老い花の姫

柚緒駆

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56.逃げろや逃げろ

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「我が名は『黄昏の魔女』ジルベッタ。この手にかけられたことを、せいぜいあの世で自慢することだね!」

 拳ほどの大きさの夕焼け色の輝きが、唸りを上げて飛んで来る。その前に立ちはだかる氷の壁。同時にリムレモが転移魔法で俺を連れて跳んだ。いや、跳ぼうとしたのだ。しかし俺たちは地面に墜落した。

「ああ、言うのを忘れていたよ。この結界の中では転移魔法は禁呪だ。逃げたいのなら、私を倒しな」

 ジルベッタはふんわりと地面に降り立つ。

「しかしこの国で精霊魔法の使い手に会えるとはね。師匠は誰だい。どこで修行した」

「生憎と、答えられることは何もないんだ」

 俺は立ち上がり、背後ではリムレモがようやく体を起こしている。こっちは病み上がりが二人、長い時間は戦えない。どうする。

 一方ジルベッタは、周囲にいくつもの丸い夕焼け色の輝きを浮かべて近付いて来た。

「そいつは残念だね。なら素直に殺されな」

「そりゃもっと無理だ」

「無理は承知の上だよ」

 にらみつけるジルベッタに向かって、リムレモが突進した。周囲の風が吼える。一撃で決める気か。

「おおおおおぉっ!」

 俺の目には見える。リムレモの前方に高速で回転する風の塊が槍のように伸びているのが。だがその先端に、夕焼け色の輝きが集結した。風の回転が止まる。反動でリムレモの体が逆に回転し、地面に叩き付けられた。

「地を焼き燃え立て炎の翼よ、千を灰とし万を照らせ」

 リムレモの心配をしている場合じゃない。俺はオマジナイを唱えた。ジルベッタの全身は炎に包まれる。リムレモは強風で吹き消したが、こいつはどう出る。

 どうも出なかった。炎に身を焼かれながら、ジルベッタは平然としている。

「ほう。氷の精霊魔法を使うとばかり思っていたが、呪文詠唱で炎の精霊魔法まで使えるのかい。こりゃ器用だ。精霊魔法の使い手にしちゃ有り得ない器用さだねえ」

「へえ、随分と精霊魔法に詳しいんだな」

「年寄だからね。知識と経験だけは若いもんには負けないのさ」

 そう言うとジルベッタは右手の人差し指をピンと立てる。途端、全身の炎はその指先へと収束し、夕焼け色の輝きとなった。

「もっとも、この私に炎系の魔法を使う間抜け相手じゃ、知識も経験も必要ないかも知れないけどね」

 どこが知識と経験「だけ」なんだか。とんだバケモノじゃねえか。

「……ちっくしょう」

 もはやズタボロのリムレモが立ち上がる。

「元気なときだったら、こんなヤツ一発で吹っ飛ばしてやるのに」

 ジルベッタはニンマリ笑う。

「そいつはお互い様さ。こんなワチャワチャと気忙きぜわしいときじゃなかったら、おまえたちなんぞ、とっくに灰になってるところだけどね」

 思わず愚痴ったジルベッタの言葉に、俺はあることをひらめいた。気忙しい、ということはつまり。

「リムレモ、時間を稼げ!」

「な、何だよ」

 しかしジルベッタはすぐに気付いた。

「そうはさせないよ!」

 無数の夕焼け色の輝きが黄昏の魔女の周囲に湧き立ち、竜巻のように渦を巻きながらこちらに向かって来る。

 だがそれを迎え撃つのは本物の竜巻。

「なめるなぁっ!」

 さすが風の大精霊、リムレモの起こした竜巻はジルベッタのそれを押し返す。いまだ、この隙に。

「緑のオナモミくっつき増える、百二十八つの子沢山」

 俺はリムレモのマントの襟首をつかむと走り出した。当然、ジルベッタは追いかけようとするだろう。しかし、それは簡単ではない。

 何故なら俺とリムレモの姿は二つに分かれ、四つに分かれ、八つに分かれ、最終的に百二十八体に分身してあちこちに逃げ出したからだ。これにはジルベッタも唖然としていた。

 けれど。

「ふざけるんじゃないよ!」

 怒鳴りながらジルベッタの姿も八つに分身した。いかん、これでは一人のジルベッタが俺とリムレモを十六回叩き潰せば終わりだ。しかも俺の使った分身の術は光の精霊魔法、ジルベッタの分身とは違ってただの影に過ぎない。

 だがこの期に及んでは、もう他にできることなどない。逃げろや逃げろ、とにかく逃げろ。いまは逃げるしかないんだ。



 対峙する顔面包帯グルグル巻きの白髪の男に向かい、夕焼け色の輝きで剣を形作り、ジルベッタは斬り込んだ。しかし敵の白い魔剣はそれを軽々と受け止める。軽々と、楽々と、易々と。ジルベッタの渾身の一撃を苦もなく弾き返すのだ。

 強い。分身一人で戦うのは困難な相手なのは間違いない。ジルベッタは歯がみする思いだったが、ただ不幸中の幸い、こいつの目的は皇太子殿下でも宮殿の離れでもないらしい。ならば足止めができるだけで良しとする。ここは時間を稼いで、まず他の連中を叩き潰すのだ。この男を倒すのはその後でいい。それがジルベッタの計算であった。

 だが困ったことに、他人は計算通りに動いてくれないものなのである。

 何度目かの剣戟の後、相手は不意に白い魔剣の切っ先を下ろした。それが隙に見えたジルベッタは一気に踏み込み、胸元へ突きを放つ。誘い込まれたのだと気付いたのは、下から上に雷の速度で、右腕を切断されたとき。

 しかし所詮は分身の腕一本、慌てはしない。距離を取り腕を修復すれば何とでもなる。と、高をくくっていたのだが、敵の踏み込みが速い。切っ先をかわしたつもりだったのに、左腕まで斬り飛ばされた。

 しまった、いかに分身とは言え、息の根まで止められては本体への負担が大きすぎる。やむを得ない、一旦退却して……。

「ばあば!」

 その声に振り返れば、走り寄ってくるオブレビシア。まさか。何故こんなところに。

 白い魔剣の男の動きが止まった。見ている。その透き通った瞳でオブレビシアを。いけない!

「姫様!」

 ジルベッタは全力で駆けた。短い距離だ、転移魔法を念じている間に敵が先んじてしまう。だがそのジルベッタのすぐ横を追い越して行く白い風。魔剣は三日月を描きオブレビシアの頭部へと振り下ろされた。

 硬い物同士がぶつかる音と衝撃波。

 周囲の気温が一気に下がり、霜に覆われる。ジルベッタは息を呑んだ。

 白い魔剣の一撃を、分厚い氷の壁が受け止めている。無数の亀裂が走り、いまにも崩れ落ちそうなそれを両手で支えるのは、あの精霊魔法の使い手。

「何してやがんだ、ランシャ!」
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