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18.うっかり屋

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 水曜日早朝、始業時間前の砂鳥ホールディングス緊急取締役会。提出されたのは取締役である砂鳥久里子くりこ坂南さかなみ泰二たいじの二名の解任、そして社外取締役一名の追加をはかる動議。唖然とする二人以外は全員が起立し、瞬時に可決された。



 砂鳥ホールディングス社長室には怒号が響く。

「どういう事! 納得できる説明をしなさい!」

 いまは亡き兄、宗一郎の妻にして砂鳥宗吾の義姉に当たる久里子と、その実弟である坂南泰二は怒りを満面に映して宗吾の机の前に立つ。しかし、対する宗吾は平然と椅子に座っていた。

義姉ねえさん、あなたは納得するつもりなんてないのですから、納得できる説明は不可能ですよ」

 これに坂南泰二が、恰幅の良い体で食いついた。

「そんな言い方はないだろう。宗吾くん、私たちは君の仕事をこれまで文句も言わずに支えてきたんだ。礼を言われこそすれ、相談もなく首を切られるようないわれはない」

「そうですね。義姉さんも泰二さんも、確かに僕に対する文句はおっしゃりませんでした。でも、それはこちらも同じでしょう。お二人はいったいこれまで、いくつの事業を無駄に潰してきたのですか」

 それを言われては泰二も言葉に窮する。宗吾は続けた。

「こう言っては失礼ですが、『申し訳ないが取締役を退任していただきたい』とお願いして聞き入れていただける相手なら、わざわざ解任などしません。僕は会社のため、グループのため、必要な手段を講じただけの事です」

 静かな、断固とした、有無を言わさぬ冷徹さ。社長室はしばし静寂に包まれた。しかし。

「やっぱり」

 それを打ち破る久里子のつぶやき。その目の奥に炎が揺れていた。

「やっぱりあのとき、あなたがやったのね」

 困惑する泰二に対し、宗吾は平然と無表情を貫いている。久里子は両目に怒りを、口元に笑みをたたえて、呪うが如く言葉をぶつけた。

「十年前、あのとき、宗一郎さんを……あなたが殺したのね!」
「姉さん」

 さすがにマズいと思ったのだろう、泰二は久里子を落ち着かせようとする。

「今日のところは一旦帰ろう。な、姉さん」

 だが久里子は机にしがみつき、動こうとはしない。夜叉のような目で宗吾をにらみつけている。

「あなたの兄さんを、血のつながった実の兄弟を、よくも殺して平気でいられるわね!」
「姉さん、落ち着けって」

「うるさい!」

 久里子は腕を振るって泰二を跳ね飛ばした。

「訴えてやる! 警察に、裁判所に、おまえが人殺しだと!」
「構いませんよ」

 それでも泰然としている宗吾。

「告訴したければどうぞ。僕は一向に構いません。ただし、告訴するからには反訴も受けていただきます。横領、背任、その他の容疑でね」

 久里子は歯をギリギリと鳴らして悔しがる。

「覚えてらっしゃい。許さない。絶対に許さないから!」

 そして猛然と振り返ると、そのままドアへと真っ直ぐ向かった。慌てて追いかける泰二。開け放たれたドアの向こう側へと喧噪が移動して行く。宗吾は目を閉じると、疲れたように顔を天井に向けた。



 確か高校二年のときだったと思う。校長の車のフロントガラスが割られる事件があった。教職員からは警察に通報すべきという声も上がったらしいが、春の入試で志願者数を減らしたくない校長は、警察沙汰にするのを渋った。そこで校長室に呼び出されたのが、我らミス研の三賢者と砂鳥だった。何かいい知恵はないかというのだ。

 事件が起こったのは昼休みと思われる。しかし体育館の裏手にある駐車場は校舎に面しておらず、目撃者捜しは難しい。体育館を使用していた運動部員なら何か物音を聞いた可能性もあると山猪が主張したものの、いまひとつ決定打になるような案は浮かばない。

 みんなが頭をひねっているとき、不意に砂鳥が立ち上がった。

「明日の朝、全校集会を開いて、みんなの目の前で僕にその質問をしてください」

 たったそれだけ言い残し、さっさと校長室を出て行ってしまった。

 翌朝、校長は臨時の全校集会を開き、舞台の上に砂鳥を呼び出してたずねた。

「この事件の犯人は誰だと思うかね」

 すると砂鳥はこう答えたのだ。

「『あいつが怪しい』と言い出した人間が一番怪しいと思います」

 私たちは呆気に取られた。この事件は昨日のうちに全校に広まっている。ならば当然、「あいつが怪しい」と口にした生徒は何人もいるはずだ。それをいまさら。さすがの砂鳥も今回ばかりは失敗したかと思った者は、私を含めて少なくなかったろう。

 だが結論を言えば、私たちが間違っていた。その日のうちに犯人が校長室に現われ、やがて退学を申し出たからだ。

 後で校長から聞いた話によれば、犯人は成績が思うように伸びず、ストレスが溜まっていたと漏らしたらしい。誰にもバレないよう、それなりに作戦を考えての行動だったが、砂鳥の言葉を聞いたとき、周囲が自分を見ているように感じたという。実際、「あいつが怪しいんじゃないか」とクラスメートに冗談めかして話していた事もあり、一度そう思い込んでしまったら、とても隠しきれる気がしなかったそうだ。

「天知る、地知る、我知る、人知る、と昔から言うしね」

 砂鳥はそれ以上の説明をしなかったが、あの歳にして人間の心理構造を理解していたのだといまならわかる。この頃からだろう、砂鳥を「完璧魔人」と呼ぶ声が大きくなったのは。

 そんな昔話を思い出しながら、私は車のアクセルペダルを踏み込んだ。

「早まるなよ、山猪」

 胸騒ぎがして今朝から何度も連絡を取ろうとしているのだが、山猪のスマホにはつながらないし、家の電話にかければ「いつもより早く出かけました」と奥さんは言う。

 もし、だ。もしも万が一、霊源寺の転落死が砂鳥の仕業だった場合。そんな事があるはずないと信じてはいるが、もしもそれがあった場合、山猪では砂鳥にかなわない。あいつは私たちとレベルが違うのだ。迂闊に手を出してはいけない。それは自殺行為だ。

 もし山猪が砂鳥と対決するつもりでいるなら、直接会社に出向くのではないか。確証はないが、いまは悠長に構えていられる状況ではない。とにかく動くしかないのだ。

 私がもう一段アクセルを踏み込もうとしたとき、スマホが鳴った。表示される山猪寛二の文字。私は慌てて路肩に車を停め、電話に出た。

「山猪か!」

 すると電話の向こうから、呑気な声が聞こえてくる。

「俺の電話なんだから俺だよ。着信いっぱい入ってるからさ、どうした。何かあったか」
「な……何かあったかじゃない! いまどこにいるんだ」

「会社の近所のコンビニ。イートインでサンドイッチ食ってる」
「マジかよ。勘弁しろよ」

 ホッとため息をついた私に届く、山猪の笑い声。

「アレか? もしかして昨夜の続きがあると思ったんじゃないだろうな」
「思うだろ普通。連絡が取れなくなれば」

「悪い悪い。いや、昨日もかなり遅くまであの件を考えてたんだけどな、頭がこんがらがるばっかりでさ。だから今日は早めに起きて、静かな場所でゆっくり考えようと思ったんだよ」

「で。考えはまとまったのか」
「いや、まとまりはしないんだけどさ。でもまあ、砂鳥が霊源寺を殺したって可能性は、あんまりないかも知れないなあ」

「そりゃ普通に考えればないだろ。砂鳥に何のメリットがあるんだ」
「だよな。とりあえずそんな感じだ。いまから出勤するわ」

「ああ、うん、そうか。そんならいいんだ。じゃあまたな」
「おう、また」

 通話は切れた。どっと疲れが襲ってきたものの、私の心の隅にはちょっとだけ充足感があった。だからだろうか、すっかり忘れていたのは。山猪はいつも私より頭が切れて、それでいてうっかり屋である事を。
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