老い花の姫

柚緒駆

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46.死闘

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 昔々、と言っても十年ほど前の話。

 父親の狩りに無理矢理同行させられたロン・ブラアクは、森の中で道に迷ってしまいました。

 どちらに行けば宮殿にたどり着けるのかわからず、右に行き、左に曲がり、また右に折れしているうちに、ドンドン森の奥へと進んでしまいます。

 一人では心細く、お腹も空いてくるし、どうしたものかと困っていると、不意に目の前が広々と開けました。

 そこには花畑があり、湧き水が小さな泉を作り、脇には粗末なほこらがあります。その祠に近付いてみると、誰かが供えたのでしょうか、卵が一つありました。

 これは神のお恵みかも知れない。お腹の空いていたロン・ブラアクは食べてしまおうと卵を手にしました。そのときです。

――ボクを食べないで

 なんと卵から声がします。驚いたロン・ブラアクが見つめていると、卵はこう言いました。

――ボクを助けてくれたら、あなたに名誉と栄光を約束しましょう

 しかしロン・ブラアクは卵など信用しません。やはり食べよう、と卵を握りしめれば。

――だったら千里眼もあげますから!

 少し迷ったものの、ロン・ブラアクは卵を祠に返しました。すると。

 途端、卵にヒビが入り、殻が砕け散りました。中から生まれたのは小さなつむじ風。それがだんだん大きくなり、ロン・ブラアクほどの大きさになった次の瞬間、裸の子供の姿になったのです。西の海のはるか向こうにある岩の大陸に暮らす民族にそっくりな、顔の真ん中に赤い十文字を描いた子供に。

「はじめまして! ボクはリムレモ!」



 顔の真ん中に赤い十文字を描いた少年の小さな体、その小さな左手が俺の右手を握り潰そうとしている。俺は拳に稲妻の力を込めながら全力で振り払おうとした。相手の体は激しく輝き、周辺に火花が散っている。だがダメだ、まるで通じていない。

「無駄だよ」

 少年は笑う。影のない健やかな笑顔。

「キミがどんな凄い魔法を使っても、それはただの精霊魔法。精霊の力を借りて現象を起こしてるだけ。人間や魔族には通じても、ボクには通じない」

 と、そこに迫る黒い影。少年が右手をかざすと、目には見えない障壁が魔蛇の一撃を受け止めた。いや、一撃ではない。八つに切り分けられた部分がそれぞれ攻撃をしたのだから八撃か。何にせよ少年は軽々と受け止めたように見えた。

 とは言え一瞬、左手の握力が弱まったおかげで、俺は何とか手を振り払えた。少年は宙に浮かぶフルデンスを見ている。

 空中を漂うフルデンスの暗黒の大蛇は再び一体となろうとした。しかし切断面を合わせてくっつけようとしても、蛇の体はすぐズレてしまう。

「これ、何をしているのだ」

 フルデンスが叱りつけるものの、大蛇はどうしても一体となれないようだった。

「それも無駄だね」

 少年はまた笑っている。

「いくら魔族でも、ボクの風に斬られた体はそう簡単に元に戻れない」

「なるほど、『呪い』か」

 自称魔王の言葉に、少年は驚いて目を丸くした。

「へえ、わかるんだ」

 これにフルデンスは不愉快げに扇を閉じた。

「わからいでか。貴様、精霊だな」

 そのとき、遠くから響き渡るラッパの音。リルデバルデの軍隊がネーン軍を包囲した合図。

「フルデンス!」

「わかっておるわ!」

 俺の声に応じて、八分割された魔蛇の巨体が少年を取り囲み押し潰そうとする。もちろんそれで倒せる相手のはずもない。だが数秒の時間が必要なのだ。

 俺は左手を地面に付いた。

「ヒソヒソ聞こえる土の下、モグラの親子が言うことにゃ、網の目穴ぼこ足下注意!」

 オマジナイを唱え終わった直後、俺の目の前にフルデンスの乗った魔蛇の頭が叩き付けられる。

「いま他人の心配かい? 随分と余裕があるんだね」

 少年の声には僅かに怒りが混じっていた。

 グッタリしている蛇の頭の上、フルデンスは開いた扇で口元を隠す。

「人の子、時間を稼げるか」

「……やってみるさ」

 何か手があるのだろう。迂闊に信用していい相手じゃないが、いま疑っても意味がない。俺は念じた。脳裏に浮かぶ氷の魔獣。

 少年の周囲に分厚い氷の壁が立つ。

「無意味だね」

 壁は一瞬で儚い雪片となり風に散る。

 だがその外側をさらに厚い氷で囲んだ。

 それも、ものの数秒で白い吹雪と化した。

「言ったろ、ボクを精霊魔法で抑え込むことはできないんだ」

 さらにさらに分厚い氷が立ちはだかる。

「精霊だから? それは少し違うよ」

 恐ろしく速く硬い風が、荒いヤスリの如くあっという間に氷の壁を削り尽くした。

「ボクが風なんだ。ボクこそが、この世界の風を司る風の大精霊なんだ!」



 リムレモが叫んだとき、そこに見たのは真っ白な銀世界。人の子も魔族もいない静寂。

「え、逃げられた?」

 困惑するリムレモの前を、雪ウサギがピョンコピョンコと跳ねて通り過ぎた。

「……訳はない!」

 猛烈な風が周囲の雪を吹き飛ばす。その下から出現する黒い魔蛇の頭。目には紫の光をたたえ、口を大きく開き、後頭部も花弁のように開いている。内側の空間に蠢く小さな闇。

 頭の上で身を低くした魔族が叫んだ。

「飲み込め! 『重力崩壊』!」

 猛烈な空気の移動。唸りを上げて風が、草が、土が魔蛇の口へと飲み込まれて行く。リムレモはそれに抗おうとした。だが彼が司るはずの風が言うことを聞かない。すべてがただひたすらに魔蛇に飲み込まれ続けるのみ。

 しかしリムレモは理解していた。この世界に無限はない。いま起こっている現象がいかに強大な魔力によるものであっても、限界は必ずある。それに。

 空気さえあれば風は吹く。あの蛇の頭に乗った魔族の周囲にも空気はあり、風は吹くのだ。ならば、この吸い込む力がほんの少し弱まれば、あの魔族をみじん切りにできるだろう。それまで耐えれば……。

 そのとき、リムレモは見た。巨大な蛇の頭の陰に隠れるように、後ろで片膝をつくスリング王子が、血にまみれた左の手のひらをこちらに向けながら渦巻きを描いているのを。何をしてるんだ? そう思うリムレモの視界の中で、スリングはさらに素早く斜め十文字を描き加えた。

 衝撃と共にリムレモの体に焼き付けられる、斜め十文字。

「なっ!」

 そして渦巻き。

「がぁっ!」

 燃え上がるような熱と、意識が飛ぶほどの痛み。これは、まさか。リムレモはそれを知っていた。知っていたからこそ納得できない。

「呪印、だと? 馬鹿な、人間なんかに、そんなはずは!」

 焼ける、体が焼けてしまう、燃え尽きてしまう。どうにか、しない、と。リムレモの意識はそこで途絶えた。



 少年の姿はかき消えた。暗黒の魔蛇は口を閉じ、暴風の唸りも消え失せる。

 フルデンスが怪訝そうに振り返った。

「倒した、のか」

「まさか。封じるので精一杯だよ」

 左腕は氷を使って自分で傷つけたのだが、ちょっと傷が深すぎたかも知れない。流れ出る血が止まらない。

「どのくらい封じられる」

 フルデンスの目に意地悪げな光が見える。くそ、こいつの前で弱みを見せたのは失敗だったか。

「長くて一週間、かな」

 ダメだ、血が流れ過ぎている。力も目一杯使ったしな、ハハ、こりゃマジでヤバいぞ。意識が朦朧としてきた。あ、何やってんだ俺、イタドリのオマジナイなら血も止まったはず、な、の……
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