約束というほどではなくても

柚緒駆

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第13話 十文字香の手記 その六

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 その夜はろくに眠れず、朝になるまで何度も目を覚ました。悪夢を見ていたのかも知れない。翌日の木曜日は朦朧もうろうとした頭で心ここにあらずのまま授業を受け、昼の給食を終えた後、私はフラフラと推理研究会の部室を訪れた。

 昨日の今日で何が変わる訳でも、何がわかる訳でもないのだろうが、とにかくここに来ない限り何も進まない気がしたのだ。

「お邪魔しまーす」

 返事など期待せずに引き戸を開けた私を、強烈なスパイスの香りが出迎えた。

「え、カレー?」

 部屋の窓辺ではいつものように夏風走一郎が椅子に座って外をながめていた。だがその手前では、床に直接あぐらをかく男子生徒の背中が。脇にはキャンプ用のガスバーナーとケトルが置いてあった。

「五味くん、何してるの」

 振り返った五味民雄の手には、コンビニ限定商品のカレーヌードルの容器。口いっぱいに頬張ったモノをモグモグ咀嚼そしゃくし、飲み込むと面倒臭そうにこう言った。

「何してるもないだろ。飯食ってんだよ」

「え、給食は食べなかったの」

「あんなもんで足りる訳あるか。十代の胃袋なめんな」

「いや、だからってここで食べなくても」

「他にどこで食うんだよ」

 まあ、そう言われてみればその通りなのかも知れない。学園外のコンビニやスーパーで買った食料品を校内で飲食するのは、教員の許可がない限り校則で禁じられていた。だから教室でも学食でも、こんなものは食べられないのだ。

 しかし、そんな面倒なモノをわざわざ食べなくても良さそうなものだが。お腹を膨らませるだけなら、学食で安く食事ができる。何を好き好んで校則に違反しなくてはならないのか、私にはサッパリわからなかった。そもそも、カレーヌードルといいキャンプ用品といい、どうやって手に入れてどこから持ち込んだのだろう。情熱をかける方向性がまったく意味不明である。

 私は外を眺める夏風走一郎に声をかけた。

「いいの、これ」

 すると部屋の主は、やや苦笑にも見える笑みを浮かべながらこちらを向いた。

「いいも悪いも、勝手に始めちゃったからねえ。でも五味くんのバイタリティーは凄いよ。方向性さえ定まれば、かなりの人物になれるんじゃないかな」

「進路指導みたいなこと言ってんじゃねえ」

 割り箸でカレーヌードルをかき込みながら、五味民雄はぶつくさと文句を言った。

「何がバイタリティーだ、意味のない『やる気の暴走』を勝手に横文字に当てはめやがって。かなりの人物って何だよ、そんな未来が見極められるほど人生経験積んでんのかテメエはよ」

「おやおや、これは随分と逆鱗げきりんに触れたみたいだねえ。進路指導に余程の恨みがあるみたいだ」

 夏風走一郎の笑顔には心の声が浮かび上がっているような気がした。「これは良いオモチャを見つけたぞ」と。それに気付いていたのかどうか、五味民雄はカレーヌードルの容器を逆さまに、一気に口の中に流し込んで飲み込んだ。

「恨みなんぞねえわ。ただ気に入らないだけだ。進路指導にいったい何の意味がある。生徒に将来の希望を語らせて何が生み出せるよ。アンケート用紙に宇宙物理学者になりたいって書いたら、進路指導の教師が宇宙物理学教えてくれんのか。あんなもん学校側の仕事してるポーズか、さもなきゃオカルトだろうが!」

 カレーヌードルの容器を握りつぶし、すごい剣幕で怒りをぶちまけた五味民雄だったが、それを聞いて夏風走一郎は腹を抱えて大笑いを始めた。これに笑われた方が不快感を示したのは当然かも知れない。

「何がそんなにおかしい」

「いやいや、言いがかりもここまで来ると芸術的じゃないか。たかだか進路指導にここまで熱弁を振るう人を初めて見たよ。でも一応先生方を擁護ようごしておけば、宇宙物理学者になりたい生徒に、それが可能な大学の情報を与えるのは進路指導の仕事だよね」

「だったら大学のパンフレットだけ渡せば済む話だ。教師による指導なんぞ何の意味もない」

 だが夏風走一郎は首を振った。

「違うよ。それはシステムと契約の話になる。学校というのは何でも指導するのが当たり前なシステムになっている。で、僕ら生徒はそのシステムを了承して納得して入学するべき存在なんだよ。つまり入学した時点で、そのシステムを受け入れる契約に同意したんだ。だから入学してからシステムが気に食わないというのは、ほぼ言いがかりの契約違反だね」

 しかし五味民雄は一歩も引かなかった。

「だったら学校は入学説明会で、『ウチの学校にはこんなシステム上の問題があります』って事前説明をしなきゃならんだろ。俺はそんな説明を受けた記憶は一切ない。説明もなしに問題の尻拭しりぬぐいを生徒にさせるのは不当契約だ。詐欺なんだよ」

「なるほど消費者契約法的解釈を学校の現場に持ち込めという話なんだ。確かに生徒にはともかく、保護者に対してその説明はされるべきだね。僕は法律家ではないから君の解釈が正しいか間違っているかの判断はつかないけど、このレベルの理論武装で反抗されたら、高校の先生では大変扱いにくいだろう。五味くんが問題児なのはよくわかるよ」

 何故か嬉しそうに話す夏風走一郎に、五味民雄の反抗心はそがれてしまったようだ。

「別に問題児になりたくてなってる訳じゃねえよ」

 吐き捨てるようにつぶやいた五味民雄に、しかし夏風走一郎は心底感心したかのようにこう言った。

「独特の観点に発想力、頭の回転にバイタリティー、いいね。五味くんは見事なまでに私立探偵向きだ」

「おまえ、まだそんなこと言ってんのかよ。ならねえつってんだろうが。それより、そっちはどうなってんだよ」

「どうって何がだい」

「事件のことに決まってんだろ」

 そう、そうなのだ。危うく忘れるところだった。事件の進展が何かないかを確認するためにここに来たのであって、進路指導の是非について話を聞きに来た訳ではない。しかしふくらみかけた私の期待に冷水を浴びせるが如く、夏風走一郎はいとも平然と首を振った。

「何もないよ。新しい情報もないのに、何かわかるはずもないじゃないか」

 ああ、やっぱりそうか。思わず肩を落とした私の耳を、夏風走一郎の言葉が打った。

「そもそも五味くんも十文字さんも考えたんだよね。それで何も出てこなかった。だったら僕が考えたって同じだよ」

 胸が痛んだのは何故だろう。確かに私も事件について、自分なりには考えた。考えたのだが、そのとき心の片隅に、きっと夏風走一郎が何かを見つけるだろうという甘えた計算がなかったか。

 同じだ。このままではピアノと同じだ。夢はまた私から遠ざかろうとしている。

「ごめん。私、教室に戻るね」

 それだけ言って推理研究会の部室を飛び出した。教室に戻って何かがある訳ではない。でもただ口を開けて餌を待つ魚にはなりたくなかった。考えろ、考えろ、考えろ私。

 だが現実は甘くない。考えに考え抜いても、この日は結局何も出てこなかったのだ。
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