案山子の帝王

柚緒駆

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16 パンドラ

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 一つ、二つ、三つ、そしてもっとたくさんの、足音、足音、足音。フラッシュライトの照らす闇の中、地下二階へと降りる階段から、足音が上ってくる。そこに姿を見せたのは。

「……子供?」

 プロミスの口が告げた通り、立っていたのは子供。おそらく十歳に満たないだろう。着ている服は、もう服とは呼べない。全身にボロ布をまとった、伸び放題ボサボサになった頭の、痩せこけた子供が悲しげに見つめている。その後ろから続々と、十二、三歳の、あるいは七、八歳の、もしくは五、六歳のみすぼらしい格好の子供たちが、ゾロゾロと出てきた。そのさらに後ろから、同じようにボロをまとって痩せこけた大人たちが現われる。

 大人たちは、子供たちをかばうように前に出た。プロミスたちに対して身構える。ある者は左腕だけが太くなった。ある者は右半分だけ獣人化した。誰も彼も部分的に変異し、しかし殺気も敵意も感じられず、どこか投げやりな、絶望感に満ちた静かさがあった。

「どういう事なの」

 プロミスは闇に問う。闇は答えた。

「彼らが『闇の眷属』さ」
「人間じゃない」

「違うね」

 その声の方向にライトを向けると、いつの間に現われたのか、真っ赤なセーターを着て、黄色いマフラーを巻いた男が立っている。あまりにも場違いな存在感。

「彼らの祖先は初期の獣人や強化人間だった。でも当時の完成度の低い技術では、どうしても生まれてしまったんだよ、『デキソコナイ』がね」

 男の吐く息が白い。ライトの明かりに揺らめいている。

「人間は彼らを同類とは認めなかった。生体兵器としての居場所も確保してくれなかった。人間の世界を追われた彼らは人目を避け、身を寄せ身を隠しながら、ひっそりと生き続けた。その子孫がいまここに集まっている」

 男は微笑んだ。

「彼らはボクの味方らしい。どうする。皆殺しにでもしないと、宝物は手に入らないよ」

 ボロボロの半獣人、半強化人間たちが前進した。プロミスは銃を向ける。だが子供の姿が目に入る。

「撃たないと、君たちが殺される」男は言った。「ただし、撃てばもう後戻りは出来ない」

 プロミスは歯を食いしばった。

「後戻りなんて、する気はない」

 再び迫る集団に銃を向ける。

「私はDの民を倒すと決めたの。そのためなら、人殺しと呼ばれても構わない」
「甘いね」

 男は鼻先で嗤った。

「君は人殺しと『呼ばれる』んじゃない。これから先、何かあるたびに他人を殺して解決する、ただの殺人鬼に『なる』んだよ。今日はその記念すべき第一歩さ」

「うるさい! 私は」
「さあ撃つんだ。殺すんだ」

 トリガーにかかる指が震える。男の声が脳髄を浸食する。プロミスは何が何だかわからなくなりつつあった。ただ、こう思った。いま撃つ事は、良い事なんじゃないか。それは何より自分のために。撃てば幸福が訪れるのではないか。快楽が得られるのではないか。

「こちら側においで、プロミス」

 撃てば『あちら側』に行ける、撃て、皆殺しにしろ、欲望がプロミスの思考を支配しそうになったとき。

 閃光が走った。

 強烈な光と熱風を受けて、プロミスは我に返った。見上げれば、天井に直径二メートルほどの丸い穴。そこから太陽の光が差し込み、地下の暗闇を照らしている。その光の輪の中に立つ影が三つ。プロミスには見覚えがある姿。真ん中のマントをまとった影が言う。

「おまえがドラクルか。思念結晶を渡せ」

 ドラクルは笑顔で答えた。

「君がデルファイの3J。初めましてだね」
「気にするな。二度目はない」

 すると、どこからともなく赤いロングドレスのエリザベートが現われ、ドラクルをかばうように立った。

「王よ、お下がりを」

 そして闇の眷属たちに声を飛ばす。

「何をしているのです、ただちに皆殺しにしなさい」

 だが彼らは動揺していた。その目は一点に集まっている。3Jに。

「ふん」

 それは、笑ったのだろうか。

「おまえらに言わせれば、俺も闇の眷属か」
「黙れ!」

 エリザベートは激昂した。

「おまえのような化け物に、力なき我らの事など理解出来ぬわ!」
「そうだな」

 3Jは素直に同意した。

「理解するに値しない」
「何を」

 歯ぎしりするエリザベートに、3Jは淡々と抑揚のない声でこう言った。

「力とは可能性だ。己の可能性を自ら否定するのなら、力など得られるはずもない。力を自ら手放すのなら、生きている価値もない。死んだ方がマシだ」
「知った風な口を!」

 エリザベートが絶叫する中、光の輪からズマが一歩外に出た。そして闇の眷属に向き直る。

「兄者、アイツらどうするんだ」

「死にたいヤツは殺してやれ。死にたくないヤツは放っておけ」
「あいよ」

 3Jの言葉にそう返事をしたズマに、ドラクルが声をかける。

「あれえ、君はもうボクとは遊んでくれないのかなあ」

 その嘲笑混じりの声に、しかしズマは振り向かない。

「ああ、兄者がそう言ったからな」
「へえ、つまり君は3Jの言いなりなんだね。彼が死ねって言えば死ぬんだ」

 まるで子供の悪口レベルのドラクルの言葉に、ズマは背中でうなずいた。

「死ぬさ」

 短い一言。だが重い言葉。目に見えない波紋が広がる。

「だけどおいらは知ってる。兄者はおいらに死ねなんて言わない。絶対にだ。だからおいらは兄者のためなら死ねる。おめえにゃ絶対にわからないだろうけどな」

「デルファイにダランガンという街がある」

 感情のこもらぬ3Jの言葉。

昆虫人インセクターの街だ。おまえたちの生きて行く場所はない。だがそこには孤児院がある。獣人も強化人間もサイボーグも、子供だけならそこで受け入れられる。おまえたちが死んでも、子供には居場所がある。それが生きる理由にならないのなら、おまえたちの命だ、好きにすればいい」

「我々の」小さな震える声。「デキソコナイの子供でも、受け入れてくれるのか」

 3Jは振り返らない。

「自分の目で確かめろ」

 それが命の使い方だ。声なき声がそう言っている。

「騙されるな!」

 エリザベートが叫ぶ。

「どうしたのだ、おまえたち。我らがこれまで何度、裏切られたと思っている。どれほど傷つけられたか忘れたのか。ようやく王が見つかったのだぞ。せっかく死に場所が見つかったのだぞ。それをいまになって何を迷うのだ。我らの、我らの誇りが」

「ですが、エリザべート様」

 涙声の懸命の訴えに、さしものエリザベートも耳を貸さずにはいられなかった。

「わしらだって……生きたいのです」

 愕然と立ち尽くす赤いロングドレスの肩に、手が置かれた。

「仕方ないんじゃないかな」
「ですが、王よ」

 振り返るエリザベートに、ドラクルは微笑んだ。

「君たちの王になるのは、やっぱりボクには無理だったんだよ」
「……ならば、せめて」

 どこから取り出した物か、その手にはナイフが。

「我が最後の誇りを、お受けくださいますか」

 ドラクルは躊躇なくうなずいた。

「わかった。受けよう」
「有り難き幸せ」

 その言葉と共に、エリザベートは己の喉を一気にかき切った。鮮血がほとばしる。しかし下へと流れはしなかった。真っ赤な血が宙を舞う。そして回転する。その中央に球体が形作られ、噴き出す血液はその球へと吸い込まれて行った。やがてエリザベートのすべての血を喰らい尽くした親指の先程の赤い球を、ドラクルは手に取り口へと放り込んだ。

「メロドラマは終わったようだな」

 ジンライが前に出た。

 腕の中に倒れ込んだエリザベートの死体を静かに横たえると、ドラクルは立ち上がり、清々しい笑顔でこう言った。

「そうだね、君たちは終わったね」
「笑止!」

 ジンライは超振動カッターを振るった。だが目の前からドラクルが消える。高速移動ではない。まさか。ジンライが振り返ったとき、3Jの真上にドラクルの姿が。その手が頭部に襲いかかる。

 火花が散った。

「くっ!」

 慌てて手を引いたドラクルは、自分の指先が焦げている事に気がついた。

「電磁シールドだと」

 3Jの左目が見つめている。

「ほう、テレポートか」

 それはエリザベートの持っていた力。ドラクルは血を喰らった事で、能力を受け継いだのだ。しかしまるで予想していたかのように、3Jは驚かない。そこに飛び込んでくるジンライ。ドラクルはテレポートしない。四本の超振動カッターが斬りつけ、まともに受ける形となった。けれど。

 ジンライの四本の腕は宙に止まった。ドラクルは微笑む。

「シールドなら、ボクも張れるんだ」

 ドラクルの赤いセーターの編み目から、黄金の光が漏れ出している。

「思念結晶の力が使えるようになったか」

 それでも3Jの言葉には、感情がこもらない。ドラクルはそれが気に入らないのか、身振り手振りのオーバーアクションで問いかけた。

「そう、ボクはテレポートが使えて、シールドも張れるようになった。もう君たちに勝ち目はないと思わない?」

「そうだな」

 3Jは言った。

「もしおまえに無限距離のテレポートが可能で、無限回数シールドが張れるのなら、多少厄介だ」
「君って本当に嫌なヤツだね」

 ドラクルは鼻の頭にシワを寄せてにらみつける。一方3Jはこう反応した。

「ズマ、潰せ」
「あいよ!」

 思わずシールドを張ったドラクルを、ズマはシールドの上から殴りつける。ドラクルは吹き飛んだ。

「ちょ、ちょっと、ズルいだろそれ!」

 そこに斬りつけるジンライ。ドラクルは慌ててテレポートした。現われたのはビルの外。屋上を見下ろす位置。いくら何でもここまで来れば、すぐには……。

 閃光が真上からドラクルの胸を貫いた。だが心臓からはズレている。ドラクルは空を見上げた。

 雲一つない青い空。そこに巨大な箱が浮かんでいた。四隅にエンジンノズルを置いた、白く輝く直方体。これこそが、自律型空間機動要塞『パンドラ』。神魔大戦を前に建造された決戦兵器の、ただ一つの生き残りであったが、いまのドラクルがそれを知る由もない。

 ドラクルはテレポートで跳んだ。いまはただ遠くへと。


「ごめんなさい、逃がしちゃった」

 耳元に聞こえるベルの報告に、「そうか」とだけ返事をして、3Jは振り返った。プロミスたち三人が銃を向けている。

「無意味だ」

 その言葉に、ハーキイとリザードは銃を下ろした。実際、無意味なのはさっきまでの戦いを見ていればわかる。だがプロミスだけは銃口を3Jに向けたまま言った。

「金星教団から奪った物、一つはあなたが持ってるはずよね。渡して」
「無理だな」

「渡しなさい!」
「プロミス」

 ハーキイが銃を取り上げようとするが、プロミスはそれを振りほどく。

「放して!」
「おい、何を興奮してんだよ」

「撃てなかった自分が許せないか」

 3Jは静かに見つめている。

「それとも、撃ちそうになった自分が許せないか」

 プロミスは目を伏せ、ようやく銃を放した。だがその途端、こんな事を言い出した。

「ねえ、協力して」
「協力?」

「私たちはDの民を倒さなきゃいけない。力が必要なの。あなたの力を貸して。奪った物を返せなんてもう言わない。欲しい物があるなら、何だってあげる。何でもする。だから」

「無意味だ」

 3Jはまたそう言った。

「イ=ルグ=ルとの戦いが始まれば、Dの民の事など、もう誰にもどうでも良くなる。意味も価値もない」
「そんな、私たちのやってる事がすべて」

「無意味だ」

 3Jは断言した。さすがにこれでは、もう何も言えない。打ちのめされ、呆然と立ち尽くすプロミスに、3Jは背を向けた。だが。

「どうしても倒したいか」
「……え」

「どうしてもDの民を倒したいなら、俺以上に適任の男がいる。そいつに当たってみるがいい」

 プロミスの顔に明るさが差した。

「それ、誰? どんな人? 何て名前?」

 3Jは振り返らずに歩き出した。闇の眷属たちはもう、デルファイに向かうため、昼間の光の中に踏み出している。この暗闇の中に残っているのはプロミスたちだけ。そんな三人に、3Jはこう言葉を残した。

「ジュピトル・ジュピトリスだ」
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