老い花の姫

柚緒駆

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67.器の違い

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 リムレモの肉体は風、クモの糸など意味をなさない。動きを制限されることなく、すべて体の中を通り抜けて行く。クモが振り回す四本の曲剣もまた同じ。風の大精霊の体に傷一つつけることができない。力を使い果たしてさえいなければこんなものだ。

 もっともそれは相手も同じ。リムレモの放つ風の刃がどれだけ深く傷つけても、クモの傷は瞬時に塞がる。前回スリングがやったように一気に圧力をかければ、バラバラにするくらいできるのだろうが、小さなクモが大量に生まれるだけだ。リムレモは氷の魔法が使えない。敵の足を止める方法が思いつかなかった。

 戦況は一進一退どころか、お互いに進も退もなく、ただ体力と時間を浪費するだけ。ここでリムレモはようやく思い至った。もしやフルデンスはこれを見越して自分にコイツを任せたのではないか、と。

 そのとき、クモが距離を取って垂直な壁に立った。

「なあ、ちょっとええかな」

「何だよ、降参か? 命だけは勘弁とか言うんじゃないだろうな」

「いや言うてもええけど、どっちみちおたくさんでは、わたいの命は取れんでしょうが」

 図星を差されてリムレモは黙り込む。クモはため息をついた。

「相性的に最悪の組み合わせなんやろね、このままたたこうたところで時間ばっかりかかって意味ないんやない?」

「じゃあどうするのさ」

「お互いに一人ずつ生け贄を用意して」

「やっぱりおまえ殺す」

「ああウソウソ、冗談やて」

 クモは笑う。

「ここは引き分けいうことで、今日のところは帰ってくれへん? こっちも引き上げるから。まあ雇い主が厄介やけど、おたくさんもあの魔族、何とかしてくれたら」

 何とかって言われてもなあ。リムレモは魔蛇の姿を現わしているフルデンスの背中に目をやった。

 そのとき。

 リムレモの左脇腹に加わる衝撃。無論、攻撃などこの体をすり抜ける、はずだった。

 一瞬見えたのは銀色の輝く球体。固さも質量もないように思えるそれがリムレモの肉体に潜り込み、胸の真ん中で留まる。そして四方八方に触手を伸ばし広がって行った。

「おまえ、何をした!」

 リムレモににらみつけられて、クモは笑顔で右手の人差し指をクルクル回す。

「いや、ちょっと試してみたかったんよ」

 輝く狩猟者の目で。

「物理攻撃が通じへん体に異物が入ったら、自分で取り出せるんかなあ、思てね」

「……この野郎」

「それとも自分で自分の体に傷つけるんは痛いんやろか、やっぱり」

「ふざけ」

 リムレモの言葉が止まった。口は動くのに声が出ない。クモがニッと笑う。

「その銀色の球は本来は誘蛾灯みたいなもんでね、獲物を催眠状態にしておびき寄せる力があるんやけど、精霊の体内で使こたらどうなるんやろか。初めての実験やから興味津々やわ」

 そう言うクモの背後で、突然壁面に亀裂が入った。樹木の枝のような亀裂が一面に。

「はっはーん、これはちょっとヤバいかな」

 祭壇のオブレビシアから虹色の輝きが立ち上っている。クモは小さくため息をついた。

「まあええか。何とかなるでしょ」



 大聖堂から逃げ出した王族や貴族たちは、新たな恐怖に悲鳴を上げた。大聖堂の表面に樹木のような模様が浮き出し、屋根を突き破って無数の枝が樹冠を築いて行く。巨大な大聖堂が、太い幹の大木へと姿を変えたのだ。入り口も窓も埋まり、もはや中に入ることなど叶わない。

「へ、陛下は、国王陛下はいずこに!」

 事情を知らない文官たちが慌てふためくも、何かができる者など誰もいなかった。

 そう、地上には。



 巨大な怪木となった大聖堂を見下ろす空高く、対峙する二つの影。白い魔剣レキンシェルを携えたランシャと、その前に立ちはだかる黄昏の魔女ジルベッタである。

「どけ。意味のない戦いに時間を取られる訳に行かない」

 静かなランシャの言葉に、いきり立つジルベッタ。

「おまえに意味があるかどうかなんて知らないね。ここを通りたきゃこのジルベッタを倒しな!」

「あの娘は世界樹に食われて死ぬ。それが望みか」

「望むかぁっ!」

 ジルベッタの右手から放たれた夕焼け色の輝きは、大気を喰らい尽くす劫火となってランシャに襲いかかった。それを水平に半断する魔剣レキンシェルの切っ先。炎はランシャを避けるように上下に飛散した。

 轟音と熱風に地面の連中が指差し見上げている。だがそんなことは、もはやどうでもいい。ジルベッタは集中した。目の前の怪物を倒すのだと。ここまで強大な精霊魔法を使うヤツなど前代未聞、想像だにしていなかったが、これは現実なのだ。どんな形であれ生かしておいてはオブレビシア姫にとって厄災としかなるまい。

 もちろん、この男を倒したからといってオブレビシアが幸福になる訳ではない。しかしこの先、彼女の人生は長い。幸せを手にする機会は何度もあろう。それをつかみ取れるかどうかは彼女次第。苦労もまた幸せの一部である。生きていれば、人生は何度でもやり直せる。生きてさえいれば。なのにその根本を揺るがす者を放置はできない。認められない。許せない。言葉に耳を貸す訳には行かないのだ。

 夕焼け色の輝きは巨大な三つ首の炎竜と化し、三方向から火球を吐き出す。五月雨式に飛来するそれをランシャはかわさず、すべて斬り裂き消滅させた。叩き落としすらしない。これを見てジルベッタはひらめく。卑怯だが仕方ない。

 炎竜は高度を上げ、ランシャの真上から火球を吐いた。相手は下の街に被害が出ることを嫌っている。これならこの場に釘付けにできるはず。ジルベッタの予想通り、ランシャは動かず火球を斬り続けた。火球を一点に集中して吐き続けている間は動けないのだ。

 ならばと魔女は火球の発射間隔を短くする。もはやランシャはジルベッタの方など見ている余裕はないようだった。いまだ。

 相手の背後に転移。

 そして夕焼け色の輝きをナイフのように鋭く尖らせ、背中から心臓を一突き。

 したはずが、手応えがない。

 次の瞬間、ジルベッタの両腕は肘から先が切り落とされてしまった。同時に三つ首の炎竜は首が切り離され、胴は半分に断たれる。ジルベッタの前にいたはずのランシャの姿は霧のように消え、その向こう側にこちらを向いて立つランシャがいる。

「馬鹿な。どうやって」

「魔獣奉賛士の弟子なのでな。光の精霊魔法くらい使える」

 そんなはずはない。これがただの影分身ならば、火球はどうやって食い止めていたというのだ。火球を食い止めながら炎竜を斬ったのは。混乱するジルベッタに、ランシャは簡潔な解答を与えた。

「あとは、おまえの分身の術を真似した」

「……ま、真似だってぇ?」

 ジルベッタは絶句するしかない。自分が三十年かけて死ぬ思いで編み出したこの術を、一度目にしただけで真似をしたというのか。違い過ぎる。魔法使いとしての才能も素質も、そして器も桁違いだ。こんなバケモノにどうやって勝てばいい。勝ち目など最初からあるはずがなかった。

 もう少し、あとほんの少しでも自分が強ければ、この命そのものを武器にすることも考えられたのだろう。だが、もはや時間稼ぎにすらならない。絶望するジルベッタの前で、ランシャの姿は消えて行く。これもまた分身であったことに、気付くことすらできなかった。
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