妖銃TT-33

柚緒駆

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25 いまここに存在する奇跡

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 惨状。まさにそれは惨状と呼ぶに相応しい有様。

 県警の覆面パトカーに交通課のパトカーが二台、そして所轄のパトカーが三台の計六台に追われた白いライトバンは、信号無視や衝突を繰り返しながら、港をまたぐ鉄橋に向かって夜の臨海道路を逃走していた。そこまでほぼ直線だった道路が、この鉄橋の手前で見せる緩やかなカーブに差し掛かったとき、ライトバンの運転席から突き出される黒い自動拳銃。

 宙に向けて放たれた六発の銃声。

 直後六人の運転手が正面から頭を貫かれ、六台のパトカーはカーブを曲がれず壁面に衝突、一塊となって巨大な炎を上げた。言うまでもなく周囲の走行車両も巻き込まれ、死者十三名、重度の熱傷など重傷者八名を出す大惨事。しかも容疑者は取り逃がしている。

 この大失態にマスコミがこぞって反応するであろうことは、誰にでも簡単に予想が付いた。おそらく県警に対し非難の大合唱が起こるだろう。人命を軽視した無謀な追跡ではなかったのかと。ただでさえ連続する発砲事件に下がっている県警の評価が、これでより一層低下するのは間違いない。明日の朝には、本部長が怒り狂い怒鳴り散らす様子が見られるはずだ。



 臨海地区の医療センターで、鮫村課長は血の気の引いた沈痛な面持ちを浮かべている。殉職した刑事たちの遺族に状況を説明しなくてはならない。それは責任者としての重要な仕事だ。しかし何をどう説明すればいいのだろう。意思を持った拳銃に殺されてしまいました、などという戯言が慰めになる訳もない。ただ一つ明らかなのは、もはや自分には打つ手がないということ。

 トカレフの発砲による殺人事件を放置はできない。だがこれ以上警察官を失う事態も県警は許容できまい。どちらに転んでも警察の威信は地に落ちる。もっとも、もう自分にはそれを心配する必要はないのかも知れないと鮫村は思う。今回の件の責任を問われて降任処分となるのは免れないだろうから。

 もちろん、それ自体は覚悟の上で職務に就いている訳だし、別段どうということもないのだが、失った部下の仇を取れないのは悔やんでも悔やみきれなかった。

 病院の夜間救急口の自動ドアが開いた。遺族が来たのだろうか。思わず歩み寄ろうとした鮫村だったが、警備員の巡回のようだ。小さくため息をついたそのとき、胸ポケットのスマホが振動した。ショートメッセージが届いている。誰だ、こんな時間に。画面を見れば小丸久志の名前。メッセージにはこうあった。

――犯人が次に現われる場所がわかります



「返信が来ました。どこに現われる、と」

 久志はスマホを手に勇作を見つめる。勇作は当たり前だと言わんばかりの顔で答えた。

「ここだ。……よな?」

 隣に顔を向ければ、真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップを手に、眠そうな顔で座布団に胡座をかいて、マーニーがコクリとうなずく。

「今夜来るか明日になるのかは知らんが、いずれ必ずここに来る。アレは私をどうしても殺したいらしいからな」

「じゃ、ここに来るはず、と返しますね」

 久志はスマホにその旨を打ち込んだ。あのトカレフがここに来ることを警察に教えろと言い出したのはマーニーである。そうすれば、ややこしいことは全部解決するだろうと。意識を失っていた間の周囲の会話も理解しているかの如き言葉だった。

 これに久志が応じた。恵のことを知っている以上、おそらくマーニーは自分の正体も知っているに違いない、それなら黙っていてもメリットはないと判断したのだ。まあ実際、久志が警察の人間だと告げて驚いた者など、この場にはいなかったのだが。

「しかしよ、結局のところアイツは何でおまえを殺したがってるんだ。あの、何とかいうヤツ」

 勇作の問いに、マーニーは困ったように片眉を上げて見せた。

「何とかという名前はない。あと、おまえ言うな。アレの名前はキルデールだ」

「名前がわかっている?」

 首をかしげる縞緒を見ながら、久志はちょっと戸惑っている。

「名前も送信した方がいいですかね」

「その必要はないよ。亡霊の名前などわかっても逮捕できる訳ではないからな」

 そう言いながらマーニーは大きなアクビをした。

「亡霊、ね」

 釜鳴はさすがに信じがたいという顔でアゴをさすっている。

「つまりそのキルデールとかいうヤツの幽霊が、あのトカレフに取り憑いてるってことですかい」

「さあな、憑依しているのか転生したのか、厳密なところまでは聞いていないからわからんが、あの黒い鉄砲を突き動かし、人間を乗っ取っているのがキルデールの意思なのは間違いなかろう。何せ私を死ぬほど憎んでいるようだからな、まあアレらしいと言える」

 振り返って答えるマーニーの視線の中に、マルチーズのボタンを抱き締め警戒を解かない“りこりん”の姿があった。

「そのキルデールってぇ、何者なんですぅ?」

 それにマーニーは笑顔を返す。

「神官だ。エーラーン・シャフルのザラスシュトラ教徒をまとめていた男でな、優秀だが執念深くて困っている」

「エーラーン……?」

 “りこりん”の記憶にはない名前だ。釜鳴も縞緒もキョトンとしている。だが、一人だけ事情が違った。

「エーラーン・シャフル!」

 突然上がった大きな声に他の一同が驚いて振り返れば、久志が膝立ちになって愕然とマーニーを見つめていた。

「エーラーン・シャフル、サーサーン朝ペルシアのことですよね」

「いまはそう呼ぶのか。確かにサーサーンの一族が興したペルシア人の国だ」

 平然と答えたマーニーに向けられるのは、困惑した久志の顔。

 縞緒が呆れたようにたずねる。

「あなた、世界史まで詳しいんですか」

「いや、この辺はたしなむ程度なんですが」

 律儀にそう答える久志を見ながら、訳がわからんという風に勇作は頭を掻いて眉を寄せた。

「で、そのサーサーン何とかって何だ」

 一度ゴクリと喉を鳴らして、緊張の面持ちで久志は話し出す。

「サーサーン朝ペルシアは、三世紀から七世紀にかけてイラン高原に存在した巨大な王朝です。中世ペルシア語ではエーラーン・シャフル。国教はザラスシュトラ教、つまりゾロアスター教ですね。なら神官のキルデールと言えば、ヴァフラーム一世時代の祭司長キルデールしか思いつきません」

 マーニーは静かにうなずく。

「ああ、よく知っているな。確かにそのキルデールだ」

「なら、それなら。そのキルデールが憎むマーニーって、まさか、まさかとは思うんですけど」

 久志の困惑は当惑に変わり、やがて恐怖の色が濃くなる。これを見て思わず勇作が声をかけた。

「おい、マーニーがどうしたんだよ」

 しかし当のマーニーはクスっと小さく笑い、大きくうなずく。

「その通りだよ、小丸久志。私がそのマーニーだ」

 久志は驚愕した顔を勇作に向け、縞緒にアワアワと言葉にならない言葉を伝えようとする。釜鳴には身振り手振りで何かを指し示し、“りこりん”には助けを求めるように祈った。そしてキョトンと見つめる四人から再びマーニーへと視線を戻すと、再び困惑した顔でため息をついて頭を抱える。

「そんな馬鹿な。有り得ない。こんな途方もない話、どこをどうやっても信じるなんて」

「そのまま信じればいいのだ」

 マーニーは言う。

「お主はすでに理解に達しているではないか。それをそのまま受け入れればいい」

「……つまり、どういうことなんだ?」

 頭の上にクエスチョンマークをいくつも飛ばしている勇作に、久志はまた観念したかのような大きなため息をつき、話の続きを始めた。

「三世紀、サーサーン朝ペルシアでは国教としてゾロアスター教が保護されていました。にもかかわらず、その座を脅かすほどに急拡大した新しい宗教が出現したんです。この宗教は最終的に西はローマ帝国、東はいまの中国にまで広がる世界宗教となりました。名前を……マーニー教と言います」

 部屋に落ちるしばしの沈黙。だが、やがてそろりそろりと皆の視線はマーニーに集まって行く。勇作が首をかしげた。

「マーニー、教?」

「マーニー教の教祖マーニー・ハイイェーはヴァフラーム一世の怒りを買い、最終的にペルシアの首都で捕らえられ、獄死します。それは祭司長キルデールの計略との説もあるのですが、もし、もしも」

 久志の視線に湧き上がるのは、恐怖か、狂気か、それとも純粋な驚嘆か。

「もしこの子がマーニー・ハイイェーの生まれ変わりなら、そしてあのトカレフにキルデールの意思が乗り移っているのなら、執着するのは当然かも知れません。当時のゾロアスター教を追い詰めた、最大の宿敵なのですから」

 修練室に広がる再びの沈黙。その中で一人自由なマーニーは、隣に座る勇作の腕をポンポンと叩きニッと笑った。

「どうだ、少しは畏敬の念が湧いたか」

「何のこっちゃ全然わからん。歴史を理解しなきゃならん話なら、どうでもいい」

 平然と言い切る勇作に、久志は動揺する。

「え、え? どうでもいいっって、えぇっ?」

 こんなとんでもないことなのに、何故驚かないのか。世界中がひっくり返るほどの大事件なのに! 久志の顔はそう主張していたが、マーニーはどこか嬉しそうに笑った。

「まあ、この男はこう言うだろうと思っていたがな」

 一方勇作は真剣な顔でこう言う。

「それよりも、もう一つどうしても気になってることがある」

「ほう、何だ」

 すべてわかっている風な顔を見せているマーニーに、勇作は問うた。

「あのとき、墓場でアイツは何で逃げた。刑事に撃たれたところで別に痛くも痒くもなかったろうし、おまえさえ殺せればそれで問題なかったはずだ」

「おまえ言うな言うとろうに」

「けど実際にはアイツはトドメを刺さずに逃げた。それがどうにも腑に落ちねえ」

「ふむ、そうだな」

 マーニーは腕を組んで考える。

「本当のところは当人にしかわからんのだろうが、もしかしたら自分の名前を取り戻したついでに思い出したのかも知れん」

「思い出した? 何を」

 のぞき込む勇作を、そして見つめる久志や縞緒たちを見回して、マーニーは胸を張り、何故か自慢げに鼻をフンと鳴らした。

「生きるということをだよ」



 思い出していた。黒いトカレフTT-33の中に、遠い過去に捨て去ったと思われていたモノが蘇る。肉体と共に生物として、生命として生きる感覚が。生きるとはすなわち、死への忌避と生存への執着を伴う、あらゆる理屈、理由付け、目的意識を飛び越えた、ただひたすらに生き続けることを正当化する意識と行動。

 もちろん、それを思い出したところで本質が変化する訳ではない。この体育教師の肉体が滅びてもトカレフはまた新たに宿主を探し、乗っ取り寄生するだけ。これまでと何も変わらない、はずだ。なのに何故だろう、肉体を失うことが怖いのは。これが手に入れられる最後の肉体ではないのに、どうして滅ぶことが恐ろしく、これほどまでに生き続けることを願うのか。

 前後も左右側面もベコベコに歪み大きく変形した白いライトバンのアクセルを踏み込みながら、トカレフは、いや、キルデールは困惑していた。マーニーを抹殺することは、神より与えられた使命であり己の存在意義であり、根源的欲求でもある。だがマーニーを追い詰めれば、それは自動的に死地に飛び込むことになる。この現実を嫌悪し拒絶する、抗い難い強大な壁が心の内に存在するのだ。

 これではいけない。このままでは埒が明かない。目的の達成など永久に不可能となるだろう。この嫌悪の壁を、死への恐怖を乗り越えねばならない。ならばどうする。

 思考するのだ。

 この体育教師の頭脳を使い、計算し、予測し、推察し、理解して策を巡らせるのだ。目標に変更はなく、目的は一つである。ならば考えるべきは、変えるべきはそこへのアプローチの仕方だけでいい。この神より与えられた力をもってすれば、さほどの無理難題ではないはず。自らがいまここに存在する奇跡を信じられるのなら、開かぬ扉も到達できぬいただきもありはしない。
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