上 下
50 / 73

50話 皇帝の利用価値

しおりを挟む
「皇帝陛下にあらせられましては、ご機嫌麗しゅうございます」

 歴代皇帝の肖像画が壁を覆う玉座の間。我らに背を向け窓の外の夜空を見つめる悲しげな聖女皇帝は、諦念に満ちた小さな声で返事をした。

「ハンデラ・ルベンヘッテ、今度は私に何をさせたいのです」

 皇帝の周囲には侍従や騎士が控えているが、私に意見はもちろん、眉をひそめる者すらいない。

「ご安心くださりませ、たいしたことではございませぬ。ここに持参いたしましたこの詔書にご署名いただければ、すぐに退散いたします」

「……いったい何の詔書です」

「王国との開戦の詔書にございます」

 この言葉に、皇帝は頭でも殴られたかのごとき勢いで振り返った。

「開戦? それに私が署名すれば戦争が始まるのではありませんか」

「いかにも。そのための詔書でございますからな」

 皇帝がどのような態度に出ようが戦争は始まる。その程度の理屈はわかりそうなものだが、聖女皇帝は激しく首を振った。

「できません! 戦争などおぞましい!」

「戦争は外交手段の一つにございます。嫌悪されるのはご自由ですが、仮にも皇帝たる立場のお方が否定をされては困ります」

「何か、回避する手段はないのですか。隣国との殺し合いに民が巻き込まれる事態など」

「ございませんな、すでに万策尽きました。そもそもこの百年近くたまたま平穏が続きはしたものの、我が国とシャナンの間に戦争が起こるのは初めてではございません。戦いは勝てば良いのです。それを含めて政と言えるのですよ、皇帝陛下」

 私は詔書を手に前に進み出る。皇帝は助けを求めるような視線を周囲に向けるが、そんなことをする者などいるはずがない。

 いるはずがなかったのだが。

 いまのいままで何もなかった私と皇帝の間に、突然人影が二つ立ちはだかった。大柄な若い男と長い赤毛の女。男は一瞬こちらに鋭い視線を向けると、不意に皇帝の腕を取る。

「ご無礼つかまつります、陛下」

 その言葉を残して、男と女、そして皇帝の三人の姿は消え去った。

「ど……どういうことだ」

 その場に残った者たちはみな動揺してオロオロとするばかり、私の問いに対する答など返ってくるはずもない。胸の奥で屈辱が炎を上げる。

「衛士は何をしている! 武官を集めよ! 狼藉者ろうぜきものが現れたのだぞ、さっさと皇帝陛下をお探しせんか!」

 おのれ、おのれいったい何者なのだ。この私の計画を邪魔するなど、許さん。断じて許さんぞ!


◇ ◇ ◇


 いまのいままで玉座の間にあったはずの我が身は、突如見知らぬ部屋に立っていた。いったい何が起こったのか。

 呆気に取られている私の眼前に、見知った女の顔が進み出た。

「皇帝陛下!」

 それはコルストック伯爵カリアナ・レンバルト。何故こんなところに。いや、違う。ここでようやく私は一つ理解した。ここはコルストック伯の屋敷なのだと。私を優しく捕まえていた若い男は腕を放し、一歩退いて膝をついた。

「ご無礼をお許しください、皇帝陛下」

 この言葉にどう返答をしたものか。私はコルストック伯を見つめた。おそらく文字通り目を丸くしていたに違いない。

 カリアナ・レンバルトは笑顔でうなずく。

「彼の名前はタルドマン・バストーリア。王国の子爵家の子息です」

「その王国貴族の子息が、何故私を」

 まったくもって何も理屈がわからない私の視線を受けて、カリアナは部屋の中央を手で指し示した。立っているのはタルドマンよりもっと若い男。少年と言っていいだろう。その後ろに数人が膝をついている。

 少年は言った。

「お初にお目にかかる、皇帝陛下。朕はシャナン王国国王、ロンダリア・ガナホーム三世であります」

 私はまたカリアナに目をやった。わからない、まったく状況が飲み込めない。しかしカリアナは大丈夫と言いたげに微笑んだ。

「間違いございません。本物のロンダリア王です」

「つまり、つまりロンダリア王が私を窮地よりお救いくださった、と?」

 するとロンダリア王は困ったような笑みを浮かべて首を振る。

「それは正確な表現ではありません。朕も救われた立場なので」

 そして背後に控えていた黒髪の少年に声をかけた。

「タクミ・カワヤ、そなたから説明してもらえぬだろうか。朕は口が上手く回らぬ」

 これにタクミ・カワヤと呼ばれた少年は笑顔を上げた。

「はい、よろこんで。それでは皇帝陛下、ふつつかながら僕が仔細を説明させていただきます」

 まるで緊張感のない軽佻浮薄なものの言いよう。こんな気軽な口調を聞いたのはいつ以来だろうか。私は思わず微笑んでしまった。



 占い師を自称するタクミ・カワヤの説明で、何故いま私がここにいるのかについて、一応の納得は行った。ただどうやって私をこの伯爵屋敷まで運んだのか、その辺りは結局よくわからない。ロンダリア王によれば彼もよく理解していないのだと言う。だがこの事態は常ならぬことであり、大雑把な理解で構わぬのだろうと。

「今回、皇帝陛下をお助け申し上げたのには理由もあれば目的もあります」

 捉え方によれば大問題になりそうなことを、タクミ・カワヤは平然と口にする。

「それはつまり、私を利用する目的があるということでしょうか」

「はい、皇帝陛下には大変大きな利用価値がございます」

 あまりにも当然といった言い方には、いささか不愉快になる。

「何に利用するつもりなのです」

「皇帝陛下にはロンダリア王との間に、恒久平和条約を結んでいただきたいと考えています」

「恒久平和……つまり戦争をしない?」

「はい、要するに不戦協定です。正式に条約という形式に則る必要はありません、それは後々詰めればいい話であって、とにかくいまは皇帝陛下と国王陛下のお二人に、『戦争はしない』と明言さえしていただければ」

 私は呆気にとられた。ハンデラ・ルベンヘッテは万策尽きたと言っていたが、こんなにも簡単に戦争を回避する手段があったのだ。

 しかしロンダリア王は顔を曇らせている。

「果たしてそれだけで開戦を防げるだろうか」

 この疑問に、これまた平然とタクミ・カワヤは笑顔で答える。

「まさか。そこまで簡単な話じゃありません。お二人が何をおっしゃっても両国の開戦派は戦争に突き進もうとするでしょうし、そこにはそれに応じた手段を講じる必要があります。ただその際、不戦協定は僕らの行動を支える背骨になるんです」

 行動、とは何を差すのだろう。私の疑問は顔にでも出ていたのか、タクミ・カワヤはまるで私の心の中を読み取ったかのようにこう言った。

「皇帝陛下と国王陛下には、明日の朝から大活躍していただきます。今夜はとにかくゆっくりお休みください」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

あの夕方を、もう一度

秋澤えで
ファンタジー
海洋に浮かび隔絶された島国、メタンプシコーズ王国。かつて豊かで恵まれた国であった。しかし天災に見舞われ太平は乱れ始める。この国では二度、革命戦争が起こった。 二度目の革命戦争、革命軍総長メンテ・エスペランサの公開処刑が行われることに。革命軍は王都へなだれ込み、総長の奪還に向かう。しかし奮闘するも敵わず、革命軍副長アルマ・ベルネットの前でメンテは首を落とされてしまう。そしてアルマもまた、王国軍大将によって斬首される。 だがアルマが気が付くと何故か自身の故郷にいた。わけもわからず茫然とするが、海面に映る自分の姿を見て自身が革命戦争の18年前にいることに気が付く。 友人であり、恩人であったメンテを助け出すために、アルマは王国軍軍人として二度目の人生を歩み始める。 全てはあの日の、あの一瞬のために 元革命軍アルマ・ベルネットのやり直しファンタジー戦記 小説家になろうにて「あの夕方を、もう一度」として投稿した物を一人称に書き換えたものです。 9月末まで毎日投稿になります。

異世界に来たからといってヒロインとは限らない

あろまりん
ファンタジー
※ようやく修正終わりました!加筆&纏めたため、26~50までは欠番とします(笑)これ以降の番号振り直すなんて無理! ごめんなさい、変な番号降ってますが、内容は繋がってますから許してください!!!※ ファンタジー小説大賞結果発表!!! \9位/ ٩( 'ω' )و \奨励賞/ (嬉しかったので自慢します) 書籍化は考えていま…いな…してみたく…したいな…(ゲフンゲフン) 変わらず応援して頂ければと思います。よろしくお願いします! (誰かイラスト化してくれる人いませんか?)←他力本願 ※誤字脱字報告につきましては、返信等一切しませんのでご了承ください。しかるべき時期に手直しいたします。      * * * やってきました、異世界。 学生の頃は楽しく読みました、ラノベ。 いえ、今でも懐かしく読んでます。 好きですよ?異世界転移&転生モノ。 だからといって自分もそうなるなんて考えませんよね? 『ラッキー』と思うか『アンラッキー』と思うか。 実際来てみれば、乙女ゲームもかくやと思う世界。 でもね、誰もがヒロインになる訳じゃないんですよ、ホント。 モブキャラの方が楽しみは多いかもしれないよ? 帰る方法を探して四苦八苦? はてさて帰る事ができるかな… アラフォー女のドタバタ劇…?かな…? *********************** 基本、ノリと勢いで書いてます。 どこかで見たような展開かも知れません。 暇つぶしに書いている作品なので、多くは望まないでくださると嬉しいです。

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!  父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 その他、多数投稿しています! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

処理中です...