案山子の帝王

柚緒駆

文字の大きさ
上 下
88 / 132

88 天を衝く腕

しおりを挟む
 星明かりに四本の超振動カッターがきらめく。音のない闇を銀色のサイボーグが飛ぶ。暗視システムは有効だ。ハルハンガイの動きを確実に追えている。だが遠い。時間にしてコンマ一秒以下、距離にして数ミリ、刃の先がほんの少しだけ届かない。


 相手の刃が風を切る音が聞こえる。そう、いまこの聖域サンクチュアリの中で、ハルハンガイにだけ音が聞こえていた。ハルハンガイの耳に届く音以外を消したと言う方が正確だろうか。『宇宙の耳』はジンライの動きを確実に捉えていた。だが速い。時間にしてコンマ一秒以下、距離にして数ミリ、紙一重でかわすのがやっとである。

 いかに相手の動きを捉えようと、それに応じて自動的に体が動いてくれる訳ではない。スピード自慢のサイボーグとは相性が悪かった。思念波でヌ=ルマナを呼んでいるのだが、向こうは向こうで意地にでもなっているのか、応答がない。『宇宙の目』の見通す能力は強大であるものの、単体でそれを使いこなせないというのは、性格面に問題があると言えよう。

 ハルハンガイの耳が捉えるのは、動く相手の発する音だけではない。周囲に反響する音から闇の中に地形図を描くことも出来る。足下につまづきそうな障害物がある事に気付いた。ジンライの超振動カッターを避けながら障害物を飛び越える。それが動く可能性に思い至るほどの余裕はなかった。


 倒れたまま、石ころのように身動き一つせず、息を殺して獣人ズマは待った。そしてチャンスはやって来た。ズマの手が伸びる。自分の体を飛び越える、ハルハンガイの足首へと。


 足首をつかまれた老人は、後ろにバランスを崩した。迫るジンライをかわし切れぬと見て、両腕を立てて顔をガード。左腕に食い込む刃。しかし、鋼鉄を切り裂く超振動カッターが半ばで止まった。腕に力を込めると、硬質な音を立てて刃は砕け散る。ハルハンガイの口に笑みが浮かんだ。だが。

 直後、左腕の傷口に寸分違わず叩き込まれる二本目のカッター。深くなる傷、けれどまた砕かれる。と同時に、また叩き込まれる三本目のカッター。音を上げたのは腕の方。ものの見事に切り離された。そして四本目のカッターが、ハルハンガイの左耳を削ぎ落とす。

 世界に音が戻った。


 戦斧が電磁シールドを打つ音が響く。その意味するところをヌ=ルマナは理解した。背後から聞こえるハルハンガイの絶叫。

「おのれ!」

 多少の相性もあるとは言え、ハルハンガイはもろすぎる。相手は魔人ですらないのだぞ。そう心の内で嘆きつつ、ヌ=ルマナは勢いよく3Jに背を向けると、戦斧を構えて飛んだ。その大きな両目がジンライを捉える。超振動カッターは二本、すなわち二本失ったのだ。対してこちらの戦斧は五本、圧倒的に有利と言える。

 状況を一瞬で把握したヌ=ルマナは、ジンライを標的に定めた。このサイボーグの首を取りさえすれば、もはや3Jなど恐るるに足らずと。

 その目の前に、突如出現した壁。止まる事も出来ずに、ヌ=ルマナは激突した。その感触でわかった。これは壁ではない。巨大な背中なのだ。

 しゃがみ込んでいた背中が立ち上がる。オオカミの頭を持つ巨人。デルファイ四魔人の一人、獣王ガルアム。

 馬鹿な。あの四人が魔人モドキを生み出したはず、それと戦ったとして、こんなに早く戻って来られる訳がない。ヌ=ルマナの脳裏をよぎる姿。左目一つの冷たい視線。まさか、こちらの手の内をすべて読んでいたとでも言うのか。

 ヌ=ルマナが姿勢を立て直すより先に、上から叩きつけられる巨大な拳。『宇宙の目』は地面に一度バウンドし、大きく跳ね上がった。

 ガルアムはその勢いのまま体を回転させ、もう一人の敵に手を伸ばす。いかなハルハンガイの怪力といえど、獣王の前では子供も同然、胴体を鷲づかみにされ、そのままヌ=ルマナへと投げつけられた。ぶつかり、もんどり打って転がる二人の神に等しき存在。

 そこに地面から噴き出すかの如く伸びたのは、無数のオニクイカズラのつる。あっという間にヌ=ルマナとハルハンガイを絡め取る。見下ろすのはウッドマン・ジャック。

 3Jが言う。

「ケレケレ、食え」
「良かろう」

 いつの間に3Jの隣に立っていたのか、おかっぱ頭の子供が応えた。ケレケレの口が大きく大きく開く。ブラックホールのような暗黒が広がる口の中に、ヌ=ルマナとハルハンガイが飲み込まれる、かに見えた、そのとき。

 地面が割れた。いや、破裂した。

 ケレケレは弾き飛ばされ、オニクイカズラは根から宙を舞い、岩盤が砕けて吹き飛ぶ。白い噴煙、赤いマグマ。火山の噴火と見紛うばかりの景色の只中、3Jたちは見た。天に向かって突き上げられた、黄金に輝く腕を。

「ガルアム、捕まえろ!」

 3Jの声にガルアムはマグマの中に踏み込み、巨大な腕を抱えた。ガルアムですらやっと腕が回るほどの太さ、長さはガルアムの身長よりもある。

「リキキマは」

 誰に向けての問いであったか、星空を見上げた3Jは、天から降る声を聞いた。

「いま戻った!」

 急降下して来るリキキマの全身から、槍のような突起が現われ、地面に向かって伸びる。マグマを貫き、下へ下へ、深く深く、腕の根元に絡みつく。地面に降り立ったリキキマは3Jを振り返った。

「いいんだな」
「構わん。引きずり出せ」

 リキキマはガルアムに視線を向ける。ガルアムはうなずいた。

「せーの!」

 リキキマのかけ声で、二人の魔人は一斉に黄金の腕を引っ張った。腕は天を震わすうめき声を上げながら地中に戻ろうとするが、パワーでは敵わない。しかし。

 突如、地面から突き立つ腕がすっぽ抜けたかと思うと、それは大量の土塊つちくれと化した。

「野郎」

 慌てて突起を突っ込み、地中を探るリキキマ。しかしもう何の気配もない。

「……逃げられた」

 そう舌打ちした。

「こっちも逃げられたのだけれど」

 ウッドマン・ジャックはオニクイカズラの蔓を手にして言った。ヌ=ルマナとハルハンガイの姿はない。

「それはこの際、やむを得ん」

 感情のこもらぬ、抑揚のない声で3Jは答えた。続けてガルアムが問う。

「イ=ルグ=ルだと思うか」
「それ以外の可能性を考えるのは無理がある」

「ならばイ=ルグ=ルにダメージを与えた、と考えていいのか」
「確証はないが可能性はある、としか言えん」

 ガルアムは腕を組んで考え込んだ。

「で、結局のところ」

 今度はリキキマがたずねる。

「どこまで頭の中にあったんだ、おまえ」
「ヌ=ルマナが出て来るところまでだな」

「ハルハンガイの事は考えてなかったのかよ」

 呆れたようなリキキマに、平然と3Jは答えた。

「そんな無茶な想定をするほど馬鹿ではない」

 リキキマの眉が寄る。

「……おまえ、まさかイ=ルグ=ル相手にノープランで戦おうとしてないよな」
「作戦は立てる。だが、相手が想定外の動きをする事は大前提だ」

 その言葉に、リキキマは諦めたようなため息をつき、「マジかよ」とつぶやいた。3Jは夜空を見上げる。

「ダラニ・ダラ」

 闇の中、巨大な老婆の顔が逆さにぶら下がった。

「何だい、またタクシーかい」
「タクシーだ。俺とジャックを森まで運べ。さらと話したい」

「ちったあ遠慮ってもんを知らないかね、この小僧は。今夜アタシがどんだけ働いたと思ってる」
「これからもっと働く事になる」

 そう言うとジンライに目をやった。

「エリア・エージャンに行くか」

 銀色のサイボーグはうなずいた。

「そうだな、超振動カッターをまた調達しなきゃならん。ジュピトルに伝言でもあるなら聞くが」
「いや、構わん。いまはあいつも忙しいだろう」

 そしてズマの方を振り返ると、ガルアムが何やら話しかけている。

「ハイム」

 執事はリキキマの服の埃をはらっているところだった。

「はい、何でございましょう」
「後でズマに飯を食わせてやってくれないか。金は払う」

「いえいえ、その程度の事でしたらご心配には及びません。うけたまわりました」
「頼む」

「何で主人の頭越しに話してんだよ、勝手に決めてんじゃねえぞコラ」

 ムッとしているリキキマに、3Jはこう言った。

「おまえが断る事は想定していない」
「舐めてやがんな、このガキ」

「どうすんだい、行くのか行かないのか」

 ダラニ・ダラとウッドマン・ジャックが待っている。3Jはマントをひるがえし、そちらに向かった。騒動に目を覚ました聖域の住民たちが集まって来ている。後はリキキマに任せるしかない。とりあえず今夜は終わった。今夜のところは。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

AI執事、今日もやらかす ~ポンコツだけど憎めない人工知能との奇妙な共同生活~

鷹栖 透
SF
AI執事アルフレッドは完璧なプレゼン資料を用意するが、主人公の花子は資料を捨て、自らの言葉でプレゼンに挑む。完璧を求めるAIと、不完全さの中にこそ真の創造性を見出す人間の対比を通して、人間の可能性とAIとの関係性を問う感動の物語。崖っぷちのデザイナー花子と、人間を理解しようと奮闘するAI執事アルフレッドの成長は、あなたに温かい涙と、未来への希望をもたらすだろう。

ふたつの足跡

Anthony-Blue
SF
ある日起こった災いによって、本来の当たり前だった世界が当たり前ではなくなった。 今の『当たり前』の世界に、『当たり前』ではない自分を隠して生きている。 そんな自分を憂い、怯え、それでも逃げられない現実を受け止められるのか・・・。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

DEADNIGHT

CrazyLight Novels
SF
総合 850 PV 達成!ありがとうございます! Season 2 Ground 執筆中 全章執筆終了次第順次公開予定 1396年、5歳の主人公は村で「自由のために戦う」という言葉を耳にする。当時は意味を理解できなかった、16年後、その言葉の重みを知ることになる。 21歳で帝国軍事組織CTIQAに入隊した主人公は、すぐさまDeadNight(DN)という反乱組織との戦いに巻き込まれた。戦場で自身がDN支配地域の出身だと知り、衝撃を受けた。激しい戦闘の中で意識を失った主人公は、目覚めると2063年の未来世界にいた。 そこで主人公は、CTIQAが敗北し、新たな組織CREWが立ち上がったことを知る。DNはさらに強大化しており、CREWの隊長は主人公に協力を求めた。主人公は躊躇しながらも同意し、10年間新しい戦闘技術を学ぶ。 2073年、第21回DVC戦争が勃発。主人公は過去の経験と新しい技術を駆使して戦い、敵陣に単身で乗り込み、敵軍大将軍の代理者を倒した。この勝利により、両軍に退避命令が出された。主人公がCREW本部の総括官に呼び出され、主人公は自分の役割や、この終わりなき戦いの行方について考えを巡らせながら、総括官室へ向かう。それがはじまりだった。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...