上 下
29 / 38

28.赤い眼、黒い翼

しおりを挟む
 深夜の書斎には静寂が鎮座している。開いた窓からは冷えた夜風が入ってきた。歌祭は昨日で終わった。ジョセフ・カッパーバンドは歌祭が嫌いであった。あんなものは祭とは呼べない。呼んでたまるか、そういうかたくなな思いがある。

 人の歴史を模するロボットたちの、その模倣の一環である歌祭。確かに人の歴史を顧みれば、その原初的な祭は至極単純な、それこそただ歌うだけのものもあったのかもしれない。原始的なアニミズムやシャーマニズムに司られた古代の人々は、歌うことで自然界の神々と一体化しようとしていたのだろう。

 だが様々な歴史を積み重ねて色々な文化を紡いだ人類は、神を称えると同時に自分たちをも楽しませる祭を編み出した。やがてそれこそが祭の主流となる。そう、祭を楽しめるかどうか、楽しめる祭を生み出せるかどうか、そこが人類とそれ以外とを隔てる分水嶺となるのだ。ジョセフはそう信じていた。

 びりびりびり。紙を破く音がした。ゆっくりとした、小さな音だったが、深夜の静けさの中ではビックリするほど大きく感じた。ジョセフが視線を落とすと、机の上には一冊のペーパーバックがあった。その下半分は黒い何かに覆われている。それはペーパーバックの表紙を破り取り、自らの中に飲み込んで行った。

「今度は何を読んでいるのかな」

 ジョセフの言葉に対し、黒い何かは表面に唇のような物を浮かび上がらせた。その唇が囁く。

「……スッタニパータ」
「良い選択だ。ゆっくり読みなさい」

 びりびりびり。また一枚、ページが破られた。そのとき。

 夜のしじまを破って、破裂音が三つ響いた。

「何の騒ぎだ」

 ジョセフは眉をひそめた。猟銃を手に取り、書斎から庭へと出てみた。しかし周囲にあるのは星明かりの闇と、微かな風の音だけ。しばらく様子を見たが、何事も起きていないように思えた。そのジョセフの背後に、音もなく近づく影が一つ。

「お爺さま」

 慌てて振り返ったジョセフだったが、銃口を向けるような真似はせずに済んだ。

「おお、ドリスか」

 白いナイトウェアを着たドリスが立っていた。ジョセフは再び周囲の闇に意識を向ける。ドリスも周囲を見回した。

「さっきの音、何かあったのでしょうか」
「わからん。だが気をつけた方が良い。今夜はもう外に出るな。さあ、部屋の中に」

 その言葉は最後まで続かなかった。突然の地響きに息を呑んだからである。地響きの震源が自分の書斎であるとジョセフが気づいたのは、窓のガラスが内側から破られたとき。

 書斎には明かりをつけて出て来たはず。しかしいま外から見る書斎の中は漆黒の闇。それどころか、ガラスの割れた所から、黒い何かが外にはみ出して来ていた。星明かりですら見える、夜より黒い謎の流体。膨張し、成長するそれが、書斎の本を『餌』にしていることは明らかだった。

「……セルロース……カーボン……我ガ血肉……」
「何故だ、どうして」

 思わずそれに近づこうとしたジョセフをドリスが引き留める。

「お爺さま、危険です!」
「どういうことだ、何がいけなかった、何が間違っていたというのだ」

 眼が、開いた。窓の向こうの黒い流体に一つ、白目の真ん中に真っ赤な光彩の輝く眼が開いた。

「オマエハ間違ッテイナイ」黒い流体は告げた。「ダガ既ニ託宣ハ下ッテイル」
「託宣、だと」

「結論ハ動カセナイ。コノ惑星ハ滅亡スル」
「待ってくれ、話を聞いてくれ」

「ソレガオマエノ望ミデモアルハズ」
「何を言っている、ワシは平和を」

「人類ガ滅セヌ限リ、平和ハナイ。ソレハ過去ノ歴史ガ証明シテイル」
「違う、それは断じて違う」

 その言葉を制するかのように、黒い流体から無数の糸が弾けるように広がった。と思うとそれらは、ジョセフの背後のドリスに絡み付いた。

「あっ」

 ドリスの体が持ち上げられる。

「ドリス!」
「コレガオマエノ宝ナノダナ」

「何をする、孫を放せ!」

 ジョセフは黒い流体に銃を向けた。

「ソレガ人類ノ限界」
 流体は窓からどんどん外に流れ出て来る。
「決シテ暴力カラハ逃レラレナイ」

 やがて頭頂部に赤い一つ眼を輝かせた漆黒の柱の如き巨体が、星明かりの空にそそり立った。だがそのとき、黒い流体はつぶやいた。

「オマエハ、イッタイ」

 そのつぶやきが誰に向けての言葉なのかを明らかにする前に、黒い柱は背に翼を開いた。いままでどこに隠していたのかと問いたくなるほど大きく広い、鳥を思わせる黒い翼。それを一つ羽ばたかせると、黒い柱はドリスを高く掲げたまま、天空へと駆け上った。

「ドリス!」

 星空にジョセフの叫びが響いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

100000累計pt突破!アルファポリスの収益 確定スコア 見込みスコアについて

ちゃぼ茶
エッセイ・ノンフィクション
皆様が気になる(ちゃぼ茶も)収益や確定スコア、見込みスコアについてわかる範囲、推測や経験談も含めて記してみました。参考になれればと思います。

法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 『特殊な部隊』の初陣

橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった その人との出会いは歓迎すべきものではなかった これは悲しい『出会い』の物語 『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる  地球人が初めて出会った地球外生命体『リャオ』の住む惑星遼州。 理系脳の多趣味で気弱な『リャオ』の若者、神前(しんぜん)誠(まこと)がどう考えても罠としか思えない経緯を経て機動兵器『シュツルム・パンツァー』のパイロットに任命された。 彼は『もんじゃ焼き製造マシン』のあだ名で呼ばれるほどの乗り物酔いをしやすい体質でそもそもパイロット向きではなかった。 そんな彼がようやく配属されたのは遼州同盟司法局実働部隊と呼ばれる武装警察風味の『特殊な部隊』だった。 そこに案内するのはどう見ても八歳女児にしか見えない敗戦国のエースパイロット、クバルカ・ラン中佐だった。 さらに部隊長は誠を嵌(は)めた『駄目人間』の見た目は二十代、中身は四十代の女好きの中年男、嵯峨惟基の駄目っぷりに絶望する誠。しかも、そこにこれまで配属になった五人の先輩はすべて一週間で尻尾を撒いて逃げ帰ったという。 司法局実動部隊にはパイロットとして銃を愛するサイボーグ西園寺かなめ、無表情な戦闘用人造人間カウラ・ベルガーの二人が居た。運用艦のブリッジクルーは全員女性の戦闘用人造人間『ラスト・バタリオン』で構成され、彼女達を率いるのは長身で糸目の多趣味なアメリア・クラウゼだった。そして技術担当の気のいいヤンキー島田正人に医務室にはぽわぽわな詩を愛する看護師神前ひよこ等の個性的な面々で構成されていた。 その個性的な面々に戸惑う誠だが妙になじんでくる先輩達に次第に心を開いていく。 そんな個性的な『特殊な部隊』の前には『力あるものの支配する世界』を実現しようとする『廃帝ハド』、自国民の平和のみを志向し文明の進化を押しとどめている謎の存在『ビックブラザー』、そして貴族主義者を扇動し宇宙秩序の再編成をもくろむネオナチが立ちはだかった。 そんな戦いの中、誠に眠っていた『力』が世界を変える存在となる。 その宿命に誠は耐えられるか? SFお仕事ギャグロマン小説。

VRおじいちゃん ~ひろしの大冒険~

オイシイオコメ
SF
 75歳のおじいさん「ひろし」は思いもよらず、人気VRゲームの世界に足を踏み入れた。おすすめされた種族や職業はまったく理解できず「無職」を選び、さらに操作ミスで物理攻撃力に全振りしたおじいさんはVR世界で出会った仲間たちと大冒険を繰り広げる。  この作品は、小説家になろう様とカクヨム様に2021年執筆した「VRおじいちゃん」と「VRおばあちゃん」を統合した作品です。  前作品は同僚や友人の意見も取り入れて書いておりましたが、今回は自分の意向のみで修正させていただいたリニューアル作品です。  (小説中のダッシュ表記につきまして)  作品公開時、一部のスマートフォンで文字化けするとのご報告を頂き、ダッシュ2本のかわりに「ー」を使用しております。

星存観測

三石成
SF
 人類が崩壊した地球を脱出し、巨大な宇宙船の中で第二の地球を求めて漂流する暮らしを始めてから、百三十五年。  人々は『探索刑』という合理的な刑罰を生み出した。発射型輸送ポッドという一方通行のみ可能な小型宇宙船に囚人を乗せ、人類移住の見込みがある星に送り込む。つまり、宇宙版島流しである。  『探索刑』に処されたアハトは、見ず知らずの囚人たちと共に未知なる星に墜落する。  この星で三年間生き延びれば、宇宙船が迎えに来る。しかしアハトは知っていた。仲間の囚人たちの中に、『宇宙船史上最悪の殺人鬼』がいる。

超ゲーム初心者の黒巫女召喚士〜動物嫌われ体質、VRにモフを求める〜

ネリムZ
SF
 パズルゲームしかやった事の無かった主人公は妹に誘われてフルダイブ型VRゲームをやる事になった。  理由としては、如何なる方法を持ちようとも触れる事の出来なかった動物達に触れられるからだ。  自分の体質で動物に触れる事を諦めていた主人公はVRの現実のような感覚に嬉しさを覚える。  1話読む必要無いかもです。  個性豊かな友達や家族達とVRの世界を堪能する物語〜〜なお、主人公は多重人格の模様〜〜

共鳴のヴァルキュリア (全話再編集完)

成瀬瑛理
SF
「少年は愛するものを守るべく、禁断の力を手にする。その時、運命の歯車は大きく回り始める――!」 ※アザゼルの突然の襲撃に混乱する第6宇宙拠点基地ラケシスのコロニー。敵の放った最新型のドールアームズ、アークの襲来にアビスで抵抗するラケシスのパイロット達。激闘が繰り広げられる中、さらなる嵐が巻き起こる。 第1話〜第6話編集完了。→第7話編集中。

戦國高校生〜ある日突然高校生が飛ばされたのは、戦乱の世でした。~

こまめ
SF
生きることが当たり前だと、そう思える人にこそ、この物語を読んでもらいたい。 Q「ある日突然高校生28名と教師数名が戦国時代にタイムスリップしたとする。このとき、彼らが生きて元の時代へ戻る為の最適策を導け。ただし、戦の度に1人は必ず死ぬものとする。」  どこにでもいるごく普通の高校生、清重達志たち北大宮高校2年3組と教師は、突然脳裏に時代劇のような映像がフラッシュバックする現象に悩まされていた。ある冬の日、校舎裏の山の頂上にある神社に向かった彼らは、突如神社と共に戦国時代にタイムスリップしてしまった!!  「このままじゃ全員死んじまう!?」乱世に飛ばされた生徒達は明日の見えない状況で足掻きながらも命がけの日々を生きてゆく。その中で達志は、乱世を見る目を持つ信長、頭の切れる秀吉を始めとする多くの人物と出会い、別れを繰り返す。  数々の死線を乗り越え、己の弱さを知り、涙の日々を越えた彼は、いつしか乱世の立役者として、時代を大きく動かす存在となってゆくー 君たちがこれから見るものは、壮大な戦国絵巻。 これはそんな世を駆け抜ける、ある者たちの物語。 ※今作は歴史が苦手な方にも、お楽しみいただけるように書かせてもらっております。キャラに多少チートあり。

友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。

石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。 だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった 何故なら、彼は『転生者』だから… 今度は違う切り口からのアプローチ。 追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。 こうご期待。

処理中です...