切り捨てられた世界で

柚緒駆

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第7話 真実

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 ロールキャベツに白身魚のフライ、ポテトサラダに味噌汁に白米。至って質素な、敢えて悪く言えば貧相な夕食。応接室の楕円形のテーブルに置かれた二組の夕食を挟んで、五十坂は秋嶺山荘のオーナーである日和義人と向かい合っていた。

「いやあ、今日は忙しかったのでね、お腹がペコペコです。申し訳ないですが食べながら話をさせていただきますよ」

 日和は五十坂の返事も待たずに箸を取り、味噌汁に口をつける。一方の五十坂も気にする様子はない。

「とりあえず館内の案内はしてもらいましたし、子どもたちへの取材は明日から始めさせてもらうってことでいいでしょうか」

「ええ、こちらは構いません。謝礼は振り込んでいただいたのを確認済みです。次のお客様の予約まで二週間ほどありますから、それまでごゆっくりと」

 日和はフライを口にした。サクリと乾いた音がする。

「ただあらかじめ申し上げました通り、ここの教育方針についてむやみにオカルト的な取り上げ方をしたり、子どもたちを悲劇の主人公風に描いたりするのであれば、記事の差し止めを求めますのでご了承ください」

「そりゃあもう。こちらもオカルトや感動ポルノは大嫌いなものでね。万事承知しておりますよ、日和さん。いや、葦河あしかわ宏和ひろかずさん」

 五十坂のその言葉に、ロールキャベツを挟もうとした日和の箸先が止まる。しかしそれもほんの一呼吸。箸は柔らかく煮えたロールキャベツを半分に切った。

「何のことでしょうか」

「いまさらトボケるのはナシにしましょうや。別段本名を知られたくらいでビビるタマじゃないでしょうに」

 口の中に広がった肉汁を味わってから飲み込むと、大柄な日和義人は年齢不相応に若々しい顔に笑みを浮かべる。そこに動揺は見えない。

「私はこう見えて繊細なので」

「へえ、そいつは驚いた。やってることは大胆不敵に見えるんですが」

「なるほど、フリーライターというのは嘘だった訳ですか」

「いや、それは嘘じゃないですよ。ただこれはバイトでね。本職は別にあるんです」

「ほう、と言うと」

「現金で三百万。それで手を打ちましょう」

 ニッと歯を見せる五十坂に、日和はため息をついた。

強請ゆすりですか。褒められた本職ではありませんな」

「そいつはお互い様ってヤツですよ葦河さん。俺は強請りはやるが詐欺はやらないんで」

「つまり私が詐欺を働いているという難癖が、強請る根拠だと言いたいのですかな」

「二十年ほど前」

 五十坂はテーブルに肘をついた右手でVサインを作る。勝利を確信した顔で。

「当時十六歳だったアンタの娘が通り魔に刺し殺された。しかしその犯人は心神喪失を理由に不起訴処分になってる。精神科への通院歴がモノを言った訳だ。そこからどうやって金を工面したのかまでは知らないが、十五年前にアンタはこの秋嶺山荘を買い取り、いまの子ども健康道場を開いた。最初期に受け入れたのは、精神障碍者でしたよね」

「よく調べましたね、確かにその通りですよ。しかし、それと詐欺とがどう結びつくのですか」

 日和は平然とポテトサラダに箸を伸ばした。五十坂は鼻先でフンと笑う。

「アンタこう考えたんじゃないのか。連中は自分から娘を奪った、なら今度は自分が奪う側に回ってやろうってな」

「憶測もいいところですね」

「病気だの障碍だのあるガキを抱えた親は、大なり小なり悩みも抱えてる。金さえ払えば預かってくれると聞けば、飛びついて来るヤツだっているだろう。まして健康道場なんて看板を上げて、大地のパワーだ免疫力だと吹聴すれば、預ける側の罪悪感も薄れるって寸法だ」

「仮に」

 日和は静かに手を止めた。

「もし仮にあなたの言うことが正しかったとしましょう。でもそれで? いったい何の問題があるというのです。まさか病人や障碍者を預かるのは、無償のボランティアでなくてはならないとでもおっしゃるのでしょうか」

 対する五十坂は、やれやれ困ったという顔だ。

「十五年前に健康道場がオープンしたとき、ここで預かったガキは五人だった」

「それが何か」

「その五人はいま何をしてるんでしょうな」

「とっくに卒業しましたよ。障碍者雇用枠で企業に就職して社会人になりました」

「じゃあその就職先を教えてもらえませんかね」

「できる訳がないでしょう。個人情報もいいところだ」

 さしもの日和義人も不快感をあらわにする。だがそれは五十坂の狙い通りだったのかも知れない。

「卒業した連中、全員かどうかは知らないが、少なくとも何人かは親が籍を抜いてる。籍を抜くよう勧めたのはアンタじゃないのか」

 怒りこそ浮かべなかったものの、日和は鋭い視線で目の前の男をにらみつけていた。けれど五十坂は、そんなことなどまるで気にしていない。

「五、六年前かな。東京湾で身元不明の若いホームレスの死体が上がりましてね」

 五十坂はロールキャベツを箸で突き刺す。

「検死の結果、内臓がいくつかなかったらしい」

 そして大口を開けて放り込んだ。それを咀嚼そしゃくし飲み込むまでの間、場には緞帳どんちょうのような重い沈黙が下りた。

「……もう一回訊き直した方がいいかな」

「黙れ」

 テーブルの上に乗せられた日和義人の両手は、固く握った拳が震えている。

「そんな屁理屈が詐欺の証拠になるとでも言う気か。私は、私はただ行政の網の目からこぼれ落ちる無辜の人々に救いの手を伸ばしたかっただけだ。そういう人々の存在を理解した切っ掛けが、娘の事件だったのは不幸かも知れない。しかしいま、実際に私は多くの人々に感謝されている。その事実は変えられない。それを愚弄するのは、関わったすべての人々を侮辱することだ」

高邁こうまいな理想は結構ですがね、葦河さん。結果としてアンタのやってることは、人間の内臓の闇市場に、生きた商品を供給してるだけなんじゃないですか。ここにいれば羊が勝手に集まって来る。羊飼いとしちゃ、こんな楽な商売はないでしょう」

 五十坂は白身魚のフライを乱暴に口に放り込み、味噌汁を一気に飲み干した。

「ここを卒業するってのは、要するに裏の社会に売り飛ばされるってことだ。厳密に人身売買罪が成立するかどうかは裁判次第でしょうがね、預かり契約はコンプライアンスに則ったものであるはず。ならそれを裏切った時点で詐欺罪に該当しても不思議はない。どうです、表沙汰にされて嬉しい話ではないんじゃないですか、葦河さん」

 日和義人の顔には赤みが差し、大柄な身体は小刻みに震えている。いまにも怒鳴り散らしそうな雰囲気を発しながら、だが日和は落ち着き払った声を出した。

「理屈としてそうなり得るという話は理解できなくもない。しかし、実際のところ誰が私を詐欺師だと訴えると思うのかね。私がこの秋嶺山荘を開かなければ、路頭に迷い一家心中を選んでいたかも知れない人々が、私を非難すると思うのだろうか」

「なるほど。いかに法に反する行為がそこにあろうと、善行が否定されるはずはないと」

 五十坂は残ったポテトサラダとご飯を見比べて、少し困ったような表情を見せる。日和は少し口元を引きつらせながらも、不敵な笑みを浮かべた。

「その通り。ハッキリ言ってしまえば、ここにやって来る子どもはみな無価値だ。世界から切り捨てられた存在だ。育てても何の役にも立たない。なのに現代社会はその事実を認めない。受け入れることが正しく美しいとされる。偽善だ。とは言え偽善で社会が回るのなら、誰かが引き受けねばならんのだよ、社会全体のためにね。私はその役目を担っている。それだけの話だ」

「わかってねえなあ」

「何」

 フン、五十坂はまた鼻先で笑った。見下すような、ほんの少し同情するような目で日和義人を、すなわち葦河宏和を見つめる。本人がまだ気付いていない何か別のモノをも見通しているかの如く。

「現代の経済中心の社会で価値があるかどうかは、金になるかどうかで決まるんだぜ。アンタこの十五年、どうやって生きてきた。何に生かされてきた。連中の親が運んできた金で、連中に同情したヤツらの寄付金で、飯を食ってきたんだろう。だったら価値を生み出してるじゃねえか。アンタがここで生きてることそれ自体が、連中に価値のある証拠だよ。アイツらにもし本当に価値がなきゃ、アンタはとっくにくたばってたはずだからな」

 五十坂はポテトサラダを一口でほおばった。ご飯はもう諦めたのかも知れない。

「彼らが居なければ、私は生きて行けないと?」

 日和の静かな問いに五十坂はうなずく。

「もはや自分の力で何かを成し遂げるなんざ、できもしない夢物語でしょうに。アンタは連中の家族が血を流す傷口にたかる寄生虫だ。悲しい犯罪被害者遺族ですらない」

 バンッ! と大きな音を立ててテーブルに叩きつけられる手。浮き出る血管と刻まれた皺は、明らかに老人のものだ。顔や服装は若々しくできても、手はごまかせないものである。日和義人は五十坂を食い入るようににらみつけ、唸るような声を上げた。

「おまえなどにわかるものか、私の気持ちが。愛する者を何の予兆もなく暴力で突然奪い取られ、その犯人は少しの間病院に入れられるだけで、罪すら償わずまた世に出て来る。その現実に耐えねばならない理不尽が。ああそうだ、私は復讐をしている。何が悪い。娘を殺した男に復讐することが認められないのなら、その同類になりかねない奴らから多くを奪ってどこが悪い。誰にどうして非難される筋合いがある。そんなものはない!」

 これに五十坂は小首をかしげて笑った。いや、嗤った。

「さあね。そんな話は俺にはどうでもいいんで。金さえ払ってもらえりゃ、二度とアンタの前には出てこないし、誰が生きようが死のうが知ったこっちゃない。遠くの空からご同情申し上げるさ。で、どうしますか葦河さん。こっちはビタ一文まける気はないんですが」

 再び応接室を包み込む沈黙。火の出るような視線で日和は五十坂を射貫いぬこうとするが、対する相手は柳に風。まるで動ぜずただ時間だけが過ぎて行く。

 やがて日和義人は肩の力を抜き、大きくため息をついて箸を置いた。

「まだ何日か取材で滞在するのでしょう。少し時間をもらえますか」

「ええ構いませんとも。慌てる何とかは何とやらってね」

 五十坂も箸を置く。これで二人の会談は終わった。
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