老い花の姫

柚緒駆

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47.捨て駒

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 王国最南端の港町。行き交う人々の肌の色も使う言葉も、首都近郊とはまるで違う。毎日のように粗末な船で移民が上陸して来る海の玄関口。そんな町の夜、しかも酒場ともなれば濃密で剣呑な空気が渦を巻く。

 旅人姿の背高ノッポと小柄なデブッチョの二人連れが店に入ってきたときも、誰一人注意を向けない。しかし皆、頭の中では考えていた。誰が手を出す。どうやってむしり取ってやろうか。

 だがその二人が店の一番奥の席、一人手酌で静かに酒を飲む男に用があると見て取ると、誰もが興味を失い意識から消した。世の中には、可能な限り関わり合いにならない方がいいヤツもいるのだ。

 壁にもたれながらチビチビと酒を飲む、褐色の肌の男。背はさほど高くはないし、痩せているし筋肉質でもない。手元には杖があり、左足は棒のような木の義足だ。目の前にデコボココンビが立ったことにも気付かないのか、酒の残り少なくなったグラスを酒瓶にコンコンと当てながら、トロンとした目つきでため息をつく。

 小柄なデブッチョが声をかけた。

「おまえが『クモ』デスね」

 背高ノッポが後を続ける。

「ちょっと頼みたい話があるのだがね、ハイ」

 するとクモと呼ばれた男は視線を動かさないままこう言った。

「お金ちょうだい」

 デコボココンビは顔を見合わせる。クモは口の端で笑った。

「話聞くんは相談料要りますやんか、普通」

 背高ノッポは懐から革袋を取り出すと、酒瓶の隣に置いた。クモは中身も確かめずにこう言う。

「金貨三十枚いうとこですか。相談料にしては、えらい多めですなあ」

「相談料と仕事代デス」

 小柄なデブッチョの言葉に、ようやくクモは視線を向けた。

「わたいに断られる可能性は考えへんかったんですか? それはまた何とも傲慢で気に入らんのやけど」

 これに背高ノッポが答える。

「おまえにしかできない『面白い』仕事ですからね、ハイ」

「へーえ」

 クモはグラスを静かにテーブルに置いた。

「まあええわ、話だけは聞きましょか」



 北方のとある街、暗い裏路地の奥の奥。地面を歩いてたどり着こうとすれば方向感覚がメチャクチャに狂い、誰もが迷う迷路の最深部にその建物はあった。道に接する壁面には窓も扉もない、奇妙で大きな立方体。屋根にある空に向いた四角い穴こそが、ただ一つの入り口である。

 その建物の地下のガランとした無機質な一室で、ジュジュは目を覚ました。何日ぶりなのだろうか、随分長い間眠っていたことはわかる。あの堕天使に力を喰らわれ、肉体と魂までも飲み込まれようとした寸前、「何か」が起こったのだ。何が起こったのか。何故自分はこんな場所にいるのか。わからない。記憶にない。いったい他のみんなは。

 と、金属が軋む音を立てて灰色の扉がゆっくりと開いた。立っていたのは白黒まだらな髪を後ろになでつけた、目の鋭い男。

「ようやく目が覚めたか。ついて来い、仲間に合わせてやる」

 ジュジュがまだ少しボンヤリとした頭で起き上がり、ふらつく足で男の背を追うと、壁にランタンを灯した石造りの廊下を延々と歩かされた。外からの音は何も聞こえない。ただ足音だけが冷たく響く。

 やがて廊下の突き当たりに、さっきの部屋より大きな黒い金属製の扉。男がそれを重そうに開くと、中からは暖かい光がこぼれ出た。だが。

 そこにあったのは、まるで大きな鳥籠。中には亡霊騎士団の面々が捕らわれている。

「ジュジュ!」

 かろうじて声を上げられたのは、ヒノフただ一人。それ以外はみんな倒れ込み、座り込んで身動きが取れないようだ。

「みんな!」

 思わず駆け寄ったジュジュの背後で黒い扉は閉じた。その途端、右側の壁が低い音を立てて持ち上がる。その向こうから姿を見せたものは。

 赤い目が八つ、関節が三つある脚が六本、口からは長い舌と粘液を垂らす、見たこともない獣。

――さあ、戦え

 部屋のどこからか声がする。

――この毒獣と戦い、倒し、その肉を喰らえ。おまえたちが生き残るにはそれ以外ない

 ジュジュの視界に赤い光が輝く。鳥籠の中で身を起こしたアルバの手に魔剣。それが素早く動くと鳥籠は斬り払われ、出口が開いた。しかしアルバはそのまま倒れ込み、立ち上がることができない。デムガンが足を引きずりながら抱きかかえ、何とか鳥籠の外へと連れ出した。



 ジュジュを案内した白黒まだらな髪の男は、部屋の天井近くにあるのぞき窓から中を見つめて苦笑をもらした。

 馬鹿なヤツらだ、鳥籠の中にいれば毒獣の牙からは身を守れるというのに。ここはあの女を囮にして、自分たちは鳥籠の中から毒獣の動きを観察すれば、助かる確率は上がったのだ。それをわざわざ出て来るとは、まったく愚かな。

「魔剣など使えたところで宝の持ち腐れだな」

「その点は同意する」

 突然聞こえた声に、驚いた男は壁にへばりついた。そこに立っていた者には見覚えがある。それはそうだ、こいつがあの連中を連れて来たのだから。

 顔を包帯でグルグル巻きにした白髪は、壁際からのぞき窓を見つめて言う。

「あの毒獣を育ててどうするつもりだ」

「き、貴様、いったいどこから入って来た!」

 その瞬間、白黒まだらな髪の真ん中が剃り上がった。相手は動いていないのに。

「同じことを二度は聞かない」

 額から頭の真ん中を刈り上げられた男は、目に涙を浮かべて腰を抜かした。

「あ、あの毒獣を育てるつもりはありません。連中には、あの毒獣を殺して肉を食らってもらえれば、その」

「肉を食えばどうなる」

「ひ、人の姿をした毒獣になります」

「これまでに作った毒獣はどこへやった」

「わかりません。本当です、私は、金をもらって、ただ」

 しゃくり上げながら泣き叫ぶ男の目の前で、相手の右手に白い輝きが剣を形作った。

「ひいぃっ!」

 白い光が宙を走り、男の首……は飛ばず、代わりにのぞき窓のある壁が四角く切り取られる。壁はゆっくりと鳥籠のある部屋の内側に倒れて行き、地響きを立てて床に落ちた。

 驚きこちらを見ている毒獣に、白い魔剣を振れば首が撥ね飛ぶ。しかし、飛んだその首が牙を剥いて食いつきに来た。これを白い魔剣は軽々と叩き落とすが、その向こうから今度は胴体が襲いかかって来る。けれどこれも一瞬で凍り付き、大小様々な氷の立方体へと斬り分けられ、床へと落ちた。そのままピクリとも動かない。

 白髪の顔面包帯グルグル巻きは壁に開いた穴から床へと降りた。亡霊騎士団の面々は唖然としているが、警戒は解いていない。白髪は言う。

「礼をしろとは言わないし、おまえたちに助ける価値があるとも思わない」

「……なら、何故助けた」

 呻くようなアルバの言葉に、相手はこう言った。

「どうしても捨て駒が要る。それを了承するのなら、ここから連れ出してやろう」
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