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4.マレットの誘惑
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「……こちらの扉は図書館の入り口となっております。あちらに見えます階段は地下階へつながっておりまして、地下には食料庫や酒蔵などがございます」
まるで観光案内のように先導する下女のマレットに続いて、俺は屋敷の中を自分にあてがわれた部屋へと向かっていた。
「それで、僕の部屋はまだ遠いのかな」
「はい、間もなくでございます」
この答は三度目だったか。影屋敷は横幅も広いが奥行きも凄かった。廊下が入り組んでいないのが唯一の救いか。と思っていると。
「はい、到着でございます。若旦那様」
そこにあったのは黒い木の扉。他の部屋の扉と比較して、特に変わったところはない。絶対に間違う自信があった。
「お向かいはバレアナ姫様のお部屋です。お間違えのないよう」
そう言ってマレットは俺の部屋の扉を開ける。中はガランとしていた。まあそりゃそうか、家具はこれから自分で好みの物を揃えるんだろう。入れば向かって左に扉がまた三つ並んでいる。
「こちらはお風呂お手洗いと収納室と寝室でございます」
そして奥の寝室の扉を開く。
「どうぞ、若旦那様」
中には金色の布がかかった、四人くらいは並んで眠れそうなベッドが一つ。俺が中に入るとマレットは後ろ手に扉を閉める。そしてうつむいてベッドに近付くと、その上に寝そべり、仰向けになってこう言った。
「どうぞ、若旦那様」
そして胸元のボタンを一つ、二つと外して行く。
俺は思わず噴き出した。
「側室狙いかよ。動きが速いのはいいが、まだそんな気分にはならねえぞ」
ベッドの上のマレットはしばらく俺をじっと見つめていたが、不意にニヤリと笑った。
「へえ。貴族のボンボンなんて、たいていこれでむしゃぶりついて来るもんなんだけど」
「悪いな。貴族つっても三流貧乏貴族なんでね。ただのクソガキなんだ」
マレットは体を起こし、ベッドの上で胡座をかく。
「それじゃイケナイこともたいてい知ってるんだ」
「人聞きの悪いこと言うなよ。俺は善良なクソガキさ。ただ周りの世界がちょっと汚かっただけでね」
「ふうん、周りがねえ」
「そ、周りが」
マレットは興味深げに俺を見つめると、艶っぽく小首をかしげた。
「ねえ、アタシを雇う気ないかい」
「雇う? おまえこの家に雇われてるんだろ」
「それとこれとは話が別さ。ちょっとお小遣いをくれたら、アンタに耳よりな情報を集めてきてやるよ」
「耳よりかあ」
俺は服の胸ポケットを探った。確か母親がお守りだと古い金貨を三枚入れていたはずだ。お守りまで拝金主義ってのが何ともアレだが、まあ確かに下手な護符より役には立つ。
俺は親指で金貨を飛ばした。
「んじゃ、契約金だ」
受け取ったマレットはそれをしげしげと眺めた。
「リドー金貨だ。骨董品じゃん。本物?」
「本物の黄金かどうかって意味なら本物だよ。由緒正しいかどうかは知らない」
「なるほど、使いたいなら潰せってことね。了解」
マレットは自分の開いた胸元から手を突っ込んだ。どうやら金貨を下着の内側に入れているらしい。
俺はたずねた。
「それじゃ早速だけど教えてくれ。バレアナ姫ってどんな人なんだ」
「いい人だよ。善良なお人好しの馬鹿」
「そいつは酷いな」
「でもアタシは好きだよ。屋敷の中で世話する分には楽だしね。ただ一緒に外に出る気にはならないかな」
教会に行く途中で拾った少女を思い出す。御者のターベルはときどきだと言っていたが、アレをしょっちゅうやられたら使用人としてはたまらないかも知れない。
「姫の両親は」
「二人とも悪人じゃないさ。ただグローマル殿下は気難しくて気分次第で言うことが変わるし、ワイラ妃殿下は礼儀作法にうるさくて小言が多い。あと一つ致命的なのが」
「何だ」
「二人ともいつまでもバレアナ姫を子供扱いしてるんだよなあ。まあ親なんてどこもそうなのかも知れないけど、いい加減、娘の歳も考えた方がいいのに」
口を閉じたマレットは、他に聞くことはないかという顔をしている。俺は腕を組んで小さくため息をついた。
「……とりあえずは、そんなもんか」
「いまのとこ、こんなもんだね」
うなずくとマレットは胸元のボタンをはめ、ベッドから下りた。
「じゃ、アタシは仕事に戻るわ。また用があったら呼んで。夜の相手も大歓迎だからね」
「ああ、また新しい情報があったら頼む」
「嫌なヤツ」
そう言うとマレットはニッと笑い、寝室から出て行った。
やれやれ、あんな野良猫娘が飼われているとは、屋敷はデカいが脇は甘い。とは言え、情報はあるに越したことはない。家族なんてのは所詮他人の集まりだ、付き合い方は常に調整しなくちゃならないしな。生きて行くのも楽じゃないよ、まったく。
夕食は味がしなかった。いや、料理に味はついていたのだろうが、ワイラ妃殿下のテーブルマナーの指摘が細かくて頭がパンクしたのだ。基本的には娘思いの良い母親なのだろうが、なるほど小言が多い。
「いずれリルデバルデ家を継承する者として、どこに出しても恥ずかしくない紳士になっていただきます」
ときた。こりゃテーブルマナーだけでもさっさと覚えないと、毎日こうじゃさすがにキツいぞ。
まるで観光案内のように先導する下女のマレットに続いて、俺は屋敷の中を自分にあてがわれた部屋へと向かっていた。
「それで、僕の部屋はまだ遠いのかな」
「はい、間もなくでございます」
この答は三度目だったか。影屋敷は横幅も広いが奥行きも凄かった。廊下が入り組んでいないのが唯一の救いか。と思っていると。
「はい、到着でございます。若旦那様」
そこにあったのは黒い木の扉。他の部屋の扉と比較して、特に変わったところはない。絶対に間違う自信があった。
「お向かいはバレアナ姫様のお部屋です。お間違えのないよう」
そう言ってマレットは俺の部屋の扉を開ける。中はガランとしていた。まあそりゃそうか、家具はこれから自分で好みの物を揃えるんだろう。入れば向かって左に扉がまた三つ並んでいる。
「こちらはお風呂お手洗いと収納室と寝室でございます」
そして奥の寝室の扉を開く。
「どうぞ、若旦那様」
中には金色の布がかかった、四人くらいは並んで眠れそうなベッドが一つ。俺が中に入るとマレットは後ろ手に扉を閉める。そしてうつむいてベッドに近付くと、その上に寝そべり、仰向けになってこう言った。
「どうぞ、若旦那様」
そして胸元のボタンを一つ、二つと外して行く。
俺は思わず噴き出した。
「側室狙いかよ。動きが速いのはいいが、まだそんな気分にはならねえぞ」
ベッドの上のマレットはしばらく俺をじっと見つめていたが、不意にニヤリと笑った。
「へえ。貴族のボンボンなんて、たいていこれでむしゃぶりついて来るもんなんだけど」
「悪いな。貴族つっても三流貧乏貴族なんでね。ただのクソガキなんだ」
マレットは体を起こし、ベッドの上で胡座をかく。
「それじゃイケナイこともたいてい知ってるんだ」
「人聞きの悪いこと言うなよ。俺は善良なクソガキさ。ただ周りの世界がちょっと汚かっただけでね」
「ふうん、周りがねえ」
「そ、周りが」
マレットは興味深げに俺を見つめると、艶っぽく小首をかしげた。
「ねえ、アタシを雇う気ないかい」
「雇う? おまえこの家に雇われてるんだろ」
「それとこれとは話が別さ。ちょっとお小遣いをくれたら、アンタに耳よりな情報を集めてきてやるよ」
「耳よりかあ」
俺は服の胸ポケットを探った。確か母親がお守りだと古い金貨を三枚入れていたはずだ。お守りまで拝金主義ってのが何ともアレだが、まあ確かに下手な護符より役には立つ。
俺は親指で金貨を飛ばした。
「んじゃ、契約金だ」
受け取ったマレットはそれをしげしげと眺めた。
「リドー金貨だ。骨董品じゃん。本物?」
「本物の黄金かどうかって意味なら本物だよ。由緒正しいかどうかは知らない」
「なるほど、使いたいなら潰せってことね。了解」
マレットは自分の開いた胸元から手を突っ込んだ。どうやら金貨を下着の内側に入れているらしい。
俺はたずねた。
「それじゃ早速だけど教えてくれ。バレアナ姫ってどんな人なんだ」
「いい人だよ。善良なお人好しの馬鹿」
「そいつは酷いな」
「でもアタシは好きだよ。屋敷の中で世話する分には楽だしね。ただ一緒に外に出る気にはならないかな」
教会に行く途中で拾った少女を思い出す。御者のターベルはときどきだと言っていたが、アレをしょっちゅうやられたら使用人としてはたまらないかも知れない。
「姫の両親は」
「二人とも悪人じゃないさ。ただグローマル殿下は気難しくて気分次第で言うことが変わるし、ワイラ妃殿下は礼儀作法にうるさくて小言が多い。あと一つ致命的なのが」
「何だ」
「二人ともいつまでもバレアナ姫を子供扱いしてるんだよなあ。まあ親なんてどこもそうなのかも知れないけど、いい加減、娘の歳も考えた方がいいのに」
口を閉じたマレットは、他に聞くことはないかという顔をしている。俺は腕を組んで小さくため息をついた。
「……とりあえずは、そんなもんか」
「いまのとこ、こんなもんだね」
うなずくとマレットは胸元のボタンをはめ、ベッドから下りた。
「じゃ、アタシは仕事に戻るわ。また用があったら呼んで。夜の相手も大歓迎だからね」
「ああ、また新しい情報があったら頼む」
「嫌なヤツ」
そう言うとマレットはニッと笑い、寝室から出て行った。
やれやれ、あんな野良猫娘が飼われているとは、屋敷はデカいが脇は甘い。とは言え、情報はあるに越したことはない。家族なんてのは所詮他人の集まりだ、付き合い方は常に調整しなくちゃならないしな。生きて行くのも楽じゃないよ、まったく。
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「いずれリルデバルデ家を継承する者として、どこに出しても恥ずかしくない紳士になっていただきます」
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