タイムウォッチャーが異世界転移したら大予言者になってしまうようだ

柚緒駆

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70話 血の粛清

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「どういうことだジェバーマン! 帝国議会では恒久平和条約案があっさり通過したというではないか! まさかこれで金を払えなどと言うつもりではあるまいな!」

 我ながら冷静さも余裕もない。しかしこれが怒り狂わずにおれようか。ボイディアと繋がる裏の組織だというからどの程度のモノかと期待して見ておれば、手下がみんな殺されてしまいましただと? 何の笑い話だ。

「面目次第もございません、アイメン・ザイメン閣下」

 太った禿頭とくとうの老人は床に膝をつき、頭を深く垂れている。

「今回は我が方の手下が殺害され排除されただけではなく、ハンデラ・ルベンヘッテ侯爵閣下の使用人も多数殺害されております。まさかここまで思い切った手に出てくるとは想定外でありました」

 言い訳にもキレがない。心底動揺しているのかも知れないが、まったく頼りないことよ。

「己の正義に酔っているような連中が、安易に殺人に手を染めることはないと高を括っていたのではないか。そこまで正面から自分たちの組織に対抗してくるとは思いも寄らなかったか。だとしたら判断が甘いし迂闊だし間抜けだ。救いようがない。いったいこれからどうするつもりだ」

 私の指摘にジェバーマンは顔を上げると、その細い目に復讐の炎を燃やしていた。

「おそらく敵の頭脳は宮廷占術師タクミ・カワヤ子爵。しかも先般のボイディア・カンドラス男爵による帝国皇宮襲撃の際、現場にいて負傷したとの話もございます。まずはここから潰しておかねばなりますまい」

 タクミ・カワヤのあの小賢しい笑みが脳裏に浮かび、私は思わず悪寒を覚える。

「ふむ。できるのか、手強いぞ」

「組織の総力を挙げて、必ずや」

 ジェバーマンは力強く言い切った。


◇ ◇ ◇


 馬車はザイメン家を離れた。今夜は霧が濃い、商会に戻るまで少し時間がかかるかも知れない。それにしても、この私が育てた組織が、末端とは言えこうも簡単に瓦解させられるとは。敵を褒めたくはないが、何とも恐るべき相手よ。だが組織にはまだ余力が十分に残っている。標的をタクミ・カワヤだけに絞れば、形勢は一気に逆転するだろう。

 ボイディア・カンドラスの行方は杳として知れない。組織の後ろ盾としては最適な人物だったのだが、もし死んでいるのなら本格的にアイメン・ザイメンに乗り換える必要がある。組織の維持には金と権力が必要なのだ。時勢を見誤ってはなるまい。

 それにしてもタクミ・カワヤか。いったいどのようにしてこちらの動きを察知しているのだろう。そのからくりさえわかれば、形勢逆転の手段などいくらでも用意できようものを。

 などと考え込んでいたせいか、馬車が止まっていることに気付かなかった。手に持った杖で御者台の下を叩く。

「何があった! おい、どうなっている!」

 しかし返事はない。御者台に乗せているのは組織の中でも腕っぷしにかなり優れた、傭兵上がりの男だ。判断力もなかなかのものと評価している。なのに何も返答がないのはどうした訳だ。私は馬車を降り、御者台の前に回り込んだ。

「おい、聞こえんのか」

 そう言って見上げたものの、男の顔は見えなかった。霧のせいではない。首から上が切り落とされていたのだ。

「なっ!」

 私は慌てて馬車に背をつけ、懐から小型の単発銃を取り出した。何かがいる。この闇の中に私を狙う者が。まさか、タクミ・カワヤの手の者か。

 周囲に目を凝らし、耳を澄ませていると、小さな足音が馬車の向こう側から回り込んで来る。馬車の前にぶら下がるランタンの光の中に現れたのは、背の高いマント姿。長剣を背負ったその姿には見覚えがあった。

「おまえ、ルベロス……か」

「こんばんは。久しぶりですね、元締め」

 それは確かに間違いない、イエミールの指を切り落とせと命じて失敗し、タクミ・カワヤを抹殺せよと命じてこれも失敗した、あの殺し屋ルベロスだ。

「ルベロス、どうしてここへ。まさか寝返った訳じゃあるまいな」

 するとルベロスは小さく苦笑を浮かべた。

「寝返ったりはしませんよ。そこまで馬鹿じゃない」

「そうか、それなら……」

「俺は殺し屋ですからね。金をもらえりゃ誰でも殺す。最初から寝返るも裏切るもない。他の決まり事なんぞ知ったこっちゃないんです、ご存じですよね、元締め」

「だったら、いまからおまえに仕事を依頼しよう。金はいつもの三倍払う」

「いいですね。でもそいつはまず、いま受けてる仕事を終わらせてから考えましょう」

 私はルベロスに銃口を向けたが、その右腕が闇の中に飛ばされたのは、暗くて見えなかった。かつて雷鳴とうたわれた長剣の打ち込みは、左肩口から右腰にかけてまっすぐに私の体を切り裂いたようだ。

 まったく、最初の失敗の時点で抹殺しておくべきだったのだ。それをまだ使えると判断し、残したのは誰だったか。私か。それはまた、何とも。


◇ ◇ ◇


 ボイディア・カンドラスによるサリーナリー帝襲撃事件より一週間が経った。あの日はロンダリア王やサンザルド・ダナ内務大臣らと政務について話し込み、夕食の時間を過ぎて戻ってみればタクミ・カワヤが生きるの死ぬのと大騒ぎ、タルドマンから詳細を聞いて慌てて王宮に舞い戻る羽目になったのだ。

 だがそれ以降、事態はとんとん拍子に進んでいる。帝国と王国の議会では両国間の恒久平和条約案が通過した。近いうちに正式な条約として調印の運びになるのはもはや明白であり、動かしがたい流れだ。

 もちろん恒久平和条約が締結されたからといって恒久的な平和が約束されるなどと考えるのは夢想に過ぎる。いずれ何十年と時間が経過すれば条約は破棄され、再び戦争の火種が持ち上がることになるだろう。だが当面の戦争は避けられるのだ、それだけで十分に価値があると言える。

 ただ、そんな平和に向かう明るい動きの裏側で、暗く血生臭い事件が続いているのも事実。まったく考えるだけで朝食の味がしなくなるが、知らぬ顔もできまい。相応に資料をまとめてロンダリア王に目を通していただかなくては。

 そのようなあれこれを考えているとき、食堂の扉がノックされた。ジオネッタが扉を開けると杖をついたタクミ・カワヤが入ってくる。ステラとタルドマンに両脇から支えられて。

「もう歩いて大丈夫なのか」

 そう問うた私に笑みを投げかけると、タクミ・カワヤ子爵はテーブルについた。

「ようやくステラ女王の許可が下りましたもので」

「先生!」

 ふくれっ面のステラがにらみつけるが、当人は相変わらずどこ吹く風といった顔だ。

「ステラをあまりいじめるなよ。おまえの意識がない間、ほとんど寝ずに世話をしていたのだからな」

「ええ、それはもう」

 笑顔でうなずくタクミ・カワヤに私はため息を返すしかない。

「と言うかだ。そろそろこの『おまえ』も正さねばならんな」

 理屈では納得しているのだが、これでなかなか寂しい話だ。タクミ・カワヤは不思議そうに私を見つめている。

「正すって、何をです」

「もはや単なる主人と居候いそうろうの関係ではない。公の立場がある貴族同士だ。それに見合った呼び方をせねばならん」

「それは公の場だけでいいのでは」

「人間はそんな器用なものではない。普段の行いがいざというとき顔を出すのだ。おまえ……ではないな。そなた……も少し違うか。貴殿、も留意されよ」

 これに宮廷占術師は苦笑を見せた。

「いやあ、でもだからって僕が『エブンド卿』とか言えないでしょ」

「いずれ言わねばならんのだ。覚悟して練習しておけ」

 しかしこの朝の食事の時間、笑っていられたのはここまでだった。
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