老い花の姫

柚緒駆

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36.雪ウサギ

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 ガラス温室の天井の向こう、ずっと向こうの青空の上、太陽の方向に人影が浮いている。南方系の異国の服装に顔は包帯でグルグル巻き、透き通った両目がガラス温室を冷たく見下ろす。男だろうとは思えるが、年齢はまったくわからない。ただその白髪は高齢の故か。

――ようやく見つけたな

 どこからか心の中に直接響く声に、人影は小さくうなずいた。

「これが最後とは限らないが」

――さっさと終わらせようぜ

「そう上手く行けばな」

 澄み渡った視界の中、青空に浮くもう一つの人影が。紺色の服を着た笑顔の老婆。魔女ジルベッタの姿があった。

「あらあらあら、ただならぬ気配に来てみれば珍しい。こんな場所にどちらの方かしら」

 しかし相手は包帯で覆われた顔と同様、声にも表情は乏しかった。

「説明をすれば通してもらえるか」

「残念ながらそれは無理ですね」

「だろうな」

 そう言うと右手に白い光が走り、それが剣を形作る。

 ジルベッタの笑みにうっすらと凶悪さが垣間見えた。

「その魔剣にその身なり、この国の者ではありませんね」

「答えた方がいいのか」

「嫌ならその必要はありませんよ」

 ジルベッタが右手をかざすと、手のひらに一瞬オレンジ色の、夕焼けにも似た輝きが浮かび、それが一気に巨大な円盤になる。その端はいかづちの速度で相手に届き、胴を両断するかに思えたが、白い魔剣の一振りで円盤にはザックリと大きな切れ目が入った。

 ほう、この光輪を切り裂くとは並みの魔剣ではないね。

 ジルベッタの胸の奥底に、いったいどれほどか思い出すのも難しいほど久しぶりの、たぎる血潮が感じられた。この魔剣を使いこなすとは、ただの魔法使いではないようだ。面白い。面白い。これは面白い!

 だが相手の右手からは魔剣の輝きが消えた。

「おやおやおや、もう負けを認めるのですか」

 残念そうなジルベッタの言葉は、挑発というより本心である。これに相手はこう答えた。

「小娘を斬る訳にも行かない」

 そして霧のように姿を消す。どうやら転移魔法も使えるようだ。

 ジルベッタが離れの中庭に降り立てば、ちょうどオブレビシアが外に出て来たところだった。

「ばあば、こんなところで何をしてるの」

「あらあらあら、お姫様。今日は良いお天気ですよ。日向ぼっこ日和でございます」

 ジルベッタはオブレビシアを抱きしめながら、もう一度空に目を向けた。

 いったいアレの目的は何だったのだろう、と。



 真に選ばれしネーンの血。しかし、それは次代の王という意味ではない。

 ネーンの一族を遠く遡れば、市井の学者へと行き着く。その名高い学識を求めて諸侯が宰相として、あるいは軍師として迎え入れ、やがて王家に望まれた。子々孫々の代々長きに渡って王家に仕える中でいつしか姻戚関係となり、果てはネーン家自体が王家となったのだ。

「そのネーンの血の結晶、言わば最高傑作と呼べるお方がこのミトラ姫と申せますでしょう」

 丸々とふくよかな、占い師パルテアはそう言う。だが当のミトラは何の興味も湧かないのか、やつれた顔で黙々と食事を続けていた。まるで食べることを強いられているかのように。

「されど残念ながら、現在のネーン家にミトラ姫の生まれた意味を理解されている方はおられません。つまはじきにされ、持て余され、このままではその価値を誰にも気付かれないまま生涯を終えるしかありませんでした」

「だから出奔した、と」

 バレアナ姫の目には同情が浮かんでいる。

「ですが、何故に当家なのです。我々とて王族、ネーン家といさかいを起こすつもりはありません。あちらから申し出があれば、あなた方を引き渡すしかないとは思いませんでしたか」

 パルテアはうなずく。

「はい、思いました。ですが占いが、私の占いの結果が、ここ以外を指し示さないのです。ここがミトラ姫様の最後の希望であり、ここにお連れするのが私の最後の仕事でございました。最後の仕事を終えた以上、私はもう死ぬのかも知れません。その後で皆様がミトラ姫様をどのように扱われるのか、不安がないと言えば嘘になります。ですが私は占い師、自らの占いの結果を信じる以外に道はございません」



 占い師パルテアの言葉を聞いて、バレアナ姫が俺を見た。見られてもなあ。まあ、仕方ないか。食堂の入り口脇に立つ下女にこう命じる。

「レイニアを連れてきてくれないか」

 下女が「はい」と一礼し、そそくさと食堂を出て行くのを見て、視線をシャリティに向ける。

「おまえに頼みがあるんだけどな」

「な、何ですか急に」

「ミトラ姫の警護を任せたい」

「なっ」

 シャリティは驚きの声を上げようとしたが、何とか思いとどまったようだ。

「余が、その、ミトラ姫様の警護を?」

「そうだ。不満かい」

「いや、不満などありませんが、ただ」

「ただ」

「それはつまり、フルデンスの力で姫様を護れということですよね」

 俺は首を振った。

「いいや。護るのはあくまでもおまえだ。その際にフルデンスの力を使うかどうかはおまえに任せる。自分で考えて決めろ」

 ムッとした顔でこちらをにらむシャリティの目は、「ずるい」と主張している。だが俺の立場でフルデンスに契約外の頼み事をする訳には行かない。使えるモノは何でも使うさ。

 そして俺はパルテアに向き直る。

「ミトラ姫様のお好きな季節はご存じですか」

 パルテアは一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐにこう答えた。

「冬ではないかと。雪の降った日の静寂がお好きだったように思います」

「冬……ですか」

 だったら使えるオマジナイは、と。ああ、一つあるな。

 まるで耳が聞こえないように黙々と食事を続けるミトラ姫を見ながら、俺はオマジナイを唱えた。

「息凍る、白い雪野の雪ウサギ。ピョンコピョンコと跳び回る」

 その途端、部屋の温度が一気に下がった。吐く息が白くなり、部屋のあちこちからミシミシと家鳴りがする。

 さすがにこれは無視できなかったのか、ミトラ姫が顔を上げた。その目の前に動く物が。白いテーブルクロスが小さく盛り上がり、やがてそれは雪ウサギになった。ミトラ姫は目を丸くして思わず手を伸ばす。だが紙一重のところで雪ウサギは捕まらない。ピョンピョンと跳びはね、少し離れては振り返る。

 しばし呆気に取られた後、ミトラ姫は俺を見た。やっと話ができそうだ。

「あなたなら、これをどう使いますか」

 するとミトラ姫はこんな質問を返してきた。

「効果範囲は」

「麦畑四面というところですね」

 俺が応えると、間を置かずに言葉が返ってきた。

「五秒以内の目眩まし。次に打つ手が用意できている場合には効果がある」

「次の手がなければ使えない?」

「次の手なしにこれを使えば、詠唱の時間を敵に与えるだけ。自滅する」

 ミトラ姫がそう答えた直後、部屋の気温は元に戻り、雪ウサギも姿を消した。

「戦闘の場で使うなら、とは限定していないのですが」

 思わず笑いそうになった俺に、ミトラ姫は何も期待していないと言わんばかりの一瞥をくれた。

「そう」

「ええ、そうですよ。戦争のことばかりを考えられたのでは困ります。戦争になる以前の駆け引きも覚えてもらわないと」

 そのときミトラ姫の顔に浮かんだ感情は、あまり良いものではなかったかも知れない。だが初めて子供らしい感情を浮かべている。

 占い師のパルテアはミトラ姫と俺の顔を見比べながら戸惑っていた。

「あの、それはつまりどういう……」

 そこに食堂の扉がノックされ、下女のマレットが誰かを力尽くで引っ張ってきた。

「レイニアを連れてまいりました」
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