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42.講義
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親父殿は朝飯も食わずに領地に戻るという。
「スタークもスリッジもまだ半人前よ。領地を任せるには到底力が足りておらぬ。うぬとは違ってな」
リルデバルデ家の所有する一番デカい馬に乗せたのだが、それでも重みに潰れそうだ。無事に領地まで到着してくれるだろうか。
「やっぱり馬車で送るよ」
そう言い出した俺に、親父殿はフンと鼻を鳴らした。
「その必要はない。領主は領地のことを、王族は王家のことを考えておればいいのだ。うぬには急いでやらねばならんことがあろう。そちらに注力せよ」
「ああ、それはまあ」
俺は屋根の吹き飛んだ影屋敷を見上げた。確かに、まずはこれを何とかしなきゃな。
「では達者でおれ。これが今生の別れとなるやも知れぬが、気にするな」
俺は苦笑を返すしかない。
「嫌かも知れないけど、いつかまた顔を出すよ」
「奥方にはそう伝えておこう。さらばだ」
親父殿は馬の頭を回し、背を向けて走り去って行く。まったく、アッサリした人だ。
俺はしばらく親父殿を見送った後、背後に立つザンバを振り返り声をかけた。
「俺を恨んでるかい」
ザンバはハッと顔を上げる。
「な、何をおっしゃいます、若旦那様」
それだけ言うとザンバは押し黙り、しばらく沈黙したあとこう続けた。
「……ワシは間違っておったのでしょうか。いや、そもそもアレの育て方を間違うておったのやも知れません」
「悪いけど、正解なんか俺にはわからないよ」
突き放したように思えただろうか。でも、俺には他に言葉がなかった。
「わからないから、だから次にアルバに会ったときも、おまえを止めるかも知れない。絶対に本懐を遂げさせてやると言い切れる自信はない。だけど、ザンバ。それでもおまえは立派な父親だと思う。本当にそう思うよ」
「帰してしまわれたのですか、グランダイン殿を。急いで朝食を作らせましたのに」
バレアナ姫は呆れたように声を上げる。これについては謝るしかない。
「申し訳ない。アルハンには言ってありますので。それに」
俺は周りを見回した。
「食堂がこの有様じゃ」
姫も瓦礫の山と化した食堂を見回し、ため息をつく。
「引見の間にテーブルを置いて食堂代わりにするよう申しつけてはありますが、ここを放置しておく訳にも行きませんね」
そしてイタズラ好きな子供のような笑みを浮かべた。
「あなたのオマジナイで何とかなりませんか」
「何とかと言われましてもねえ、さすがにこれは」
「魔法の小人を呼び出して一晩で元通りにするとか」
「いやいやいや、そんなことができたら、それで商売始めますって」
それを聞いてバレアナ姫が、ぷっと吹き出す。俺も笑った。何だろうな、久しぶりに笑った気がするのは。
「……以上が地政学的観点に基づいた、リルデバルデ領周辺の現状でございます。何かご質問は」
壁際に立つゼンチルダの言葉に、椅子に座ったシャリティは首を振る。
「いや、いつも通りわかりやすい説明だった。とくに質問などないが」
しかしシャリティの隣の椅子から声が聞こえた。そこに座る小さな影。
「リルデバルデ領に隣接する貴族の軍事力の合計は、リルデバルデより四割多い」
ミトラの言葉に、ゼンチルダのドジョウヒゲがピクリと動いた。
「その通りでございます」
「ただし周辺五領のうち現王家、もしくはネーン家にゆかりの貴族は二つ、残り三つは外様。すべてが手を組むとは考えにくい」
「はい、その通りにございます」
「地理的に考えれば北側はロン・ブラアクが接近する可能性がある。リルデバルデが楔を打っておくとしたら南側の貴族」
「はい、はい! まったく左様にございます!」
自分の言葉が通じたことが余程嬉しかったのだろう、興奮して鼻息の荒くなったゼンチルダに、シャリティは苦笑する。
「それで。南側の貴族に使者を立てよと母上に進言しろとでも?」
「使者を立ててはダメ」
そう言い切ったのはミトラ。
「いま使者を立てれば足下を見られるから」
「素晴らしい! 何たる理解力と洞察力。このゼンチルダ、感服致しましたぞ」
見ればゼンチルダの目は感動にウルウルしている。一方のミトラは困ったような顔でうつむいていた。シャリティは面白くない。
そこに扉をノックする音。青い服を着た下女が「失礼致します」と入ってくる。
「間もなく昼食の準備が整うとのことですが、いかがいたしましょう、こちらに運ばせましょうか」
シャリティもゼンチルダもミトラを見る。だがミトラには決められない。
「私は、どっちでもいい」
するとシャリティは立ち上がった。
「引見室でいただこう。親の顔を見るのも嫡男の務めだ」
しかしシャリティはその場に立ったまま動かない。ミトラが立ち上がるのを待っているのだ。ミトラはうつむいたまま椅子から下りると扉に向かい、そのすぐ後ろをシャリティが歩き出した。
「ごめんなさい」
廊下に出ると、ミトラは小さくつぶやく。
「私、また余計なことをした」
「心外ですな」
背後から聞こえるシャリティの小さな声。
「余はそこまで小さな人物ではございません」
ミトラは顔を上げず、ただ無言で歩いた。
「スタークもスリッジもまだ半人前よ。領地を任せるには到底力が足りておらぬ。うぬとは違ってな」
リルデバルデ家の所有する一番デカい馬に乗せたのだが、それでも重みに潰れそうだ。無事に領地まで到着してくれるだろうか。
「やっぱり馬車で送るよ」
そう言い出した俺に、親父殿はフンと鼻を鳴らした。
「その必要はない。領主は領地のことを、王族は王家のことを考えておればいいのだ。うぬには急いでやらねばならんことがあろう。そちらに注力せよ」
「ああ、それはまあ」
俺は屋根の吹き飛んだ影屋敷を見上げた。確かに、まずはこれを何とかしなきゃな。
「では達者でおれ。これが今生の別れとなるやも知れぬが、気にするな」
俺は苦笑を返すしかない。
「嫌かも知れないけど、いつかまた顔を出すよ」
「奥方にはそう伝えておこう。さらばだ」
親父殿は馬の頭を回し、背を向けて走り去って行く。まったく、アッサリした人だ。
俺はしばらく親父殿を見送った後、背後に立つザンバを振り返り声をかけた。
「俺を恨んでるかい」
ザンバはハッと顔を上げる。
「な、何をおっしゃいます、若旦那様」
それだけ言うとザンバは押し黙り、しばらく沈黙したあとこう続けた。
「……ワシは間違っておったのでしょうか。いや、そもそもアレの育て方を間違うておったのやも知れません」
「悪いけど、正解なんか俺にはわからないよ」
突き放したように思えただろうか。でも、俺には他に言葉がなかった。
「わからないから、だから次にアルバに会ったときも、おまえを止めるかも知れない。絶対に本懐を遂げさせてやると言い切れる自信はない。だけど、ザンバ。それでもおまえは立派な父親だと思う。本当にそう思うよ」
「帰してしまわれたのですか、グランダイン殿を。急いで朝食を作らせましたのに」
バレアナ姫は呆れたように声を上げる。これについては謝るしかない。
「申し訳ない。アルハンには言ってありますので。それに」
俺は周りを見回した。
「食堂がこの有様じゃ」
姫も瓦礫の山と化した食堂を見回し、ため息をつく。
「引見の間にテーブルを置いて食堂代わりにするよう申しつけてはありますが、ここを放置しておく訳にも行きませんね」
そしてイタズラ好きな子供のような笑みを浮かべた。
「あなたのオマジナイで何とかなりませんか」
「何とかと言われましてもねえ、さすがにこれは」
「魔法の小人を呼び出して一晩で元通りにするとか」
「いやいやいや、そんなことができたら、それで商売始めますって」
それを聞いてバレアナ姫が、ぷっと吹き出す。俺も笑った。何だろうな、久しぶりに笑った気がするのは。
「……以上が地政学的観点に基づいた、リルデバルデ領周辺の現状でございます。何かご質問は」
壁際に立つゼンチルダの言葉に、椅子に座ったシャリティは首を振る。
「いや、いつも通りわかりやすい説明だった。とくに質問などないが」
しかしシャリティの隣の椅子から声が聞こえた。そこに座る小さな影。
「リルデバルデ領に隣接する貴族の軍事力の合計は、リルデバルデより四割多い」
ミトラの言葉に、ゼンチルダのドジョウヒゲがピクリと動いた。
「その通りでございます」
「ただし周辺五領のうち現王家、もしくはネーン家にゆかりの貴族は二つ、残り三つは外様。すべてが手を組むとは考えにくい」
「はい、その通りにございます」
「地理的に考えれば北側はロン・ブラアクが接近する可能性がある。リルデバルデが楔を打っておくとしたら南側の貴族」
「はい、はい! まったく左様にございます!」
自分の言葉が通じたことが余程嬉しかったのだろう、興奮して鼻息の荒くなったゼンチルダに、シャリティは苦笑する。
「それで。南側の貴族に使者を立てよと母上に進言しろとでも?」
「使者を立ててはダメ」
そう言い切ったのはミトラ。
「いま使者を立てれば足下を見られるから」
「素晴らしい! 何たる理解力と洞察力。このゼンチルダ、感服致しましたぞ」
見ればゼンチルダの目は感動にウルウルしている。一方のミトラは困ったような顔でうつむいていた。シャリティは面白くない。
そこに扉をノックする音。青い服を着た下女が「失礼致します」と入ってくる。
「間もなく昼食の準備が整うとのことですが、いかがいたしましょう、こちらに運ばせましょうか」
シャリティもゼンチルダもミトラを見る。だがミトラには決められない。
「私は、どっちでもいい」
するとシャリティは立ち上がった。
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しかしシャリティはその場に立ったまま動かない。ミトラが立ち上がるのを待っているのだ。ミトラはうつむいたまま椅子から下りると扉に向かい、そのすぐ後ろをシャリティが歩き出した。
「ごめんなさい」
廊下に出ると、ミトラは小さくつぶやく。
「私、また余計なことをした」
「心外ですな」
背後から聞こえるシャリティの小さな声。
「余はそこまで小さな人物ではございません」
ミトラは顔を上げず、ただ無言で歩いた。
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