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60.たった一つの魔法
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ノッポの道化は空を指さす。
「降れ」
俺は咄嗟に氷で屋根を作った。そこに伝わる衝撃、そして周囲にそそり立つ、無数の透明な槍。いや、水だ。水の槍を降らせたんだ。
するとデブッチョの道化が地面を指さした。
「生えろ」
リムレモが俺を抱えて飛び上がる。上空から見下ろせば、さっきまで俺たちのいた場所に無数のトゲが生えていた。だったら。
「トゲトゲの尖り尖った栗の皮、触れる手にトゲ足にトゲ!」
オマジナイを唱えれば、二人の道化の周囲にもトゲトゲが出現した。ところが二人の道化はそれを平気で踏みつけ、痛がる様子など毛の先程もない。ダメだこりゃ。
「リムレモ、おまえあとどれくらい持つ」
俺の言葉に、リムレモは怒ったような声を返した。
「もう持つ訳ないだろ。あと一回転移魔法使ったらスッカラカンだよ」
「俺とあんまり変わらねえか」
これはマズい。本格的にヤバいぞ。
世界樹はランシャに巻き付けた根を、何度も何度も執拗に地面にぶつけている。ランシャ本人は心配ないと思うが、さすがに俺たちを助けてくれと言える状況でもあるまい。困った。策が思いつかない。
いまここに至ってみれば、フルデンスを連れて来なかったのは失敗だったかも知れない。だがバレアナ姫の周囲を無防備にはできないし、最強の駒は最後に取っておく必要もある。何だよ、どうしようもねえじゃんか。
ノッポの道化がまた言った。
「降れ」
デブッチョの道化がまた言った。
「生えろ」
空から降る水の槍と地面から伸びるトゲに挟まれて、俺は氷を球形に張り巡らせて防いだものの、もう限界だ。氷の厚さを維持できない。ビシビシと音を立てて上下左右に亀裂が走って行く。
二人の道化が声を揃えた。
「天地、交われ」
空から降り続く水の槍と、地面から生え続けるトゲが、俺たちの目の高さで交差したかと思うとグルリとねじれて渦を巻く。そのねじれは先端を水平に俺たちの方に向け、まるで嘲笑うかのようにゆっくりと回転した。
この先端が伸びれば、俺の心臓は貫かれるだろう。もはや万事休す、といったところか。リムレモにしても、もうこの高さを維持するだけで精一杯のようだ。上へ下へと自由に飛び回る余裕などすでにない。悔しいが、俺たちは。
「待たれよ!」
そのとき聞こえた声は、俺のまったく知らない声。いや、リムレモも、二人の道化もまるで心当たりがないという顔をしている。
それはボサボサ髪と長いヒゲに覆われた、どこに顔があるのかわからない男。泥と垢にまみれたボロボロの服で、杖のように地面に突き立てる長い棒の先には、人間のドクロが乗っていた。
手にする赤い数珠のようなものを振り、時折手の中をのぞいている。
「あと少し右に寄られたい!」
これは、俺たちに言っているのか? それとも道化たちに? だいたい少し右に寄って何がどうなるというのだろう。
「我が名は占術師フロッテン・ベラルド! 占術師パルテアの言葉に応じここへと参った!」
パルテアの知り合い、だと? ならば。
「ただちに右に寄っていただきたい!」
俺は決めた。
「リムレモ、右に寄れ」
「えーっ、大丈夫かよ」
「このままでも大丈夫じゃねえんだから、賭けるしかないだろ」
納得はしていないようだったが、リムレモは右へと移動を始める。これに二人の道化から笑い声が飛んだ。
ノッポが嗤う。
「いまさらそれが何になるのかね、ハイ」
デブッチョも嗤う。
「そんなものに付き合っていられないのデス」
二人の道化は俺とリムレモを指さした。
「射貫け、天地の槍」
天から降る水の槍と地面のトゲとがねじれて生まれた槍は、一瞬で伸び俺の心臓を貫く、はずだった。
目の前の空間に、突然人影が現われなければ。
槍に胸を貫かれたその後ろ姿は、確かに俺の記憶にあった。
「パルテア!」
突如目の前に現われたパルテアの胸の真ん中を、天地の槍はまるで狙ったかのように貫いた。二人の道化は困惑したものの、動揺はしなかった。相手がネーン家の占い師であることくらいは見ればわかる。しかし所詮は人間が一人死んだだけのこと、驚く必要も慌てる価値もないからだ。
このまま天地の槍を伸ばせばスリングの心臓も貫ける。二人の道化はパルテアの死体を無視した。
だがそのとき、二人の道化は声を聞いた。
――これは最初で最後、たった一つの魔法
それが誰の声であるかを理解する前に、天地の槍を伝わって二人の道化の内側へと情報の洪水が押し寄せる。
「なっ?」
「何が」
驚く道化たちに不思議な声は告げた。
――これは私の、そして私たち占術家の、ひいては我々人類の、知識と記憶の蓄積
歴史の中に消えて行った無数の名もなき人々の願いが、祈りが、苦悩が、勇気が、悲哀が、情熱が、孤独が、知恵が、そして愛が、大量の情報となって流れ込んでくる。それは二人の道化の処理能力を超越した。
「グガガゴガゴガガガァッ!」
意味不明な叫び声を上げた道化たちは、耳と鼻と口から煙を吐いて卒倒する。
しかし情報の流れは止まらない。道化の向こうに連なるものへ、すなわち世界樹へと走る。
その流れの前に立ちはだかったのは、銀色の髪の少女。
「小賢しい」
彼女の背後には、また別の歴史を生きた無数の人々の思いが。パルテアが発した情報の流れは、ここで食い止められた。
突如天空に現われた赤い光の帯が、カーテンのように揺れる。気温が一気に下がり、世界樹の周辺には霜が降りた。白い閃光が天地を貫けば、切断される世界樹の根。その断面を凍らせる冷気は、一瞬で世界樹全体を覆い尽くす。
凍結から逃れようと身をよじる世界樹を余所に、ランシャは魔剣レキンシェルを空に向け、切っ先で正方形の内側に円、さらに内側に正三角形を描く。呪印である。
上空に浮かんだ巨大な呪印の白い紋様が輝き、そして地面の世界樹に叩き付けられた。怨嗟の声にも似た軋む音を立てながら、世界樹はボロボロと崩壊して行く。それを見つめるランシャの目に感動はなかった。彼にとっては至極当然の結末であったのかも知れない。
「降れ」
俺は咄嗟に氷で屋根を作った。そこに伝わる衝撃、そして周囲にそそり立つ、無数の透明な槍。いや、水だ。水の槍を降らせたんだ。
するとデブッチョの道化が地面を指さした。
「生えろ」
リムレモが俺を抱えて飛び上がる。上空から見下ろせば、さっきまで俺たちのいた場所に無数のトゲが生えていた。だったら。
「トゲトゲの尖り尖った栗の皮、触れる手にトゲ足にトゲ!」
オマジナイを唱えれば、二人の道化の周囲にもトゲトゲが出現した。ところが二人の道化はそれを平気で踏みつけ、痛がる様子など毛の先程もない。ダメだこりゃ。
「リムレモ、おまえあとどれくらい持つ」
俺の言葉に、リムレモは怒ったような声を返した。
「もう持つ訳ないだろ。あと一回転移魔法使ったらスッカラカンだよ」
「俺とあんまり変わらねえか」
これはマズい。本格的にヤバいぞ。
世界樹はランシャに巻き付けた根を、何度も何度も執拗に地面にぶつけている。ランシャ本人は心配ないと思うが、さすがに俺たちを助けてくれと言える状況でもあるまい。困った。策が思いつかない。
いまここに至ってみれば、フルデンスを連れて来なかったのは失敗だったかも知れない。だがバレアナ姫の周囲を無防備にはできないし、最強の駒は最後に取っておく必要もある。何だよ、どうしようもねえじゃんか。
ノッポの道化がまた言った。
「降れ」
デブッチョの道化がまた言った。
「生えろ」
空から降る水の槍と地面から伸びるトゲに挟まれて、俺は氷を球形に張り巡らせて防いだものの、もう限界だ。氷の厚さを維持できない。ビシビシと音を立てて上下左右に亀裂が走って行く。
二人の道化が声を揃えた。
「天地、交われ」
空から降り続く水の槍と、地面から生え続けるトゲが、俺たちの目の高さで交差したかと思うとグルリとねじれて渦を巻く。そのねじれは先端を水平に俺たちの方に向け、まるで嘲笑うかのようにゆっくりと回転した。
この先端が伸びれば、俺の心臓は貫かれるだろう。もはや万事休す、といったところか。リムレモにしても、もうこの高さを維持するだけで精一杯のようだ。上へ下へと自由に飛び回る余裕などすでにない。悔しいが、俺たちは。
「待たれよ!」
そのとき聞こえた声は、俺のまったく知らない声。いや、リムレモも、二人の道化もまるで心当たりがないという顔をしている。
それはボサボサ髪と長いヒゲに覆われた、どこに顔があるのかわからない男。泥と垢にまみれたボロボロの服で、杖のように地面に突き立てる長い棒の先には、人間のドクロが乗っていた。
手にする赤い数珠のようなものを振り、時折手の中をのぞいている。
「あと少し右に寄られたい!」
これは、俺たちに言っているのか? それとも道化たちに? だいたい少し右に寄って何がどうなるというのだろう。
「我が名は占術師フロッテン・ベラルド! 占術師パルテアの言葉に応じここへと参った!」
パルテアの知り合い、だと? ならば。
「ただちに右に寄っていただきたい!」
俺は決めた。
「リムレモ、右に寄れ」
「えーっ、大丈夫かよ」
「このままでも大丈夫じゃねえんだから、賭けるしかないだろ」
納得はしていないようだったが、リムレモは右へと移動を始める。これに二人の道化から笑い声が飛んだ。
ノッポが嗤う。
「いまさらそれが何になるのかね、ハイ」
デブッチョも嗤う。
「そんなものに付き合っていられないのデス」
二人の道化は俺とリムレモを指さした。
「射貫け、天地の槍」
天から降る水の槍と地面のトゲとがねじれて生まれた槍は、一瞬で伸び俺の心臓を貫く、はずだった。
目の前の空間に、突然人影が現われなければ。
槍に胸を貫かれたその後ろ姿は、確かに俺の記憶にあった。
「パルテア!」
突如目の前に現われたパルテアの胸の真ん中を、天地の槍はまるで狙ったかのように貫いた。二人の道化は困惑したものの、動揺はしなかった。相手がネーン家の占い師であることくらいは見ればわかる。しかし所詮は人間が一人死んだだけのこと、驚く必要も慌てる価値もないからだ。
このまま天地の槍を伸ばせばスリングの心臓も貫ける。二人の道化はパルテアの死体を無視した。
だがそのとき、二人の道化は声を聞いた。
――これは最初で最後、たった一つの魔法
それが誰の声であるかを理解する前に、天地の槍を伝わって二人の道化の内側へと情報の洪水が押し寄せる。
「なっ?」
「何が」
驚く道化たちに不思議な声は告げた。
――これは私の、そして私たち占術家の、ひいては我々人類の、知識と記憶の蓄積
歴史の中に消えて行った無数の名もなき人々の願いが、祈りが、苦悩が、勇気が、悲哀が、情熱が、孤独が、知恵が、そして愛が、大量の情報となって流れ込んでくる。それは二人の道化の処理能力を超越した。
「グガガゴガゴガガガァッ!」
意味不明な叫び声を上げた道化たちは、耳と鼻と口から煙を吐いて卒倒する。
しかし情報の流れは止まらない。道化の向こうに連なるものへ、すなわち世界樹へと走る。
その流れの前に立ちはだかったのは、銀色の髪の少女。
「小賢しい」
彼女の背後には、また別の歴史を生きた無数の人々の思いが。パルテアが発した情報の流れは、ここで食い止められた。
突如天空に現われた赤い光の帯が、カーテンのように揺れる。気温が一気に下がり、世界樹の周辺には霜が降りた。白い閃光が天地を貫けば、切断される世界樹の根。その断面を凍らせる冷気は、一瞬で世界樹全体を覆い尽くす。
凍結から逃れようと身をよじる世界樹を余所に、ランシャは魔剣レキンシェルを空に向け、切っ先で正方形の内側に円、さらに内側に正三角形を描く。呪印である。
上空に浮かんだ巨大な呪印の白い紋様が輝き、そして地面の世界樹に叩き付けられた。怨嗟の声にも似た軋む音を立てながら、世界樹はボロボロと崩壊して行く。それを見つめるランシャの目に感動はなかった。彼にとっては至極当然の結末であったのかも知れない。
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