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第17話 十文字香の手記 その八

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「いーやあ、ごめんねえ。申し訳ない。とは言え、何も報告せん訳にも行かんのよね」

「何でついて来てるんですか」

 校長室を出た私たち三人の後を、白衣の入地カウンセラーが追って来た。

「そんな怖い顔せんでもええやないの、十文字さん。知らん仲でもあるまいし」

「どこがですか。ほぼ知らない仲でしょうが」

 私のツッコミに、入地は心外だと言わんばかりの表情を浮かべた。

「ええー、冷たいなあ」

 何が冷たいだ何が。誰のおかげで校長室に呼び出されたりしたと思ってる。そう言ってやりたかったものの、私の前を歩いていた夏風走一郎に異変が起き、意識がそちらを向いてしまった。杖をつきながら歩いていた彼が不意に立ち止まり、廊下の壁に背を付けて大きな息を吐いたのだ。

「夏風くんどうしたの、大丈夫」

 これに夏風走一郎は軽くうなずき、やや青ざめた顔に笑みを浮かべた。

「大丈夫、大丈夫。あまり長い時間、立ちっぱなしというのが苦手でね。少し休めば教室には戻れるよ」

「その割に冷や汗かいてるじゃねえか」

 立ち止まった五味民雄が振り返っていた。私は気付かなかったが、言われてみれば確かに、夏風走一郎の額には汗が浮かんでいた。

「さすがにいい観点だね。君はやっぱり推理研究会に入るべきだな」

 気を遣っていたのか虚勢を張っていたのか、夏風走一郎は笑顔を崩さない。五味民雄は小さく舌打ちすると、ゆっくりと近づいてきた。

「どうせ夏休み前には引退だぞ、入部する値打ちなんぞないだろうが」

「実際に行動する以上に値打ちのあることなんてないけどね」

「知った風な理屈こねてんじゃねえよ」

 五味民雄は背を向けるとしゃがみ込んだ。

「ほれ、おぶされ。おまえに付き合ってたら昼休みが終わる」

 珍しく一瞬虚を突かれた夏風走一郎だったが、小さな苦笑を浮かべると、素直に五味民雄の背に体を預けた。入地が杖を手に取り側面から支えれば、五味は存外に軽々と立ち上がった。

「それで入地さん」

 歩き出した五味民雄の背中から、夏風走一郎はたずねた。

「知りたいことは何ですか。何もなしにここにいる訳じゃないですよね」

っとぼけたいところやねんけど、いまそれはちょっと酷かな」

「かなり酷ですね」

 この返事に満足げな笑顔を見せると、入地はこんなことを言い出した。

「学園七不思議ってあるやん、ああ説明はいらんよ、もう知ってるから。ただそれと今回の事件との関連性についてどう思てるのかなあってね、それが気になってるんやわ」

 学園七不思議とは、どこの学校にでもあるオカルト趣味の噂話であり、

一 正門の脇にある桜の大樹が赤い花をつけると人が死ぬ
二 月のない夜に踊る生物準備室の人体模型
三 夜中に上ると十三段ある第二校舎の大階段
四 背を向けると後ろから首を絞める校庭の初代理事長像
五 第一校舎の閉鎖された中庭に長い髪の女の幽霊が出る
六 午後三時に第三校舎三階の女子トイレに入ると神隠しに遭う
七 学校の建っているところはかつて墓場だった

 の、寺桜院学園の生徒に伝わる七つの話をいう。

 言うまでもなく、すべて他愛のない嘘である。新聞部の先輩が調べたこともあるが、この不便な場所が墓地であったことなど過去にない――安土桃山時代以前なら不明だけれど――し、第二校舎の階段はいつ上ろうとも十二段だ。生徒が首を絞められたり神隠しに遭ったりすれば、警察や教育委員会が乗り出す大問題となっただろう。

 誰しもが嘘だとわかっている。それでも、こういう話題はいかに時代を経ようとも消え去りはしない。大雑把に考えるなら、『文化』という言葉の中にまとめてもいいものなのではないか。少なくとも殺人事件に似つかわしい話題ではない。

 だが、今回の事件と七不思議が無関係でないのはその通りなのだ。奈良池先生は生物準備室の人体模型と一緒に倒れていた。いや、それより前には桜の花が赤いスプレーで塗られていたこともあった。もしこの二件が同一犯によるものなら、七不思議を意識していたのは間違いなかろう。

「意識していたのは間違いないでしょうね」

 夏風走一郎は、まるで私の頭の中を読み取ったかのようにそう答えた。

「でも、だから関連があると言えるかどうか」

「それはつまり?」

 のぞき込むような入地の視線に、夏風走一郎は笑顔を向ける。

「個人的にはこじつけ臭いな、と思っています。仮にこの学園に七不思議がなければ殺人事件は起きなかったのか。それはいなでしょう。殺人事件と七不思議に直接的な関係はありませんよ。でもNの字と同じく、メッセージとしては効果を持つかも知れない」

「誰に対するメッセージやろ」

「そりゃあ七不思議を知ってるんですから、学園の関係者でしょうね」

 入地の足が一瞬止まり、すぐに小走りで駆け出した。

「夏風くん、君はホンマに面白いねえ」

「他人のことは言えないでしょう。こんな会話をしたことが校長にバレたら、入地さん怒られるんじゃないですか」

「そら報告したらバレるやろうけど、これは報告せえへんから」

 五味民雄は目をまん丸にして、驚愕きょうがくに口をあんぐり開けている。その背中で夏風走一郎は、声を殺して笑っていた。入地はピースサインを作ってニッと歯を見せる。

「ま、ケースバイケースやね」

 この日はこれだけ。夏風走一郎の体調のこともあり、私たちはこれ以上事件の話をせずに教室に戻った。次の日に、あの『予言』が的中するなどとは思いもしないで。
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