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お湯の向こうの歌
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インターネットで捜してみても、なくしたものは見つからない。それはもう、あきらめるしかないんだ。ぼくは九歳。いろいろとむずかしいことだってわかる。
「君彦くん、お風呂が沸きましたよ」
「はーい」
部屋の外から聞こえたおばあちゃんの声に返事をすると、僕はタンスから下着をそろえて一階におりていった。
長野のおじいちゃんの家のお風呂は大きい。東京にいた頃は体を小さくしてお湯に浸かっていたのに、いまは両手も両足もぐんと伸ばして入ることができる。気持ちがいい。だけど。
東京にいたころは、よくお父さんと一緒にお風呂に入っていた。でももうそれも無理だ。お父さんはいない。お母さんもいない。家にいないんじゃなくて、この世界のどこにもいないんだ。お父さんとお母さんが交通事故でいなくなって、僕は長野のおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られた。おじいちゃんとおばあちゃんは、僕のお母さんのお父さんとお母さんだ。二人ともとても僕を可愛がってくれる。でもどうしてだろう、それがとても悲しい。
悲しい思いで胸がいっぱいになったとき、僕はお風呂にもぐる。目を閉じて、頭までもぐるんだ。そして左の耳をつまむ。何がきっかけでこんなことをやり始めたのかは覚えていない。でも、ある日こうしてみたとき、僕は気づいた。お湯の向こうのどこか遠くから、歌が聞こえてくることに。僕は耳に集中する。すると歌はどんどんハッキリと聞こえてくる。
海のヤミヤミ
夜のヤミヤミ
ヤトウクジラだエイコラサ
おれたちゃドロボウ
海のドロボウ
盗みだすのはお手のもの
海賊船も沈没船も
どんな重たいお宝だって
かるがるパパッと手に入れる
世界の七つの海のソコソコ
おれらに行けない場所はない
どこでももぐるぞ
なんでも盗むぞ
ヤトウクジラだエイコラサ
歌っている声は三つ。大きな声、小さな声、そして野太い声。三つの声がえんえんと歌い続けている。それを聞くのが僕の秘密の楽しみだった。誰にも言わない。言えるわけがない。どうせ誰も信じてはくれない。でもいいんだ。僕だけが知っていればいい。僕は毎日お風呂のたびに、息が続くかぎりこの歌を聞いていた。
だけど、今日はちょっと様子が違った。歌が急に止まったんだ。
「うーん、おかしいぞおかしいぞ」
そう言ったのは、大きな声だった。
「どうかしましたか」
野太い声がたずねた。すると、大きな声はこう答えた。
「誰かが、俺らの歌を聞いてやがる気がする」
僕は背中がゾゾッとした。気づかれたのか。
「どうせイワシかサバでしょう」
野太い声は、笑った。でも大きな声は納得しない。
「いいや、もっと大きいはずだ」
「ではマグロかサメでしょう」
「いいや、もっと遠くだ」
「遠く? 遠くってどこですか」
「そいつはたぶん……海のない場所だ!」
ぐほっ、僕は思わず息をはき出した。顔をお湯からあげて、何度も息を吸い込んだ。まちがいない。僕のことに気づいている。どうしよう。僕はどうなるんだろう。そう考えて、僕は首をかしげた。
ちょっと待てよ。そんなにあわてることはないんじゃないか。だって、ただ歌を聞いただけじゃないか。それに歌を聞いてることには気がついたけど、僕がいる場所にまで気がついたわけじゃない……わけじゃないよな。どうなんだろう。
まさか、おじいちゃんとおばあちゃんに迷惑がかかることになるんじゃないだろうか。それが気になった。それをたしかめるには、方法は一つしかない。僕はもう一度目を閉じてお風呂にもぐった。そして左の耳をつまむ。すると声が聞こえてきた。
「考えられません」野太い声がそう言っている。「海のない場所でわれらの歌を聞いているなんて、ありえないですよ」
でも大きな声は、ゆずらない。
「いいや、まちがいない。俺のカンだ」
「リアローがそこまで言うんなら、本当なのかもしれないんだぜ」
そう言ったのは小さな声だ。そうか、この大きな声の名前は、リアローっていうのか。リアローはただでさえ大きな声を、より大きくはりあげた。
「おい、この話を聞いてるやつ! そこにいるんだろう! いったいどこのどいつだ、名前くらい言いやがれ!」
どうしよう、そんなことを言われても、どうやって答えればいいんだろう。こっちはお風呂のお湯の中だし、それにどうすれば向こうに声がとどくのか、わからないし。僕が黙っていると、リアローはだんだんイライラしてきたようだった。
「おいこの野郎、いいかげんにしやがれ。聞こえてるんだろうが!」
怒ったリアローを、小さな声がなだめた。
「まあまあ、おさえるんだぜ。いきなりそんな怒鳴っても、向こうはどうやってしゃべればいいのか、わかんないんだぜ、きっと」
そう、そうだよ。僕はお湯の中でうなずいた。するとリアローは、あきれたような声でこう言った。
「ち、めんどくせえな。おい、いいか聞いているやつ。おでこに力入れろ」
おでこ? おでこに力入れるって、どうやるんだ。リアローは続ける。
「おまえのおでこのまんなかに口があるって思え。その口でしゃべるんだ。やってみろ。おまえの名前を俺に教えろ!」
よくわからないけど、やってみた。まゆげとまゆげをくっつけるように力を入れて、そのまんなかに口があるようにイメージする。その口を、開いてみた。するとどうだろう、お湯の中に声が溶け出していく。僕は自分の名前をおでこから出した。
「君彦」
「キミヒコだと? なんだ、そのヘンテコリンな名前は」
僕はおでこから言葉が出てきたことにおどろきながら、それでも言い返した。名前のことを馬鹿にされるのは許せない。
「ヘンテコリンじゃないよ。君彦は普通の名前だよ」
僕の反撃に、リアローはちょっと面食らったようだった。
「ふ、普通だと。そんな変な名前、どこが普通だ」
「普通だよ。リアローなんて名前の方が、ずっとヘンテコリンだよ」
「リアローのどこがヘンテコリンなんだよ。おいパパンヤ」リアローはたずねた。「リアローって変な名前か」
「いいえ、普通の名前ですね」
パパンヤと呼ばれた野太い声は、そう返事をした。
「ニキニキはどう思う」
リアローにたずねられた小さな声、ニキニキは、こう答えた。
「ヤトウクジラでは普通の名前なんだぜ」
リアローは、ほっと安心したかのようにひと息つくと、僕に向かって馬鹿にするように言った。
「そらみろ、リアローは普通の名前じゃねえか。やっぱり変なのはおまえの方なんだよ、キミヒコ」
「そんなことない。君彦は人間じゃ普通の名前なんだよ」
その場が一瞬、しんとした。リアローがおずおずと口をひらく。
「人間? ……おい、まさか、キミヒコ、おまえ人間なのか」
「そうだよ」
僕がそう答えると、リアローたちは湧きあがるような声をあげた。
「ほえーっ! 人間だってよ。おいパパンヤ、人間が俺らの歌を聞いてたらしいぞ」
「いやあ、おどろきました。こんな不思議なことが起きるものなんですね」
「超ビックリなんだぜ」
ニキニキのすっとんきょうな声を聞いたまでが限界だった。もう息がガマンできない。口から鼻から空気がもれ出す。ぶくぶくと息をはきながら、僕はお風呂から顔をあげた。ぶはーっ、思わず声が出た。
「どうしたの、君彦くん。大丈夫?」
ガラス扉の向こうから聞こえる、おばあちゃんの声。
「大丈夫、なんでもない」
そう言いながら、僕は立ちあがった。体からお湯が流れ落ちていく。明日はもう、あの歌を聞けないのかな、なんとなくそう思った。僕が聞いてること、ばれちゃったし。人間だっていうことも、ばれちゃったし。いやだよね、きっと。もう僕なんかに聞かれたくないよね。僕はものすごくさびしくなった。
お風呂からあがると、いつものように晩ご飯のしたくができていた。おばあちゃんはご飯をよそってくれる。おじいちゃんは仏壇に手を合わせている。
「君枝、康彦くん、君彦は今日も元気にしているよ」
君枝というのは、僕のお母さんの名前だ。そして康彦はお父さんだ。おじいちゃんはいつもいつも、仏壇の二人に話しかけている。そんなことをしても、二人には聞こえないのに。
「さあ、いいのよ君彦くん、先に食べちゃって」
おばあちゃんの言葉に「うん」とうなずき、僕は箸を手にとった。おばあちゃんの作るおかずは、どれもしょっぱい。でも僕は何も言わずに食べた。
「君彦くん、お風呂が沸きましたよ」
「はーい」
部屋の外から聞こえたおばあちゃんの声に返事をすると、僕はタンスから下着をそろえて一階におりていった。
長野のおじいちゃんの家のお風呂は大きい。東京にいた頃は体を小さくしてお湯に浸かっていたのに、いまは両手も両足もぐんと伸ばして入ることができる。気持ちがいい。だけど。
東京にいたころは、よくお父さんと一緒にお風呂に入っていた。でももうそれも無理だ。お父さんはいない。お母さんもいない。家にいないんじゃなくて、この世界のどこにもいないんだ。お父さんとお母さんが交通事故でいなくなって、僕は長野のおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られた。おじいちゃんとおばあちゃんは、僕のお母さんのお父さんとお母さんだ。二人ともとても僕を可愛がってくれる。でもどうしてだろう、それがとても悲しい。
悲しい思いで胸がいっぱいになったとき、僕はお風呂にもぐる。目を閉じて、頭までもぐるんだ。そして左の耳をつまむ。何がきっかけでこんなことをやり始めたのかは覚えていない。でも、ある日こうしてみたとき、僕は気づいた。お湯の向こうのどこか遠くから、歌が聞こえてくることに。僕は耳に集中する。すると歌はどんどんハッキリと聞こえてくる。
海のヤミヤミ
夜のヤミヤミ
ヤトウクジラだエイコラサ
おれたちゃドロボウ
海のドロボウ
盗みだすのはお手のもの
海賊船も沈没船も
どんな重たいお宝だって
かるがるパパッと手に入れる
世界の七つの海のソコソコ
おれらに行けない場所はない
どこでももぐるぞ
なんでも盗むぞ
ヤトウクジラだエイコラサ
歌っている声は三つ。大きな声、小さな声、そして野太い声。三つの声がえんえんと歌い続けている。それを聞くのが僕の秘密の楽しみだった。誰にも言わない。言えるわけがない。どうせ誰も信じてはくれない。でもいいんだ。僕だけが知っていればいい。僕は毎日お風呂のたびに、息が続くかぎりこの歌を聞いていた。
だけど、今日はちょっと様子が違った。歌が急に止まったんだ。
「うーん、おかしいぞおかしいぞ」
そう言ったのは、大きな声だった。
「どうかしましたか」
野太い声がたずねた。すると、大きな声はこう答えた。
「誰かが、俺らの歌を聞いてやがる気がする」
僕は背中がゾゾッとした。気づかれたのか。
「どうせイワシかサバでしょう」
野太い声は、笑った。でも大きな声は納得しない。
「いいや、もっと大きいはずだ」
「ではマグロかサメでしょう」
「いいや、もっと遠くだ」
「遠く? 遠くってどこですか」
「そいつはたぶん……海のない場所だ!」
ぐほっ、僕は思わず息をはき出した。顔をお湯からあげて、何度も息を吸い込んだ。まちがいない。僕のことに気づいている。どうしよう。僕はどうなるんだろう。そう考えて、僕は首をかしげた。
ちょっと待てよ。そんなにあわてることはないんじゃないか。だって、ただ歌を聞いただけじゃないか。それに歌を聞いてることには気がついたけど、僕がいる場所にまで気がついたわけじゃない……わけじゃないよな。どうなんだろう。
まさか、おじいちゃんとおばあちゃんに迷惑がかかることになるんじゃないだろうか。それが気になった。それをたしかめるには、方法は一つしかない。僕はもう一度目を閉じてお風呂にもぐった。そして左の耳をつまむ。すると声が聞こえてきた。
「考えられません」野太い声がそう言っている。「海のない場所でわれらの歌を聞いているなんて、ありえないですよ」
でも大きな声は、ゆずらない。
「いいや、まちがいない。俺のカンだ」
「リアローがそこまで言うんなら、本当なのかもしれないんだぜ」
そう言ったのは小さな声だ。そうか、この大きな声の名前は、リアローっていうのか。リアローはただでさえ大きな声を、より大きくはりあげた。
「おい、この話を聞いてるやつ! そこにいるんだろう! いったいどこのどいつだ、名前くらい言いやがれ!」
どうしよう、そんなことを言われても、どうやって答えればいいんだろう。こっちはお風呂のお湯の中だし、それにどうすれば向こうに声がとどくのか、わからないし。僕が黙っていると、リアローはだんだんイライラしてきたようだった。
「おいこの野郎、いいかげんにしやがれ。聞こえてるんだろうが!」
怒ったリアローを、小さな声がなだめた。
「まあまあ、おさえるんだぜ。いきなりそんな怒鳴っても、向こうはどうやってしゃべればいいのか、わかんないんだぜ、きっと」
そう、そうだよ。僕はお湯の中でうなずいた。するとリアローは、あきれたような声でこう言った。
「ち、めんどくせえな。おい、いいか聞いているやつ。おでこに力入れろ」
おでこ? おでこに力入れるって、どうやるんだ。リアローは続ける。
「おまえのおでこのまんなかに口があるって思え。その口でしゃべるんだ。やってみろ。おまえの名前を俺に教えろ!」
よくわからないけど、やってみた。まゆげとまゆげをくっつけるように力を入れて、そのまんなかに口があるようにイメージする。その口を、開いてみた。するとどうだろう、お湯の中に声が溶け出していく。僕は自分の名前をおでこから出した。
「君彦」
「キミヒコだと? なんだ、そのヘンテコリンな名前は」
僕はおでこから言葉が出てきたことにおどろきながら、それでも言い返した。名前のことを馬鹿にされるのは許せない。
「ヘンテコリンじゃないよ。君彦は普通の名前だよ」
僕の反撃に、リアローはちょっと面食らったようだった。
「ふ、普通だと。そんな変な名前、どこが普通だ」
「普通だよ。リアローなんて名前の方が、ずっとヘンテコリンだよ」
「リアローのどこがヘンテコリンなんだよ。おいパパンヤ」リアローはたずねた。「リアローって変な名前か」
「いいえ、普通の名前ですね」
パパンヤと呼ばれた野太い声は、そう返事をした。
「ニキニキはどう思う」
リアローにたずねられた小さな声、ニキニキは、こう答えた。
「ヤトウクジラでは普通の名前なんだぜ」
リアローは、ほっと安心したかのようにひと息つくと、僕に向かって馬鹿にするように言った。
「そらみろ、リアローは普通の名前じゃねえか。やっぱり変なのはおまえの方なんだよ、キミヒコ」
「そんなことない。君彦は人間じゃ普通の名前なんだよ」
その場が一瞬、しんとした。リアローがおずおずと口をひらく。
「人間? ……おい、まさか、キミヒコ、おまえ人間なのか」
「そうだよ」
僕がそう答えると、リアローたちは湧きあがるような声をあげた。
「ほえーっ! 人間だってよ。おいパパンヤ、人間が俺らの歌を聞いてたらしいぞ」
「いやあ、おどろきました。こんな不思議なことが起きるものなんですね」
「超ビックリなんだぜ」
ニキニキのすっとんきょうな声を聞いたまでが限界だった。もう息がガマンできない。口から鼻から空気がもれ出す。ぶくぶくと息をはきながら、僕はお風呂から顔をあげた。ぶはーっ、思わず声が出た。
「どうしたの、君彦くん。大丈夫?」
ガラス扉の向こうから聞こえる、おばあちゃんの声。
「大丈夫、なんでもない」
そう言いながら、僕は立ちあがった。体からお湯が流れ落ちていく。明日はもう、あの歌を聞けないのかな、なんとなくそう思った。僕が聞いてること、ばれちゃったし。人間だっていうことも、ばれちゃったし。いやだよね、きっと。もう僕なんかに聞かれたくないよね。僕はものすごくさびしくなった。
お風呂からあがると、いつものように晩ご飯のしたくができていた。おばあちゃんはご飯をよそってくれる。おじいちゃんは仏壇に手を合わせている。
「君枝、康彦くん、君彦は今日も元気にしているよ」
君枝というのは、僕のお母さんの名前だ。そして康彦はお父さんだ。おじいちゃんはいつもいつも、仏壇の二人に話しかけている。そんなことをしても、二人には聞こえないのに。
「さあ、いいのよ君彦くん、先に食べちゃって」
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