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第51話 十文字香の手記 その二十五
しおりを挟む それから十一年が経った。世間では伝染病がパンデミックを起こしたものの、現在その脅威は収まりつつある。マスクを必要としない場面も日常に増えた。我々はようやく普通の生活に戻ろうとしているのだろう。
そんなある日に起きた一つの奇跡を記して、この記録の筆を置きたいと思う。
その日の夕方。帰宅する人々で溢れる街角の片隅、私は一人の男とぶつかりかけた。ヨレヨレのグレーのスーツに黒ネクタイ、ボサボサ頭に無精ヒゲ。清潔感という言葉からはほど遠い、その決して個性的とは言えない顔に目が吸い寄せられてしまった私の口からは、思わずうわずった声が飛び出した。
「五味くん、五味くんなの?」
相手は一瞬怪訝な顔で私を見つめ、すぐに「ああ、おまえか」という表情になった。
「十文字、か」
「五味くん、服装は変わったけど、雰囲気変わらないね」
「それ褒め言葉じゃねえだろ。じゃあな、いま仕事で急いでるもんでよ」
そう言ってそそくさと向けられた背中に、私は慌てて声をかけた。
「夏風くん、亡くなったこと知ってる?」
五味民雄は振り返らず、しかし足は止めた。
「六年前。結局あの後、病院から一歩も外に出られなかったって」
「……そうか」
五味民雄が何を思うのか、顔の見えない状態では判断のしようがない。いや、そんな判断はもうどうでもいいことなのかも知れない。
「私、新聞記者やってるの。地方紙で。いつか国際紙で記名記事を書けるよう頑張ってる。夏風くんに言われたからじゃないけど、でも、あのときの言葉を心の支えにしてる部分もあるかな。五味くんはいま何してるの」
私の問いかけに、やはり五味民雄は振り返ることもなく、ゆっくりと歩き去った。ただ小さく右手を挙げて、少し面倒臭そうな声でこう言い残して。
「私立探偵」
そんなある日に起きた一つの奇跡を記して、この記録の筆を置きたいと思う。
その日の夕方。帰宅する人々で溢れる街角の片隅、私は一人の男とぶつかりかけた。ヨレヨレのグレーのスーツに黒ネクタイ、ボサボサ頭に無精ヒゲ。清潔感という言葉からはほど遠い、その決して個性的とは言えない顔に目が吸い寄せられてしまった私の口からは、思わずうわずった声が飛び出した。
「五味くん、五味くんなの?」
相手は一瞬怪訝な顔で私を見つめ、すぐに「ああ、おまえか」という表情になった。
「十文字、か」
「五味くん、服装は変わったけど、雰囲気変わらないね」
「それ褒め言葉じゃねえだろ。じゃあな、いま仕事で急いでるもんでよ」
そう言ってそそくさと向けられた背中に、私は慌てて声をかけた。
「夏風くん、亡くなったこと知ってる?」
五味民雄は振り返らず、しかし足は止めた。
「六年前。結局あの後、病院から一歩も外に出られなかったって」
「……そうか」
五味民雄が何を思うのか、顔の見えない状態では判断のしようがない。いや、そんな判断はもうどうでもいいことなのかも知れない。
「私、新聞記者やってるの。地方紙で。いつか国際紙で記名記事を書けるよう頑張ってる。夏風くんに言われたからじゃないけど、でも、あのときの言葉を心の支えにしてる部分もあるかな。五味くんはいま何してるの」
私の問いかけに、やはり五味民雄は振り返ることもなく、ゆっくりと歩き去った。ただ小さく右手を挙げて、少し面倒臭そうな声でこう言い残して。
「私立探偵」
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