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五味民雄
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チャレンジ二日目。
六時十六分にセットした、スマホのアラームで目覚める。七時になれば母さんが起こしに来る。それまでの間、キャプテンに指定された動画を見なければならない。たぶん映画なのだろうとは思うけれど、人が殺されてバラバラにされる映像。グロい。気持ち悪い。こういうのはあんまり好きじゃない。でも見ないと。
左の腕がちょっと痛い。Tシャツをめくって見たら、赤く腫れ上がっている。昨日コンパスの針で彫った616の文字。でもキャプテンは褒めてくれた。
「クズ同然の醜いおまえに残った最後の勇気だ」
別に勇気なんて必要なかったと思う。でももしかしたら、私にも勇気があるのかな。これくらいのちょっとした勇気で見られるのかな。
いつか、悪魔が。
◆ ◆ ◆
その男は髪を綺麗に七三に分け、紺色のスーツに黒い革靴、黒いカバンで、警察官というよりは安物の銀行員に見えた。
「県警財務課の清水と申します。鹿沼敏一さんのお母様でいらっしゃいますね」
玄関先に立つ鹿沼トシ江は、沈痛な面持ちでその白髪頭を深く下げた。
「どうも、息子がご迷惑をおかけして」
「いえいえ、私は仕事ですので」
トシ江は顔を上げると、その若い警察官の顔をのぞき込むように見た。
「あの、息子はいま」
「はい、敏一さんは現在取調中です。まあ逃亡のおそれもないようですので、じきに釈放されると思いますよ」
「あの、それで息子が轢いてしまった方は」
「私は直接の担当ではないので詳しいことはわかりませんが、いま病院にいるそうです。全治三ヶ月くらいだそうで」
敏一はトシ江が三十五を過ぎて初めて授かった一人息子であった。夫と死別した後、親一人子一人で、三十余年一心同体で暮らして来た大事な息子なのだ。その息子の不始末は、母親の自分が片を付けなければならない。そう固く信じていた。だから息子から電話がかかって来たとき、その話の内容を疑う気持ちなどまるでなかった。
「あの、被害者の方に謝罪にうかがいたいのですが、病院を教えて頂けませんか」
「そうですね、手続きが終了しましたら、また警察の方から連絡が行くと思いますので」
清水と名乗った警察官は、作り笑いを顔に貼り付け、大きくうなずいた。その笑っていない冷たい目はトシ江の両手に握られた封筒を見つめている。トシ江は少し躊躇しながら、その封筒を差し出した。
「ではあの、これ、三百万円入っています」
「はい、うかがっております」
「あの、本当にこのお金で」
「ええ、先方は規定の示談金さえお支払い頂けるなら、息子さんを訴えることはしないと約束されています。これで敏一さんには前科がつかないはずです」
それを聞いてトシ江の目には涙が浮かんだ。そして再び頭を下げながら、封筒を清水に手渡した。
「どうか、息子をよろしくお願い致します」
「はい、確かにお預かり致しました。領収証をお渡ししておきます。県警の連絡先もこちらに書いてございますので、何かありましたら」
そして清水はカバンに分厚い封筒を入れると、そそくさと背を向け歩いて行く。少し離れた路肩に停められた白いセダンにその背中が乗り込むまで、トシ江は見送り続けた。
清水の運転するセダンは路地から国道に出るとすぐに右折し、角のコンビニの駐車場に入った。そしてスマホを取り出す。
「もしもし、オレ。受け取り完了。三百。それじゃ」
短い通話を終えると、清水は再び車を出そうとした。そのとき。ルームミラーに映る後部座席に突然人影が現われた。隠れていたのか、慌てて振り向こうとした清水の首が、後ろから鷲づかみにされた。
「騒ぐんじゃねえよ、お巡りさん」
低い声がつぶやいた。
「あんた県警の財務課の人なんだろ。さっき婆さんと喋ってるの聞いてたよ。心配すんなって。俺だって警官に手出すほど馬鹿じゃねえよ。まあ、アンタが本物の警官ならの話だけどな」
清水は身体の動きを止め、ルームミラーを凝視した。年の頃は三十そこそこか。ボサボサの髪に無精髭を生やし、ヨレヨレのグレーのスーツに黒いネクタイを締めた男が一人。
「……おまえ、何だ。何のつもりだ」
ようやく声を絞り出した清水に、男はミラーの中でニヤニヤ笑った。
「金だよ。金を出しな」
「金?」
「だから心配すんなって。有り金全部渡せって訳じゃない。一割だ。三十万よこせ」
「何ふざけて」
首を絞める男の手に力が入った。男は清水の耳元でささやく。
「ふざけちゃいねえよ。嫌ならこのまま警察呼ぶだけだ。どっちがいい。パクられて金も手に入らずに、仲間の報復にビクビクすんのと、三十万払ってここから逃げるのと。どうせおまえの取り分、二割くらいはあるんだろ。だったらここで一割払っても、まだ残るじゃねえか。悪い事は言わねえよ。三十万払って仲間のところに戻りな。今後のためにもな」
男が後部座席から降りると、清水の白いセダンは急発進し、狭い路地の奥に向かって走って行った。この先には県道がある。そっちに抜ける算段なのだろう。
「毎度あり」
男は胸のポケットを叩きながら、笑顔で見送った。
今日はラッキーだった。たまには銀行ものぞいてみるもんだ。まさかあんなネタが落ちてやがるとはな。
「近々土地の取引があるのよ」
そう言いながら婆さんが窓口で金を下ろしていた。三百万円。別に不自然なところがあった訳じゃない。その程度の金額の土地取引も実際にあるだろうし、不動産はいまだに現金が幅を利かせる業界だ。当面入り用な金額が三百万でも、別段何の不思議もない。
だがもし、あのセリフが誰かの指示だとしたら。そう思って俺は婆さんの後をつけてみた。そして家を見張っていたら、三十分と経たない間にあのニセ警官が来やがったって訳だ。
何が財務課だよ。県警にそんな部署があるか。それに前科がつくとかつかないとか、いつから警察は裁判所になった。設定がボロボロじゃねえか。ま、俺としてはそういう間抜けな連中が増えてくれた方が有り難いのだが。
しかし一日で、いや、ものの一時間で三十万か。働かないで手に入る金は旨味が違うな。今日はツイてる。もしかしたらラッキーカラーがグレーで、ラッキーアイテムが白いセダンで、ラッキーナンバーが三百だったりしたのかも知れない。今なら万馬券を買っても当たるんじゃねえか。目指せ貯蓄生活! 目指せ上流階級!
……なんてな。ちっとハシャギ過ぎだな。俺はガキとオカルトが大嫌いだ。ラッキー○○なんてものが本当にあるとは思っちゃいない。もし仮にそんなものがあるのなら、そいつはきっと裏側の見えないところに、タチの悪い不幸をくっつけてるに違いない。世の中なんて、どうせそんなもんだ。
てな事を考えながら事務所に向かって歩いていると、路肩に停まった赤い軽自動車から女が下りてきて、笑顔で俺に手を振った。
「五味さーん。ちーっす」
そう手を振る黒いスーツ姿の女は、身長が百七十五センチほどあるだろうか。俺よりも三センチほどデカい。靴は革のベタ靴である。長い手足も、短く切った赤っぽい髪も、通った鼻筋の周りのソバカスも、色素の薄い大きな瞳も、日本人的な雰囲気からはかけ離れている。これだけの容姿があれば、雑誌記者などやらなくても食って行けたはずだ。どこぞの歌劇団にでも入れば良かったろうに、と俺はいつも思う。
「なんだよササクマ」
「自分笹桑っすよ。いい加減名前覚えてくんないすか」
「冗談だ」
「そりゃまたわかりにくい冗談っすねえ」
「どうでもいいだろ。で、人の事務所の前で何か用か」
俺は胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。
「ここ路上喫煙禁止エリアじゃなかったっすか」
「うるせえよ。用がないんなら帰れ」
と言いながらライターを探していると、笹桑ゆかりがポケットからライターを取り出してタバコに火をつけた。にらんでやったが、笹桑は人懐っこい笑顔を返す。
「情報買ってくんないすか。今月イロイロと厳しくて」
「……内容によるな」
俺は一口、煙を吸い込んだ。
◇ ◇ ◇
五味さんはネットやります? まあやりますよね、いまどきネットやらないで探偵なんてできっこないんすから。いや、そのネットでいま問題になってるサイトがあるんすよ。どんなサイトだと思います? ああ、ハイハイもったいぶるのはやめます。一言で言っちゃうと『自殺サイト』なんす。
まあ自殺サイトって言っても、サイトに「自殺はいいことだ!」とか書いてる訳じゃないんすよ。いや、それどころかほとんど何も書いてない。自分も実際見てみたんすけど、これといって何の説明もないんすよ。ただトップページに「死について語り合いましょう」的なメッセージが書いてあって、あとはメアドの登録欄があるだけで。メアドっすよ、いまどき。差別化なんすかね。
そんで、自分なりにイロイロ調べてみたんすけど、どうやらここにメアド登録すると『キャプテン』てヤツからメールが来るみたいなんす。そのメールに『チャレンジ』っていう指示が書いてあって、それを毎日クリアするのが、仕事っていうかメンバーの義務みたいなんすよ。そうやってチャレンジをクリアし続けると……。
これ、五味さんに言うのはアレかも知れないっすけど、見えるらしいんすよ。え、何がって? えーっと、その、何て言うか、悪魔が。
いやいやいや、最後まで聞いてくださいよ。そんな顔しないで。別に自分が悪魔見た訳でも見たい訳でもないんすから。ただそういう噂がネットで一人歩きしてて、怖い物見たさって言うんすかね、若い子が結構たくさん登録してるって話なんすよ。
でもそれで終わるんなら、単なる都市伝説と変わらないっすよね。どうせ名簿業者か何かがメアドを収拾するためにサイト作って噂を流して、それに引っかかったガキんちょがたくさんいた、ってだけの話かも知れないじゃないすか。
ところがっすよ。先月の事っすけど、その、高校生が自殺したんすよ。マンションの屋上から飛び降りて。で、その子のSNSには最後の書き込みがあって、それが「悪魔を見た。さようなら」って一言だったんす。これがその自殺サイトの影響なんじゃないかって、いま話題になってるんすけど、いやいやいや、ちょっと待ってください。本題はこっからなんすから。
その自殺した高校生の学校ってのが私立なんすけど、そこの理事長ってのが、実はあの、『ヤミシン』なんすよ。あれ、ヤミシン覚えてないっすか。去年すごい話題になりましたよね。『闇のシンデレラ』っすよ。ほら、大金持ちと結婚したら家族全員死んじゃって、財産独り占めしちゃったっていう。そうそう、製薬会社の未公開株買って疑惑になった、あのヤミシンが理事長なんすよ。これ何かあると思いません?
え、怪しいなら何でうちで追わないかって? いやあ、この学校、顧問弁護士が出版関係に強い人らしくって、うちは腰が重いんすよ。新聞社系は動いてるって話もあるんすけどねえ。
◇ ◇ ◇
話を聞き終わった俺は、しばらくタバコを鼻の先で動かした。頭をひねるときのいつもの癖だ。そして再び笹桑を横目でにらんだ。
「で、いくら欲しい」
笹桑の笑顔がはじける。
「五万!」
ぶん殴ってやろうかと思ったが、やめた。
「高すぎんだよ、三万にしとけ」
「ええーっ、自分イロイロ裏取るために頑張ったんすけど」
「新聞社系が動いてるネタなんだろ」
「まあ業界内では有名っすけど」
「だったら妥当だ馬鹿野郎。三万でも御の字だろうが。文句があるなら帰れ。二度と来るな」
車から離れようとする俺の腕を、笹桑は引き留めた。
「あーん、もう! わかりました! わかりましたって!」
「最初からそう言え」
俺は胸のポケットから万札を三枚抜き出すと、笹桑の目の前に突き出した。もちろん、元手はさっきオレオレ詐欺の受け子から奪った三十万だ。笹桑は残念そうな顔でそれを受け取ると、一つため息をついた。
「はあ、社会に出たばっかりの女の子が、こんなオジサンにオモチャにされて」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ。それよりも」
俺は尻のポケットから取り出したヨレヨレの手帳にボールペンを構える。笹桑は面白そうにそれを見つめた。
「うわ、アナログっすね」
「ほっとけ。それより学校の名前教えろ」
「海蜃学園高等学校、あの海蜃館大学の系列校っす。それより自殺サイトの方はいいんすか」
手帳を尻ポケットに戻したとき、俺はいわゆる苦虫を噛み潰したような顔だったろう。
「ガキとオカルトは大嫌いなんだよ」
しかし笹桑は、俺の言葉に何かを思い出したようにたずねた。
「あ、でも五味さん、いまガキ飼ってるんすよね。歳とって丸くなったんじゃないかってみんな噂してますよ」
「あれはガキじゃねえ」
俺はタバコの吸い殻を指で弾いた。火のついたままのそれが、笹桑の軽自動車の中に飛び込んで行く。
「ああーっ! 何するんすかーっ!」
慌てて車のドアを開ける笹桑に背を向けた俺は、誰に聞かせるでもなく一言こうつぶやいた。
「ただの道具だ」
六時十六分にセットした、スマホのアラームで目覚める。七時になれば母さんが起こしに来る。それまでの間、キャプテンに指定された動画を見なければならない。たぶん映画なのだろうとは思うけれど、人が殺されてバラバラにされる映像。グロい。気持ち悪い。こういうのはあんまり好きじゃない。でも見ないと。
左の腕がちょっと痛い。Tシャツをめくって見たら、赤く腫れ上がっている。昨日コンパスの針で彫った616の文字。でもキャプテンは褒めてくれた。
「クズ同然の醜いおまえに残った最後の勇気だ」
別に勇気なんて必要なかったと思う。でももしかしたら、私にも勇気があるのかな。これくらいのちょっとした勇気で見られるのかな。
いつか、悪魔が。
◆ ◆ ◆
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「県警財務課の清水と申します。鹿沼敏一さんのお母様でいらっしゃいますね」
玄関先に立つ鹿沼トシ江は、沈痛な面持ちでその白髪頭を深く下げた。
「どうも、息子がご迷惑をおかけして」
「いえいえ、私は仕事ですので」
トシ江は顔を上げると、その若い警察官の顔をのぞき込むように見た。
「あの、息子はいま」
「はい、敏一さんは現在取調中です。まあ逃亡のおそれもないようですので、じきに釈放されると思いますよ」
「あの、それで息子が轢いてしまった方は」
「私は直接の担当ではないので詳しいことはわかりませんが、いま病院にいるそうです。全治三ヶ月くらいだそうで」
敏一はトシ江が三十五を過ぎて初めて授かった一人息子であった。夫と死別した後、親一人子一人で、三十余年一心同体で暮らして来た大事な息子なのだ。その息子の不始末は、母親の自分が片を付けなければならない。そう固く信じていた。だから息子から電話がかかって来たとき、その話の内容を疑う気持ちなどまるでなかった。
「あの、被害者の方に謝罪にうかがいたいのですが、病院を教えて頂けませんか」
「そうですね、手続きが終了しましたら、また警察の方から連絡が行くと思いますので」
清水と名乗った警察官は、作り笑いを顔に貼り付け、大きくうなずいた。その笑っていない冷たい目はトシ江の両手に握られた封筒を見つめている。トシ江は少し躊躇しながら、その封筒を差し出した。
「ではあの、これ、三百万円入っています」
「はい、うかがっております」
「あの、本当にこのお金で」
「ええ、先方は規定の示談金さえお支払い頂けるなら、息子さんを訴えることはしないと約束されています。これで敏一さんには前科がつかないはずです」
それを聞いてトシ江の目には涙が浮かんだ。そして再び頭を下げながら、封筒を清水に手渡した。
「どうか、息子をよろしくお願い致します」
「はい、確かにお預かり致しました。領収証をお渡ししておきます。県警の連絡先もこちらに書いてございますので、何かありましたら」
そして清水はカバンに分厚い封筒を入れると、そそくさと背を向け歩いて行く。少し離れた路肩に停められた白いセダンにその背中が乗り込むまで、トシ江は見送り続けた。
清水の運転するセダンは路地から国道に出るとすぐに右折し、角のコンビニの駐車場に入った。そしてスマホを取り出す。
「もしもし、オレ。受け取り完了。三百。それじゃ」
短い通話を終えると、清水は再び車を出そうとした。そのとき。ルームミラーに映る後部座席に突然人影が現われた。隠れていたのか、慌てて振り向こうとした清水の首が、後ろから鷲づかみにされた。
「騒ぐんじゃねえよ、お巡りさん」
低い声がつぶやいた。
「あんた県警の財務課の人なんだろ。さっき婆さんと喋ってるの聞いてたよ。心配すんなって。俺だって警官に手出すほど馬鹿じゃねえよ。まあ、アンタが本物の警官ならの話だけどな」
清水は身体の動きを止め、ルームミラーを凝視した。年の頃は三十そこそこか。ボサボサの髪に無精髭を生やし、ヨレヨレのグレーのスーツに黒いネクタイを締めた男が一人。
「……おまえ、何だ。何のつもりだ」
ようやく声を絞り出した清水に、男はミラーの中でニヤニヤ笑った。
「金だよ。金を出しな」
「金?」
「だから心配すんなって。有り金全部渡せって訳じゃない。一割だ。三十万よこせ」
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首を絞める男の手に力が入った。男は清水の耳元でささやく。
「ふざけちゃいねえよ。嫌ならこのまま警察呼ぶだけだ。どっちがいい。パクられて金も手に入らずに、仲間の報復にビクビクすんのと、三十万払ってここから逃げるのと。どうせおまえの取り分、二割くらいはあるんだろ。だったらここで一割払っても、まだ残るじゃねえか。悪い事は言わねえよ。三十万払って仲間のところに戻りな。今後のためにもな」
男が後部座席から降りると、清水の白いセダンは急発進し、狭い路地の奥に向かって走って行った。この先には県道がある。そっちに抜ける算段なのだろう。
「毎度あり」
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今日はラッキーだった。たまには銀行ものぞいてみるもんだ。まさかあんなネタが落ちてやがるとはな。
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しかし一日で、いや、ものの一時間で三十万か。働かないで手に入る金は旨味が違うな。今日はツイてる。もしかしたらラッキーカラーがグレーで、ラッキーアイテムが白いセダンで、ラッキーナンバーが三百だったりしたのかも知れない。今なら万馬券を買っても当たるんじゃねえか。目指せ貯蓄生活! 目指せ上流階級!
……なんてな。ちっとハシャギ過ぎだな。俺はガキとオカルトが大嫌いだ。ラッキー○○なんてものが本当にあるとは思っちゃいない。もし仮にそんなものがあるのなら、そいつはきっと裏側の見えないところに、タチの悪い不幸をくっつけてるに違いない。世の中なんて、どうせそんなもんだ。
てな事を考えながら事務所に向かって歩いていると、路肩に停まった赤い軽自動車から女が下りてきて、笑顔で俺に手を振った。
「五味さーん。ちーっす」
そう手を振る黒いスーツ姿の女は、身長が百七十五センチほどあるだろうか。俺よりも三センチほどデカい。靴は革のベタ靴である。長い手足も、短く切った赤っぽい髪も、通った鼻筋の周りのソバカスも、色素の薄い大きな瞳も、日本人的な雰囲気からはかけ離れている。これだけの容姿があれば、雑誌記者などやらなくても食って行けたはずだ。どこぞの歌劇団にでも入れば良かったろうに、と俺はいつも思う。
「なんだよササクマ」
「自分笹桑っすよ。いい加減名前覚えてくんないすか」
「冗談だ」
「そりゃまたわかりにくい冗談っすねえ」
「どうでもいいだろ。で、人の事務所の前で何か用か」
俺は胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。
「ここ路上喫煙禁止エリアじゃなかったっすか」
「うるせえよ。用がないんなら帰れ」
と言いながらライターを探していると、笹桑ゆかりがポケットからライターを取り出してタバコに火をつけた。にらんでやったが、笹桑は人懐っこい笑顔を返す。
「情報買ってくんないすか。今月イロイロと厳しくて」
「……内容によるな」
俺は一口、煙を吸い込んだ。
◇ ◇ ◇
五味さんはネットやります? まあやりますよね、いまどきネットやらないで探偵なんてできっこないんすから。いや、そのネットでいま問題になってるサイトがあるんすよ。どんなサイトだと思います? ああ、ハイハイもったいぶるのはやめます。一言で言っちゃうと『自殺サイト』なんす。
まあ自殺サイトって言っても、サイトに「自殺はいいことだ!」とか書いてる訳じゃないんすよ。いや、それどころかほとんど何も書いてない。自分も実際見てみたんすけど、これといって何の説明もないんすよ。ただトップページに「死について語り合いましょう」的なメッセージが書いてあって、あとはメアドの登録欄があるだけで。メアドっすよ、いまどき。差別化なんすかね。
そんで、自分なりにイロイロ調べてみたんすけど、どうやらここにメアド登録すると『キャプテン』てヤツからメールが来るみたいなんす。そのメールに『チャレンジ』っていう指示が書いてあって、それを毎日クリアするのが、仕事っていうかメンバーの義務みたいなんすよ。そうやってチャレンジをクリアし続けると……。
これ、五味さんに言うのはアレかも知れないっすけど、見えるらしいんすよ。え、何がって? えーっと、その、何て言うか、悪魔が。
いやいやいや、最後まで聞いてくださいよ。そんな顔しないで。別に自分が悪魔見た訳でも見たい訳でもないんすから。ただそういう噂がネットで一人歩きしてて、怖い物見たさって言うんすかね、若い子が結構たくさん登録してるって話なんすよ。
でもそれで終わるんなら、単なる都市伝説と変わらないっすよね。どうせ名簿業者か何かがメアドを収拾するためにサイト作って噂を流して、それに引っかかったガキんちょがたくさんいた、ってだけの話かも知れないじゃないすか。
ところがっすよ。先月の事っすけど、その、高校生が自殺したんすよ。マンションの屋上から飛び降りて。で、その子のSNSには最後の書き込みがあって、それが「悪魔を見た。さようなら」って一言だったんす。これがその自殺サイトの影響なんじゃないかって、いま話題になってるんすけど、いやいやいや、ちょっと待ってください。本題はこっからなんすから。
その自殺した高校生の学校ってのが私立なんすけど、そこの理事長ってのが、実はあの、『ヤミシン』なんすよ。あれ、ヤミシン覚えてないっすか。去年すごい話題になりましたよね。『闇のシンデレラ』っすよ。ほら、大金持ちと結婚したら家族全員死んじゃって、財産独り占めしちゃったっていう。そうそう、製薬会社の未公開株買って疑惑になった、あのヤミシンが理事長なんすよ。これ何かあると思いません?
え、怪しいなら何でうちで追わないかって? いやあ、この学校、顧問弁護士が出版関係に強い人らしくって、うちは腰が重いんすよ。新聞社系は動いてるって話もあるんすけどねえ。
◇ ◇ ◇
話を聞き終わった俺は、しばらくタバコを鼻の先で動かした。頭をひねるときのいつもの癖だ。そして再び笹桑を横目でにらんだ。
「で、いくら欲しい」
笹桑の笑顔がはじける。
「五万!」
ぶん殴ってやろうかと思ったが、やめた。
「高すぎんだよ、三万にしとけ」
「ええーっ、自分イロイロ裏取るために頑張ったんすけど」
「新聞社系が動いてるネタなんだろ」
「まあ業界内では有名っすけど」
「だったら妥当だ馬鹿野郎。三万でも御の字だろうが。文句があるなら帰れ。二度と来るな」
車から離れようとする俺の腕を、笹桑は引き留めた。
「あーん、もう! わかりました! わかりましたって!」
「最初からそう言え」
俺は胸のポケットから万札を三枚抜き出すと、笹桑の目の前に突き出した。もちろん、元手はさっきオレオレ詐欺の受け子から奪った三十万だ。笹桑は残念そうな顔でそれを受け取ると、一つため息をついた。
「はあ、社会に出たばっかりの女の子が、こんなオジサンにオモチャにされて」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ。それよりも」
俺は尻のポケットから取り出したヨレヨレの手帳にボールペンを構える。笹桑は面白そうにそれを見つめた。
「うわ、アナログっすね」
「ほっとけ。それより学校の名前教えろ」
「海蜃学園高等学校、あの海蜃館大学の系列校っす。それより自殺サイトの方はいいんすか」
手帳を尻ポケットに戻したとき、俺はいわゆる苦虫を噛み潰したような顔だったろう。
「ガキとオカルトは大嫌いなんだよ」
しかし笹桑は、俺の言葉に何かを思い出したようにたずねた。
「あ、でも五味さん、いまガキ飼ってるんすよね。歳とって丸くなったんじゃないかってみんな噂してますよ」
「あれはガキじゃねえ」
俺はタバコの吸い殻を指で弾いた。火のついたままのそれが、笹桑の軽自動車の中に飛び込んで行く。
「ああーっ! 何するんすかーっ!」
慌てて車のドアを開ける笹桑に背を向けた俺は、誰に聞かせるでもなく一言こうつぶやいた。
「ただの道具だ」
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