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13.敵

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 幸平寺では火曜日の午前十時より、霊源寺始の葬儀が大々的に行われた。経を読むのも喪主を務めるのも、始の父親である先代住職。変死の謎をささやき合う者もいたが、葬儀それ自体は檀家衆が大勢集まり、盛大な祭典となった。喪主が挨拶で述べた通り、独身であったのはある意味、不幸中の幸いであったのかも知れない。

 山猪寛二と大葉野六郎は昨夜の通夜に訪れたものの、葬儀には参列していない。親族ではないから忌引きは使えないし、二日続けて病欠ともなかなか行かなかったのだ。ただ、その代りという訳でもないのだろうが、砂鳥宗吾の喪服姿はあった。

 そんな幸平寺の外、百メートルほど離れた道路の路肩には銀色のクラウンが駐まっている。中でタバコをくゆらせているのは五味。助手席にはジローが虚空を見つめ膝を抱えていた。

 別に何かを期待してはいない。企んでもいない。しかし標的を自分の目で確認しておかなければ、いざというときに困る。相手にはこちらの正体を知られず、こちらだけが相手を理解しているのが、もっとも理想的な戦い方なのだ。

 河地善春の行方捜しを忘れた訳ではないが、カバン屋と砂鳥ホールディングスではさすがに情報の格が違う。手に入る金も桁が違うだろう。優先順位は常に変動相場制だ。

 人の流れを見ながら、時折、双眼鏡で幸平寺の三門を眺める。砂鳥宗吾はまだ出てきていない。裕福な寺らしく三門を出てすぐ左右に駐車場があるのだが、砂鳥の黒塗りのベンツがどの辺に駐められているのかは把握している。見逃してはいないはずだ。

 五味がタバコを灰皿にねじ込み、また双眼鏡を目に当てたとき。

 コン、コン。運転席の窓を何か固い物で叩く音がした。叩いたと言うより、つついたと表現した方が正しいだろうか。それほど軽く小さな音。五味が顔を向けると、喪服姿の人影が立っていた。

 周囲の人の流れは確認していたはずなのに、何故窓の外に立たれるまで気付かなかったのか。五味がいぶかしげに見ていると、窓の外の人影は持っていたステッキの頭で、また窓をコン、コンと叩いた。

 警察官には見えないが、さすがに無視もできまい。五味が窓を下ろすと人影は腰を折り――このとき初めて背が高い事に気づいた――タバコを指に挟んで差し出した。シワの多い顔。白髪の、年齢は親方よりも上に見える。八十くらいか。だがその体つきに、放たれる気配に、そして声の張りにも年老いた哀しみは漂っていなかった。

「すみません、火を貸していただけませんか」

 優しげな笑顔をジロリとにらんだものの、相手に怯む様子はない。五味は小さく舌打ちすると、シガーソケットを押してから引き抜き、老人に差し出した。その手首を白い手袋がつかむ。静かに、しかし万力のような握力で。

「なっ、おい!」

 慌てる五味に構わず、老人は咥えたタバコに火を点けた。体を起こし、ゆったりとタバコを吸いながらも手首をつかむ握力は緩まない。五味の手は震え、シガーソケットを落とす。カチン、と地面から固い音が聞こえると同時に五味は開放された。

 老人は、また穏やかに微笑んでいる。

「ありがとう、五味くん」
「……テメエ、誰だ」

「おや、まさか私に自己紹介をしろなどと言うのですか。言いませんよね。私の正体は君には教えません。でも私は君を知っています。とてもよく知っています。それが現実というものでしょう」

 そして老人は、幸平寺の方に歩き出す。

「この件に首を突っ込むのはおやめなさい。忠告はしましたよ」

 五味は、クラウンのドアを開けて外に出た。しかし、遠ざかって行く背を追いかける気にはならない。足下に落ちたシガーソケットを拾って手首に目をやれば、青黒いアザが浮かんでいた。



 間口の狭い、古い電気屋。と言ってもテレビや冷蔵庫を売っている訳ではない。その部品を売る店なのだ。店の壁面には、小さなビニール袋に入れられた抵抗やコンデンサ、スイッチの類いが所狭しとぶら下げられている。店の一番奥、ドン突きにはノートPCをにらみつける、肩まで髪を伸ばした四十絡みのメガネの男。画面には全裸の美少女のアニメーションが動いていた。

 その店の前に急ブレーキの音を響かせて、乱暴に停車したのは銀色のクラウン。バタバタと降りて来た姿を横目でにらみつつ、メガネの男はノートPCを閉じてため息をついた。

「よう、商売繁盛だな」

 五味の言葉は文字で書けば気楽な挨拶のようだが、血走った目と、声に混ざり込む苛立たしさが空気を一瞬で殺伐とさせる。

「何だよ、えらいご機嫌じゃんか」

 迷惑そうな男に、ズンズンと近付く探偵。

「ああ機嫌はいいね。最高の気分だよ」
「いや、待て待て待て、暴力反対」

 その胸倉をつかむと、五味は歯を見せた。ギリギリと食いしばりながら。

「アンタを殴っても意味ねえんだよ。とにかく情報よこせ」
「な、何の情報だよ」

 怯える男を突き放し、五味はジャケットのポケットからシワシワになった万札を三枚取り出し、ノートPCの隣に叩き付けた。おそらくはどこかのATMで金を引き出して、そのままポケットに突っ込んだのだろう。

「ジジイだ」
「ジジイ? どんな」

「あー、頭は真っ白、八十くらい、背が高い、やたら馬鹿力の、それでいて裏の世界に詳しいジジイだ」

 早口で説明する五味に、メガネの男は眉をひそめる。

「んー、それっぽい爺さんなら、ヤクザ関係に何人かいるけど」
「ヤクザじゃねえ!」

 思わず怒鳴った五味だが、すぐに深呼吸し、自分を落ち着かせた。

「……あれはヤクザじゃねえ。断じてそんな連中とは違う。もっとこう、『気持ち悪い』ヤツだ」
「気持ち悪い? 気持ち悪い爺さん、ねえ」

 しばし考えて、突然メガネの男は固まった。その顔から血の気が音を立てるように引いて行く。

「知らない」

 うつむいたまま、三枚の万札を五味に差し出した。

「情報はない。答えられない」

 どう見ても不審なその様子に、五味は訝る。

「おい、どういう事だ。何か知ってんだろ」
「何も知らない。情報は何もない。何も答えられない」

 断固とした言葉。五味はしばらくにらみつけていたが、万札を奪い取るように受け取ると振り返った。

「五味」
「何だ」

 苛立たしげな五味にメガネの男は告げる。

「親方なら、何か知ってる可能性はある」

 その言葉を背に、五味は電気屋を後にした。
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