老い花の姫

柚緒駆

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49.正確に、実直に

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 月夜の砂漠で少年が、一人砂丘に立っている。この世のすべてを見通す、透き通った眼の少年が。

――ランシャよ

 これは誰の声だろう。聞き覚えがあるような老人の声。

――ランシャよ、忘れるな。おまえは一人ではない

 するとランシャと呼ばれた少年は振り返った。その姿は、白髪の顔面包帯グルグル男。

「ああ、そうかもな、サイー」



 眩しい。何でこんなに眩しいんだろう。世界が揺れている気がする。あまりいい気分とは言えないな。でも手が暖かい。とても暖かいものが手の中にある。

「……!」

 誰かの声が聞こえる。声? 声なのだろうな、意味はわからないけど。

 ああ、少し目が見えてきた。何かがある。目の前に何だろう。これは、あれ、顔か。

「……ますか!」

 言葉だ。言葉が聞こえる。この声は。

 目の前で揺れていた誰かの顔は、俺がよく見知っている顔へと変わって行った。

「聞こえますか! 返事をしてください! スリング!」

「嫌だなあ……聞こえてますよ、姫」

 バレアナ姫は突然俺の胸に突っ伏すと、まるでダムが決壊したかのように泣き出した。よくよく見えれば姫の向こう側で、マレットとレイニアも抱き合って泣いている。いったい何を泣いているのだろう。何を……何を?

「あぁっ!」

 思わず俺は跳ね起きた。驚いているバレアナ姫に慌ててたずねる。

「何日ですか、俺は何日倒れてました」

「み、三日です」

 三日。だとすれば、さすがにまだ封印は解けていないか。俺は大きく息を吐き出すと、もう一度横になった。

「はあぁ、あっぶねえ」

 ヤバいヤバい。こっちがグースカ眠ってる間にぶっ殺されなくて運が良かったとしか言いようがない。何てこったい。あんなヤツが敵に回るとか、さすがに考えてなかった。その点、甘かったと言えば甘かったんだが、この国にいまどきあんな大精霊が出て来るとか思わねえもんなあ。

 しかし困った。こりゃ近日中に態度を明確にしなきゃならない。

 あの風の大精霊が王族の誰とも無関係なんてことはまずあるまい。「様子を見ろって言われた」って話してたよな、確か。つまり指示を受けてた訳だ。誰にだ。ウストラクトか、ロン・ブラアクか、それともそれ以外の誰かか。

 誰とも手を組まずバレアナ姫を孤高の王族として支える、なんてのは普通の人間同士で角突き合わせてるときには面白いかも知れないが、この期に及んではさすがに洒落にならない。次に姫の首が狙われるのは火を見るよりも明らかだからだ。いまのままで護りきれる自信はない。

「姫」

 俺の言葉にバレアナ姫はこちらをのぞき込む。

「何でしょう」

「フルデンスから聞いたかも知れませんが、いまはとにかく厄介な状況です」

「ええ、そのようですね」

「面倒事があるんですけど、引き受けていただけますか」

「わかりました。引き受けましょう」

 いやいやいや、俺はちょっと慌ててしまった。

「内容くらい聞きましょうよ」

「あなたが必要だと思うことなら、私にとっても必要なはずです。違いますか」

 そう言って微笑む。まいったな、責任重大なのはわかってたけど、こりゃ想像以上に大変かも知れない。

 俺はマレットとレイニアに視線を移してこう言った。

「リンガルを呼んで来てくれないか」



 オルダック公爵領への派兵は目的を達していた。ミトラの見立て通り、俺のオマジナイで穴ぼこに落ちたネーンの軍勢はリルデバルデの軍と戦うことなく撤退し、オルダックに追撃を思いとどまらせるのにも成功した。下手に追撃を許して返り討ちにされでもしたら目も当てられない。

 オルダック公爵には、礼には及ばぬと伝えてある。そんなものは必要ない。重要なのはこちらの領地に影響のある事態が起こったとき、リルデバルデ家は速やかに、率先して軍を動かし、相手が誰であろうと立ち向かうという「事実」だ。それを周辺の大貴族たちに見せつけられたのは何より大きい。舐めてかかっていた連中は冷や汗をかいたろう。

 言い換えれば、俺の負傷が唯一の誤算だった訳だ。だが、これは俺自身を含めて誰も責められない。あんなのが出て来るなんて想定外にも程がある。とは言え、この先はそうは行かない。あれが出て来るという前提で動かなきゃならん。何とも厄介な。



 リンガルは厳粛な面持ちで寝室に入ってくると一礼した。

「王子殿下のご無事のお目覚め、お喜び申し上げます」

 僅かに笑みをたたえ、平然として見える。俺はバレアナ姫の助けを受けながらベッドに身を起こし、単刀直入に言った。

「ロン・ブラアク殿下の配下に風の精霊がいるのかな」

 リンガルの表情は変わらない。変わらなさすぎた。言っている意味がわからなければ、不審なり怪訝なり表情が動くはずだ。それが変わらない。それどころか。

 あー、これはアレだな。

 まったく表情の変わらない顔を汗がしたたり落ちている。ドクドクと音がしそうな勢いで。完全に当たりだ。あの風の大精霊がロン・ブラアクの配下でないのなら、それはそれで違う対応を考えなきゃならなかったんだが、どうやらその必要はないらしい。

「さてどうしようか。おまえの首を撥ねてロン・ブラアク殿下に送りつける……」

 リンガルの汗が増量した。まるで滝のように。

「なんてのも考えたけど、やめておこう」

 ここでようやくリンガルの表情に変化が生まれる。

「ワタクシめを、お許し、いただけるので」

「誰も許すとは言ってないけど」

 これにまた滝のような汗。俺は苦笑した。

「ロン・ブラアク殿下にこちらの意向を伝えてもらいたい。正確に、実直にな」

「どのようなご意向でございましょう」

「リルデバルデ家はロン・ブラアク殿下と同盟を結び、ウストラクト皇太子と戦う」

 驚いたリンガルの目が丸くなる。まあ、さもありなん、か。俺は続けた。

「ただしウストラクト皇太子を倒した後、リルデバルデ家は王族の籍を離脱し、リルデバルデ領は独立、バレアナ・リルデバルデを大公としたリルデバルデ公国を興すことをご了承いただきたい、と」

 リンガルは息を呑んだ。

「それ、を、ワタクシめが」

「そうだ。おまえがロン・ブラアク殿下に伝えるんだ」

 しばし呆然としていたリンガルだったが、やがて胸に手を当て頭を下げた。

「承りましてございます」
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