6 / 73
6.亡霊騎士団
しおりを挟む
王位継承権第十五位、ガスラウ親王は軍事に長け、その華美さにはいささか欠ける宮殿は、国内有数の難攻不落の要塞との評判が高かった。けれどその要塞を、たった一人で真正面から突破しようとする者が現われたのは、さすがに想定外だったろう。
闇夜に響く無数の鎧の足音。そして幾重にも重なるうめき声、叫び声。
「本隊を! 本隊を回せ! 何をしている、急げ!」
ゴウゴウと燃えさかる薪の音を背に、重厚な鎧をまとった騎士たちが剣や槍を振るい、雄叫びを上げて黒いマントの人影に斬りかかる。しかしマントの内側から放たれた赤い輝きが一閃すると、騎士たちは鎧ごと斜めに、あるいは水平に、首を、もしくは胴を切断されてしまった。
惨敗。たった一人の侵入者に宮殿警備隊が死体の山を築いて行く。
「本隊です、隊長、本隊が到着しました!」
「おお、来てくれたか」
宮殿守備本隊、すなわちガスラウ親王警護の最終防衛線である一騎当千の強者たちが駆けつけたのだ。これで状況は一変するに違いない、警備隊長はそう確信していた。
だが暗闇の中、黒いマントの男の口元には笑みがこぼれる。
「余裕だねえ」
その笑みが見えるのか、本隊のリーダーは不愉快げに眉を寄せる。よほど剣に自信があるのだろう、重い金属の甲冑ではなく、軽い革の鎧に身を包み、素顔をさらしていた。
「いま降参すれば命だけは助けてやってもいいよ、て言っても無駄か。そもそも命が惜しいヤツがこんなことをする訳がない」
五人の守備本隊は音もなく散開する。威嚇するでも威圧しようとするでもない。静かに、風のように、一片の殺気すら放たずただ整然と配置についた。
そしてリーダーの指が鳴ると、五人の姿が消えた。
いや。
すでに五本の剣の切っ先が、黒いマントの男を前後左右と真上から貫いている、かに見えたのだが。
貫かれたのはマントだけ。と同時に、真上からのしかかっていた一番小柄なメンバーの体が縦真っ二つに裂けて落ちる。
「上か!」
残った四人が見上げたときには、男はクルリと水平に一回転した後。赤い光輪が滝のように地面を叩き、三人の首が斬り落とされた。後ろに飛んでかろうじてかわしたリーダーは、しかし右手と剣を失っている。
地面に降りた男の手には、赤い光を放つ剣。
守備本隊のリーダーは痛みに膝をつきながら、それでも左手で短剣を握り戦意を示す。
「貴様、その赤い剣……まさか」
「もう終わりだ」
男が初めて口を開いた。だがリーダーは首を振る。
「黙れ、まだ勝負は終わっていない」
「そういう意味ではない」
男はまた笑った。いや、嗤った。
そのときリーダーの眼前に放り投げられた丸い物が、土嚢のような湿った音を立てて落ちる。それがガスラウ親王の首だと理解するのには数秒を要した。
続けざまにあと二つ、肉塊が落とされる。ガスラウの妃と息子の首。
リーダーが振り返ればそこには無言の黒装束が六人。この六人がガスラウらの首を斬り落としたのだろう。守備本隊が持ち場を離れた隙に。
赤い剣の男が言う。
「王位継承権第十五位、ガスラウ親王は死んだ。生き残った者はそれを王国政府に伝えよ。恐怖と絶望を携えて我らの使者となるのだ」
「貴様らは、いったい」
リーダーのこの言葉を待っていたかのように、赤い剣の男は高らかに宣言した。
「我らは亡霊騎士団。王国に仇なす者なり」
朝、日の出と共に下女たちは働き出す。まず早番の下女が着替え、食事をしてから遅番の下女の食事を支度する。次に遅番が食事をしている間に主人たちの朝食を準備するのだ。そして遅番が掃除し用意を調えた食堂に朝食が置かれ、俺たちを起こしに来るという手はずになっているはずだ。
しかし長年――十五年だが――貧乏暮らしをしていた俺は、部屋に日の光が入るだけで目が覚めてしまう。カーテンを閉めて眠れば良かったのだけど、ずっとそんな習慣はなかったので、完璧に忘れていた。おかげで腹をグーグー鳴らせながら、窓の外を眺めて誰かが起こしに来るのを待つしかなかった。
俺の部屋の窓は屋敷の裏手に面している。窓を開けて首を突き出せば、昨夜のザンバの小屋を見ることもできるだろう。さてザンバが草刈りを始めるのと、俺が食事にありつけるのはどちらが先になるのか。
と思っていると、まだ夜の気配が残る眠れる世界の中、視界の中で動く物があった。遠くからこちらに駆けて来る、馬だ。人の乗った馬。それが裏門から敷地内に入って来て、俺の部屋からは見えない死角に入る。何かあったのだろうか、と思っている間にその馬は再び外へと走り去って行った。
何だか胸騒ぎがする。俺は平穏無事が一番ありがたいんだけどなあ。
闇夜に響く無数の鎧の足音。そして幾重にも重なるうめき声、叫び声。
「本隊を! 本隊を回せ! 何をしている、急げ!」
ゴウゴウと燃えさかる薪の音を背に、重厚な鎧をまとった騎士たちが剣や槍を振るい、雄叫びを上げて黒いマントの人影に斬りかかる。しかしマントの内側から放たれた赤い輝きが一閃すると、騎士たちは鎧ごと斜めに、あるいは水平に、首を、もしくは胴を切断されてしまった。
惨敗。たった一人の侵入者に宮殿警備隊が死体の山を築いて行く。
「本隊です、隊長、本隊が到着しました!」
「おお、来てくれたか」
宮殿守備本隊、すなわちガスラウ親王警護の最終防衛線である一騎当千の強者たちが駆けつけたのだ。これで状況は一変するに違いない、警備隊長はそう確信していた。
だが暗闇の中、黒いマントの男の口元には笑みがこぼれる。
「余裕だねえ」
その笑みが見えるのか、本隊のリーダーは不愉快げに眉を寄せる。よほど剣に自信があるのだろう、重い金属の甲冑ではなく、軽い革の鎧に身を包み、素顔をさらしていた。
「いま降参すれば命だけは助けてやってもいいよ、て言っても無駄か。そもそも命が惜しいヤツがこんなことをする訳がない」
五人の守備本隊は音もなく散開する。威嚇するでも威圧しようとするでもない。静かに、風のように、一片の殺気すら放たずただ整然と配置についた。
そしてリーダーの指が鳴ると、五人の姿が消えた。
いや。
すでに五本の剣の切っ先が、黒いマントの男を前後左右と真上から貫いている、かに見えたのだが。
貫かれたのはマントだけ。と同時に、真上からのしかかっていた一番小柄なメンバーの体が縦真っ二つに裂けて落ちる。
「上か!」
残った四人が見上げたときには、男はクルリと水平に一回転した後。赤い光輪が滝のように地面を叩き、三人の首が斬り落とされた。後ろに飛んでかろうじてかわしたリーダーは、しかし右手と剣を失っている。
地面に降りた男の手には、赤い光を放つ剣。
守備本隊のリーダーは痛みに膝をつきながら、それでも左手で短剣を握り戦意を示す。
「貴様、その赤い剣……まさか」
「もう終わりだ」
男が初めて口を開いた。だがリーダーは首を振る。
「黙れ、まだ勝負は終わっていない」
「そういう意味ではない」
男はまた笑った。いや、嗤った。
そのときリーダーの眼前に放り投げられた丸い物が、土嚢のような湿った音を立てて落ちる。それがガスラウ親王の首だと理解するのには数秒を要した。
続けざまにあと二つ、肉塊が落とされる。ガスラウの妃と息子の首。
リーダーが振り返ればそこには無言の黒装束が六人。この六人がガスラウらの首を斬り落としたのだろう。守備本隊が持ち場を離れた隙に。
赤い剣の男が言う。
「王位継承権第十五位、ガスラウ親王は死んだ。生き残った者はそれを王国政府に伝えよ。恐怖と絶望を携えて我らの使者となるのだ」
「貴様らは、いったい」
リーダーのこの言葉を待っていたかのように、赤い剣の男は高らかに宣言した。
「我らは亡霊騎士団。王国に仇なす者なり」
朝、日の出と共に下女たちは働き出す。まず早番の下女が着替え、食事をしてから遅番の下女の食事を支度する。次に遅番が食事をしている間に主人たちの朝食を準備するのだ。そして遅番が掃除し用意を調えた食堂に朝食が置かれ、俺たちを起こしに来るという手はずになっているはずだ。
しかし長年――十五年だが――貧乏暮らしをしていた俺は、部屋に日の光が入るだけで目が覚めてしまう。カーテンを閉めて眠れば良かったのだけど、ずっとそんな習慣はなかったので、完璧に忘れていた。おかげで腹をグーグー鳴らせながら、窓の外を眺めて誰かが起こしに来るのを待つしかなかった。
俺の部屋の窓は屋敷の裏手に面している。窓を開けて首を突き出せば、昨夜のザンバの小屋を見ることもできるだろう。さてザンバが草刈りを始めるのと、俺が食事にありつけるのはどちらが先になるのか。
と思っていると、まだ夜の気配が残る眠れる世界の中、視界の中で動く物があった。遠くからこちらに駆けて来る、馬だ。人の乗った馬。それが裏門から敷地内に入って来て、俺の部屋からは見えない死角に入る。何かあったのだろうか、と思っている間にその馬は再び外へと走り去って行った。
何だか胸騒ぎがする。俺は平穏無事が一番ありがたいんだけどなあ。
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!
音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。
愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。
「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。
ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。
「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」
従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる