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38話 ボイディアからの要請

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 指輪をいくつもはめた、丸々と太った指がキシアの赤い駒を動かす。

「襲撃は失敗したようですな」

 私の骨と皮しかないような瘦せ細った指が、白い駒を下げる。

「想定通りだが、面白くはない結果だ」

 赤い駒が押し込む。

「想定外の結果をお望みでしたか」

 白い駒は左に避けた。

「私は予言を信じる者だが、運命論者ではない。より都合のいい未来が考え得るのなら、それを否定する気などないのだ、元締め」

「男爵閣下は欲張りでございますな」

 赤い駒は一つ下がった。私は口元を緩める。

「誘いには乗らないか」

 向かいに座る丸々と太った禿頭の老人は、細い目をさらに細めた。

「仕事柄、臆病者でしてな」

「その臆病な元締めの、最も信頼している腕を貸してほしい」

 太った元締めの細い目が見開かれる。

「ルベロスではご不満でしたか」

「状況は刻々と変化している。そうそう義理人情で機会は与えられない」

「なるほど。殺人に特化した者、と受け取ってよろしいですかな」

「いや、多少複雑な処理ができる者がいい。可能ならば対象を拉致してほしいが」

「無理なら殺せと」

「そうだ」

 私の言葉に、元締めは自分の脚の付け根を軽くポンと叩くと、深くため息をついた。

「よろしいでしょう。ガライ、いるかね」

 すると元締めの背後の扉がゆっくりと開き、銀髪の眉目秀麗な少年が進み出た。

「はい、元締め」

「しばらく男爵閣下の命令に従っておくれ」

 これにガライと呼ばれた少年は、感情の浮かばぬ顔で小さくうなずく。

「わかりました」


◇ ◇ ◇


 帝国の武装勢力によるグリムナント襲撃は、ものの見事に失敗してしまった。しかしある意味挽回は可能だ。このまま対帝国の主戦論を巻き起こしてグリムナント領を最前線にしてしまえばいい。そうすれば他の貴族の軍隊も大手を振ってリアマールに兵を進められる。あとは勝手に領土を分割するだけだ。

 ただ。

 国には国の仕組みというものがある。王宮政府として決定事項を貴族たちに通知し、仕事を割り振るのであれば、当然国王の裁可が必要となるのだ。無論、国王に実質的権力などない。このアイメン・ザイメンが右を向けと言えば、ロンダリア王は右を向かざるを得ないだろう。

 国王が玉座に座っているのであれば、だが。

 そう、この王宮の中に閉じ込められている状態であれば、国王は単なる装置に過ぎない。何の意思決定もできない子供だ。ところが、いったい何がどうした訳か、いま国王はリアマールのグリムナント屋敷に滞在しているという。

 そんな予定などどこにもなかった。いつ外に出てリアマールに向かったのか、王宮の人間は誰も知らなかったのだ。いや、一人だけ例外がいる。貴族議会議長ハーマン・ヘットルトがロンダリア王に同行しているらしい。

 おそらくはハーマンの手引きで王宮を抜け出したのだろう。いずれ王宮政府に戻って来た際には議長職から追放してやるが、いまはそれどころではない。

 これまでの政府の決まりごとはすべて、王が玉座にあることを前提としていた。しかしいま王はグリムナントの手にある。王ある場所を首都と呼ぶのなら、いまはリアマールが首都である。その気があるならグリムナントが王に指示を与え、国内の貴族を命令に服させることも理屈の上では可能であると言える。

 これは少々厄介な事態だ。ロンダリア王の教育係でもある内務大臣サンザルド・ダナに抗議はしたものの、それで王が王宮に戻って来る訳ではない。いかに間抜けなグリムナントであろうと、せっかく手に入れた王をやすやすと手放すはずがない。

 おのれ、せめてホポイ・グリムナントだけでも殺せていれば、こんなに頭を悩ませることもなかったものを。ロンダリア王一人なら何も恐れる必要はないのだ。しかし地方領主に封ぜられながら、国内五指に入る軍事力を誇るグリムナントが隣に立てば、王はただの子供ではなくなる。

 言うまでもなくホポイ・グリムナントは凡庸な貴族だ。社交に長けている訳でもなければ軍事に優れている訳でもない。もし我がドルード領の軍を動かしグリムナントと戦えば、十中八九我が軍が圧勝することになるだろう。ただし無傷でとは行かない。これはどこの貴族も同様であり、それ故にグリムナントと正面切って敵対しようとする諸侯は少ないのだ。

 たとえ首都から離れていようと、あの豊かなリアマールを領地として治めるグリムナントの潜在力は脅威と言える。我がザイメン家の未来のためにも解体が望ましい。何か妙案はないものだろうか。

 執務室でペンを放り出し懊悩おうのうする私の元に、執事が盆にのせて封筒を持ってきた。

「ボイディア・カンドラス男爵様より文が届いております」

「ボイディアだと?」

 帝国貴族のハンデラ・ルベンヘッテから紹介された男であるが、優秀なのはわかるものの、どうにもいまひとつ気に食わない。敵に回すと厄介な者は味方として引き込むというルベンヘッテのやり方は理解できる。しかし迂闊に仲間に引き入れて、内から腹を食い破られる心配はないのだろうか。

――卿はいささか心配性に過ぎるな

 ルベンヘッテは笑うのだろう。まったく、私に言わせれば帝国の連中はどいつもこいつも大雑把に過ぎるのだが。

 執事に封を開けさせ文を受け取る。さすがに読まないという訳にも行くまい。

 ……ふむ。つまり、我がザイメン家の使用人に一人加えろということか。厳密に言うなら、ザイメン家使用人と言う「肩書」を一時的に貸し出せとの要請だ。何を企んでいる。

 おそらくは王国領内で起こす何事かについて、自由に動ける者を一人用意するためにザイメン家の名を利用したいのだろうが、それは当家を巻き込むと宣言しているに等しい。

 もちろん事態が露呈しても、当家は預かり知らぬと白を切ることは可能だ。しかし敢えてわざわざ面倒ごとを抱え込む意味があるか。利があるか。

 あるな。

 あるに違いない。

 そうだ、ボイディア卿の言うことに間違いがあるはずもない。

 意味はあるのだ。利はあるのだ。

 その方向にこそ我がザイメン家の幸福と成功がある。

 心のどこかで違和感が叫び声を上げているような気がしないでもないのだが、そんなものは無視して構わんだろう。私はボイディア卿を信じて、ただひたすらに前進するのみ。

 ははは、はははははっ!

 これは何の笑いだ。意味はわからない。だがおかしくて仕方ない。私は笑いを止められなかった。
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