老い花の姫

柚緒駆

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30.昔語り

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 どことも知れぬ夜の森の中、焚き火の前にグランダイン・ポートマスは座っていた。その目の前に、焼かれた骨付きの肉が差し出される。見上げれば、グランダインよりもさらに大柄な、巌のような大男。グランダインは何も言わずに肉を受け取り、むしゃぶりついた。

「ちょっと拍子抜けね」

 火を挟んだ向かい側には、グランダインをここまで連れてきた「いい女」が座っている。

「もうちょっと逃げようとするなり抵抗するものだと思ってたけど」

 グランダインはフンと鼻を鳴らした。

「魔法使いがいるのだ、どうせ何らかの手を打ってあるのだろう。逃げられない自信があるから、縄で縛り上げたりもせん訳だ。ならジタバタしても始まるまい」

「そりゃそうだけど。何か嫌な感じ。そういうとこ、息子そっくりね」

「息子だぁ? もしかしてスリングのことか」

「ええ、他の二人に用はないもの」

「スリングは息子ではない」

 そう言って肉にかぶりつくグランダインに女は目を丸くする。

「え、でも、だって」

「いくら相手が王族でも、実の息子を借金の片に手放すほど鬼畜ではないわ」

 そして肉を食べ尽くすと、骨を茂みに放り投げた。

「うちの奥方は金にがめつい女だった。だが二人目のスリッジを産んだ後、気の病になってな、思うように動けなくなってしまったのだ」

 遠い日を思い出すようにグランダインは焚き火を見つめた。

「そんなある日、森を切り開いているときに赤ん坊の泣き声がした。誰かが自分の子を捨てたのか、さらったのを面倒臭くなって放り出したのか、いまとなってはもう確かめようがないが、とにかく傷一つない赤ん坊が森の奥で泣いていたのよ。これを気が迷ったのか、よせばいいのに家に連れ帰ってしまった訳だ。そうしたら奥方の喜ぶこと。いまさら森に戻すとも言えないまま、気がつけば十五年も経っておった。可愛げのない、こまっしゃくれたガキに育ってくれたわ」

 たいして面白くもなさそうにグランダインは笑う。女は困ったように顔を横に向けた。その視線の先、太い樹の陰に立っているのは額に包帯を巻いた目の鋭い男。男は一歩二歩と焚き火に近付きたずねた。

「一つ聞きたい。スリングに精霊魔法を教えたのは誰だ」

「何のことだ。あれが魔法を使えるというのか」

「そうだ。本当に知らないのか」

「フン、さもありなん、だな。あれには底の知れん薄気味悪さがあった。もし魔物の子供であったとしても驚きはせんよ」

 額に包帯を巻いた男は焚き火の前の女に問う。

「ジュジュ、どうだ」

「嘘はついてないわよ」

 ジュジュは呆れたようにため息を一つ。


「嘘をつく気がない、嘘をつく必要すら感じない、そんなところね。どうするの、アルバ。人質の価値がないかも知れないけど」

「価値はある」

 アルバは額の包帯に触れた。

「実の親ではないからというだけで見捨てられるほどの合理主義者ではあるまい」
「そうだな、あれは甘い。冷酷に徹することはできんだろう」

 そう言うとグランダインはニヤリと笑った。

「しかし、だからといって侮れば今度は首を落とされるぞ。同じ敵に二度続けて敗れる愚を犯さぬことだ」

 パキッと音を立てて焚き火が爆ぜた。



 渦巻く、渦巻く、昏くグルグルと回る渦巻きの真ん中に浮かぶ嗤う口。その上に輝く二つの目玉。

――見たな

「っ!」

 レイニアは息を呑んで跳ね起きた。あれは、あれはいったい何だったのだ。悪い夢だろうか。いや、そんなはずはない。あのときはちゃんと起きていた。記憶もある。

 この目にはこの世ならざるものが見える。もし夢や幻覚ではなかったとしたら、あれは、シャリティ殿下の周りに見えたあれは。

「まだダメみたいだね」

 その声に、ようやくレイニアは自分が一人ではないことに気付いた。ベッドの横に座っているのは、確かマレットと言ったか。マレットは腹立たしげにレイニアをにらみつけている。レイニアは震える声で謝った。

「ごめんなさい、看病してくれたの」

「若旦那に頼まれたから仕方なく、ね。まったく何があったか知らないけど、いちいちぶっ倒れてたんじゃ、ここで働けないよ。迷惑だし」

 それだけ言うと、マレットは立ち上がった。

「でもま、とりあえず目は覚めたんだから若旦那には報告しないとね」

 だが振り返ったマレットを、レイニアは後ろから抱きしめた。

「行かないで!」

「え、何、何さ」

「お願い、一人にしないで、怖いの!」

 レイニアはそう泣き叫びながらマレットをベッドに引きずり込む。

「えっ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

「ちょ、ちょっと! アタシ、アタシそういうの守備範囲外だからぁっ!」

 しかしマレットの声が他の下女仲間にまで届くには、影屋敷は広すぎたようだ。



 バレアナ姫はテーブルの上の脅迫状を指さした。

「問題の大きさで考えるなら、こちらが優先されるべきでしょう。ただ」

 そうだよなあ、俺もうなずくしかない。

「背中に爆弾を抱えたままで、正面の敵と戦うのは不利ですよねえ」

「ならば解決する順序としては、まずシャリティからでしょう」

 姫の言葉に、リンガルはキョトンとしている。

「しかし、そのレイニアですか、いったい何を見たというのです」

 俺はつい意地悪な気分になってしまった。

「千里眼とか可愛く見えるようなヤツかもよ」

「お、脅かさないでくださいまし」

 と、そこに軽やかなノックの音。そして食堂の扉が開く。立っているのはドジョウヒゲの家庭教師。

「コホン、ご挨拶が遅れましたが、それがしシャリティ殿下の家庭教師、ゼンチルダと申します。お見知り置きを」

 こいつも一癖ありそうだなあ、と思いながら俺はたずねた。

「その家庭教師が何か用かな」

「シャリティ殿下より伝言を言いつかって参りました。『今宵は疲れたので食事は不要、今後も食事を摂るかどうかはそのときに判断する旨よろしく』とのことでございます」

 なるほど、てめえらにムカついたから飯を食ってやらねえと来たか、あの野郎。だが勘はいい。ちょっと良すぎるほどだ。こちらの動きを察してるみたいだしな。

 俺は笑顔でこう答えた。

「だったらシャリティ殿下にはこう伝えてください。『首根っこつかんで引きずり出すぞ』とね」

 これにゼンチルダはドジョウヒゲをピクリと動かしニヤリと微笑む。

「まことに老婆心ながら、それはおやめになった方がよろしいかと」

「なあ、ゼンチルダ先生」

「何でございましょう、王子殿下」

「あんた学問はできるのかも知れないが、世間が狭いな」

 ゼンチルダの目が、すうっと細くなる。

「ほう、それがしの世間が狭いと」

「ああ、あんたの知ってる『それ』は、『本当に怖いもの』じゃないからな」

 ゼンチルダは彫像のように動かない。だが目の奥が動揺している。

「何を守ろうとしてるのか知らないが、大事なものが食われちまわないうちに手を打った方がいいぞ」

 実のところ、それが何かはまだわからない。だが相当に厄介なモノだろう。まったく、俺の大好きな平穏は、いったいどこへ行ったんだよ。
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