老い花の姫

柚緒駆

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40.双竜と魔蛇

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 ギリギリギリ、ロン・ブラアクはコメカミを押し回している。深夜の森の宮殿で。

「ぴーちゃん」

「始まったぞ、と殿下は申されている」

 隣に立つ補佐官のヘインティアが説明し、少年リムレモがうなずいた。

「二度目だ。なら攻める亡霊騎士団に分があるね」

「ぴーちゃん」

「スリングはバレアナから離れて人質の救出に向かっている、と申されている」

「それダメじゃん。優先順位間違えてるし、あーあ、勝ち目ないなこりゃ」

 リムレモは、もう飽き始めたかのようにため息をつく。

「ぴーちゃん」

「先行する攻撃部隊がバレアナに接触した、と申されている」

「ハイ、これでおしま……」

「ぴーちゃんっ!」

 突然絶叫するロン・ブラアクに、リムレモもヘインティアも目を丸くする。しかし何より驚いていたのは、ロン・ブラアク自身だった。その千里眼が捉えたもの。

 それは、黒いうねり。



 宙を飛んだ。三人同時に襲いかかったキリカ、ヒノフ、ミノヨが、三人同時に跳ね上げられ、三人同時に床に叩きつけられた。暗い部屋の中に、目には見えない何かがうごめいているのだ。

 いま食堂ではバレアナ姫を中心に、ロウソクを手にしたミトラとパルテアが挟み込み、その前に立つリンガル、隣には家庭教師のゼンチルダが構え、そして最前面に立つのはシャリティ。だがシャリティは何もしていない。ただ力を抜いて棒立ちでそこにいるだけだ。なのに亡霊騎士団の攻撃部隊は近付けない。

 ジュジュは左目を隠して見つめた。その右目に映るのは、この世ならざる脈打つ魔蛇。何故ここにはこんなのばかり集まって来るのか訳がわからないが、とにかく排除しなくては話にならない。ジュジュは両手をシャリティ王子に向けた。

「……天の星宿を読む双頭の竜の御者よ、財宝の在処に導く者、蛇を指し示す堕天使にして三十の軍団を率いる序列第六十二位の地獄の大総裁、魔蛇の頭を貫けヴァラク!」

 ジュジュの眼前の空間に縦の亀裂が入り、それを二つの巨大な竜の頭が左右にこじ開けて行く。その隙間から背に翼の生えた裸の白い子供が、黄金の槍を手にひらひらと飛び出し部屋中を舞った。

――ほう、召喚術か

 ジュジュの頭の中に響く声。

――七十二柱の悪魔とは面白い。戦い甲斐もあるというもの

 その声を聞いたのかどうか、部屋の中を飛んでいた天使の如き子供が、何もない空間に槍を突き立てる。これを受け止めたのは、闇の中から浮き出た扇の先端。

 衝撃に窓のガラスがすべて粉々に割れ、外へと吹き飛ぶ。

 闇の中に走る火花が浮かび上がらせるのは、双頭の竜を背に黄金の槍を持ち微笑む天使と、暗黒の大蛇の頭の上、扇でその槍を軽々と受け止める異国の服を着た女。

 女はジュジュをねめつけた。

「この魔王フルデンスの姿を目にした以上、二度と平穏はないと思え」

「残念ながらお断りです」

「悪いが無理だ。その程度の力ではな」

 黒い大蛇がジュジュ目がけて吐いた液体を、天使が黄金の槍で叩けば一瞬で蒸発。しかし槍も半分が溶けてしまった。

 双頭の竜は口から稲妻を吐き、フルデンスとそのずっと後ろ、バレアナ姫まで打ち倒そうとする。だが稲妻は魔蛇の壁を越えられず、黒い姿に吸収された。

「いまの世に悪魔を使役する、その才能は素晴らしいと褒めてつかわす。されど」

 フルデンスは微笑んだ。残酷に。

「力が足りぬ。絶対的に、絶望的にな」



 ノロシの血を吸ったザンバの大鎌は、そのままの勢いでアルバに襲いかかる。

「食らえぃっ!」

 しかしアルバの赤い魔剣は年老いた父の一撃を、片腕の一振りで打ち砕く、はずだった。ザンバの大鎌の表面に厚い氷が貼り付かなければ。魔剣の刃はその氷を突破できない。

「何だと」

 アルバは魔剣を両手でつかみ、ザンバの大鎌をはね除けた。そして俺を振り返る。

「貴様か」

 俺はそれに答える義理などない。ただこう唱えただけだ。

「トゲトゲの尖り尖った栗の皮、触れる手にトゲ足にトゲ」

 その瞬間、山のような大男デムガンが、「ぬぐぁっ!」と呻き二本の松明を落とした。

「つっ!」

 腕を失いふらつくノロシは足を刺すトゲに身動きが取れない。

 だがそれでも、アルバは魔剣を放さなかった。消えゆく松明の灯りの中、おそらくその手はトゲに貫かれているはずだ。なのに魔剣を両手で構え、憎悪に燃える両目で俺をにらみつける。

「もはや可能なのはあと一撃。その一撃で貴様を倒す」

「無理に決まってんじゃん、そんなの」

 俺は苦笑するしかない。だがアルバは言う。

「おまえのように笑う者たちを斬ってきた。それが我が人生だ」

「こないだも言ったけどさ、それくだらない人生だぞ」

「貴様に理解しろとは言わない。ただ、死ね」

「諦めろよ。逃げ道は用意してある。そっちに逃げれば追いはしない」

「問答無用!」

 アルバは足を踏み出した。当然、足にはトゲの穴が空く。けれどアルバはその足をあえて踏ん張り、次の一歩で俺を斬り倒さんと跳んだ。

 しかし真上から振り下ろされた魔剣は、分厚い氷の屋根に阻まれる。

 同時にアルバの全身が氷結した。

 それに抗う魔剣は赤い熱線を放ち、一瞬で氷を溶かしたものの、この温度変化にアルバの体が悲鳴を上げたのだろう、胃液を吐き出すとガックリ両膝をついた。

 その背後にザンバが立つ。

「若旦那様。こやつの首は、このザンバめに落とさせていただきたい」

「いや、待てザンバ。それは」

「子の不始末は親の不始末。どうぞこの手で決着をつけさせてくださいませ」

 深々と頭を下げるザンバに、俺はかける言葉がない。

 そこに。

「やらせてやるがいい」

 振り仰げば、親父殿が立っている。

「うぬも曲がりなりにも王族となり領主となったのなら、腹を決めることだ」

「ですがね親父殿、これはあまりにも」

「図に乗るな、小僧」

 親父殿がにらみつけている。その目に笑みなど欠片も浮かんでいないことは、燃え尽きようとする松明の薄ら灯りでさえわかる。我が父グランダイン・ポートマスは言った。

「いかな領主であれ王族であれ、配下領民の血の一滴まで支配できるなどとは思わぬことだ。それは間抜けな傲慢でしかない。この者にはこの者なりの正義があり、それはうぬの理屈では曲げられぬ。うぬにできるのは、それを受け入れ許すか、さもなくば首をねるかだけだ」

「それはさすがに極端では」

「領主とはそういうものであり、人の上に立つとはそういうことだ。理解できぬとは言わせぬぞ」

 理解はできる。理解はできるが、それでも俺は。

「それとも、己の良心の呵責をなだめるために他人の心をねじ曲げようというのか。そこまでの人でなしに育ったというのなら、いまさら責めはせんが」

「親父殿……」

「他人への甘さは、ときとして残酷であることを知れ」

 仕方ない、か。いや、これは俺が間違っているのだろう。人の世のことがすべて見えている気になっていた俺の傲慢さだ。

 俺はザンバにうなずいた。

「おまえに任せる」

「ありがたき幸せ」

 闇の向こうからは小さな声が聞こえる。

「やめ……ろ」

 腕を斬り落とされ倒れ込んだノロシだ。

 大きなやかましい声も聞こえた。

「アルバ! 立て、立たんか!」

 周囲をトゲトゲに包囲されて身動きが取れないデムガンの絶叫。

 こいつらにも仲間を思いやる心があるんだな、とは思ったが、それがザンバの決意に影響を与えるとは思えない。

 けれど。

 宙を走る白い輝き。ザンバの大鎌は刃を切断され、柄が残る。その先端に立つ人影は、南方系の異国の衣装に顔を包帯でグルグル巻き。手には白く輝き伸びる刃を持つ、年齢不詳の白髪の男。何故だ。何故接近に気付かなかった。

「勝敗は決したようだな」

 静かにそう話す声に覚えはなかったが、手にした白い魔剣は遠い記憶を呼び覚ます。

「おまえ、まさか」
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