妖銃TT-33

柚緒駆

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30 勝利条件

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 先程トカレフから放たれた三発の弾丸は、当然の如くまだ死んでいないはずだ。投光器の光から外れた暗い空を舞い、次の機会をうかがっているに違いない。

 キルデールは銃口をマーニーに向けながらも、不用意に六発目を撃たなかった。いかに化け物じみたトカレフであれ、弾数は無限ではない。普通に考えてマガジンにはあと三発。他に八発入りの替えマガジンが最低一つはあるだろうか。全弾撃ち尽くさせ、それをすべて叩き落とすまで安心はできない。マーニーは突き出した両手に意識を集中した。体力が持つかどうかが心配だ。

 そのマーニーと黄色ジャージ、そして小丸恵の周囲を、防弾ベストを身に着け刺股を手にした刑事たちがグルリと囲んでいる。隙あらば取り押さえてくれようと。だが、肝心の隙が見つからない。トカレフは構えているが、力を込めず自然体で立っているだけに見える黄色ジャージに、正面は元より、左右や背後からも、誰一人として近寄ることができずにいた。

 近付けば自分が最初に撃たれることは自明の理。いかな訓練を積んだ警官であれど、職業意識だけでは乗り越え得ない壁もある。しかしその壁を越え、均衡を破ったのはまだ若い刑事。怖いもの知らずの未熟さが、ここでは力を発揮した。

「おおりゃぁああっ!」

 うわずった声と共に突き出された刺股が黄色ジャージの腰を捉えた、かに思えたのだが。

 上空から音もなく飛来した「何か」が刺股の柄を叩き折り、その勢いで若い刑事は地面に突っ込んだ。それでも切っ掛けを得た他の刑事たちは、雪崩を打って黄色ジャージに襲いかかる。

 二発の銃声。しかし、これは二人が撃たれたことを意味しない。先の三発にプラス二発の合計五発の銃弾が空中で渦を巻き、押し寄せた十数本の刺股の柄をことごとく打ち砕いた。刑事たちの足も思わず止まる。だがこの状況、動きを止めることが意味するところは一つ。

 死、あるのみ。

 黄色いジャージの男の口元に笑みがこぼれた。

 そのとき、急停止したために前のめりに倒れた刑事たちの、背中の向こう側から跳ね上がるように飛び出した地豪勇作が、猟銃を頭上高くに振りかぶる。

 この程度の幼稚なトリックに引っかかるものか。キルデールは飛び回る五発の銃弾を、すべて小丸恵に向けた。おそらくマーニーは恵を守らんと飛び出すだろう。そこに僅かな時間差で八発目の銃弾を叩き込めば、いかなマーニーとてかわし切れまい。

 黄色ジャージの表情に浮かぶ自信。だがそれは慢心であり、これこそが隙である。勇作の動きはトリックでも何でもない、ただ視線を向けさせるための型通りの陽動だということに、すなわちいま、真後ろから妖刀蝶断丸が迫っていることに気付かなかったのだ。

 “りこりん”の一太刀はトカレフを持っていた敵の右腕を断つ。宙を飛んだ五発の銃弾は勢いを失い、マーニーに簡単に叩き落とされた。そして勇作が猟銃の台尻で、黄色ジャージの頭を殴りつける。

 地に落ちた右腕は八発目の引き金を引いたものの、弾はマーニーにも勇作にも“りこりん”にも恵にも当たらず、反動で黒い自動拳銃は手から離れて転がった。末期の咆吼か。後は猟銃に詰めたスラグ弾でこのトカレフを砕けば、この悪夢のような物語も終わるのだ。勇作は一歩踏み出した。

「鮫村課長!」

 聞こえた悲痛な叫びに勇作が視線をやれば、さっき会話した鮫村が足を押さえて倒れている。偶然? 流れ弾に当たった? ……いや、違う! 慌てて視線をトカレフに戻せば、刑事の一人がフラフラと近付き、拾おうとしていた。勇作は思わず猟銃を構える。

「そいつに触るな!」

 だが、これに周囲の刑事たちが反射的に銃を抜いた。もちろん銃口を勇作に向けて。ここでもし勇作が撃てば、ただでさえ殺気立っている刑事たちは堪えられまい。銃撃戦になれば、マーニーたちがどうなるか。

「さすがに全部は避け切れんぞ」

 恵を背後にかばい勇作の左隣に立ったマーニーが、キャップを目深にかぶり直す。

「もうちょっとだったんですけどねぇ」

 右隣の“りこりん”もため息をつく。

 トカレフを拾った刑事はマガジンを抜いてみせた。

「残弾はゼロだ。そのジャージの男が他にマガジンを持ってるかも知れない。本間、探してみろ」

 これに「はい」と返事をしたのは、最初に刺股で突っ込んだ若い刑事。勇作の構えた銃口の前を横切る度胸はたいしたものだが、実情を考えればとても褒められたものではない。

「おいやめろ、おまえら騙されてんだよ」

 しかし本間は勇作の言葉を無視し、黄色ジャージの死体のポケットをまさぐった。

「ありました! マガジン一つです」

「ようし、こっちに持ってこい」

 本間が立ち上がり走ると、拳銃を構えた別の刑事が勇作に怒鳴った。

「もう逃げられんぞ! 諦めて銃を捨てろ!」

 確かに、普通に考えれば万事休すの場面である。もはや勝敗は決した。そう、普通ならば、だ。

 そこに響いた銃声は、勇作からではなく、刑事たちからでもトカレフからでもなかった。三発の音と共に投光器が三つ破壊され、残る光は一つだけ。悲鳴が響くパニックめいた薄闇の中を、勇作は背を向け走った。恵を肩に担いで、再び支部教会の中へと。

「待て、人質に当たる」

 刑事たちの声を背中に聞きながら。



「父さん!」

 修練室の入り口で父親に抱きついた恵はそれっきり何も言わない。小丸久志もただはらはら涙を流すのみで娘を抱き締めている。

 そんな二人を横目で見ながら、勇作は釜鳴佐平に声をかけた。

「助かったぜ。爺さん、いい腕してんじゃねえか」

「いえいえ、マトが大きかっただけでね」

 そう言いつつ空薬莢を三つコルト・パイソンのシリンダーから抜き取り、三八スペシャル弾を詰めている。別におかしな光景ではなかったが、勇作は首をかしげた。

「三五七マグナム使わないのか、パイソンなのに」

「馬鹿言っちゃいけませんや、こっちはジジイですぜ。マグナムなんぞ使ったら、肩が抜けちまう。どうせ援護射撃くらいしかできねえんだ、サンパチでも十分すぎるくらいでやすよ」

「言うねえ」

 勇作はニヤリと笑う。釜鳴は言外にこう匂わせているのだ。「この弾なら簡単に当てられる」と。

「義を見てせざるは勇なきなり、ってね。古い人間でやすから」

 釜鳴は弾丸を詰め終わったシリンダーを元に戻し、勇作に不敵な笑顔を返した。



 修練室の一番奥の隅では“りこりん”がしゃがみこみ、両腕を抱き締めるように押さえている。マルチーズのボタンは心配そうに見上げていた。その隣に座る縞緒有希恵。

「傷口、開いたの」

 “りこりん”はうなずく。

「出血はほとんどないんでぇ、大丈夫ですよぉ。荒事は慣れてますからぁ」

「仕事だものね」

「ええ、お仕事は大事ですからぁ。プロフェッショナルですしねぇ」

「……本当にそれだけ?」

 縞緒はボタンの頭を撫でている。“りこりん”はクスッと笑った。

「お姉様こそ、お仕事はもう終わってるんじゃないんですかぁ」

「よく言われる。変わり者だって。だけど」

「だけど?」

 のぞき込む“りこりん”に、縞緒もフッと笑い返した。

「憧れるじゃない、正義の味方って」



 マーニーはキャップも脱がず、畳の上に倒れ込んでいる。まさにバタンキュー、体力を使い果たしたのだろう。キルデールに指摘されたとおり、持久力に問題があるのだ。

 そのとき久志のスマホが鳴った。画面を見れば知らない番号。

「出てみるといい」

 倒れたままのマーニーにそう言われて、困惑した表情の久志が五回目のコールで出てみると。

「……あなたと話したいそうです」

 久志からスマホを差し出された勇作がそれを受け取り、耳に当てれば聞こえてくるのはやけに落ち着いた声。

「こちらは県警捜査一課の倉橋警部補だ。わかるな」

「ああ、わかるぜ」

 キルデール、という名前はグッと飲み込んだ。電話の向こうの倉橋が笑った気がした。

「トカレフはこちらの手にある。あとはキミが降参すれば話は終わりだ。無駄な抵抗はやめて人質を解放したまえ。決して悪いようにはしない」

 おそらくはこの会話を何人もの警察官が聞いているはずだ。テメエはキルデールだろう、刑事を乗っ取りやがって、などと口にしようものなら、その時点でこちらは精神異常者扱い決定だ。説得など無意味と判断されて突入部隊が編成される。知恵が回りやがる、勇作は舌打ちをしそうになった。

 最初に出くわしたときのようにただ殺意が暴走しているままなら、ここまで苦労することもなく、もうとっくに叩き潰せていたものを。マーニーが余計なことをしやがるからだ、まったく。こちらの反応がないのを弱気と受け取ったのか、倉橋は押し込んできた。

「あまり長時間の立てこもりは、人質の体力が持たない。その場合、強攻策に打って出るしか選択肢がなくなる。我々もできればそれは避けたいのだ。子供だけでも解放してはくれないか」

 子供というのは恵とマーニーのことだろうが、マーニーを殺すことしか考えてないヤツにわざわざご献上差し上げるほど俺も馬鹿じゃねえよ、と勇作は口に出しかけて堪えた。そもそもキルデールがマーニー以外の誰も殺さないのなら久志と恵くらいは外に出してもいいのだろうが、実際そうではない。こちらに置いた方がどう考えても安全だろう。

「考えたまえ、地豪勇作」

 倉橋は言う。

「頭を使うのだ。思考は不可能を超越し、恐怖すら乗り越えるのだから」

「だったら俺の考えを教えてやる」

 ようやく出て来た勇作からの提案めいた言葉に、相手は興味深げに「ほう」と声を上げた。だが勇作に提案などする気は最初から毛頭ない。あるはずがない。

「俺は時間を稼ぐことにする。何にせよ、何としてでも、とにかく何とかして時間を稼ぐ。最後まで『我慢』しきれたらテメエの勝ちだ。まあ、そんなに都合よく本性まで変えられるとは思ってねえけどな」

「……私は我慢比べには自信があるのだが」

「そうかい、だったらせいぜい我慢しな。頭がイカレて仲間を食ったりしねえよう気をつけるこった」

 電話を切って久志に渡し、勇作は倒れ込んだままのマーニーにたずねた。

「で、どうする」

 さしものマーニーも、思わず顔を上げた。

「いやいやいや。お主、何の策もなしに相手を怒らせたのか」

「他に言いようなんざ思いつかなかったから、しゃあねえだろ」

「まったく、存外面倒臭いタイプだな」

 真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップでパタパタ自分をあおぎながら、寝転んだマーニーは苦笑した。

「とは言え、この状況では確かに時間を稼ぐ以外に手はない。何とかキルデールが自らここへ来るよう仕向けられればいいのだが、警察はどう動くと思う」

 勇作は即答する。

「人質の解放交渉をしながら体勢を整える。後は催涙弾をぶち込んで突入してくるんだろう」

「えらい大雑把だな。しかしまあ、そのときキルデールが一緒に入って来るという確証があるなら、まだ戦いようもある」

 これに、修練室の戸を開けて玄関の方を見張っている縞緒が問うた。

「相手の勝利条件は、あなたを殺すことですよね」

 マーニーが上半身を起こしうなずく。

「そうだな」

「こちらの勝利条件はあのトカレフを破壊すること。なら余程の間抜けでもない限り、敵はここへはやって来ません」

「ああ、確かにその通り」

 マーニーの言葉を聞いて、釜鳴が「へっ」と鼻先で笑う。

「警官隊を突入させて地豪の旦那を射殺して人質を『解放』、マーニーちゃんをここから連れ出して、その後でゆっくり殺せばいいって寸法か。なるほど、こりゃ王手だ」

 状況的にはまさに絶望的。なのに。久志は怯える恵を抱き締めながら、不思議に思っていた。この場に悲壮感も諦めムードもないのは何故だろうと。まだ何か起こるという確信があるのだろうか。

 その心を読んだかのようにマーニーが言う。

「何かは起こるぞ。あのキルデールに我慢比べなどできるはずがない」

 勇作は修練室の壁に掛かっている時計に目をやった。

「鑑識が来る」
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