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26.誤解
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ライナリィの茶を注ぐ手が止まった。
「レイニアをお屋敷に、ですか」
しかし拒絶ではない。当惑といった方がいいだろうか。ライナリィはバレアナ姫と俺の前に茶の入ったカップを置き、いつもの自分の席に座る。
姫がたずねた。
「レイニアがそう望んでいるのですが、何か問題がありますか」
ライナリィは首を振る。
「いいえ、レイニアは少し向こうっ気の強いところがありますが、素直ですし正義感もある優しい子です。お屋敷で雇っていただけるのでしたら、これ以上はない幸運だと思います。ただ」
「ただ、何でしょう」
「こういう言い方は、まるで難癖を付けているかのように聞こえるかも知れませんが」
「構いません、言ってください」
姫の言葉にライナリィは少し考え込んだが、思い切ったように口を開いた。
「レイニアは、その、『見える』らしいんです」
「……見える、ですか」
「はい。本人からは一度しか聞いたことがないのですが、あの子が嘘を言うとは思えません。レイニアの目にはこの世ならざる者が見えるのだそうです」
俺は思わず口を出してしまった。
「それは、ハッキリと?」
ライナリィは困ったように首をかしげる。
「レイニアいわくボンヤリ見えるらしいですが、どの程度見えているのかまでは私には」
なるほど、面白いなどと言ってはレイニアが可哀想だが、件の亡霊騎士団の「変な男」の術にかからなかったのは、レイニア自身にそういう傾向の能力があったがためなのだろうか。申し訳ないがこれはやはり面白い。極めて面白い。
バレアナ姫がジロリとこちらをにらんだ。いかんいかん、顔に出ているか。
姫はライナリィにこう問う。
「つまり、その『見える』目のおかげで他の使用人から気味悪がられるかも知れない、あなたはそれが心配だと言うのですね」
「はい、そうです」
「でも、それはね」
俺は自分が柄にもないことを言おうとしているのに気付いていた。
「いずれどこかで、本人が周りとの折り合いを付けなきゃならない問題なんだよ。いつまでも誰かに守られてはいられないんだ。それに、何があっても屋敷の全員が敵に回る訳じゃない。少なくとも、僕はレイニアの味方でいられるはずだから」
ライナリィが納得したことで、レイニアを屋敷で雇い入れることは決定した。でも何故だろう、屋敷に向かう馬車の中、バレアナ姫が俺と目を合わせない。
「あの、何かありました、ですか」
おそるおそるたずねてみた俺に、姫はそっぽを向いたまま答える。
「別にいいんですよ」
「えーっと、何が、ですか」
「法や決まり事を破っている訳でもありませんし、常識外れにも程がある、とまでは言いません」
「はあ」
「ただ私は形式だけとは言え、あなたの妻です。多少は気を遣っていただいても罰は当たらないと思いますが」
いかん、何を言われているのか本格的にわからない。
「つまりその、どういうことですか?」
するとバレアナ姫は、キッと俺の目を真正面からにらみつけた。
「レイニアを側室に迎えたいのなら、そう言えばいいでしょう」
「……え?」
「確かにレイニアは若くて美しい娘です。あなたとも気が合いそうで大変に喜ばしいことです。あなたには側室を迎える権利がありますから、どうぞご自由に。けれど、何も私の前で堂々とあんなことを言わなくても」
「ちょ、ちょっと待ってください、何の話ですか」
「この期に及んでまだ隠すのですか!」
「いやいやいや、隠してませんって。この顔見てくださいよ、この顔を」
「いまは見たくありません!」
バレアナ姫は横を向いてしまった。まいったな、こりゃ。屋敷に戻るまでに誤解を解かないと後が大変だぞ。
ウストラクト皇太子の午後の来客予定は取り消しとなり、数日ぶりに宮殿の離れには明るい声が響いた。オブレビシアと母である第二夫人リネリアは、ここぞとばかりに皇太子と抱き合い、踊る。ジルベッタは邪魔をしないよう、静かに部屋の片隅で刺繍針を動かしていた。
その最中、痩せのノッポと小柄なデブッチョ、二人の道化が立つのは、誰もいない皇太子のガラス温室。様々な色の花が咲き乱れ、無数の蔓が絡み合う、その一番奥に植えられた人の背丈ほどの小さな木が、ボンヤリと虹色に輝いていた。
「混沌を」
虹色の木から聞こえる声に、二人の道化は声を揃えて応える。
「混沌を」
不思議な声はこう続けた。
「より一層の混沌を、命の消費を、無数の死を、世界樹のために」
「心得ましてございます」
二人の道化は頭を深く下げ、声の主へ恭順の意を示す。いま世界が音を立てて動き出しつつあった。
「レイニアをお屋敷に、ですか」
しかし拒絶ではない。当惑といった方がいいだろうか。ライナリィはバレアナ姫と俺の前に茶の入ったカップを置き、いつもの自分の席に座る。
姫がたずねた。
「レイニアがそう望んでいるのですが、何か問題がありますか」
ライナリィは首を振る。
「いいえ、レイニアは少し向こうっ気の強いところがありますが、素直ですし正義感もある優しい子です。お屋敷で雇っていただけるのでしたら、これ以上はない幸運だと思います。ただ」
「ただ、何でしょう」
「こういう言い方は、まるで難癖を付けているかのように聞こえるかも知れませんが」
「構いません、言ってください」
姫の言葉にライナリィは少し考え込んだが、思い切ったように口を開いた。
「レイニアは、その、『見える』らしいんです」
「……見える、ですか」
「はい。本人からは一度しか聞いたことがないのですが、あの子が嘘を言うとは思えません。レイニアの目にはこの世ならざる者が見えるのだそうです」
俺は思わず口を出してしまった。
「それは、ハッキリと?」
ライナリィは困ったように首をかしげる。
「レイニアいわくボンヤリ見えるらしいですが、どの程度見えているのかまでは私には」
なるほど、面白いなどと言ってはレイニアが可哀想だが、件の亡霊騎士団の「変な男」の術にかからなかったのは、レイニア自身にそういう傾向の能力があったがためなのだろうか。申し訳ないがこれはやはり面白い。極めて面白い。
バレアナ姫がジロリとこちらをにらんだ。いかんいかん、顔に出ているか。
姫はライナリィにこう問う。
「つまり、その『見える』目のおかげで他の使用人から気味悪がられるかも知れない、あなたはそれが心配だと言うのですね」
「はい、そうです」
「でも、それはね」
俺は自分が柄にもないことを言おうとしているのに気付いていた。
「いずれどこかで、本人が周りとの折り合いを付けなきゃならない問題なんだよ。いつまでも誰かに守られてはいられないんだ。それに、何があっても屋敷の全員が敵に回る訳じゃない。少なくとも、僕はレイニアの味方でいられるはずだから」
ライナリィが納得したことで、レイニアを屋敷で雇い入れることは決定した。でも何故だろう、屋敷に向かう馬車の中、バレアナ姫が俺と目を合わせない。
「あの、何かありました、ですか」
おそるおそるたずねてみた俺に、姫はそっぽを向いたまま答える。
「別にいいんですよ」
「えーっと、何が、ですか」
「法や決まり事を破っている訳でもありませんし、常識外れにも程がある、とまでは言いません」
「はあ」
「ただ私は形式だけとは言え、あなたの妻です。多少は気を遣っていただいても罰は当たらないと思いますが」
いかん、何を言われているのか本格的にわからない。
「つまりその、どういうことですか?」
するとバレアナ姫は、キッと俺の目を真正面からにらみつけた。
「レイニアを側室に迎えたいのなら、そう言えばいいでしょう」
「……え?」
「確かにレイニアは若くて美しい娘です。あなたとも気が合いそうで大変に喜ばしいことです。あなたには側室を迎える権利がありますから、どうぞご自由に。けれど、何も私の前で堂々とあんなことを言わなくても」
「ちょ、ちょっと待ってください、何の話ですか」
「この期に及んでまだ隠すのですか!」
「いやいやいや、隠してませんって。この顔見てくださいよ、この顔を」
「いまは見たくありません!」
バレアナ姫は横を向いてしまった。まいったな、こりゃ。屋敷に戻るまでに誤解を解かないと後が大変だぞ。
ウストラクト皇太子の午後の来客予定は取り消しとなり、数日ぶりに宮殿の離れには明るい声が響いた。オブレビシアと母である第二夫人リネリアは、ここぞとばかりに皇太子と抱き合い、踊る。ジルベッタは邪魔をしないよう、静かに部屋の片隅で刺繍針を動かしていた。
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「混沌を」
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