老い花の姫

柚緒駆

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31.出奔

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 うなだれるレイニアを引き連れて、マレットは影屋敷の廊下を食堂へと向かった。

「まったく、勘弁してよね」

「ごめんなさい」

 しょんぼりと目を伏せるレイニアの手を引っ張って進む。手を握ってやらないと、体に力が入らず歩けないと言うのだ。さすがに「ちょっと本気になりそうだったじゃない」とは口に出せなかった。

 と、そこに足音がしてレイニアは顔を上げる。

「あ、若旦那様」



「レイニア、もう大丈夫か」

 俺の言葉に、レイニアは申し訳なさそうに顔を伏せる。まだ難しいか。だがここは心を鬼にして思い出してもらわなきゃならない。

「怖いだろうが思い出してくれ。あのとき何を見た」

 レイニアはマレットの手を握りしめ、目に涙を浮かべる。

「何かはわかりません。私、『ああいうの』が見えるときはボンヤリとした影なんです、普通なら。でも」
「でも、シャリティの近くに見えたモノはハッキリしてたんだね」

 レイニアは震えながらうなずいた。

「渦を巻いてました。目が光って、口が大きくて、とても怖くて」

 そして胸を押さえてしゃがみ込んでしまう。俺は重ねてたずねた。

「この世の物とも思えないほど恐ろしかった。そうなのかい」

 しかしマレットが割って入ろうとする。

「若旦那様、これ以上は」

「僕はレイニアに聞いている」

 後ずさるマレットに手を引かれる形で、ゆらりと立ち上がったレイニアは、もう一度大きくうなずいた。

「あれはこの世の物ではないと思います」

「わかった。ありがとうレイニア、恩に着るよ」

 それだけ言って、俺は二人に背を向けた。こうなりゃさっさと片を付けるしかない。



 森の奥のロン・ブラアクの宮殿では、彼と補佐官のヘインティア、そして謎の少年リムレモが顔を合わせていた。

「ハッキリと魔法使いを雇ってる、なんて公にしてる王位継承権保有者は一人もいないね」

 リムレモが言う。

「ただそれらしい気配が強いのは、やっぱり皇太子のウストラクト、第十三位のリルデバルデかな。この二つはプンプン匂う。あと魔法使いとは少し違うんだけど、第二位のネーン家には占い師がいるようだよ」

「ぴーちゃん」

 ロン・ブラアクがつぶやく。リムレモはヘインティアを見た。

「殿下は何て?」

「ネーンの当主は病に伏せっており、占いにすがったところで、もはや戦力にも脅威にもならない。跡取りの長男は自我の肥大した、絵に描いたような愚昧である。無視して構わん、と殿下は申されている」

「そりゃ手厳しい」

 リムレモはくすっと笑うと窓の外を見た。

 ヘインティアもつられて窓を見る。

「何かあるのか」

「いや、もうすぐ雨が降り出すんだ。今夜は嵐だなって思ってさ」

 リムレモはどこか楽しそうだ。謎の力を持ってはいても、所詮は子供、雨が楽しいのかも知れない。



 現国王の実弟にして王位継承権第二位、イボルト・ネーン親王は重い病に伏せり、長男ザカルト王子が政務を任されていた。もちろん任されていたとは言え、実務を執り行うのは長年イボルトに仕えて来た側近たちである。ザカルトは体裁を整えるための飾りに過ぎない。しかし往々にしてあることだが、本人はそう理解していなかった。困ったことに。

 当年三十二歳となり、自身が王位継承権第七位を持つザカルト王子は、何故いまだに父が家督を譲らないのかと不満を募らせていた。自分は、いや自分こそが王の器であり、父はもちろん寝間着の皇太子と嘲笑されるウストラクトなどが血統を理由に継承権上位にあることが腹立たしくてならない。

 確かに二十年前の戦争の折、僅か十二歳で前線に赴き、直属の隊を率いていくつもの武勲を挙げたのは、ただのマグレではあるまい。武勇においては他の王族の追随を許さず、兵士たちからの支持も厚い。世が世なら王に推されていても不思議はないのかも知れない。

 だがもはや武力だけで国を支配できる時代ではないのだ。そんな父イボルトの思い、言葉、態度、行動はすべてザカルトの頭を素通りした。いみじくもロン・ブラアクが評した通り、平たく言えば愚昧であった。

 今日も退屈な仕事を――実質はどうあれ――懸命にこなしたザカルト王子が、いつものように宮殿の自室で疲れた体を酒により癒やしていたとき、扉がノックされたかと思うと守備隊長の声がした。

「ザカルト殿下、大変でございます」

「今日の仕事は終わりだ。おまえに任せる、良きに計らえ」

 扉すら開けずグラスに酒を注ぐザカルトの耳には、叫ぶような守備隊長の声がうるさい。

「ミトラ様が出奔された模様でございます」

 ミトラはネーン家の末娘、ろくに人前でしゃべることもできない無能だとザカルトは思っていた。

「ミトラが宮殿を出たか。それはめでたいではないか。放っておけ」

 窓ガラスを雨が叩いている。この嵐の中を出奔だと? そのまま野垂れ死ねばいいのだ。そう思いながらザカルトがグラスの酒を口に含んだとき、守備隊長はこう叫んだ。

「パルテア様もご一緒でございます!」

 思わず酒を霧のように吹き出した。ザカルトの顔から一瞬で血の気が引く。

「ぱ、パルテアが一緒だと!」

 パルテアは先代当主の頃からネーン家に仕えるお抱えの占い師。祖父も父も、そして伯父である国王も、重大な政治的決断から子供の命名に至るまで、様々なことをパルテアに相談し、その占いに基づく判断は一度たりとも外れたことがないという。パルテアなくしてネーン家の、ひいては王家の栄光はないとさえ言われる重き存在であった。

「ただちに追っ手をかけよ! ミトラはどうでもいい、パルテアを捜して連れ戻すのだ!」

 ザカルトは自分の声がうわずっているのに気付いたが、そんなことを気にしている場合ではない。パルテアがミトラと共に出奔した。この大失態が父や伯父の耳に入れば、自らの家督相続など叶わぬ夢となるやも知れない。ネーン家と王家にとってそれほどの重大事であることくらいは、愚かなザカルトにも理解できたのである。



 王族とは思えないほどみすぼらしい服装に、痩せこけた頬と細い手足。十二歳の少女ミトラは激しく揺れる馬車に座っていられず、床に寝転んでいた。選ばれし者として選ばれし場所に赴くのだ、とパルテアは言う。でも自分にそんな資格があるなんて、とても思えない。

 こんなゴミクズのような自分に。

 ミトラの目からこぼれる涙は、吐き気のためだけではなかったのかも知れない。



 真っ暗な嵐の夜を二頭立ての馬車が疾走する。御者台では、びしょ濡れの太った老婆が手綱を持つ。ネーン家を捨てることは本意ではない。しかし何度も何度も占い、そして何度も何度も同じ結果が導かれるのを目の当たりにした以上、占術に生涯を捧げた者として、見て見ぬ振りはできないのだ。

 真に選ばれしネーンの血を引く者を、世界の変わる場所へと連れて行く。それこそが自分に残された最後の仕事。パルテアは手綱を振った。いざ、リルデバルデの下へ。
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