切り捨てられた世界で

柚緒駆

文字の大きさ
上 下
7 / 23

第7話 真実

しおりを挟む
 ロールキャベツに白身魚のフライ、ポテトサラダに味噌汁に白米。至って質素な、敢えて悪く言えば貧相な夕食。応接室の楕円形のテーブルに置かれた二組の夕食を挟んで、五十坂は秋嶺山荘のオーナーである日和義人と向かい合っていた。

「いやあ、今日は忙しかったのでね、お腹がペコペコです。申し訳ないですが食べながら話をさせていただきますよ」

 日和は五十坂の返事も待たずに箸を取り、味噌汁に口をつける。一方の五十坂も気にする様子はない。

「とりあえず館内の案内はしてもらいましたし、子どもたちへの取材は明日から始めさせてもらうってことでいいでしょうか」

「ええ、こちらは構いません。謝礼は振り込んでいただいたのを確認済みです。次のお客様の予約まで二週間ほどありますから、それまでごゆっくりと」

 日和はフライを口にした。サクリと乾いた音がする。

「ただあらかじめ申し上げました通り、ここの教育方針についてむやみにオカルト的な取り上げ方をしたり、子どもたちを悲劇の主人公風に描いたりするのであれば、記事の差し止めを求めますのでご了承ください」

「そりゃあもう。こちらもオカルトや感動ポルノは大嫌いなものでね。万事承知しておりますよ、日和さん。いや、葦河あしかわ宏和ひろかずさん」

 五十坂のその言葉に、ロールキャベツを挟もうとした日和の箸先が止まる。しかしそれもほんの一呼吸。箸は柔らかく煮えたロールキャベツを半分に切った。

「何のことでしょうか」

「いまさらトボケるのはナシにしましょうや。別段本名を知られたくらいでビビるタマじゃないでしょうに」

 口の中に広がった肉汁を味わってから飲み込むと、大柄な日和義人は年齢不相応に若々しい顔に笑みを浮かべる。そこに動揺は見えない。

「私はこう見えて繊細なので」

「へえ、そいつは驚いた。やってることは大胆不敵に見えるんですが」

「なるほど、フリーライターというのは嘘だった訳ですか」

「いや、それは嘘じゃないですよ。ただこれはバイトでね。本職は別にあるんです」

「ほう、と言うと」

「現金で三百万。それで手を打ちましょう」

 ニッと歯を見せる五十坂に、日和はため息をついた。

強請ゆすりですか。褒められた本職ではありませんな」

「そいつはお互い様ってヤツですよ葦河さん。俺は強請りはやるが詐欺はやらないんで」

「つまり私が詐欺を働いているという難癖が、強請る根拠だと言いたいのですかな」

「二十年ほど前」

 五十坂はテーブルに肘をついた右手でVサインを作る。勝利を確信した顔で。

「当時十六歳だったアンタの娘が通り魔に刺し殺された。しかしその犯人は心神喪失を理由に不起訴処分になってる。精神科への通院歴がモノを言った訳だ。そこからどうやって金を工面したのかまでは知らないが、十五年前にアンタはこの秋嶺山荘を買い取り、いまの子ども健康道場を開いた。最初期に受け入れたのは、精神障碍者でしたよね」

「よく調べましたね、確かにその通りですよ。しかし、それと詐欺とがどう結びつくのですか」

 日和は平然とポテトサラダに箸を伸ばした。五十坂は鼻先でフンと笑う。

「アンタこう考えたんじゃないのか。連中は自分から娘を奪った、なら今度は自分が奪う側に回ってやろうってな」

「憶測もいいところですね」

「病気だの障碍だのあるガキを抱えた親は、大なり小なり悩みも抱えてる。金さえ払えば預かってくれると聞けば、飛びついて来るヤツだっているだろう。まして健康道場なんて看板を上げて、大地のパワーだ免疫力だと吹聴すれば、預ける側の罪悪感も薄れるって寸法だ」

「仮に」

 日和は静かに手を止めた。

「もし仮にあなたの言うことが正しかったとしましょう。でもそれで? いったい何の問題があるというのです。まさか病人や障碍者を預かるのは、無償のボランティアでなくてはならないとでもおっしゃるのでしょうか」

 対する五十坂は、やれやれ困ったという顔だ。

「十五年前に健康道場がオープンしたとき、ここで預かったガキは五人だった」

「それが何か」

「その五人はいま何をしてるんでしょうな」

「とっくに卒業しましたよ。障碍者雇用枠で企業に就職して社会人になりました」

「じゃあその就職先を教えてもらえませんかね」

「できる訳がないでしょう。個人情報もいいところだ」

 さしもの日和義人も不快感をあらわにする。だがそれは五十坂の狙い通りだったのかも知れない。

「卒業した連中、全員かどうかは知らないが、少なくとも何人かは親が籍を抜いてる。籍を抜くよう勧めたのはアンタじゃないのか」

 怒りこそ浮かべなかったものの、日和は鋭い視線で目の前の男をにらみつけていた。けれど五十坂は、そんなことなどまるで気にしていない。

「五、六年前かな。東京湾で身元不明の若いホームレスの死体が上がりましてね」

 五十坂はロールキャベツを箸で突き刺す。

「検死の結果、内臓がいくつかなかったらしい」

 そして大口を開けて放り込んだ。それを咀嚼そしゃくし飲み込むまでの間、場には緞帳どんちょうのような重い沈黙が下りた。

「……もう一回訊き直した方がいいかな」

「黙れ」

 テーブルの上に乗せられた日和義人の両手は、固く握った拳が震えている。

「そんな屁理屈が詐欺の証拠になるとでも言う気か。私は、私はただ行政の網の目からこぼれ落ちる無辜の人々に救いの手を伸ばしたかっただけだ。そういう人々の存在を理解した切っ掛けが、娘の事件だったのは不幸かも知れない。しかしいま、実際に私は多くの人々に感謝されている。その事実は変えられない。それを愚弄するのは、関わったすべての人々を侮辱することだ」

高邁こうまいな理想は結構ですがね、葦河さん。結果としてアンタのやってることは、人間の内臓の闇市場に、生きた商品を供給してるだけなんじゃないですか。ここにいれば羊が勝手に集まって来る。羊飼いとしちゃ、こんな楽な商売はないでしょう」

 五十坂は白身魚のフライを乱暴に口に放り込み、味噌汁を一気に飲み干した。

「ここを卒業するってのは、要するに裏の社会に売り飛ばされるってことだ。厳密に人身売買罪が成立するかどうかは裁判次第でしょうがね、預かり契約はコンプライアンスに則ったものであるはず。ならそれを裏切った時点で詐欺罪に該当しても不思議はない。どうです、表沙汰にされて嬉しい話ではないんじゃないですか、葦河さん」

 日和義人の顔には赤みが差し、大柄な身体は小刻みに震えている。いまにも怒鳴り散らしそうな雰囲気を発しながら、だが日和は落ち着き払った声を出した。

「理屈としてそうなり得るという話は理解できなくもない。しかし、実際のところ誰が私を詐欺師だと訴えると思うのかね。私がこの秋嶺山荘を開かなければ、路頭に迷い一家心中を選んでいたかも知れない人々が、私を非難すると思うのだろうか」

「なるほど。いかに法に反する行為がそこにあろうと、善行が否定されるはずはないと」

 五十坂は残ったポテトサラダとご飯を見比べて、少し困ったような表情を見せる。日和は少し口元を引きつらせながらも、不敵な笑みを浮かべた。

「その通り。ハッキリ言ってしまえば、ここにやって来る子どもはみな無価値だ。世界から切り捨てられた存在だ。育てても何の役にも立たない。なのに現代社会はその事実を認めない。受け入れることが正しく美しいとされる。偽善だ。とは言え偽善で社会が回るのなら、誰かが引き受けねばならんのだよ、社会全体のためにね。私はその役目を担っている。それだけの話だ」

「わかってねえなあ」

「何」

 フン、五十坂はまた鼻先で笑った。見下すような、ほんの少し同情するような目で日和義人を、すなわち葦河宏和を見つめる。本人がまだ気付いていない何か別のモノをも見通しているかの如く。

「現代の経済中心の社会で価値があるかどうかは、金になるかどうかで決まるんだぜ。アンタこの十五年、どうやって生きてきた。何に生かされてきた。連中の親が運んできた金で、連中に同情したヤツらの寄付金で、飯を食ってきたんだろう。だったら価値を生み出してるじゃねえか。アンタがここで生きてることそれ自体が、連中に価値のある証拠だよ。アイツらにもし本当に価値がなきゃ、アンタはとっくにくたばってたはずだからな」

 五十坂はポテトサラダを一口でほおばった。ご飯はもう諦めたのかも知れない。

「彼らが居なければ、私は生きて行けないと?」

 日和の静かな問いに五十坂はうなずく。

「もはや自分の力で何かを成し遂げるなんざ、できもしない夢物語でしょうに。アンタは連中の家族が血を流す傷口にたかる寄生虫だ。悲しい犯罪被害者遺族ですらない」

 バンッ! と大きな音を立ててテーブルに叩きつけられる手。浮き出る血管と刻まれた皺は、明らかに老人のものだ。顔や服装は若々しくできても、手はごまかせないものである。日和義人は五十坂を食い入るようににらみつけ、唸るような声を上げた。

「おまえなどにわかるものか、私の気持ちが。愛する者を何の予兆もなく暴力で突然奪い取られ、その犯人は少しの間病院に入れられるだけで、罪すら償わずまた世に出て来る。その現実に耐えねばならない理不尽が。ああそうだ、私は復讐をしている。何が悪い。娘を殺した男に復讐することが認められないのなら、その同類になりかねない奴らから多くを奪ってどこが悪い。誰にどうして非難される筋合いがある。そんなものはない!」

 これに五十坂は小首をかしげて笑った。いや、嗤った。

「さあね。そんな話は俺にはどうでもいいんで。金さえ払ってもらえりゃ、二度とアンタの前には出てこないし、誰が生きようが死のうが知ったこっちゃない。遠くの空からご同情申し上げるさ。で、どうしますか葦河さん。こっちはビタ一文まける気はないんですが」

 再び応接室を包み込む沈黙。火の出るような視線で日和は五十坂を射貫いぬこうとするが、対する相手は柳に風。まるで動ぜずただ時間だけが過ぎて行く。

 やがて日和義人は肩の力を抜き、大きくため息をついて箸を置いた。

「まだ何日か取材で滞在するのでしょう。少し時間をもらえますか」

「ええ構いませんとも。慌てる何とかは何とやらってね」

 五十坂も箸を置く。これで二人の会談は終わった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

泉田高校放課後事件禄

野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。 田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。 【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】

マクデブルクの半球

ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。 高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。 電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう─── 「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」 自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

virtual lover

空川億里
ミステリー
 人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。  が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。  主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

秘められた遺志

しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?

処理中です...