり離れた公園に原付を止め、拓也はブランコに腰を下ろした。
僕も拓也の隣のブランコに腰を下ろす。
朝日が目に染みて、視界が霞んだ。
夜更かししたのに全然、眠たくないのが不思議だった。
「お前、学校行くだろ?そろそろ、家まで送るわ」
「う、うん」
「どうかしたか?もしかして、学校に行きたくねーの?」
「学校もそうだけど、家に帰りたくなくてさ」
僕の言葉を聞いた拓也は腰を上げ、自販機の方に向かって歩き出す。
慌てて拓也の後を追い、自販機の前まで小走りをした。
「プッ、慌てて追い掛けて来なくても。恭弥を置いて、どっこも行かねーし」
「なっ!!あ、慌ててなんか!!」
「はいはい、ジュースでも飲んで落ち着けよ」
拓也はズボンのポケットから財布を取り出し、自販機に小銭を入れて行く。
2本分の料金を入れた後、カフェオレとオレンジジュースのボタンを押した。
ガコンッと音を出しながら、取り出し口に購入した飲み物が落ちる。
「ほい、オレンジジュースで良かったか?」
「わ、悪いよ」
「ジュースぐらい良いって。そんなに俺はケチ臭くねーよ」
「あ、ありがとう拓也」
僕はお礼を言って、オレンジジュースを受け取った。
「行きたくねーなら、行く必要はないな。まぁ、普通の親は学校に行けってうるせーよな」
「うちの場合、祖父母達がうるさいんだよね」
「成る程なー、複雑な家庭事情な訳だ」
「ふ、深く聞いて来ないの?」
拓也の対応に思わず呆気に取られてしまった。
普通なら、もっと根掘り葉掘り聞いてきてもおかしくない。
拓也は気を遣って聞いてこないのだろう。
「話したくない事は話したくないだろ?それに、夜中に逃げ出したくなる程、辛かったんだろ?今まで、色んな事を我慢してきたんじゃないのか?」
拓也の優しい言葉を聞いて、思わず泣いてしまった。
家族の誰にも言われた事がなかった言葉。
僕自身を気遣った温かい言葉。
拓也は黙ったまま、僕が泣き止むまで側にいてくれた。
側から見たら、僕と拓也は不良と真面目な中学生。
この2人が仲良く飲み物を飲んでいるのは、さぞ不思議だろう。
拓也の隣にいて、話しているだけで落ち着く。
「恭弥!!こんな所にいたの!!?」
公園の入り口から、僕の名前を呼ぶ祖母の姿が見えた。
「ば、ばあちゃん…」
「恭弥のお婆さんか?」
「うん…、探しに来たんだ…。僕の事を」
祖母は警察官を連れて、公園の中に入ってきた。
僕の隣にいる拓也を鬼の形相で睨み付け、叫び出す。
「アンタがうちの孫を連れ出したんだろ!!朝まで連れ回すって、常識がないだろう!!全く、これだから不良は嫌いだね!!」
拓也は、ばあちゃんに冷ややかな眼差しを向けたままだ。
「お、おばあちゃん。少し、落ち着いて…」
「これが落ち着いていられる訳がないだろう!?アンタ、警察官でしょ!?このガキを捕まえてよ!!」
「あのね、おばあちゃん。簡単に人を捕まえる事は出来ないんですよ。まずは、あの子に事情聴取を…」
「話を聞かなくたってね、あの不良が…」
「いい加減にしてよ、ばあちゃん!!」
僕は祖母に向かって、怒鳴り声を上げた。
警察官と祖母、拓也までもが目を丸くさせている。
「拓也は悪くないよ、僕が夜中に抜け出したんだ。嫌になったんだ。勉強、勉強、勉強勉強の毎日で、ばあちゃんやじいちゃんに監視される生活も。母さんが殴られているのを見る生活にも嫌気がしたんだよ!!」
僕は心の中にあったモヤモヤを全て吐き出した。
警察官は祖母を疑心の目を向けながら、口を開いた。
「どう言う事でしょうか?息子さんの服に付着している血も、何か関係があるようですね?」
「私等は何も悪い事をしちゃいないさ!!全部、孫達の為にしている事だ!!」
「警察官さん、恭弥の話を聞いてやってよ。相当、そこのばあちゃんに追い詰められたみたいだし」
拓也の言葉を聞いた祖母は、顔を真っ赤にさせて叫び出す。
「何だと、このガキ!!調子に乗りおって!!」
そう言って、祖母は拓也に向かって手を振り下ろし
た。
「拓也!!危な…」
パシッと祖母の手を掴んだ拓也は、僕の顔を見ながら口を開く。
「やめろよ、ばあさん。恭弥に自分の考えを押し付けんな。恭弥の今の顔をちゃんと見ろよ」
そう言われ、祖母は僕の顔をジッと見つめた。
「きょ、恭弥…。アンタ、いつの間にこんなやつれていたの?恭弥…、私はアンタに正しい道に進んで欲しいだけなんだよ」
「ばぁちゃん、その思いが僕には苦しかったんだ」
僕の言葉を聞いた祖母は、その場で泣き崩れた。
応援を呼んだ警察官に家の事情を話すと、祖母をパト
カーに乗せて自宅に向かって行った。
僕と拓也も、もう一台のパトカーに乗り自宅に向かう事になった。
拓也は黙ったまま僕の手を握ってくれ、僕も黙ったまま握り返す。
自宅にパトカーが到着すると、祖父が立っていた。
警察官達を見た祖父は腰を抜かしてしまい、その場に座り込んでしまう。
残りの警察官がプレハブに向かうと、まさに兄が母を殴っている所に遭遇したのだ。
兄は問答無用で警察官達に拘束され、祖父母達もまた連行される事になった。
母は女警察官と共にいたが、母は僕の事を睨み付けた。
お楽しみの所を邪魔され、怒りが湧いたのだろう。
僕も母も警察署に行く事になり、拓也と別れる事になった。
拓也はスマホを取り出し、連絡先を教えてくれた。
「連絡待ってるから」
「うん、すぐ連絡するね」
「落ち着いてからで良いから。じゃあ、俺は行くわ」
そう言って、拓也は僕に背を向けて歩き出した。
この出来事が僕と拓也を出会わせた。
そして、僕の運命を狂わせた男との出会いにもなった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)
幻田恋人
恋愛
夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。
でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。
親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。
童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。
許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…
僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる