老い花の姫

柚緒駆

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62.寒い国からの帰還

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 前回ほどには酷くない、ということなのだろう。目が開いたとき、そこにマレットがいるのを理解できた。窓から差し込む光に力強さはない。夕方近いのか。どうやら頭も問題ないようだ。

 気付いたマレットがニンマリ笑顔を近付けてのぞき込む。

「どう。イヤラシいこと考えられる?」

「無茶言うな」

 さすがに元気な声は出せないが、まあそれは仕方ない。本当に全身スッカスカになるほど力を振り絞ったのだから。

 マレットはベッドに肘を乗せる。

「えーっと、フリンだっけフランだっけ、あのモジャモジャの占い師」

「フロッテン・ベラルドのことか?」

「そうそう。その人がさ、簡単な回復魔法が使えるんだって。アンタが意識失った後、何度か魔法かけてたらしいよ」

 なるほど、前回より体調がマシなのはそれが理由か。

「俺は何日眠ってた」

「丸一日半。いい御身分だよ、アタシらろくに寝てないのに」

 思わず何かあったのか、とたずねそうになって、俺は言葉を飲み込んだ。

「パルテアの葬儀はいつだ」

「とりあえず明後日。先方の都合で予定は変わるかも知れないけど」

「先方?」

「ネーン家からの弔問も受け入れるってさ。姫様がそう言うんだから仕方ないじゃない」

 バレアナ姫なら言いそうな気がした。いや実際、先々のことを考えるならその方がいいのだろう。理屈としてはそういうものだと理解はできるのだが。


 マレットがニヤリと笑う。

「何よ。何で姫様がここにいないんだーって文句言いたい訳?」

「いや、文句はないけど、実際のとこ姫様はどうしてるんだ」

「すっごい心配してたよ、アンタのこと。でもさすがに皇太子殿下の葬式には出なきゃいけないって、今日は朝からシャリティ様とミトラ様連れて出かけてる」

 俺は大きくため息をついた。そうか、皇太子は死んだんだな。誰が手にかけたんだ。亡霊騎士団か、それとも。

 そんな考えがまた顔に出ていたのだろう、マレットは苦笑した。

「王宮はえらい騒ぎだって。次の皇太子が決まらないらしいよ」

「決まらない?」

 何で決まらないんだ。こういうときのために王位継承権の序列があるんじゃないのか。

「結局さあ、事なかれ主義って言うの、ウストラクト皇太子が殺される可能性なんて誰も考えてなかったみたい」

 呆れたようにマレットは言う。しかしこれは笑い話じゃない。本来不測の事態に備えるための継承権の序列が、事実上形骸化しているのだとすれば、この国はかなり深刻な状態にあるのかも知れない。

 序列が意味を持つのであれば、ロン・ブラアクが皇太子に選ばれる可能性は高いはずだ。ならばこそ同盟を組むだけの利点がある。だがこれが意味を持たないとなると、同盟がこちらの足を引っ張りかねない。

 もちろんロン・ブラアク以外の誰かが皇太子として選ばれたとき、ロン・ブラアクが率先して忠誠を誓えばまた話は変わってくるのだが、あのぴーちゃんにそんな殊勝な意識があるだろうか。

 理想的に話が進むなら、皇太子の葬儀にロン・ブラアクがバレアナ姫と共に出席し、同盟関係を強調することで、政府や他の王族からの評価が上がる、なんて展開に期待したいのだが、さあ果たしてどうなるか。こればっかりは博打みたいなもんで想定が立たない。

 ん? 想定?

 そうか! 俺はひらめいた。

「フロッテン・ベラルドを呼んで来てくれないか」



 首都に続く街道とは言え、舗装もされていない泥道。四頭立ての馬車はガタガタと揺れた。バレアナもシャリティもミトラもゼンチルダも、舌を噛むのを怖れて口数は多くない。いや、もしかしたらミトラはそんなことすら考えていなかったかも知れない。その目は虚空を泳いでいた。

 ミトラを連れ出したのはバレアナの判断である。パルテアの遺体が戻って来て以降、ミトラは食事も睡眠も取らず、ただ隣に居続けることを望んだ。誰とも口を利かず、涙すら見せずに。

 このままではミトラまで倒れてしまう。それどころか倒れたまま死んでしまおうとしているようにすら見える。皇太子の葬儀の日程が決まるとすぐ、バレアナはミトラを四人がかりでパルテアの隣から引き剥がし、馬車に放り込んだ。フルデンスの魔力によって馬車からは容易に降りられない。こうして強引な旅は始まった。

「皇太子殿下の葬儀は明日の正午からになります」

 バレアナは言う。

「今夜のうちにロン・ブラアク殿と合流し、葬儀まで行動を共にします。その後は取って返し、明後日はパルテアの葬儀を執り行います。いいですね、ミトラ」

 隣に座る少女にそう語りかけたが返事はない。心配げなシャリティが言葉をかけようとするが、そもそもどんな言葉をかけていいのか思いつかない顔をしている。バレアナは微笑んだ。

「いいのです、シャリティ。ミトラはちゃんとわかっていますから」

 シャリティは当惑を隠せず、ミトラはただ沈黙する。静かな馬車は一路首都へと疾走した。



 わずか一夜にして荒れ果てた皇太子の宮殿、その離れのオブレビシアの部屋から母のリネリアが忍び足で出てきた。部屋の前に立つのは悲しい顔のジルベッタ。ランシャに斬られた両手は元通りになっている。

 リネリアは微笑みを向けた。

「眠りました。泣き疲れたようです」

 元より老婆であったはずのジルベッタだが、いまは老衰死もやむなしといわんばかりに老け込んでしまった。

「私がいながら、このような」

「おやめなさい、ジルベッタ。あなたは私たち親子を救ってくれました。命の恩人です、心の底から感謝していますよ」

「もったいのうございます。姫様には合わせる顔がございません。叶うことなら死んでお詫びをしたいほど」

「やめて、ジルベッタ。あなたまで失ったら、本当にオブレビシアは孤独になってしまう。お願いだから、あの子を見捨てないで」

 その優しさに満ちた言葉に、なおさらジルベッタは身の置き所がなくなってしまう。

 だが、そのとき。

 ジルベッタの鋭い視線が廊下の隅に向けられた。

「そこにいるのは誰だい。出ておいで」

 そう言いながらリネリアをかばうように立つ。

 すると廊下の柱の陰から、褐色の肌の、杖をついた義足の男が姿を見せた。

「怖いわぁ、そんな警戒せんといてくださいよ。お使いに来ただけやのに」

「お使いだって?」

「わたいも意外と義理堅いもんでね、できたらオブレビシア姫様にお目通り願いたいなあ思いまして。ちょっとええ話があるんですわ」

 体からにじみ出る力を見るに、さほど強いとは思えない。だが、ジルベッタの直感がささやく。これは油断ならざる相手だと。

「おまえを使いに寄越したのは、いったいどこの誰だい。話次第じゃ生きて返さないよ」

 ジルベッタのこの言葉に、相手はニッと白い歯を見せた。

「寒い国、言うたらわかりますかね」
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